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閑話 娘の恋バナは地雷です

 軽やかに廊下を歩く足音に気づき、トリスタンが大きく顔を歪めた。


 同僚のマリーも言っていたが、長らく付き合っていると、デュラハンの感情の機微には敏感になる。


 こういうときはさっさと酔いつぶすに限る。内心ため息をつきながら、セバスティアンはトリスタンにウイスキーを差し出した。


「明日から仕事なのにこんな時間に帰ってきて……。あいつは何を考えているんだ」

「まあまあ。お嬢さまも、もう二十四歳ですよ。先に言っておきますけど、門限とか言うのはやめてくださいね」


 せっかく距離が縮んできたのに、これ以上娘に嫌われるような真似は避けてほしい。


 ただでさえ不器用な愛情がこじれてややこしくなっているのだ。フィオナが生きていたら大いに嘆いて……いや、トリスタンを叱りつけているかもしれない。見た目は嫋やかでも、芯は強い女性だったから。


「あの小僧も小僧だ……。結婚前の娘を遅くまで連れまわしやがって。今度会ったらぶちのめしてやる」

「あなたにぶちのめされたら、ヒト種はひとたまりもありませんよ。そもそも、今日食事に行くことはご存知でしたでしょうに。国王に頭を下げてまで、彼にセレネス鋼の許可を与えたのはどなたですか?」


 淡々と諭すと、トリスタンはウイスキーを煽った。反論できなくなると黙るのは悪い癖だ。それが余計に周囲に誤解を与えていると、いい加減自覚してもらいたい。


「繰り返し申し上げますが、お嬢さまも二十四歳。そろそろ結婚も視野に入れるお年頃です。好いた相手がおられるなら、それに越したことはないでしょう」

「……あいつは平民だ。リリアナには釣り合わない」


 自分も平民出のフィオナと恋愛結婚したくせに、都合よく忘れているらしい。


「むしろ平民の方が、貴族の男よりも都合がいいのではありませんか? 家のことに口を出してはこないでしょうし、噂では女性に優しく、気のいい若者と聞きます。陰日向となってお嬢さまを支えてくれるのでは……」

「家のことには口出ししないだろうがな。あいつ、弱そうに見えてしっかり主導権握るタイプだぞ。職人気質の頑固なやつだ。初対面の俺に噛みついてくるぐらいだしな」


 夏に商店街でやり合ったことを言っているのだろう。あれは正直言って、トリスタンの自業自得である。


 リリアナは信じていないようだが、あの日、トリスタンはリリアナがいつまでも帰ってこないことを心配して街に探しに行ったのだ。そして、ようやく見つけたと思ったら、どこの馬の骨とも知らぬ男と歩いている娘。つい頭に血が上ってお得意の嫌味を炸裂した結果が、あの顛末である。


 最初から余計なことを言わなければ、今もリリアナは男性体として生きていただろう。それがいいことなのか悪いことなのかは別として――フィオナが亡くなったのをきっかけに男として育てることにしたのも、あえて冷たく突き放したのも、全ては否応なく軍人として生きていかなればいけない娘を想ってのことだ。


 何しろ女性には男性よりも多くの危険がつきまとう。たとえパワーで他種族を圧倒するデュラハンといえども、戦場なんかにいた日には、いつ何が起こってもおかしくない。


 だから、決して女性体だと知られるなと言いつけ、万が一を避けるため、個室が与えられるまでマルグリテ家の長女を上官としてつけた。第一師団のパワハラ師団長からリリアナを遠ざけたのも、トリスタンをよく知る人間には周知の事実だ。しかし、その愛情が肝心の娘には伝わらず、全て空回りしているのが現状である。


 そんな超がつくほど不器用な男が頑固だという青年。俄然興味が湧く。


「あなたがそうおっしゃるということは、彼を買っておられるのですね。どうでしょう。今度、屋敷に招いてみては……」

「買ってないし、招く気もない! 俺の目が浮かぶうちは屋敷の敷居は跨がせんと本人に言った! あんなガキに毛が生えたような男なんざ、俺は絶対許さんからな!」


 娘に寄りつく男に憤慨する姿は、世の中の父親となんら変わらない。その気持ちを素直に出せば、もっと距離も縮まるだろうに。


「ご存知ですか? そういうの、うざいって言うんですって。馬番が彼氏を連れてきた娘に言われて嘆いてましたよ」

「うざ……っ⁉︎」


 トリスタンが傷ついたような顔をする。四大侯爵家のトップにこんな軽口を叩けるのも、子供の頃からずっとそばにいるからだ。


 セバスティアンはリヒトシュタイン家の遠縁の次男坊――とはいえ庶子のヒト種だが、その縁で本家に呼ばれ、同い年のトリスタンの側近として仕えることになった。自分で言うのもなんだが、若い頃は大層モテていたので、まあ……それなりに悪いことも教えた。


