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1話 技術交流に出かけましょう

 建国祭が終わってひと月が経ち、首都は水の季節を迎えていた。初夏から本格的な夏に移り変わる間の一カ月ほど、雨が降り続くのだ。地域によって降水量はまちまちだが、首都グリムバルドは南方のウルカナに続いて雨が多かった。


「洗濯物が乾かない……」


 工房の炉の前に張り巡らされたロープに二人分の作業着を干しながら、アルティは眉を下げた。防炎性を高めるために厚手に作られた作業着は乾くのに時間がかかる。


 クリフからは「うっとうしい!」と言われるが仕方がない。生乾きでリリアナや来客に「臭い!」と眉をひそめられたくはない。


「アルティ君、いる?」


 ドアベルが鳴ると同時に、聞き慣れた声が届いた。洗濯物を干し終えて店に出ると、そこにいたのは案の定、エスメラルダを連れたラドクリフだった。


「こんにちは、アルティ」

「こんにちは、エミィちゃん。なんだか久しぶりだね」


 両手を広げたが、エスメラルダは抱きついてきてはくれなかった。戸惑うアルティに、ラドクリフが含み笑いを漏らす。


「エミィも、もう立派なレディだからね。そう簡単に男に気を許さないよ」

「ええ……。あれだけ懐いてくれてたのに……」


 寂しいが、女の子の成長とはそういうものなのだろう。すごすごと両手を閉じるアルティに、ラドクリフがまた笑う。


「今日来たのは、君に相談があったからなんだ。今、時間大丈夫かな?」

「ええ、大丈夫です。師匠が不在なので、来客があったら席を外すかもしれませんけど。とりあえず工房……いや、キッチンにどうぞ」


 下着もぶら下げていたことを思い出して、二人を二階に通す。王城からの依頼を受けていたときには薄汚れていたキッチンも、今は綺麗になっている。


 リリアナのおかげですっかり手早く淹れられるようになったアイスティーを差し出し、ダイニングテーブルの椅子に腰掛けた。


「ええと、相談って……?」

「実はね。エミィがシエラ・シエルで塔の聖女と会談することになったんだよ。まあ、会談って言っても秘密裏なんだけどね。聖属性の扱い方を直接教えてもらうんだって」

「すごいね、エミィちゃん!」


 シエラ・シエルとは、ラスタ王国の西端リッカのさらに西側にある公国だ。エスティラ大河の中に浮かぶ小島で、元はリッカ領だった。五十年ほど前に、当時のリッカ公女が、対岸にあるルクセン帝国のグランディール領主と婚姻を結んだ関係で、双方より独立し、シエラ・シエル公国として歴史を刻むことになった。


 商業都市であるリッカの文化を受け継ぎ、とても洗練された美しい街並みで、リッカとルクセンの中継地点のため観光客も多い。また、国の誕生の経緯と立地から双方の交流も非常に盛んである。


 レイが通っていた魔法学校もこのシエラ・シエルにある。国名が変わっても、なおリッカの魔法学校と呼ばれているのは、リッカ領だった時代が長いからだ。


 そして、ラドクリフが言う塔の聖女とは、ルクセン帝国に住む強い聖属性の魔力を持つ女性を指す。グリムバルドを魔物から守る結界も彼女によって張られたものである。


 エスメラルダも聖女に匹敵する魔力を秘めている。扱い方をマスターすれば、魔素欠乏症に陥ることもなくなるだろう。


「せっかく強い力を授かったから、みんなのために使いたくて……。将来は首都の教会に入って、困ってる人の役に立ちたいの」


 それはつまり、聖女として表舞台に立つことである。王城からの依頼を受けたときにルイが言っていた通り、エスメラルダは自ら望んで声を上げたのか。


「エミィちゃん、本当に強くなったんだね」

「ママやリリアナおねえさまみたいに、素敵な人と出会いたいからね」

「えっ」


 エスメラルダの母親であるマリアはともかく、リリアナの素敵な人って誰だ。凝視するアルティから隠すように、ラドクリフがエスメラルダに椅子を寄せた。


「それでね、君にもルクセン側と技術交流してもらえないかなって。あの女神像の鎧兜、随分評判良くてね。デザインした職人と会いたいって、再三言われてるんだよ。ぜひ製作過程を講演してくれってさ」


 聞けば、塔の聖女の会談と時を同じくして、シエラ・シエルの魔技術研究所が、ルクセン側の研究所と合同で技術交流会を開くのだそうだ。期間は一週間。朝から晩までみっちり生激論するらしいが、アルティは客員の立場なので、気になる分野にだけ参加すればいいらしい。


