2話 依頼人は国王でした
はたして人生において、何度国王と向かい合う機会があるだろうか。さっきから、ずっと冷や汗が止まらない。体はもう、文字通りがっちがちだ。
目の前には金髪青目の国王。そして、その隣には金髪青目の宰相。二人の背後には黄土色の鎧兜を着たデュラハンと、漆黒の鎧兜を着たデュラハンが後ろ手を組んで立ち、アルティを見下ろしている。最初にいた近衛騎士たちも、今は部屋の外で見張りをしているはずだ。
(なんで、こんなことになったんだ?)
部屋に入るや否や、アレスはアルティが立ち上がるよりも早く対面の席につき、優しげなにこにこ顔を崩さぬまま、「今日は寒いねえ」やら「休み中どうしてたの?」やら世間話を振ってきた。
無視するわけにもいかないので当たり障りのない返答はしているが、正直目的が読めなくて困惑しかない。
緊張と不安で頭の中がぐるぐるしてきたとき、「さて」とアレスが背筋を伸ばした。
「そろそろ本題に入ろうかな。ルステン」
「はい。アルティさん、こちらをご覧ください」
急に改まった口調に驚きつつ、差し出された書類の束を手に取る。クリップでとめられた表紙には『持ち出し厳禁』の押印と共に、『建国祭における経済効果について(仮)』とタイトルが書かれていた。
建国祭とは毎年五月十日に行われるラスタ王国の建国を祝う祭りで、闘技祭、新年祭と続く三大祭りとなっている。期間は一日だけだが、全国民がモルガン戦争の犠牲者を悼み、平和の維持を誓う日でもある。
とはいえ厳かなのは午前中だけで、午後になれば揃って街に繰り出し、飲めや歌えやの大騒ぎになる。職人の出番はあまりないが、商人にとっては気合の入るイベントだ。
「まだ草案なんだけどね。機密事項だから、謁見室じゃなくてこの小部屋を押さえてもらったんだよ。普段は職員がお弁当食べるぐらいにしか使わないんだ。まさかこんなところで重要な会議してるとは思わないでしょ」
こんな高級品に囲まれた部屋でお弁当を食べている事実はさておき、機密事項という響きに嫌な予感がする。なんだか書類を持つ手が震えてきた。
なかなかページを捲らないアルティに、パーシヴァルが焦れたように叫ぶ。
「別にとって食わん! 早く読め!」
「こら、パーシヴァル。声が大きいですよ。――アルティさん、全部読まなくていいので、八ページ目だけご覧ください」
ルステンに促されてページを捲る。紙面には色々と細かな文章が記載されていたが、真っ先に目を引いたのは、メルクス森の神殿に似た建物のスケッチと、その下に綴られた『首都のエルネア教会建設要項』の文字だった。
「エルネア教会……⁉︎ 首都に建つんですか⁉︎」
エルネア教は隣国のルクセン帝国の国教である。ラスタはエルネア教団の腐敗を嫌ったものたちが移住して興った国だ。当時の生き残りはほとんどいないが、命を賭けた大移動だったと聞いている。そのため、当時の苦難の象徴であるエルネア教会は、八百年経った今でも首都での建設が許可されていなかった。
それがまさかの解禁である。資料を読む限り、ラスタ側が提案したようだが、ひょっとして――。
「ルクセンの属国に成り下がるわけじゃない。むしろ、その逆だよ」
アルティの顔色を読んだアレスが穏やかに言った。
「逆……?」
「過去の遺恨を受け入れる寛容さを示すと同時に、ルクセン側に見せつけてやるのさ。『ラスタには他国に誇る技術力も経済力もある。もう魔王に怯えて庇護を請う単なる小国じゃないぞ』とね」
いまいちピンときていないアルティを見て、ルステンが後を繋ぐ。
「つまり、そろそろ対等になりたいということです。ラグドールも瓦解したことですし、ラスタにはセレネス鉱石の鉱脈も、聖女に匹敵する魔力の保有者もいる。ルクセンにとって、塔の聖女の結界はもはや外交カードにはなりませんからね」
「ちょっと待ってください。エミィちゃん……エスメラルダ嬢を表舞台に引き摺り出すつもりですか? ルクセンとは秘密保持契約を結んだはずです。あの子はまだ小さな――」
「大丈夫だよ、アルティくん。表舞台に引き摺り出すわけじゃない。こちらのカードに加えるだけさ。それに、ハロルド義兄さんもエミィも承知の上だよ。あの一件以来、エミィは本当に強くなった。力を役立てたいって、自分から言ってくれたんだ」
ルステンに噛みつこうとしたアルティを制し、ルイが諭すように言う。
確かに元気になったとはいえ、あの引っ込み思案だったエスメラルダが自分から言い出すとはにわかに信じがたいが、疑っていても何も始まらない。胸に湧いたもやもやを不祥不承飲み込む。
「……それで、俺が呼ばれたのと、どう繋がるんでしょうか」