 当時はまだ情勢が不安定で首都の治安が悪く、二人ともリヒトシュタイン領にいたため、監視の目が届きにくかったというのもある。今のリリアナがそうであるように、トリスタンもリヒトシュタイン家の後継ぎとして厳しく育てられていたので、少しでも息抜きさせてやりたかったのだ。


 だから、ラグドールに追われてリヒトシュタイン領に逃げてきたフィオナと出会い、密かに交流を深めているのも密告したりはせず、むしろ微笑ましく思っていた。


 ただ、そんな日々も長くは続かなかった。戦場で傷を受けて体調を壊し気味だった先代――トリスタンの父親が、トリスタンが成人したのを機に爵位を譲ると言い出したからだ。


 今ではそうでもないが、当時の貴族は成人=結婚が当たり前だった。トリスタンも例に漏れず、子供の頃に決められていた婚約者と急遽結婚する運びになった。


「セバスティアン。俺、フィオナと結婚したい。家のために、顔も知らない相手と結婚するなんて嫌だ!」


 そう喚いて、駆け落ちまがいのことをしでかしたときは肝が冷えたものだ。先祖にも似たようなことをしたデュラハンがいたと聞いたことがあるが、思い詰めたら一直線なのは血筋なのだろうか。


 結局、その情熱に負けた先代がフィオナとの結婚を認めた結果、今に至るわけだが、人生何がどう転ぶかわからない。リリアナのおかげでラグドールの脅威は去ったといえども、ただでさえ先が見えない職種だ。トリスタンには後悔せずに生きてほしい。


「さあ、トリスタンさまもそろそろお休みください。明日は業務始めです。司令官が寝坊しては示しがつきませんよ」

「うん……」


 夢現のような答えが返ってきた。こう見えてトリスタンは酒が弱い。半分以上残ったウイスキーを取り上げてベッドに送り込む。


 どれだけ眠くても手早く鎧を脱げるのはデュラハンのすごいところだ。四十六歳とは思えないほど鍛え上げられた体を横たえ、早くも寝息を立て始める。


「まったく、世話が焼けますね……」


 小さくぼやきながら廊下に出る。そこには、窓から差し込む月明かりを一身に浴びて佇むマリーがいた。


 こちらも同い年なのに、セバスティアンよりも遥かに若く見える。この屋敷に来る前の経歴から、マリーを「恋多き女」と呼んで揶揄する使用人もいるが、セバスティアンにとっては最も気安くて、そばにいると落ち着く同僚だった。


「まだ休んでなかったのですか、マリー」

「お嬢さまに当てられちゃってね。いいわねえ、若いっていうのは。煌めいてて眩しいわ」


 艶かしいため息をつき、マリーはリリアナのデートの内容を少しだけ教えてくれた。父親の想いとは反対に、娘の恋心は順調に育っているようである。


「恋は厄介な客のようなものですよ。突然やってきて、家の中をかき乱していく。こちらは振り回されるばかりです」

「そう? それが人生ってものよ。あなたもまだまだ青いのね」


 ふふ、と弧を描いた唇は、蝶を誘う蜜のように甘やかに輝いている。青いと言われたことだし、たまには心のままに振る舞ってもいいのかもしれない。


「……よろしければ一緒に飲みませんか? トリスタンさまのウイスキー、まだ少し残っているのです」


 ビンを掲げて振ると、マリーは目を輝かせた。自他ともに認める酒好きなのだ。


「じゃあ、お言葉に甘えようかしら。私を酔わせてくださる? セバスティアンさま」


 からかいまじりに微笑み、マリーが右手を差し出す。エスコートの合図だ。あのアルティとかいう青年は、わからずリリアナの手を握り返したようだが、セバスティアンはそんな愚を犯さない。


 マリーの白い手を取り、深々とお辞儀を返す。


「もちろん。恋は花。花は輝き。時が許す限り飲み明かしましょう」


 どちらともなく笑みがこぼれる。


 煌々と輝く満月が二人の行く道を照らしていた。

トリスタンのお守りは大変だと思います。

次回、6部突入です。大物顧客様からのご依頼が舞い込んできます。

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