5話 師匠の想いを引き継いで
俯いて啜り泣くアルティの頭に、ゴツゴツした手のひらが降ってくる。そのまま乱暴に髪をかきまぜられて、机の上にぽたぽたと透明な雫が散った。
「泣くなと言ったじゃろ、馬鹿弟子。北方では『泣くやつは命知らず』なんじゃぞ。涙が凍って凍傷になっちまうからの」
思わず笑みを漏らしたアルティに、クリフが満足げに頷いて手を離す。そして、おもむろに椅子から立ち上がって一階に下りて行った。
「師匠? まさか仕事するんですか?」
「そんなわけないじゃろ。ちょっと待っとれ」
工房で何か探しているような音がする。やっぱり仕事するんじゃないのか、と思ったとき、古びた金槌を手にしたクリフがキッチンに戻ってきた。いつも仕事で使っているものだ。クリフが使うには少し小さくて、どうして新しいのに変えないのかずっと思っていたけど――。
「まさか、それ……」
「そうじゃ。これがマリウスが残していった金槌じゃ」
ごと、と鈍い音を立てて机の上に置かれた金槌は、正直言ってなんの変哲もない金槌だった。どこの店先に並んでいてもおかしくなさそうな。
しかし、柄の部分には今まで使っていた人間の痕跡が残されていた。
ところどころ黒ずんで見える染みは、きっとマメが潰れたあとだ。アルティも自分の金槌に同じ染みがついているからわかる。マリウスもクリフも、毎日金槌を振り続けて技術を積み重ねてきたのだろう。
目の前のこれは、二人の職人が確かに生きてきた証なのだ。
「アルティ、この金槌をお前に譲ろう」
「は?」
つい素の声が出た。夏に突然ウィンストンに鉱物を取りに行くと聞かされたときのトーンとまったく同じだった。
「何を言ってるんですか! さっきあれだけ聞かされたあとで受け取れるわけないでしょう!」
「お前こそ何を言うとる。あれだけ聞かせたあとだからじゃろ。これだけ想いの込められたもんを渡されたら否応でも修行に邁進せざるを得んじゃろが」
今以上にこき使うつもりだろうか。ドン引くアルティにクリフが「冗談じゃ」と笑う。そして、アルティの右手に無理やり金槌を握らせると、決して離さないようにぎゅっと両手で包み込んだ。
「なあ、アルティ。ワシもまだまだピンピンしとるが、言うても歳じゃ。この先どうなるかわからんじゃろ。マリウスみたいに突然いなくなることもあり得る。だからその前に、マリウスの想いもワシの想いもお前に託しておく」
「師匠……」
「今時、師匠から弟子に想いを託すなんて古くさいかもしれん。若いお前にとっては鉛みたいに重く感じるかもしれん。だがな、お前はワシの唯一の弟子じゃ。この金槌はお前以外には決して扱えん。いや、お前と――将来お前が託す弟子以外はの」
アルティの弟子。そんなの遠い未来のことだと思っていた。しかし、職人として生きていく限り、必ずくる未来でもある。技術の継承は職人にとって永遠の課題でもあるからだ。
戦争や後継者不足によって、今まで数え切れないほどの技術が消えていった。それを知っているからこそ職人は弟子を取り、己の生きた証を――先人たちの残したものを次の世代に引き継ごうとするのだ。
世の中には最初から最後まで一人でやり切る職人もいるが、アルティにはきっと無理だろう。こうして誰かと共に金槌を振るう経験をしてしまったのだから。
黙り込んだアルティを見て、クリフがさらに言葉を紡いでいく。
「お前がいつか独り立ちして自分の工房を立ち上げたとしても、お前が伝えた技術はその先まで受け継がれていく。人の寿命には限界がある。たとえ長寿のエルフだっていつかは死ぬ。だが、人の手で生み出し、守り続けたものは永遠に死なない。頼む、アルティ。お前がこいつを未来へ連れて行ってやってくれ」
そうまで言われて、一人の職人の熱い想いをまざまざと見せつけられて、「嫌です」なんて答えられるわけがない。
やっぱりクリフはずるい。アルティが断れない言い方を熟知している。
でも仕方がない。この工房に来たときに全て覚悟していたことだ。
