9話 青き炎と赤き流星
闘技祭も三日目になると随分と余裕が出てくる。兵士たちと魔法士たちの異種格闘戦。一般人たちのレスリング大会。そして、探索者や傭兵たちの情け容赦のない乱戦も終わり、残すはトーナメント制の決闘だけ。
工場に詰めている職人たちの中には、早々と仕事を終えて飲みに行くものもいる。闘技祭が終わるまで待っていると、市内の居酒屋はすぐに満席になってしまうからだ。
「お前も上がっていいぞ、アルティ。マルグリテ家のボンボンとドラゴニュートの小僧の試合が観たいんじゃろ?」
「え? いいんですか?」
「あのお嬢さんから釘を刺されとる。客の勇姿を見届けさせてやれとな」
さぞかし大きな釘を刺されたのだろう。持ち場を抜けるのは気が咎めるが、正直なところ、ずっとそわそわして仕方なかったのだ。
「ほれ、早う行け。明日は今日の分も働いてもらうからな」
「はい! ありがとうございます、師匠!」
全力で走って闘技場に向かうと、アルティに気づいたリリアナが大きく手を振った。向こうも仕事を抜けてきたようだ。最前列に座る彼女の隣にはエスメラルダの姿も見える。一番奥にいるのはハロルドだ。彼とエスメラルダの間には、ラドクリフの代わりにマリアが座っていた。
「あら、お久しぶりね。アルティくん」
「お久しぶりです、マリアさま。今日は審判じゃないんですか?」
「家族が出場する試合の審判はできないのよ。手心を加えるとでも言うのかしら。失礼しちゃうわよねえ」
「姉上なら、逆にラッドにハンデをつけるだろうにな」
「そうよねえ。障害を振り払ってこそマルグリテ家の男よ。エミィもそんな彼氏を早く見つけなさいね」
「うん!」
どうしてか、エスメラルダにちらちらと見られながら腰を下ろす。
場内はちょうど前の試合が終わったところのようだ。救護班らしい兵士二人が、気絶した兵士を担架で運んでいる。それをじっと見送っているのは、真っ赤な鎧兜のデュラハン――ラドクリフだ。決闘というと重装備で挑む兵士が多い中、彼はいつもと変わりない姿だった。得物も長剣と腰に下げたダガーだけである。
「ラドクリフさま、順調に勝ち進んでいるんですね。さっきのが準決勝ですか?」
「そうだな。さっきバルバトスも決勝に進んだよ。つまり……」
「次が最終?」
こくりと頷いたリリアナに、思わず体に力が入る。自分が戦うわけではないのに、何故か無性に緊張してしまう。
そんなアルティに気づいたのか、リリアナが明るく「大丈夫だ!」と声を上げた。
「アルティの鎧があればバルバトスは無敵だよ。さっきも凄かったんだぞ、一瞬で相手を打ち倒して……」
「空は飛びましたか?」
ぴた、と言葉を止めたリリアナが小さく首を横に振る。
「たぶん魔力を温存してるんじゃないかしら。ラッドもさっきから一度も魔法を使っていないもの。お互い全力で挑もうとしているのねえ。若いっていいわあ」
頬あたりの闇に手を当てるマリアに、隣のハロルドが「君は今も若くて綺麗だよ」と甘い言葉を囁いている。夫婦仲がよくて何よりだ。
「リリアナおねえさまも、アルティも、ラッドおにいさまを応援してくれないの?」
「応援してるよ。でもね、同じようにバルバトスさまも応援してるんだ。二人とも大事なお客さまだからね。大切なのは勝ち負けじゃなくて、お互い悔いのないように戦うことだから」
「……? よくわかんない……」
「世の中って割り切れないことばかりなんだよ。エミィも大きくなればわかるさ」
エスメラルダの頭を撫でるリリアナの手つきはとても優しい。それをじっと見つめていたマリアが、「あらまあ」とからかいを含んだ声で言った。
「あなたたちって、そうやって並んでると夫婦みたいねえ。最近よく食事にも行ってるようだし、そのまま結婚しちゃったら?」
「な、何言ってるんだ姉上!」
「そ、そうですよ! 俺じゃリリアナさんに釣り合いませんって!」
エスメラルダがハッと息を飲んでマリアを見上げる。マリアは優しげに目を細めると、あわあわしているリリアナとアルティを尻目に、エスメラルダの体を抱き寄せた。
「マリア、若い子たちを揶揄っちゃいけないよ」
