4話 職人とスランプ
スランプ、という言葉がある。
元は「落ちる」やら「はまる」という意味らしいが、ラスタでは魔法使いが急に魔法を使えなくなったり、職人や芸術家が作品を生み出せなくなったときに使う。要はいつもの調子が出せないことを言うのだ。
今のアルティがまさにそれである。王城の武具保管庫に行った日から、まったくデザインが進まなくなってしまった。どれだけ頭を捻っても、どれだけ参考になりそうな本を読んでも、ちっともイメージが湧いてこない。
いつもなら客の要望を聞けばすぐにデザインを詰められたのに、まるで頭の中に消しゴムをかけたように真っ白になっていた。
「どうすればいいんだよ……」
泣き言を漏らしてもアイデアが降ってくるわけじゃない。
いつも相談に乗ってくれるレイはデュラハンの鎧兜の造形については明るくないし、クリフからも一向に音沙汰がない。進退極まって同業者の元を訪ね歩いたものの、姿を見せるや否や門前払いを食らってしまった。
「お前が引き受けた依頼だろ? 俺たちの手なんて借りなくてもできるんじゃないか?」
「国にも認められた職人だって自慢しにきたのか?」
「その歳でそんな依頼を引き受けるなんて生意気なんだよ」
今まで働いてきて、そんなことを言われたのは初めてだった。
それでも必死に食い下がってみたが、職人たちは誰もこちらの目を見てくれなかった。それどころか、言葉の端々から「こいつが気に入らない」「失敗してしまえばいい」という感情が伝わってきて、アルティは黙って工房に逃げ帰るしかなかった。
近所の親しい職人連中の中には励ましてくれるものもいたが、肝心の依頼の話になると、みんな揃って口をつぐんだ。まるで触れてはいけないものに触れたかのように。
それもそうだ。下手に手や口を出して周りの不興を買いたくはない。職人にとって王城からの依頼は国に認められたという栄誉であり、憧れだ。それを半人前のアルティが手にしたとなれば、不愉快に思うのも仕方ないだろう。
「……師匠もこんな気持ちだったのかな」
ヨハンナが来た日、クリフは己の過去を語ってくれた。周囲と相入れずに故郷を飛び出したこと、師匠のマリウスとの出会いと突然の別れ、そしてアルティと出会った日のこと。
その中でクリフは「名が売れたせいでやっかまれていた」と言っていた。アルティは名が売れたわけではないけれど、それでも置かれている状況は同じだ。
ただ、クリフはさらに名を上げることで跳ね除けてみせたが、アルティにはとても真似できない。名が売れる頃には建国際はとっくに終わっているだろう。
「そうだ。試しに何か作ってみよう。そしたら、イメージが掴めるかも」
資材倉庫からストロディウム鋼板を持ち出し、作業台に置く。悩んだときはいつだってそうしてきた。長兄からベンチを作れと言われたときも、クリフからブリガンダインを作れと言われたときも、リリアナの兜を受注したときも。
(最後まで諦めないのが俺の才能)
心の中で何度も何度も呟く。大丈夫だ。きっとやれる。アルティにはいつだって愚直に金槌を振るい続けることしかできないのだから。
「あれ……?」
鋼板を切り出して金床に移動したところで異変に気づいた。寒くもないのに、両手が震えている。金槌が握れない。
怖い。
それは、この工房に来て初めて感じた、ものを作ることへの恐怖だった。
「なんで……? なんでだよ!」
そう叫んでも、返ってくるのは耳が痛いほどの静寂だけだった。
灯り始めた街灯が、夜道を行くアルティの姿を照らしている。仕事を終えた人間たちが夜の街に繰り出す時間帯だ。周りからは早くも酒を手にした酔客の楽しそうな声が聞こえてくる。
しかし、周囲の喧騒とは裏腹に、アルティの心は深く沈んでいた。
「俺、どうしちゃったんだろう……」
ぽつりとこぼれた声が、白い息と共に夜のしじまに消えていく。結局どんなに粘っても金槌は握れず、時間だけが過ぎていった。試作を作ろうと思って切り出した鋼板もそのままだ。
足を止め、ポケットから取り出した右手をじっと見つめる。マメや擦り傷だらけの手のひらが、薄暗闇の中にぼんやりと浮かび上がっている。
ぐ、と手のひらを握りしめ、また開く。それを何度も繰り返す。思い通りに動くのに、何故、金槌だけが握れないのか。
心の澱を吐き出したくて、深くため息をつく。それを掻き消すように、近くの酒場から一際大きな笑い声が響いた。
「……楽しそうだな」
引き寄せられるようにドアを開けると、中はすでに多くの客でひしめき合っていた。両手にジョッキを抱えた店員が素早い動きで目の前を横切っていく。忙し過ぎてアルティに気づいていないのだろう。
