閑話 酔っ払いたちの賛歌
「カンパーイ!」
グラスをぶつけ合い、ビールを一気に煽る。シュワシュワした泡と、ホップの効いた苦味が喉を通って最高に美味しい。労働のあとの一杯は格別である。たとえ周りを厳ついおっさんたちに囲まれていてもだ。
「すごいお店ですね、ここ……」
右を見ても、左を見ても、強面の上に体格のいい男たちしかいない。種族も千差万別だ。顔の真ん中に痛々しい傷が走ったヒト種がいれば、冬だというのに剥き出しの背中に大きな爪痕を残した獣人もいる。
彼らに共通しているのは楽しく酒を飲んでいることだ。それだけが彼らを「犯罪者」から「酔客」に定義する指標になっている。
店の内装も独特の空気感を醸し出していた。燻んだ木の壁には、ところどころへこんだ跡が見受けられたし、床には何かわからない染みが浮かんでいる。その上、周りはタバコの煙で真っ白に澱んでいるし、座った椅子はひどくガタガタだ。
挙句にウェイターはミノタウロスの獣人や血豚の獣人で、カウンターにいるマスターらしき料理人は、メタリックピンクの鎧兜に身を包んだデュラハンである。もし財布を忘れたら、一瞬でくびり殺されるに違いない。
一言で言うならやばい。女性には間違いなくおすすめできない。リリアナは喜び勇んで来るかもしれないが。
「こんなんだから穴場なんだよね。小綺麗な店や、高級店からあぶれたおっさんたちが集ってるってわけ」
「成人してすぐのとき、たまたま見つけたんだよな。一人じゃ行く勇気ねぇから、ラドクリフを連れて行ったんだよ。それからもう五年か?」
「うん、俺たち早生まれだからね」
早生まれ、とは一月から八月までに生まれたものを言う。これは九月に初等学校の入学式があるためだ。逆に九月から十二月までの間に生まれたものを遅生まれという。アルティの誕生日は八月、リリアナは一月なので二人とも早生まれになる。クリフは十二月なので遅生まれだ。
そういえば、そろそろクリフの誕生日だった。何か用意しなくては。セレネス鋼を仕入れてくれたお礼に、リリアナの誕生日も祝う約束をしているし、年末年始は忙しそうである。
「アルティ君、このソーセージ食べてみな。すごく美味しいよ」
差し出された皿の上に乗っていたのは、真っ黒な物体だった。形こそソーセージに見えるが、色は明らかにそうじゃない。
怯むアルティに、ラドクリフが「騙されたと思って」と再度すすめてくる。奢ってくれる相手にそう言われては仕方ない。覚悟を決めて口に運ぶ。
「あれ?」
口の中に弾けたのは芳醇な肉汁だった。パリッと焼けた皮を噛むたび、旨みが口内に広がっていく。こんなに美味しいソーセージを食べたのは初めてかもしれない。
「美味しいでしょ?」
「はい、とても。これってなんの肉なんですか?」
「俺の肉っす」
横を通り過ぎた血豚の獣人がにやっと笑って去っていく。ブラックジョークすぎて笑えない。口元を引き攣らせるアルティに、バルバトスが今度は赤身の肉を差し出した。
「まあまあ。これも食ってみろって。ほっぺたが落ちるぜ」
半信半疑で手を伸ばしてみたところ本当に美味しかった。香草を丹念に擦り込んでいるのか臭みもなく、逆に爽やかな香りがふわりと鼻を抜ける。塩っ気も申し分ない。ビールがどんどん進んでしまう味である。
「どうだ? うまいだろ?」
「はい! ……これは牛肉ですよね?」
「僕の肉ですねー」
今度はミノタウロスの獣人がさらりと言い捨てて行った。獣人共通のネタなのだろうか。
そうして時折店の洗礼を受けつつも、順調にグラスを重ね、話題は闘技祭の内容に移っていく。ちびちびとグラスを傾けるラドクリフの隣で、喉を鳴らして大ジョッキを飲み干したバルバトスが、若干赤らんだ顔でため息をついた。
「すごかったよなあ、リヒトシュタイン嬢。あのアズゴア師団長を、ああも痛めつけるとは」
「やり方はえぐかったけど、スッとしたよね。あいつのせいで何人辞めたかわかんないもん」
そういえばリリアナも試合中に言っていた。パワハラクソ上司だと。
「お二人の士官学校の先輩だったんですよね?」
「そうそう。といっても、士官学校って二年制だから向こうは卒業したあとだったけどね。実技の非常勤教官ってやつ。その頃は、まだ今みたいな専任の教官って少なかったんだよ」