弟子というものは師匠のわがままを叶えるものだから。
「……わかりました」
力を込めて柄を握る。アルティの貧弱な腕には重すぎるし、まだまだ手に余る。
けれど、いつかはしっくりと馴染むようになるだろう。
「ありがたくいただきます。必ず俺が、師匠と大師匠の想いを未来に連れていきます」
高々と宣言し、もう一度手触りを確認するために力を込める。そのとき、何故だか顔も知らないマリウスという男の体温が伝わったような気がした。
「あの……」
おずおずとかかった声に視線を上げる。クリフの肩越し――寝室の入り口に立っているのはクリフの母親だ。名前は確かヨハンナと言っていた。アルティが騒いだから目が覚めてしまったのだろう。頬から赤みが引いているので、熱は下がったようだ。
「おふくろ……」
立ち上がったクリフがヨハンナに向かい合う。ヨハンナはじっとクリフの瞳を見つめていたが、すぐに口元に両手を当ててぽろぽろと涙をこぼした。
「クリフ……ああ、クリフ! 私の息子!」
感極まった声を上げ、ヨハンナがクリフを抱きしめる。母親の腕の中で、クリフはなすすべもなく立ち尽くしている。八十年も音信不通だったのだから当然だろう。やがて、クリフはおずおずとヨハンナの背中に両腕を回すと、ぎゅっと力を込めた。
「ごめん……俺……」
鼻を啜る音が聞こえる。
「無事で……。無事でよかった……! 急にいなくなって、ずっと心配してたのよ! 父さんたちはもう諦めろって言うし……。夏にあなたに似た人がウィンストンにいたって聞いて、いてもたってもいられなくなったの。だから一か八か、同じ名前の工房を頼って首都に出てきたのよ。もし別人だったらって思うと、本当に怖かったわ。だって、職人に嫌気が差したんだと思ってたし……。クリフ・シュトライザーってドワーフにありふれた名前なんだもの! こんなことになるなら、もっと変わった名前をつければよかったわ!」
一気に捲し立て、わんわんと泣き出したヨハンナを背に、アルティはそっと階段を下りた。親子の感動の再会を邪魔をする趣味はない。それに、クリフも弟子に泣いているところを見られなくはないだろうから。
カウンターから工房に抜け、炉にコークスを入れて火を灯す。火食い鳥の羽じゃないが、もう百年経っているのだ。大師匠には許してもらおう。
夏からコツコツと作っていたリリアナの新しい鎧は完成したから、この前から違うものに挑戦しているところだった。どうしてもうまくいかずに、色々と悪戦苦闘を繰り返してきたが、今ならなんだかうまく作れそうな気がする。
炉を熱している間に、作業台に置いていた白銀色のインゴットを手に取る。いつもの鋼板と違い、ずっしりと重い。いくら軽いセレネス鋼といえども、塊になるとそれなりに重量があるのだ。
炉の前に戻り、差しふいごのピストンを操りながら火の色を見極めていく。大切なのは温度だ。高すぎても低すぎてもいけない。
武器を作るのは防具とは勝手が違う。防具は鋼板を曲げたり、繋げたりして加工していくものだが、武器は熱変化を起こした金属を直接叩くことで自在に形を作っていく。
単純なようで、これがとても難しい。包丁をイメージしたのに、ただの蒲鉾板になってしまうこともザラだ。だから、何度も何度も繰り返し叩いては体に感覚を覚え込ませていく。
専門外のミーナやバルバトスの依頼を受けなければ、とても武器を作ろうなんて思わなかっただろう。食べていくためには、デュラハンの防具職人で十分だからだ。
それでも何故手を出したかと言うと――まあ、ちょっと職人としての意地があったりする。
とはいえ、まだ始めたばかりだ。生活用品からデュラハンの鎧兜まで幅広く作っていたという大師匠には遠く及ばない。
けれど、いつかきっと、追いついてみせる。
頃合いを見て真っ赤に熱したインゴットに、手にした金槌を振り下ろす。
静まり返った工房の中に、キン、と甲高い音が響いた。
シリアスな部分は終わり、次回年越しイベントです。