 国の依頼なので滞在中の費用はタダ。肝心の鎧兜の製作過程の講演については、歓迎会がてら別枠で時間を設けてくれるそうだ。至れり尽くせりである。


「もちろん、喜んで! ……と、言いたいところですが、一応師匠に許可を取ります。まあ、いいと言うでしょうけど」

「そうだろうね。だから、オッケー前提で話進めとくね。早ければ来週には準備が整うから、そのつもりにしておいて。滞在期間は一週間の予定だけど……。何があるかわからないから、念のため半月ぐらいはみておいてほしいな。君、いろんなところで厄介ごとに巻き込まれるから」

「そうやってフラグ立てるのやめてくれません……?」


 よくハンスにも言われるが、好きで巻き込まれ体質をやっているわけではない。憤慨するアルティに、エスメラルダが「それも経験だよ、アルティ」と大人びた発言を返す。


「あ、そうだ。リリアナさんにも話して大丈夫ですか? 長く店を開けるなら知らせときゃなきゃと思って」

「もう話しといたよ。ついてきてくれるって。今回は俺と一緒に、二人の警備要員ってことで仕事扱いになったみたい。よかったね」

「私がお願いしたの。おねえさまが居てくれると心強いから」

「ハンス君は渋い顔してたけどね。まあ、バルバトスのときみたいに、転送魔法で行き来するんだろうから心配ないよ。あと必要なら、エミィの件を伏せてくれれば他の人にも話して構わないよ。レイさんとかさ」


 昨年末のキャンプ以降、ラドクリフはレイやハンスたちと親しくなっていた。友人たち同士の交友関係が広がるのは嬉しいことである。


 本題を話し終え、アイスティーを飲み干した二人は揃って席を立った。


「じゃあ、あんまり仕事の邪魔をしちゃいけないからこの辺で。また来るね」

「アルティ、ばいばい! 風邪引かないようにしてね!」


 優しい言葉をかけてくれるエスメラルダに手を振り返し、アルティは胸の中に湧いた喜びを噛みしめていた。


 丹精込めた仕事が評価されるのは、職人にとってご褒美のようなものだ。この気持ちを忘れないように、シエラ・シエルでしっかり技術を吸収して帰ろう。


「よし、頑張るぞ!」


 掲げた拳は、外の雨にも負けないぐらい力強かった。






「一、二、三、四……全員揃ったな。忘れ物はないか? まあ、もしあってもシエラ・シエルなら全部揃うから安心していいぞ」


 王城の外苑から内苑に続く門の前で、旅程表が挟まったバインダーを手にしたリリアナが、横並びに立つアルティたちを見渡した。


 外は相変わらずの雨である。ここは屋根に守られているとはいえ、一歩足を踏み出せば濡れてしまう距離だ。これから向かうシエラ・シエルは首都に比べて雨が少ないようなので期待しておこう。


「アルティ、エミィ、これを首から下げておいてくれ。内苑の通行許可証だ。シエラ・シエルでも、これを持っていれば王城関係者として扱われる。無くすなよ」


 渡されたのは、王城の武具保管庫に行ったときと同じものだった。茶色い革製のパスケースの中に『ラスタ国・王城内苑通行許可証』とでかでかと書かれたカードが入っている。ラミネート加工されているので雨に濡れても安心だ。


「わたしのピンク色だ。可愛い」

「特別仕様だぞ。戻ったら持って帰っていいからな。中の許可書は返却してもらうけど」

「いいの? 嬉しい!」


 はしゃぐエスメラルダにほっこりしながら門をくぐる。


 ひと月ぶりの内苑――城内の執務棟は閑散としていた。リリアナが言うには、この季節はどの部署も暇を持て余しているらしい。決算時期でもなく、雨が降り続いているので人が街に出ず、目立ったイベントもないからだそうだ。


「シエラ・シエルまでは転送魔法で行くんでしたっけ?」

「そう。王族居住区の手前に武具保管庫があっただろ? あの近くに地下への階段があって――」


 そのとき、床が大きく揺れた。周囲から職員たちの悲鳴が上がり、窓ガラスに下げたブラインドが激しい音を立てる。


「エミィ、おいで!」


 ラドクリフがエスメラルダを抱え込み、床に伏せる。アルティもリリアナを庇おうとしたが、逆に庇われた。こういうとき小柄な体は損だ。デュラハンに押さえつけられると身動き一つ取れやしない。


 幸いにも揺れはすぐに治まった。城内には特に被害はなさそうだ。さすが公務員というべきか、周りの職員たちはすぐに市内の状況確認に走り出している。


「エミィ、大丈夫?」

「うん。ありがとう、ラッドおにいさま。……最近、地震多いね」

「メルクス森もまだ閉鎖中なんですよね?」


 建国祭前に起きた地震と、魔属性に取り憑かれた魔物が出現した影響で、現在メルクス森は一般人の立ち入りが禁止されている。せっかくパワースポットが見つかったのに残念なことである。


「解除しようとするたびに地震が来るからな。でも、心配するな。これから旅に出るんだぞ。気を改めていこう!」


 どんと銅鎧を叩くリリアナの声は底抜けに明るく、とても頼もしかった。

次回、新たな街へ旅立ちます。

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