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7話 声なきエール

 コートのポケットに両手を突っ込み、街灯が照らす石畳に足を踏み出す。


 春に向かってるとはいえ、まだ二月だ。身も凍る寒風が容赦なくレイの体を叩いていく。こういうときは、フードからはみ出す長い耳を恨みたくなる。


 建国祭まであと三カ月を切った。市内のあちこちでは商人や職人たちが準備に勤しんでいる。特に王城にほど近い中央街の北側では、エルネア教会の建設が急ピッチで進んでいた。随所にセレネス鉱石を使用しているからか、夜の闇の中で淡く光を放っている。


 レイを含むエルフやドワーフの間では、まだエルネア教団に強い忌避感を持つものもいるが、ラスタがさらによくなるというなら受け入れようというのが基本姿勢だ。


 過去に縛られて前が見えなくなるのは、もっとも避けなくてはならないことだから。


「レイー! 待って待って! 途中まで一緒に帰ろうよ!」


 建設現場の近くにある魔法使い組合の事務所から、同胞のエルフが転げる勢いで駆けてくる。


 小柄な上に、このクソ寒いのに半ズボンをはいているせいで少年みたいに見えるが、純血のエルフなのでレイよりも遥かに年上だ。確か今年三百六十七歳のジジイである。


 レイと同じ緑の目のエルフなので、破天荒に巻き込まれる心配はない。馬車に轢かれないよう気をつけながら並んで歩く。


「いやー、疲れたね。あんなに会議が紛糾するとは思わなかった。今年の建国祭は荒れそうだねえ」


 年寄りくさく、同胞が肩をぐるぐると回す。


 建国祭の催しとして、魔法使いたちには花火や幻影などの演出の他に警備要員の提供を依頼されていた。しかし、意見が一向にまとまらず、次回に持ち越しになってしまったのだ。


「本当だよ……。なんで魔法使いってあんなに協調性ないの」

「仕方ないよ。個人主義者の集まりなんだから。僕、いろんなとこ転々としてるけど、どこも一緒だったよ」


 ラスタは様々な種族が融和している国であるが、それでも対立がないわけではない。スライム雑煮のように、生活様式の些細な違いから、恋愛沙汰、出世争い、領地同士の諍いまで、至る所に火種は転がっている。群れて暮らす以上仕方ないことだ。


 魔法の研究しか頭にない魔法使いたちにも、派閥というものは存在している。


 たとえば、公務員の魔法使いは魔法士、民間の魔法使いは魔術師と区別されているし、レイみたいな職人よりの魔法紋師は格下扱いされるなど、数え上げればキリがない。


 年齢や種族、肩書きでマウントをとりたがるものも多い。短い寿命をそんなことで消費するのは勿体無い気もするが、他種族のことには極力口を出さないのがマナーである。


 エルフの世界には上下関係がないので、その点では気安いものだ。基本的に青い目のエルフにさえ気をつけていれば安泰に暮らせる。


「そうだ。組合といえば、レイの贔屓にしてる子、相当苦労してるらしいよ。ガンツ社長がいくら取り成しても、誰も聞きやしないって。嫉妬といえばそれまでだけどさ。結束力高いのが、悪い方に作用したね」


 嬉々として話す様子にイラっときた。しかし顔には出さず、「知ってるよ」と胸の中で毒づく。


 職人街中に広がるひどい噂も、アルティがスランプに陥っていることも、とうにレイの耳に入っている。周りの職人たちはレイがアルティと親しいと知っているから直接口にはしなかったが、レイの情報網を舐めてはいけない。


 ハウルズ製鉄所のパドマやガンツも、お得意さまのラドクリフやリリアナも、みんなアルティを心配している。特にパドマやガンツは同じ職人だから、スランプがどれほど辛いものか十分わかっているはずだ。


 そして、当然レイ自身も。


 アルティは気づいていないだろう。最初に会ったとき、「〜しなきゃいけない」と何度も口にしていたことに。そして、今にも泣き出しそうに眉間が寄っていたことに。


 長く生きているものとして、そして同じ職人として、レイはアルティが内包している不安に気づいていた。だから、何かあれば相談しろと言ったのに、頑なに何も言ってきやしない。


