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9話 新年祭に出かけよう

 こんなに身なりを気にしたことがあっただろうか。


 濃紺色のジャケットの下に、普段身につけないかっちりとしたシャツを着込み、細身のカーキ色のスラックスをはく。


 服はもちろん、アンティーク調の黒の革靴も、斜めがけの小さなボディバッグも、年末休みに入る前にレイとハンスにお願いして選んでもらったものだ。バルバトスとラドクリフもついてきたのは驚いたが、貴族からの意見も聞けてとても参考になった。


 それもこれも、リリアナが以前から行きたがっていた少しお高めのレストランを予約したからである。何故なら今日はリリアナの誕生日。主役が望むなら内心怯んでいても「わかりました!」と言うしかない。


 せっかくなのでレイたちも誘ったのだが、それぞれ予定があると断られてしまった。年明けから五日間続く新年祭の最終日だ。翌日の業務初めに向けて色々と忙しいのだろう。


「なんじゃ、お前。そんな洒落た服持っとったんか。作業着とTシャツ以外は着んのかと思っとったぞ」


 新年休みも関係なしに工房で金槌を振るっていたクリフが、店に下りたアルティに目を丸くする。


「俺も一応成人してるんで……。たまにはちゃんとした服も着ますよ」

「役所の成人式も作業着で出席したやつがよく言うわ」


 あれは開始時間ギリギリまで金槌を振るっていたからで、アルティの黒歴史である。


「晩御飯はヨハンナさんが帰る前に作ってくれたカレーが冷蔵庫にありますから。それを温めて食べてくださいね」


 首都で年を越したヨハンナは、たくさんの思い出とお土産を抱えて山に帰っていった。クリフも今受注している仕事が落ち着いたら顔を出しに行くと言う。八十年断絶していた親子がこうして再会でき、かつ交流が復活したのは弟子としても感無量である。


「おう。混んどるから気をつけて行ってこいよ。なんなら朝帰りしてもええぞ」

「何言ってるんですか。レストランで食事するだけですよ。こんな格好でいつもの酒場に繰り出せるわけないでしょう」


 ため息まじりに言い返す。クリフは眉を寄せて「そういう意味じゃないわい」と口を尖らせた。わけがわからない。


 ウールのコートを羽織って外に出ると、新年特有の明るい雰囲気が街を包んでいた。もう日も暮れているのに、道のあちこちから楽しそうな笑い声が聞こえてくる。


 今日は天気がいい上に満月だからか、メルクス森の神殿や、酒の配給目当てに王城に赴くものが多いようだ。通りいっぱいにひしめき合う人混みを掻き分けて、商店街行きの市内馬車に乗る。


 途中渋滞に巻き込まれながらも、ようやく辿り着いた商店街はさらに多くの人が行き交っていた。


 そのざわめきに圧倒されながらレストランの前に立つ。早めに店を出てきたので約束の時間まではもう少しある。手に下げた紙袋の中身を確認しながら、リリアナを待つ。


 どうして緊張しているのかはわからない。二人きりで食事したことなんて何度もあるのに。


 ポケットから取り出した懐中時計が約束の時間を指したとき、道の向こうから「アルティ!」と手を振って駆けてくるリリアナが見えた。


 その姿に、思わず息を飲む。


 街頭の明かりに照らされたリリアナは、いつもの鎧兜ではなく、胸までの長さのアイスブルーのカツラを被り、裾にフリルがついた桜色のワンピースの上に、もこもこのファーがついたコートを羽織っていた。


 さらに両手には籠手の代わりにワインレッドの革手袋を嵌め、足鎧も膝まであるキャメル色のロングブーツに変わっていた。


 一見すると、どこにでもいる普通の女性にしか見えない。まさかデュラハンが鎧兜を脱いでくると思わなかった。


「リ、リリアナさん。どうしたんですか、その格好。いつもの鎧兜は?」

「さすがに今日は着てこないよ。せっかくの高級レストランだ。鎧を脱いで外に出たのは初めてだけど、案外いいものだな。体が軽いっていうか」


 今にも鼻歌を歌いそうな様子のリリアナに、アルティは二の句が告げなかった。大人のデュラハンにとって、鎧兜を脱ぐことは裸になるのと等しい。本人は気にしていなくとも、どうしても周りの目を意識してしまう。待ち合わせしたのが夜でよかった。


「似合わないか……?」

「い、いえっ。お似合いです。その……とても素敵でびっくりしました」

「え?」


 するっと口に出た言葉に自分でも驚く。咄嗟に口を塞いだアルティに、リリアナが嬉しそうに目を細めて、右手を差し出した。


「アルティも素敵だぞ。今日は楽しもうな。明日からお互い仕事始めだし、英気を養おう」

「……はい!」


 強く握り返したリリアナの手は、初めて会ったあの夏の日よりも格段に柔らかかった。






 高級レストランというものは、テーブル一つ一つに担当がつくらしい。


 皺一つない制服を着たヒト種のスタッフが、にこやかな笑みを浮かべてメニューを差し出してくれる。しかし、そこに書かれている料理名は、普段居酒屋メニューしか口にしないアルティにとっては暗号に等しかった。


