3話 デザインを固めよう
「聞いたよ、アルティ。王城の仕事引き受けたんだって?」
依頼を受けた翌日、満面の笑みを浮かべたレイがやって来た。さすが耳が早い。レイは作業台のパイプ椅子に腰掛けると、作りかけの工程表を手にして「これから大変だねえ」と笑った。
「今年の建国祭はラスタの威信を見せつける一大イベントだからねえ。責任重大だよ、これは」
「胃が痛いよ……。何もかも手探りだし」
レイにも王城から魔法紋製作の依頼が来たというので、秘密にしておく必要はない。納期に間に合わせるために外部に協力を依頼し、職人たちをまとめなくてはいけないことを話した。
「手探りなのはいつものことじゃん。それに、親方になれば否が応でも人を使わなきゃいけなくなるんだからさ。いい経験になると思えば?」
そう思えたらどんなにいいか。渋い顔をするアルティの背中をレイが叩く。
「大丈夫だって、僕も協力するし。最悪、お師匠さんがいれば他の職人に頼まなくても……」
「逃げられた……」
「え?」
「戻ってきたらもぬけの殻だった……」
そう。王城での打ち合わせを終え、店に戻ったアルティを待っていたのは『故郷に行く』と一行だけ記された書き置きだった。
納品期限は四月末だ。すぐに取り掛かったとしても、デザイン起こしや資材の発注、製作を依頼する職人の選定などの調整事項が色々とあるため、実際に作り始めるまで一カ月はかかるだろう。
なので、おそらく鎧兜作りが佳境に入る頃――二、三カ月後までは帰ってこない。すぐにケルミット山まで速達を飛ばしたものの、読んでくれるかどうか。
「それは、なんというか……。僕が職人組合に入ってたらよかったんだけどねえ」
レイは魔法紋を扱う職人であるが、加入しているのは魔法使い組合である。この国では組合の掛け持ちは許されていないので、所属外のレイに口添えしてもらうことはできない。
「ハウルズ製鉄所のガンツ社長にお願いしてみるよ。どのみち、新しい合金を依頼しに行かなきゃいけないから」
「新しい合金? 貴族向けの合金じゃ駄目なの?」
「もっと純度を上げて、神秘性を付与したいんだよね。鉄にも不純物を極力取り除いた玉鋼ってのがあって、それで作った剣は磨くと美しい光沢を出すんだ。相談してみないとわかんないけど、たぶんセレネス鉱石にも同じことができると思うから」
装飾に使う素材にも一応あたりはつけている。金だ。セレネス鋼の色合いを活かすため、鎧兜自体には着色を施さない。その分、彩りに金を加えれば見栄えも高級感も増すだろう。金の価値は国を隔てても普遍だからだ。それに、金を前にした人間がいかに魅了されるかはミーナの一件で実証済みである。
あれこれとアイデアを話すアルティに、レイが目を丸くする。
「すごいね。昨日の今日なのに、随分と色々考えてるんだ?」
「うん。引き受けたからには納品完了しなきゃならないし。何より、ルクセン側が驚くものを作らなきゃいけないしさ。経費は王城持ちだし、できることは全部やろうかと思って」
「しなきゃいけない……」
レイがぼそりと呟く。
「そうだよ。だって、お披露目の要って言われちゃったからね。とりあえず、デザイン決めなきゃ何も始まらないからさ。これから王城の武具保管庫を特別に見せてもらうことにしたんだ。観賞用の鎧兜なんて今まで作ったことないし、手間取って先輩たちに迷惑かけないようにしなきゃいけないしね」
言い募るアルティをレイは黙って見つめていたが、やがて小さく息を吐くと、インクが染み込んだ指をこちらの眉間に突きつけてきた。
「な、何?」
「おまじない。まあ、頑張んな。何かあったらいつでも相談するんだよ。僕の言葉、覚えておいてね」
「? うん」
戸惑いつつも頷いたとき、玄関のドアベルが音を立てた。
「アルティ君、いる? 迎えに来たよ」
ルイの声だ。副団長自らお出ましとは頭が下がる。
メモ用紙や筆記具を持って、レイとともに店を出る。昨日と同じく現れた近衛騎士の姿に、近所の職人連中はどことなく居心地が悪そうだった。
「ルイさま、今日はよろしくお願いします」
「うん。一応、一日中使用許可は取ってるから、時間は気にしなくていいよ」
そう言ってもらえると、とても助かる。せっかく見せてもらえるからにはじっくりと観察したい。
「ありがとうございます。じゃあ、レイ、またね。近いうちに店に行くから」
「ねぇ、アルティ」
馬車に乗り込もうとしたところを呼び止められ、肩越しに振り返る。よく晴れた空の下、コートの両ポケットに手を入れたレイは、いつになく真剣な目でこちらを見つめていた。
「依頼を受けてものを作るのが職人。でもね、職人は機械じゃない。血が通った人間なんだよ」