 きっと、恥ずかしいとか馬鹿なことを考えているのだろう。こういうとき、差し伸べた手を振り払われると、お前は頼りにならないと言われているようで悲しいのだと、アルティはわかっていないのだ。


 そんなレイの内心も知らず、同胞は言葉を続ける。


「しかも、あのリリアナ連隊長と仲違いしたらしいね。治安維持のために職人街通いは続けてるみたいだけど、シュトライザー工房には足を向けなくなったし、顔を合わせても口もきかないって。あれだけ、べったりだったのにね」

「……そうだね」


 口の中に苦い味が広がる。雨の日にシュトライザ―工房を飛び出したリリアナを見たものが、さらに面白おかしく噂を吹聴していた。だから、遠くから見守ることにしたのだろう。口をきかないのはやり過ぎだと思うが、もしかしたら距離感を測りかねているのかもしれない。


 アルティには絶対的に自信が欠けている。どうしてもクリフや、年季を積み重ねてきた職人たちと比べてしまうのだ。それは理想が高いことの現れなのだけど、周りからすればもどかしくて仕方がない。


 リリアナの依頼を達成して少しは自信がついたかと思ったのに、まだまだ道のりは遠そうだ。


 特に今は、今まで承認欲求を満たしてくれた相手からそっぽを向かれて、相当追い込まれているに違いない。けれど――。


「大丈夫だよ、アルティなら。今まで会ったヒト種の中で、一番しぶとい子だし。なんだかんだ言って、今回もちゃんと乗り切るさ」

「ええ、信頼あつーい。何が君をそうさせるの? 昔はヒト種の友人なんて作らなかったじゃん」


 総じて、純血のエルフはデリカシーがない。長い人生の中で恥というものを捨ててしまうのだろう。


「長く生きてりゃ、考えも変わるよ。君も昔はオラついてたじゃん。今はそんなキャピキャピしてるけど」

「黒歴史を掘るのはやめてよー。あれは若気の至りなんだからー。こっちの方が、お姉さんに評判いいって気づいたんだよね」


 女好きめ。エルフは子供ができにくいのが幸いと言うべきか。そうでなければ今頃、ラスタは同胞の子孫でいっぱいになっているだろう。


「はいはい。君の人生なんだから好きにしなよ。それにね、たぶん……もうすぐお師匠さんが帰ってくるだろうから、心配はいらないよ」

「いつもの勘?」

「さて、どうかな」


 同胞と別れて職人街を歩く。


 レイの店から二ブロックほど離れた先に、シュトライザー工房がある。夜も更けたというのに、店には煌々と明かりがついている。きっと工房にこもって金槌と睨み合っているのだろう。いいかげん誰かに助けを求めればいいのに、本当に頑固だなと思う。


 百二十年生きて、初めて出来たヒト種の友人。


 ひたむきに金槌を振るう、発展途上の若い職人。


 ハーフエルフのレイにとって、アルティは小さな可愛いひよっこで、ダイヤの原石みたいに眩しい存在だった。


 くだらない人の悪意なんかで潰れてほしくはない。できることなら、職人として成功して、順当に幸せに生きて、子孫をたくさん作って、そして――精霊になってもまた会いに来てほしい。


 あのキャンプの日、当然のように戻ってくると言ってくれて本当に嬉しかった。数多くの親しい人を見送らなければならないエルフには、その言葉が何よりも未来に希望を与えるのだと、ヒト種のアルティが知ることは決してないだろう。


「夜明けは必ずくるもの……。探究者よ、歩みを止めるな。己の情熱に誠実であれ」


 昔、レイをスランプから立ち直らせてくれた、魔法書の一節を口ずさむ。


 クリフがもうすぐ戻ってくると言ったのは、勘ではない。推測だ。


 いくら気に入った仕事しかしないといえ、職人は職人なのだ。もし万が一、弟子が仕事を投げ出したとしてもあとを引き受けられるように、納期に間に合うギリギリには戻ってくるはずだ。


 きっと、クリフはこの仕事でアルティに一皮剥けさせようとしている。年末に宣言した抱負を早々に実践するつもりだ。やや荒療治だが。


「ここが正念場だよ、アルティ」


 両手をポケットから出し、ぐっと拳を握りしめる。


 いつもしているように、心の中でエールを送った。

友人たちのエールを受け、次回アルティ視点に戻ります。

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