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閑話 お嬢さまの恋模様

 新年祭の終わりを告げる花火が夜空の中に溶け切った頃、夢を見ているようにぼんやりとしたリリアナが家に戻ってきた。マリーが何度声をかけても知らぬふりである。


 いや、何も聞こえていないのかもしれない。普段なら決して誰にも見せない自室のドアを開けっぱなしにしてベッドにダイブする姿は、とても正気とは思えない。


 白く塗られたドアの向こうには、やや少女趣味な内装が広がっている。薄い桜色の壁紙に、繊細なレースのカーテン。枕カバーやベッドカバーも淡いピンクベージュを基調にした花柄だ。家具は全てドアと同じ色で統一してあるし、ベッドのヘッドボードには可愛らしいぬいぐるみが並んでいる。


 そして、本棚にはトリスタンから取り返した熊騎士シリーズの絵本や、流行りの恋愛小説がぎっしりと詰め込まれていた。首都に戻ってきた当初よりも増えているかもしれない。今まで女性らしいものを遠ざけられていた反動だろう。


 誰よりも勇ましくて、誰よりも可愛らしいものが好きというアンビバレントな性質を持ち合わせているが、マリーにとっては可愛いお嬢さまだ。


 そっと部屋のドアを閉じてベッドに近づく。


 アルティとかいう青年にもらったのか、紙袋から取り出した箱を眺めては含み笑いを漏らしている。そのたびにカツラの髪がさらさらと揺れて、マリーは思わず口元を緩めた。


 今日のために用意した服がよく似合っている。リリアナの母親フィオナの残したものを、マリーが今風に直したものだ。そういえば彼女もよくこうしてベッドに横たわっていた。トリスタンが素敵すぎるとか言って。


「お嬢さま、リリアナさま。しっかりしてくださいな。明日からお仕事でしょう? そんな様子でハンスさまたちに指示を出せますの?」

「マ、マリー! いたのか? いつから?」

「最初からいましたよ」


 胸に抱えた小箱を咄嗟に隠そうとするリリアナに「何をいただいたんです?」と先制攻撃をかける。リリアナは一瞬言い淀んだが、相手がマリーだからいいかと思ったのか、いそいそと箱を差し出した。誰かに聞いてもらいたい気持ちもあったのかもしれない。


「あら、素敵な短剣。シンプルだけど、何故か目が離せないというか……」


 すらりとした剣身も、柄頭の装飾も、リリアナの好みをがっちり掴んでいる。鞘も薄桃色に染めた革に花柄の刺繍が施されていて、腰に下げても気分が上がりそうな出来栄えだった。


「そうだろう? アルティはすごいんだ。いつも私が気に入るものを作ってくれる。最高の職人で友人だよ」

「友人……」


 毎日のように工房に足を運んだり、無理矢理有休を取ってウルカナやトルスキンについて行ったり、二人きりで食事をしたり……ここまで既成事実を積み重ねておいて、まだそんな甘っちょろいことを言っているのか。リリアナの恋愛観は、おそらく五歳で止まっている。それもこれもトリスタンのせいだ。


 ここは乳母の役目としてビシッと言っておかなければ。急に背筋を伸ばしたマリーを見て、リリアナもベッドに体を起こす。


「リリアナさま。いい加減もどかしいので、ここではっきり申し上げますと、それは恋ですわよ。そろそろご自分の気持ちにお気づきなさいませ」

「えっ、でも、アルティはいい友人で……」

「男女の間に友情が存在しないとは言いませんわ。けれどね、お考えあそばせ。デュラハンが鎧兜を脱いでまで共に食事したい相手が、ただの友人で収まるものですか?」

「う……」


 マリーに指摘され、リリアナが呻き声を漏らす。


「それに、彼の前で素肌を晒したのではなくて?」

「なっ、なんでそれを……!」

「あら、本当に晒したのですか? やりますわね」


 はったりに気づいたリリアナが目を剥いた。世間では英雄だのなんだのともてはやされているようだが、まだまだ詰めが甘い。


「て、手袋だけだし……」

「手袋だけでも、デュラハンにとっては大ごとでしょう。鎧を脱いで外に出るのだって、最初は躊躇ってたじゃありませんか」


 ヒト種にはわからない感覚だが、デュラハンは鎧兜を脱ぐことを極端に嫌がる。どうも裸で外を歩いているような気持ちになるらしい。首から下はヒト種とほぼ変わらないのだから、そこまで気にしなくていいと思うのに。


「マリーに教えてくださいな。どうして、鎧兜を脱ごうと思ったの?」


 子供の頃のように視線を合わせて問うと、リリアナはもじもじと体を揺らした。


「……普通の女の子みたいに見られたかったから」

「ほら、ただの友人なら女として見られたいと思いますか? 思い出してごらんなさいな。アルティさんを見て胸が苦しくなったり、高鳴ったり、触れてみたいと思った覚えは?」