何を当たり前のことを言っているのだろう。首を傾げるアルティを尻目に、レイは去っていった。
王城の武具保管庫――それは宝の山である。
内苑の中でも王族の居住区にほど近いここは、シュトライザー工房を五件や六件寄せ集めたよりも広く、見渡す限りの武具に囲まれていた。
天井まで届く棚にはありとあらゆる武器や魔具が収められ、綺麗に整列したトルソーには、いかにも高級そうな鎧兜が着せられている。
その中心で、アルティは筆記具を片手に大きな声で叫んだ。
「すごい! 本当にすごいです! こんなに色々な時代の鎧兜を一気に見るのは初めてです!」
「参考になりそうでよかったよ。でもね、もうちょっと声落としてくれるかな? 周りは仕事してるからね」
やんわり注意されて口をつぐむ。しかし、この興奮は抑えられそうもない。ラスタが興って八百年。目の前に広がっているのは、今まで絶え間なく培ってきた技術の歴史なのだ。
「うわあ……。ロリカ・セグメンタータだ。これ、当時は一世を風靡してたんだよなあ……。あっ、スケイルメイルもある! すごいなあ。これ、全部ドラゴンの鱗だ」
ロリカ・セグメンタータはラスタを含むこの大陸で長らく使用されていた板金鎧だ。細長い鋼板を繋ぎ合わせたもので、見た目はまるで人間の肋骨である。中心に切れ目があるために着脱はしやすいが、当時は今みたいな錆止めも少なかったからメンテナンスが大変で、いつしか歴史の中に消えてしまった。
スケイルメイルはその名の通り、鱗状の金属片を繋ぎ合わせて作られたものである。出会った頃のリリアナが身につけていた腕鎧や、バルバトスに作った腕鎧もこれにあたる。費用を抑えるために通常は鉄やストロディウム鋼を使用するので、全てがドラゴンの鱗製のものはほとんど存在しない。
「うーん……。僕もデュラハンだから防具には詳しいけど、ここまでじゃ……。職人ってみんなこうなのかなあ……」
引き気味のルイの呟きも今は耳に入らない。心のままに保管庫中を駆け巡っていると、隅に転がっていた何かに足をぶつけて転んでしまった。
「大丈夫? アルティ君」
驚いたルイが駆け寄ってくる。いい歳して一体何をやってるのか。痛む膝を擦りながら、少し冷静になる。
「だ、大丈夫です。すみません。何か蹴っちゃっ……」
思わず言葉を失う。アルティがつまづいたもの。それは毎日のように見ているデュラハンの鎧だった。
「あれ、なんでそんなところに転がってるんだろう。鎧は全部トルソーに着せているはずなのに。錆びてるからかな?」
その視線の先には、兜以外の全てが揃っていた。しかしルイが言う通り、どれもひどく錆びてしまっている。
(これ、血の錆だ)
銅鎧にも、全面に傷がついた腕鎧や足鎧にも、赤黒いものがびっしりと付着して鋼板を腐食させていた。
微かに残った塗料を見るに、元はコバルトブルーだったのだろう。今は見る影もないが、さぞかし目に鮮やかで美しい鎧だったに違いない。全体の造形はシンプルなものの、全てが丁寧に作られていて、錆びていてもわかるくらい素晴らしい腕前だった。
「ルイさま、これ……」
首元に取り付けられた尖った勾玉のようなものを指し示す。ルイはアルティの手元を覗き込むと、「ああ」と声を上げた。
「ドラゴンの爪だよ。これが本物かはわからないけど……。戦争に赴く兵士に渡すお守りだね。ドラゴンの爪のように相手を打ち果たして、無事に戻って来れますようにって意味があるんだ。百年前の貴族の間ではポピュラーだったって聞くよ。うちのひいひい祖父さんか、ひい祖父さんが着てた鎧にもついてたんじゃないかな」
鎧には至るところに爪の装飾がなされていた。まるで祈るように。そして鎧の全てには、エクテス領でアルティができなかったフュリー……溝が施されていた。重さを軽減して生存率を増すためだろう。この職人にとって、鎧の持ち主はよほど大切な存在だったのか。
(どんな職人だったんだ?)
破損に気をつけながら鎧の内側を探る。ひどく錆びているので苦労したが、鎧の裾あたりに風切り羽根の屋号紋が刻印されているのを見つけた。初めて会ったときのリリアナが着ていた鎧兜や、ミーナの家に伝わる黄金の鎧、そしてエクテス家にあった短剣を作った職人だ。
けれど目の前にあるのは、それらよりも遥かに洗練されていて――磨き上げられた職人の技術と魂というものが遺憾無く込められているような気がした。
(王城に納品されるには、ここまでの腕が必要なのか)
何故だろう。やけに息が苦しい。
鎧を持つ両手が、微かに震えたような気がした。
不穏な気配ですね。
何故、錆びた鎧兜がここにあるのかは、6部終了後の閑話で判明します。