足を踏み入れ、相席させてもらえそうな場所を探す。こういうときに限って見知った人間がいない。ついていないときは、とことんついていないものだ。
「別の店に行くか……」
肩を落として店を出ようとしたとき、ふいにアルティの名が聞こえた。
「なあ、どう思う? 例の仕事」
「王城のやつか?」
「そうそう。なんであんなガキが抜擢されんだ? 他にも職人はいるのに」
「そりゃ、クリフんとこの弟子だからだろ。デュラハンの鎧兜っつったら、あそこがトップを走ってるし」
「ってもなあ。その肝心のクリフは故郷に戻ったっつーじゃねぇか。アルティも同業者に門前払い食らわされたみたいだしよ。そんなんで大丈夫なんかね」
同業者でも近所でもない、あまり接点のない職人たちだ。それなのに門前払いの噂が広まっているという事実に、ぞっとした。
「まあ、いいんじゃね。失敗すればシュトライザー工房も終わりだよ。クリフも馬鹿だなあ。身の程知らずな弟子を持ったばっかりに」
もうこれ以上聞いていられなかった。逃げるように酒場を飛び出す。その途端に何かに顔をぶつけ、地面に尻餅をついた。
「いって……」
「ああ? なんだてめぇ」
ドスの聞いた声が頭上から降ってくる。ぶつかったのは、いかにもガラが悪そうな白虎の獣人だった。くわえ煙草をして、トゲトゲのついた真っ黒な革ジャンを着込み、耳にはシルバーのピアスをこれでもかとつけている。
「すみません。ちゃんと前を見てなくて……」
「ちょっと待てや。ぶつかっといて、それだけか?」
肉球のついた手で、わし、と頭を掴まれる。痛みに呻くアルティの姿を見て、誰かが警備隊を呼びに行ってくれた気配がした。にわかに騒がしくなった外が気になるのか、酒場からも何人か様子を見に来たが、なかなか獣人には手が出せないようだ。
ギャラリーが増えたことに気づいたのだろう。獣人は性急にアルティの体を引きずり上げると、ぎりぎりと力を込めて襟元をしめ上げてきた。
「やめっ……! 離してください!」
「お前、王城の仕事受けたやつだろ? さぞかし、儲けてんだろうなあ?」
よく見ると、獣人の腰には工具らしきものがぶら下がっていた。職人界隈も物騒になったものである。
「儲けてません! 儲けてませんよ! うちはいつだって自転車操業です!」
残念だが、今回の仕事は後払い制だ。経費は全額王城持ちとはいえ、先に立て替えるのはこっちなのだ。それに、王城の仕事は思ったより実入りがいいわけではない。何故なら元は国民の税金。ケチれるものはケチるのが国の仕事である。
「うるせえ! つべこべ言わずにさっさと金出しな!」
吠えた獣人が拳を振り上げる。思わず目を閉じたとき、急に体が楽になった。ぎゅ、と硬い何かに抱きしめられ、ゆっくりと地面に降ろされる。
「アルティ、大丈夫か?」
「リリアナ、さん?」
目の前にいたのは左腕に治安維持連隊の腕章をつけたリリアナだった。ちょうど巡回中だったらしい。その後ろには獣人を組み伏せているハンスもいる。
「またアルティさんですかー。その体質、いつかどうにかしないと死んじゃいますよー」
なんとかできるものなら、なんとかしたい。ハンスは周りの野次馬たちに「ご協力感謝しますー」と頭を下げながら獣人を連行していった。
「ありがとうございます、リリアナさん。助かりました」
「災難だったな。年明けは気持ちも緩んでるのか、ああいうやつが増えるんだ。夜道を歩くときは気をつけろよ」
相変わらず、リリアナは優しく接してくれる。その姿を見たらなんだかほっとした。さっきまで云われもない悪意に晒されていたから、余計にそう思うのかもしれない。
「じゃあ、俺はこれで……。お仕事頑張ってくださいね」
これ以上、仕事の邪魔をしてはいけない。頭を下げて立ち去ろうとした――が、リリアナに手を掴まれて引き寄せられた。テンションが上がってるのか、やたら顔が近い。アルティでなかったら勘違いしてしまう距離である。
「聞いたぞ。王城の依頼受けたんだってな? すごいなあ、さすがアルティだよ! これでまた評判が上がるな。どんなのにするんだ? 今度見せてくれよ」
周囲の空気が急に張り詰めたような気がした。
「リリアナさん、あの、声大きい……」
必死に宥めるも、はしゃぐリリアナの耳には入っていない。
背中に嫌な気配を感じてハッと振り返る。さっき酒場で話していた職人たちが、じっとこちらを見つめていた。
職人の大敵。それはスランプ。
正式に企画書が通ったので、王城の依頼は周知の事実となりました。
辛い展開が続きますが、もう少しだけお付き合いください。




