2話 クリフの過去①
さっきも言った通り、ワシはセルビナ領ケルミット山中にあるドワーフの横穴で生まれた。それはもう難産じゃったらしい。生まれる前も生まれたあとも、ワシはおふくろに迷惑をかけっぱなしじゃ。
おい、そんな顔をするな。ここはまだほんの導入じゃぞ。導入。
うむ。
父親が誰なのかは今でもわかっとらん。当時の行政はほとんど機能しとらんかったからな。どれだけ領主に訴えても捕まらんかったそうじゃ。
それから百年近く経ったが……まあ、ろくな死に方はしとらんじゃろう。どうなったかなんて今さら知りとうもないわ。
ワシを身籠ったとき、おふくろは婚約者が戦死した直後で未婚じゃった。だから、おふくろの父親――つまりワシの祖父はワシを捨てるよう何度もおふくろを説得しようとした。
まだ成人したばかりのみそらで子供を持つなんて、これから長く続くお前の人生が台無しになる。今後、好いた相手ができたときに邪魔になるかもしれない。そう言って、周りの親戚連中も説得に加わったんじゃ。
ひどい? そうか? お前も娘ができたら同じことを言うと思うぞ。ワシも同じ立場だったら同じことを言うじゃろう。
だが……おふくろは情が深い女じゃった。父親や親戚たちの説得を跳ね除け、憎いヒト種の血を引いたワシのことを手元に置き、常に愛情深く育ててくれたんじゃ。そんなおふくろの姿を見て、周りの大人たちも徐々にワシのことを受け入れてくれた。
けどな、そうは言ってもまともな生まれじゃない。男に襲われたときのことを思い出して、おふくろがこっそり泣いているところは何度も見とったし、周りもハーフドワーフのワシのことをどう扱っていいものか考えあぐねているようじゃった。子供ながらに、どこか腫れ物に触るような気配をひしひしと感じてたわい。
そんな中でも、ワシはすくすくと――まあ多少頑丈に育ち、気づけば十二歳になっていた。お前も知っとる通り、ドワーフは武具を作るのを得意にしておる。生まれつき鉱山の中で過ごしとるんじゃ。それもそうなるわな。
だもんで、ワシも物心ついたときから一丁前に金槌は握っておった。幸いにも小手先が器用じゃったから、みるみるうちに上達して、そのうちワシ宛てに依頼も来るようになった。
しかしな、それがいかんかったんじゃ。職人っちゅうものは仲間意識が強い反面、周りは全部ライバルみたいなもんじゃ。目立つやつが打たれるのは世の習い。ワシはいつしか「可哀想な子供」から「私生児のくせに生意気な子供」にチェンジしとったんじゃ。
ワシも正直調子に乗っとった。どんどん作れるもんが増えるに従って、あれもこれもと欲張りすぎたんじゃな。知らんうちに同僚や先輩たちの客を根こそぎ奪い取ってたんじゃ。
手に手に金槌を持った図体のでかいドワーフたちに取り囲まれたときは、さすがに肝が冷えたぞい。
今でこそこんな風体になっとるが、当時のワシはまだ可愛い盛りの十二歳じゃ。大人たちにかなうわけもない。散々罵倒されて殴られて――ぼこぼこに腫れた顔で帰ってきたワシを見て泣くおふくろを見て思ったんじゃ。
もう、ここを出ていこうと。
元々、居場所なんてなかったんじゃ。総領娘の息子といえども、私生児のワシには家を継ぐ権利もなければ、将来誰かと娶せてもらえる可能性もない。
ん? 生まれなんて関係ないって?