「増えてきたのは俺たちが卒業する頃からだよな。そういやお前って、その第一号になるのか」
「師団長の――まあ、その頃は師団長じゃなかったけど、悪名もまあまあ広まってたみたいだし、『そろそろメス入れないとなあ』って王さま……当時の王太子がぼやいた結果だって兄さんが言ってた。俺の件もあったからね。ちょうどいいタイミングだったんじゃない」
ラドクリフの兄は近衛第一騎士団所属だ。その頃はまだ副団長ではなかったそうだが、近い位置にはいたのだろう。
「ひょっとして、バルバトスさまを卑怯者扱いしたやつらって……」
「師団長の教え子。つまり、リリィにコテンパンにやられたやつら」
「卒業してもつるんでるって考えたらきめぇな」
卒業しても、決闘したり共に酒を飲んでいる二人が言うと説得力がない。
「そんなに評判悪くて、どうして師団長なんてやってるんですか?」
「それが指揮能力は高いんだよ。腹立つことに」
「だから第一師団――特に師団長がいる駐屯地にはヒト種がほとんどいねーんだ。もし配属されても師団長に目をつけられねぇように、よそに出しちまうんだよ。でも、リヒトシュタイン嬢が出されたのは意外だったな。比較的すぐに異動になったよな?」
「そんなの、侯爵が手を回したからに決まってるじゃん。娘がパワハラに遭ってんのに黙って見てらんないよ。あの人ツンデレだからさ」
「つんでれ……?」
そんなに可愛いものだろうか。徐々に歩み寄ってきてはいるが、まだツンしか見ていない。
「それよりさあ……。お前はいいのかよ。今回の一件で軍内部のコンプラが強化されるって話じゃねぇか。ひょっとしたら今なら近衛騎士団に……」
「やめてよ。俺、別に近衛騎士団に入るつもりなかったもん。あんな堅っ苦しそうなとこ、こっちから願い下げだって」
「え?」
バルバトスが目を丸くする。初めて聞いたという表情だ。
「だから言ったじゃん。くだらないトラウマ抱えてんじゃねぇって。それに今の仕事、結構性にあってんだよね。教育って面白いよ。なんもできなかったひよっこたちが、どんどん逞しくなってくの。卒業式の日なんて感無量だね」
バルバトスは滔々と語るラドクリフを呆然と見ていたが、やがて「はっ」と笑みを漏らした。その目尻に微かに光るものが見えるのは気のせいだろうか。
「その割に元教え子たちからビビられてんじゃねーか。お前も師団長と変わんねぇよ」
「失礼な。俺のは愛がある指導だから。一緒にしないで」
ひとしきり笑い合ったあと、今度は話題の矛先がアルティに向いた。どうしてクリフの下で修行することになったのか知りたいらしい。
別に隠すことでもないので、最初から経緯を話す。といっても、特に変わったことがあるわけでもない。案の定、話自体はすぐに終わってしまった。
「へー。そっから七年間、ずっと修行してんのか。でも、もう成人してんだろ? 彼女とかいねぇのかよ」
久しぶりに会った親戚のようなことを言うバルバトスに肩をすくめる。
「残念ながら……。そういうバルバトスさまはどうなんですか?」
「俺は婚約者がいるぜ。つってもガキの頃に決めたっきり滅多に会ってねぇけど。たぶん、向こうが成人したら結婚すんじゃねぇかな」
さすが貴族だ。顔もほとんど合わせたことのない相手と結婚するなんて、アルティにはとても想像できない。
「俺はいたけど、破談になったよ。アルティ君も知ってる通り」
「……でも、ご家族は乗り気だって」
「気になる?」
ぐっと喉が詰まる。何故だかはわからない。リリアナはラドクリフとは結婚したくないと言っていた。しかし、貴族同士の結婚だ。周りがそう望むなら――たとえ万に一つでも可能性はあるかもしれない。
黙り込んだアルティに、ラドクリフがふっと息を漏らす。視線を向けると、彼の目は優しげに細められていた。
「安心しなよ。俺のタイプはお淑やかな女性だからさ。さあ、どんどん飲もうよ。明日は休みだし、今日は朝まで飲み明かそう」
「えっ、俺は明日仕事……」
「追加頼むか。おっちゃーん。大ジョッキ三つ! 食いものもじゃんじゃん持ってきて!」
「あいよ!」
威勢のいい声と共に運ばれてくる料理と酒に思わず苦笑する。明日が来るのは怖いが、たまにはこういう夜も悪くない。
ほんの少しの痛みを胸に抱いて、アルティはジョッキを煽った。
俺の肉、は獣人にとって鉄板のネタです。




