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閑話 連隊長の後始末

「まったく、男どもはこれだから」


 目の前には見事に酔い潰れた男三人。酒に強いアルティまで撃沈しているとは一体どれだけ飲んだのだろうか。カウンターではこの店のマスターが困り顔で頬に手を当てている。周りには誰もいない。閉店時間はもうとっくに過ぎているのだ。


「ごめんねぇ、リリアナ連隊長。どんだけ引っ叩いても起きないもんだから」

「いいんですよ。酔っ払いを回収するのも警備隊の仕事ですから。これからも困ったことがあれば、お気軽にお声がけください。この治安の悪い職人街の外れで、男性だと偽って一人で店を経営するのも大変でしょう」

「あらぁ、ありがとぉ」


 感激したように目を瞬かせ、マスターがシナを作る。男性体と見間違うほど体格のいいデュラハンが女性的な仕草をするのは、なかなか違和感というか、迫力がある。自分もこう見えているのだろうか。気をつけよう。


「小汚い店だって思うわよねぇ。アタシだってねぇ、本当は可愛らしい店にしたいのよ。でも、どこにも行き場がないおじさまたちを放り出すのは可哀想じゃない? 男のフリするのも大変よぉ。リリアナ連隊長を尊敬しちゃうわ」


 はは、と愛想笑いを浮かべて、リリアナは傍らに控えていたハンスに書き付けを二通渡した。


「着払いでマルグリテ家とバルバトスのタウンハウスに速達を出してきてくれ。最速最短でな」


 この国でいうタウンハウスとは、貴族用の集合住宅のことで、普段は領地にいる貴族が首都に長期滞在するときに期間借りする仮の屋敷だ。首都に実家があるラドクリフは別だが、バルバトスは闘技祭の間だけ、そこにバネッサや使用人たちと共に居を移している。


 東の女傑と名高いバネッサのことだ。この一人息子の惨状を見るや否や怒髪天をつくだろうが、リリアナの知ったことではない。ラドクリフもきっとマリアにしめ上げられるだろう。ウィンストンに帰るまでに鍛え直すと言っていたし。


「はーい。アルティさんは?」

「お師匠さんは呼んでも来ないだろうから、私が背負っていく。郵便局は二十四時間営業とはいえ、もう遅いから静かに行けよ」

「了解でーす。念のために言っておきますけど、僕が戻るまで外に出ないでくださいよ。どれだけ強くたって、連隊長も一応女性なんですからねー」

「一応ってなんだ、一応って。いいからさっさと行け」


 こういうときだけ女扱いしてくる部下を片手で追い払い、手近な椅子に座る。


 この三日間、本当に疲れた。闘技祭や市内の警備の采配に、部署対抗バトルロイヤルの出場。閉会式のあとの反省会。そして永遠に終わらない報告書地獄に、早く帰ってきてほしそうな空気を醸し出す父親。


 人が集まれば比例して犯罪や火事も増える。大きな問題が起きずに、今日を迎えられたのは奇跡と言ってもいい。


 エクテス領と行ったり来たりしていたとはいえ、有休をとっていた間の決裁は確実に溜まっていて、リリアナは目が回るほどの忙しさの中に放り込まれていた。このまま年末まで休みがないと思うと、それだけで気が重くなる。


「まあ、仕方ないな。自業自得だし……」


 リリアナがいない間、部下たちはよくやってくれていた。ハンスを筆頭に恨み言は言うものの、頻繁に私事でいなくなる上司を見限ることなく、温かく支えてくれている。


 だからこそ、少しでも労働環境をよくしたいと思うわけだが、それが自分の首を絞める結果になっている。


 アルティは気づいていないだろう。昼休憩を捻出するために、リリアナがどれだけ苦労を重ねたか。


 実は治安維持連隊に配属されたとき、部下たちは誰一人休憩や有休を取っていなかった。冗談抜きで二十四時間働いていたのだ。


 ここ、グリムバルドは様々な種族が集う土地である。故にお互いの生活様式や習慣がぶつかり合うことも少なくない。軽微な諍いごとは日常茶飯事。特に職人街や新市街では荒くれものが多い分、それが顕著だ。