「ここ読んでみて」
アレスが指差した先には、教会の装飾候補の一覧が書かれていた。メルクス森の神殿にあったのと大体同じで、シャンデリア、燭台、女神像、説教台、絨毯、そして――。
「セレネス鋼製の鎧兜?」
その他にセレネス鋼製の剣や盾も書かれていたが、こちらはドワーフに依頼するらしい。
「これほど技術力と経済力が一目でわかるものもないでしょ。なんたってセレネス鋼製だからね。他の装飾品も色んな種族を象徴するものにするつもり。その方が、種族混合のラスタっぽいしさ。エルネア教を模倣するんじゃなく、オリジナリティを出したいんだよね」
「俺はデュラハン担当ってことですか?」
「そう。ハロルド司祭から聞いてるよ。セレネス鉱石を見抜いたのは君だと。それに、信頼に足る職人だってね。教会を作るにあたって彼に相談したら君を推薦されたんだ」
つまりコネである。いや、客からの推薦なら口コミとやらになるのだろうか。
「もちろん、ちゃんと実力も加味してる。リリアナの鎧兜や髪留め、エスメラルダ嬢のティアラ、エクテスのブリガンダイン。どれも見事な出来だった。君は新しいものをきちんと活かすことができる職人だ。これからのラスタに必要な若い力だよ。だから、クリフさんじゃなく、君に依頼することに決めたんだ」
頬が熱くなった。真面目にいいものを作り続けていれば、いつか誰かが見てくれる――秋にハロルドに言った言葉が本当になったのだ。
その反応で「いける」と思ったのか、ルステンが畳み掛けてくる。
「もちろん、あなたはまだ修行中の身だとは承知しています。ですので、全て一人で作れとは申し上げません」
「と、いうと……?」
「実際に製作に携わるのは、あなたでなくても結構だということです。日数も限られていますし、分業の方が効率いいと判断されたなら、ぜひそうしてください。ただ、デザインや必要な資材の決定、職人の選定は全てあなたに一任させていただきたい」
「……それって、プロジェクトを立ち上げて統括しろってことですよね?」
ルステンは何も言わない。ただ微笑んでこちらを見つめているだけである。
ここでようやく頭が冷えてきた。これは単純な依頼ではない。彼らはこう言いたいのだ。「修行中だからと言い訳するな」「引き受けるからには人を使ってでも絶対にいいものを作れ」「短納期だが納期厳守」と。
加工の難しいセレネス鋼製の全身鎧だ。クリフならともかく、アルティ一人では確実に納期に間に合わない。それに、ルクセンにラスタの技術力を見せつけるのが目的ならば、造形のみならず、鎧を彩る装飾にも高品質を期待されるだろう。
となれば、必然的に誰かを頼らざるを得ないわけだが、修行中のアルティには人に指示する経験はない。とてもじゃないが、あの一癖も二癖もある職人たちをまとめ上げる自信はなかった。
「あ、あの、せっかくのお話ですが、さすがに荷が重……」
「私はこう見えてメンタルが弱いんです」
「え?」
突然の話題転換についていけない。間抜けな声を上げるアルティに、ルステンは相変わらず微笑みを浮かべたまま言った。
「ですので、断られたらそのショックのあまり、あなたが治安維持連隊の本部でリリアナ嬢と逢引きしていたことを、トリスタンに話してしまうかもしれませんねえ」
「へえ、君、リリアナと付き合ってるの? 勇気あるねえ」
アレスが人畜無害な顔で笑う。「あの子のどんなとこが好き?」などと無邪気に聞いてくるが、こっちはそれどころではない。
「ちょっ……! 違っ、違います! リリアナさんとは友人で……いや、それよりなんでご存知なんですか!」
「近衛を舐めるなよ小僧。内苑に足を踏み入れた時点で把握しとったわ。トリスタンの娘がいたから黙認しとっただけだ」
ふん、と息を漏らすパーシヴァルにあんぐりと口を開ける。
「許可証を持ってない人間を感知する魔法をかけてるんだよ。一部の人間しか知らないから、秘密にしてね」
親切にもルイが教えてくれるが、何も耳に入ってこない。これでもう断る選択肢はなくなった。トリスタンにぶちのめされるのは仕方がないにしても、万が一噂を広められたらリリアナに迷惑をかけてしまう。
頭を抱えるアルティの肩をアレスがぽんと叩く。
「頑張ってね。数ある装飾品の中でも、この鎧兜はお披露目の要。ルクセン側をギャフンと言わせてやってよ。トリスタンにも啖呵切ったんでしょ? 『俺の兜でお前をギャフンと……』」
「だから! 言ってませんって!」
その叫び声は王城中に響き渡り、国王に楯突いた職人がいたと、後日噂になった。
権力者に弱みを握られたアルティの負けです。