そうじゃなあ。しかし、当時はそうじゃなかった。それに、ドワーフってのは案外閉鎖的な種族なんじゃよ。今でこそ色んな地域に散らばっとるが、己の生まれた山から死ぬまで離れない、なんてのはザラじゃった。おふくろだって、ワシがここにいなけりゃ山を出たりしなかったはずじゃ。
でも、ワシは……実のところ物心ついたときから外の世界に憧れを持っとった。それはワシの片方の血がそうさせているのかはわからん。ただ、知りたかったんじゃ。ワシの作った武具たちがどんな人間に使われているのか、外にはどんな技術や文化が息づいているのか。そして、ワシの腕はどこまで外の世界で通用するのか。
だから、もっと広い世界に行こうと、そう思った。
途中まで手がけていた仕事を終わらせて、何日かかけて準備して――ある夏の日、今までコツコツと貯めとった金を持って山を飛び出したんじゃ。
おふくろには書き置きひとつ残さんかった。そのときは、そこまで考える余裕もなかったし……それに怖かった。どれだけ言い訳を重ねたところで、今まで育ててもらった恩を全て捨てていくなんて、完全にアウトじゃろ。さすがに情け深いおふくろでもワシのことを憎らしく思うわ。
それならワシは死んだと思ってくれればいい――そんな身勝手なことを考えた。
初めて見た外の世界はそりゃもう輝いていたぞ。戦後十年経って、ようやく復興も進んできたときじゃ。ものも人もそれなりにあふれとって、みんなが明るい未来を夢見て邁進していたわい。
でもなあ、アルティ。世の中ってのは、何も知らない子供が一人で生きていけるようにはできとらんのじゃよ。
子供の身にはそれなりの貯蓄でも、外では数日分の生活費にもならん。あっという間に食うにも困るようになって、なんとか資材をかき集めて武具を拵えたものの、これがもうさっぱり売れんかった。
まあ、それもそうじゃ。もう戦争は終わっとるんじゃし、昔ほど武具の需要もない。それに実績も身よりもない子供の作ったものなど、好き好んで買うものもいない。
山にいる頃、子供のワシにも依頼がきとったのは「ドワーフの横穴住まいの職人」という肩書きがあったからじゃ。いわゆる組織とやらに守られとったんじゃな。
だからワシは今、ちゃんと職人組合に入っとるんじゃよ。ずっと思ってたじゃろ? このジジイ、偏屈なくせになんで社会活動には参加するんだろって。
隠さんでいいぞ。お前、結構顔に出るからの。
うん。それでだ。
今でこそ身に染みてわかっとるが、当時のワシにはさっぱりわからんかった。なんで売れないんだ。世の中の人間は見る目がないんだと、馬鹿なことばかり考えとった。
そんな中、ワシはついに動けなくなった。今も覚えているぞ。リヒトシュタイン領を越えて首都の近くに入ったあたりの――確かメルクス森の中じゃったな。あの頃はまだ、今みたいな国立公園にはなっとらんかったんじゃよ。
夏だったから凍死こそしなかったものの、その分、水分も体力も奪われる。あれだけ金槌を振っていた腕は針金みたいに細くなっとって、目も霞んで――もう長くないのは自分でも明らかじゃった。
手元にあるのは売れ残った武具だけ。袋をいくらひっくり返しても塵一つ出てこない。これがワシの墓標なのかと思うと情けなくなったよ。
じりじりと憎らしいぐらいに照りつけてくる太陽を睨みつけて――そして、影が落ちた。
今にも途切れそうな意識をなんとか奮い立たせて視線を向けると、そこにはワシの作った武具を興味深そうに覗き込んでいるヒト種の男がいたんじゃ。
「あんた……。誰だよ……」
確かそんなようなことを言ったような気がするな。何しろ負けん気が強かったから、助けを求めることよりも、相手が何者か知る方が先決だと思ったんじゃな。
そんなワシを見て男は笑った。そして言ったんじゃ。
「これ、お前が作ったの? やるじゃん」って。
まあ、まともじゃないな。死にかけの子供に言うセリフじゃない。男はワシが作った武具を許可もなくいじくりまわしたあとに、ようやくワシの状態に気づいて、持っていた水を飲ませてくれた。
正直ぬるくて腐りかけとったけど、そのときのワシにはどんな極上の酒よりも美味しく感じたな。だからワシは今もあまり酒は飲まん。コーヒーやジュースもな。あれを超えるものはなかなかないと思うからじゃ。
それで、男は一息ついたワシに向かって「俺と一緒に来るか?」と言った。
得体のしれん男じゃったけど、渡りに船というか、他に選択肢はなかった。そいつの手を振り払っても死ぬだけじゃからの。
同行を了承した途端に満面の笑みを浮かべる男に、ワシはこう言った。
「その前に、あんたの名前を教えてくれよ……。さっき聞いただろ……」
男は目を丸くして――そして一瞬の逡巡ののちにこう返した。
「マリウス」
それがワシの師匠との出会いじゃった。
次回もクリフの独白が続きます。