 心当たりがあったのか、リリアナがハッと息を漏らす。


「これが恋……? 私、アルティを……? でも、向こうは五歳も下だし……」

「今時、珍しくはありませんわよ。大事なのは本人たちの気持ちです。それにね、男性だって若い方が色々と都合が……」

「都合?」


 さすがに大声で言うのは憚られる。そっと耳打ちすると、リリアナは顔を真っ赤に染めて枕に顔を埋めた。


 長年勤めていると、デュラハンの顔色も、見えない表情もわかるようになってくる。ここまで想われるアルティとやらは若干……いや、かなり憎らしいが、リリアナに青春の喜びを与えてくれたことには感謝したい。


 何せ今まで情け容赦のない戦場に放り込まれていたのだ。そろそろ血と硝煙の世界から甘やかな砂糖菓子の世界へ戻っても罰は当たらないだろう。


 枕に顔を伏せて何やらぶつぶつと呟いているリリアナの背を撫でながら、歌うように囁く。


「恋は花。花は輝き。若人よ、存分に楽しめ。時は過ぎゆくばかりなのだから」

「……何それ?」

「私が若い頃に流行った恋の詩ですわ。リリアナさま、未来はどうなるかわからないもの。だから、今を精一杯楽しまなきゃね」


 まだ若いリリアナにはピンとこないかもしれない。けれど、何かは感じ取ったらしい。枕から顔を上げて再び体を起こし、素直に頷く。こういうところは、まだぬいぐるみを抱えていた頃から変わらない。


「マリーもそういうときがあったのか?」

「それは秘密にしておきますわ。ウブなお嬢さまには刺激が強いですからね」

「なんだよそれ……。でも、経験豊富そうだな……。何かあったら相談に乗ってくれるか?」


 笑顔で頷く。できればいい相談に乗りたいものだ。会ったこともないアルティに、心の中で「泣かせたらぶっ殺しますわよ」と念を送っておく。


「さあさ、もう遅いですし、お風呂に入ってらっしゃいな。その間に明日の準備をしておきますから」

「ありがとう。助かるよ」


 着替えのネグリジェを渡し、部屋の外に送り出す。夜も更けた屋敷の中は暗くて物悲しい雰囲気を放っているが、きっと今のリリアナには何も感じないだろう。ようやく自覚した気持ちを飲み込むことでいっぱいに違いないから。


「あっ、そうだ! 手袋を外したことは、父上には言わないでくれよ!」

「わかっていますよ。さすがに、アルティさんが粉々にされるところは見たくないですからね」

「なんでアルティが粉砕されるんだ。そうじゃなくて、はしたないって怒られ……まあ、いいや。黙っててくれるなら」


 最近距離が縮んだとはいえ、まだトリスタンの不器用な愛情には気づいていないらしい。


 若干浮かれ気味な足音が遠ざかっていく。あれでは「何かあった!」と喧伝しているようなものだが、あえて忠告するつもりはない。まさに知らぬが花である。


「恋は花……ね」


 窓から差し込む月明かりを見て呟く。


 今でこそリヒトシュタイン家の使用人に収まっているが、マリーは若い頃、西方ではやや名が知れた高級娼婦だった。


 親に捨てられた身の上だ。他に選択肢はなかった。成り上がってからは花を売ることも少なくなっていたが、あの燃えたぎるような怒りは今もマリーの胸を焦がしている。


 あの頃のマリーはとにかく尖っていて、世の中の美しいものを全て憎んでいた。築き上げた地位を捨ててこの屋敷に来たのも、客の口からよく美しいと聞かされていたリヒトシュタイン夫人――フィオナの鼻を明かしてやりたいという、つまらない理由からだった。


 片や孤児の娼婦。片や平民出の侯爵夫人。普通なら出会うこともない二人なのに、何故かフィオナはマリーを気に入り、侍女に採用してくれた。


 とはいえ、こちらはフィオナに対してよからぬ思いを抱えている。必死に猫をかぶっていたものの、育ちや本心というのは自然と滲み出てくるものだ。


 案の定すぐに経歴詐称していたことがバレて、怒り心頭のトリスタンに追い出されそうになったが、それを取り成してくれたのもフィオナだった。


 今でも、自分の何が彼女を惹きつけたのかはわからない。マリーはただ使用人らしく接していただけだ。しかし、気づけばフィオナはマリーの心の火を穏やかなものにしてくれ、主人と使用人の枠を越えて、親友と呼べる間柄になっていた。


 フィオナにはよく話したものだ。美しい恋の思い出も、汚い恋の顛末も。


 そして今、その娘に恋の味を教えようとしている。それがいいことなのか、悪いことなのか、学のないマリーにはわからない。


 けれど、きっとよい経験になるだろう。泣こうが笑おうが、それは確実にリリアナの糧になる。思い出というものは、人に平等に降り積もるものだから。


「時は過ぎゆくばかり……。でもね、いつまでも色褪せないものよ」


 乱れたシーツを直しながら自然と鼻歌がこぼれ出す。


 それはフィオナと共に何度も口ずさんだ、恋の歌だった。

リリアナ自覚回でした。

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