 どれだけ人員が足りないと叫んでも、どれだけ設備や装備が貧弱だと訴えても、犯罪や火事はこちらの都合など斟酌してはくれない。オイゲンというベテランの警備隊長はいたものの、ヒト種の多い治安維持連隊には、荒くれものたちを制御し切る「権力と暴力の象徴」が存在しなかった。


 だから、特別混成旅団で部下だったハンスを無理やり引き抜いて、「デュラハンたちが目を光らせているぞ」と周囲に喧伝すると共に、旧態依然とした環境を改善するため、王城に何度も足を運んでは増員と装備の強化を願ったのだ。


 結果的に受け入れられたが、文官のお偉い方に「戦争するわけでもないのに」とか「経費は限られているんですぞ」などと、ねちねち言われたのは今でも恨んでいる。面倒くさい人間関係がなさそうだからこの職を選んだのに、とんだ思い違いだった。


 もしかしたら我儘を聞いてもらった結果ではなく、「これを改革したくて放り込まれたのでは?」とも邪推したが、国王の胸の内などリリアナがわかるわけもない。幸いにも功を奏して、今ではシフト制で回せるまでになったが、手を入れなくてはいけない部分はまだまだある。


 とはいえ、三カ月が経ってようやく落ち着いてきた。来年はもうちょっとのんびり働きたいものだ。


 ため息をついていると、マスターが気を遣ってホットコーヒーを出してくれた。公僕なので本当は受け取ってはいけないが、どうせ誰も見てないのでありがたく頂く。


 それにしても静かな夜だ。


 お世辞でも綺麗とは言えない店の中には、男たちの寝息だけが響いている。時折、むにゃむにゃと呟いているが、何か夢でも見ているのだろうか。


 ホットコーヒーを出してくれたあと、マスターは帳簿づけの続きをすると言って奥に引っ込んでいった。疲れているリリアナを一人にしてくれたのかもしれない。


「今回もよくやったな、アルティ」


 バルバトスのブリガンダインに目を落とし、笑みがこぼれる。ドラゴニュートに誘拐されたと聞いたときは肝が冷えたが、それが幼馴染とそのライバルのじゃれ合いの延長線上なのだと知って、チャンスだと思った。


 また間近でアルティが生み出すものが見れるのだと。


 リリアナはアルティの腕に惚れ込んでいる。この兜を作ってもらったこともそうだが、何より仕事への姿勢が眩しかった。確かに出来はクリフと比べればまだまだなのかもしれないが、アルティの作るものには見るものに訴えかける何かがあるのだ。


 ミーナだって、バルバトスだって、同じ気持ちだったに違いない。そしてアルティの兄のルフトも、そう思ったから大事な弟を首都によこしたのだろう。


 頬杖をつき、まだ幼さの残る横顔をじっと見つめる。


 いつだって一生懸命な大事な友人。一緒にいるだけで心が弾む。できることなら、こうしてずっとそばにいたい。そして彼の作るものをこの目で見続けていたい。


 そのときふと、闘技場でのマリアの言葉が脳裏をよぎった。


「結婚、ね……」


 マリアとハロルドのような仲睦まじい夫婦に憧れないではない。こう見えても気持ちは乙女なのだ。いつか白馬に乗った王子さまが、と夢想したことは一度や二度ではない。何を隠そう。まだ男のフリをしていた頃から、リリアナの愛読書は甘い恋愛小説なのである。


 でも今は、とてもそんな気持ちにはなれなかった。それがどうしてだかはわからない。ようやく念願の女子ライフを満喫できるようになったのだから、恋の一つや二つしてもいいと思うのに。


「何でだろ……」


 視線の先には、相変わらず眠るアルティがいる。


 デュラハンのようなパワーもなく、エルフのような魔力もなく、小柄で、女性に優しく、一見すると少年のようにしか見えないが、誰よりもまっすぐで、たまにとても男っぽい。


 そんな友人と遊ぶのが楽しすぎて、恋なんて考えられないのだろうか。


 年が明ければ二十四歳になる。そろそろ先を考えなければいけない歳だ。いくら頑丈でしぶとい父親だって、いずれは引退するだろう。


 いつまでも自由でいられないことはわかっている。


 それでも。


「もう少しだけ……」


 誰も見ていないのを確認して籠手を外し、そっと指を伸ばす。


 初めて触れた赤茶色の髪は、見た目に反して柔らかかった。

翌朝、アルティはクリフに雷を落とされたあと、関係各所にお詫びに行きました。

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