「じゃあ、新年の特別コース二つ。メインは肉と魚ひとつずつ。デザートは追加料金を払うから盛り合わせにしてくれ。食後のドリンクはホットコーヒーとエスプレッソ。ワインはこの二十四年ものの赤のボトルで頼む」


 てきぱきと注文してくれるリリアナに舌を巻きながら、そっと周囲を見渡す。誰も彼も綺麗な服を着て、ワイングラス片手に優雅に談笑している。いつも行っている居酒屋とは比べ物にならないくらい大人な雰囲気に自然と肩が縮む。


(俺、情けな……)


 友人とはいえ女性と来ているのにまったくエスコートできない自分が嫌になる。そんなアルティの気持ちを知ってか知らずか、「今日はありがとうな」とリリアナが笑う。


「誰かに誕生日を祝ってもらうなんて何年ぶりだろう? 首都に戻ってきて本当によかったなあ」

「……今までずっと一人で?」

「うん。駐屯地を転々としてた上に、性別を偽っていた負い目があったからな。仲のいい友人って、なかなかできなかったんだ。ラッドの姉上が結婚退職してからは特にな。去年は戦場にいたし、こうして新年をゆっくり迎えられるのも久しぶりだなあ」


 子供みたいにうきうきしているリリアナに何も言えなくなる。アルティが安穏な生活を送っていた間、リリアナは戦地で必死に戦っていたのだ。


(戦争なんてもう起こりませんように)


 心の中で密やかに祈ったとき、水が入ったグラスを傾けたリリアナが小首を傾げた。


「そういえば、アルティの誕生日はいつだったっけ? 春か? 今はまだ十八だよな?」

「いや。もう十九になってます。夏生まれなんで。リリアナさんの凱旋式の日ですよ」

「えっ⁉︎」


 グラスの中の水が跳ねてこぼれそうになる。


「言ってくれよ! 水くさいな!」

「すみません。なんかタイミングなくて。別にあえて言うことでもないかなと思ったし」

「自分に無頓着すぎるぞ、アルティ! そういうの、こっちは結構寂しいんだからな。今年の夏は盛大にやろう。約束だぞ」


 差し出された小指に一瞬躊躇する。リリアナは今日で二十四歳。それもリヒトシュタイン家の後継ぎだ。そろそろ結婚を視野に入れる頃だろう。


 なのに、仮にも男のアルティと先の予定を入れていいのだろうか。地位も名誉も何もないアルティがそばにいて、リリアナの邪魔になりはしないだろうか。


「アルティ?」


 青白い目が不安げに揺らぐ。それを見て、自分にとってリリアナはどういう存在なのだろうかと、ふと思った。


 アルティの腕を買ってくれる大切なお得意さま。


 外見と性格の勇ましさに反して可愛い物好きで、一緒にいると楽しい友人。


 そして、友人と食事に行くために鎧兜を脱ぐという思い切ったことをするデュラハン。


 本来ならこうして一緒に食事することなどあり得ない立場の二人だ。いずれは別れが訪れるのだとしても、目の前の奇跡をみすみす手放したくはなかった。


(許されるなら、もう少しそばにいたい)


 未来のことは未来に考えればいい。アルティは自分の無骨な小指を、リリアナの細い小指に絡めた。


「はい。約束ですよ」


 リリアナの顔の闇ががぱあっと明るくなる。最近、ラドクリフが言う「顔色」とやらが少しわかってきた。これからもっと、いろいろ知っていくことになるのだろう。


「お待たせいたしました。二十四年ものの『薔薇色の未来』です。テイスティングなさいますか?」

「いや、いいよ。そのまま置いていってくれ。あとはこちらでやる。二人でゆっくり楽しみたいから」


 優しく目を細め、リリアナはスタッフにチップを渡して下がらせた。


「うーん。憧れの場所だったから、ちょっと背伸びしてみたけど、やっぱり固っ苦しいのは苦手だな」

「背伸びしてたんですか? てっきり慣れているのかと……」

「慣れてないよ。貴族といっても、ほとんど駐屯地から出てないんだぞ」


 頬あたりの闇を小さく膨らませたリリアナがワインボトルを手に取る。金の縁取りをした白いラベルには、レトロな薔薇のイラストが描かれてあった。


「新年におあつらえ向きの銘柄だな」

「何かいいことがありそうですね」

「もうあったよ。――ほら、アルティ」


 差し出されたワインボトルにグラスを近づける。注がれたワインは名前の通りに美しい薔薇色をしていた。


「新しい年に」

「リリアナさんの誕生日に」


 揃ってグラスを掲げる。


「乾杯!」


 いかにも高級そうなワイングラスは、いつものジョッキとは違い、ベルのような軽やかな音を出した。

おめかしするアルティです。

リリアナはかなり思い切ったことをしています。

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