「そうねえ。そろそろ試合も始まるし、このあたりでおしゃべりは終わりにしましょうか」
闘技祭のトリともなると、試合の進行も大仰なものになる。鼓笛隊たちの奏でる音楽と共に、空に一斉に花火が打ち上がり、タスキを身につけた選手たちが姿を現した。
向かって左側には赤いタスキをつけたラドクリフ。そして右側には青いタスキをつけたバルバトス。奇しくも、お互い身につけている鎧と同じ色だ。
二人とも、まっすぐに背筋を伸ばしてお互いの顔を睨んでいる。その胸の中によぎるのは友への情か、それともライバルへの闘争心だろうか。
「会場の皆さま! 長らくお待たせいたしました! 朝から続いたトーナメントもいよいよ最終戦です! こちらは士官学校の指導教官を務める『青き炎』、ラドクリフ・マルグリテ! 対しますのは、トルスキン方面軍が誇る飛兵中隊長の『赤き流星』、バルバトス・エクテス! 地を制するデュラハンと空を制するドラゴニュートの熱き戦いをどうぞご覧ください!」
最高潮の盛り上がりを見せる中、周囲から「色が逆でややこしいな」という声が飛ぶ。
「どうして、二つ名が青き炎なんですか?」
「あいつ本気出せば超級の青火の魔法を使えるんだよ。魔力も体力もごっそり減るから滅多に使わないみたいだけど」
「……青い火って一万度以上ありますよね? この会場大丈夫ですか?」
「闘技場を囲むようにセレネス鋼の壁を設置しているからな。私の消防隊も控えているし、大事には至らないだろう。あの森大鴉の一件で、聖の魔素の属性増幅力も制御できるようになったしな」
確かにそうだ。魔法紋で魔素に増幅対象を指定することで、無闇矢鱈に周囲に影響を与えることはなくなった。方法が確立してすぐに、リリアナの髪留めやエスメラルダのティアラにも施されている。もちろんバルバトスのブリガンダインにも。
そして、蓋を開けてみれば首都を囲む聖女の結界も同じ仕組みだった。排除対象を指定して結界を維持する魔法紋が、王城の地下にびっしりと張り巡らされているそうだ。それを知ったレイは、顔を真っ赤にして地団駄を踏んでいた。
「あ、そうか。だからレイは工場にいなかったのか。魔法紋の責任者として裏に詰めてるんですね?」
「そうだよ。今の首都にはレイさん以上の魔法紋の使い手はいないからな」
納得して頷いたそのとき、場内に角笛が響き渡った。両手に旗を持った審判が試合の開始を告げる。先に動いたのはラドクリフの方だった。
「うわっ、なんだあれ!」
会場からどよめきの声が上がる。彼らの視線の先には、まさしく青い太陽とも呼べる巨大な青い炎球が浮かんでいたからだ。
「喰らえよ! このイモリ野郎!」
大きく吠えたラドクリフが、眼前に浮かんだ炎球を叩き潰す仕草をした。
次の瞬間、一点に収束した青い炎球が、ドラゴンブレスのようにバルバトスに向かっていく。バルバトスはその場から動くことなく、腰から抜き出した短剣を上段に掲げて振り下ろした。
「青い火を切った⁉︎」
場内がざわめく中、真っ二つに分かれた青い炎が周囲の壁に当たって霧散していく。その熱気を頬に浴びながら、アルティは気持ちが昂るのを感じた。いくら高温を誇る炎だろうと、それを凌駕するドラゴニュートの角にはかなわない。
バルバトスが手にしているのは、エクテス邸の倉庫で見つけた短剣だった。
滅多にお目にかかれない『青いイフリート鉱石』と『ドラゴニュートから抜け落ちた角』を使用したその短剣は、火属性に対して無比の力を有していた。
リリアナが思わず嘆息するほど美しく研がれた剣身は、見るもの全てを魅了する輝きを放っている。柄に用いられている火竜の革も最高級の代物だ。その柄頭には、リリアナの鎧やミーナの鎧と同じく、風切り羽の屋号紋がしっかりと刻まれていた。
「なんて性能だよ、あの短剣。剣身も綺麗だしさあ。いいなあ。私も欲しいなあ」
「リリアナさんの短剣は俺が作りますよ。他の職人に目移りしないでください」
ムッとしたアルティにリリアナが目を丸くする。そんな中、短剣を手にしたバルバトスがラドクリフに向かっていった。
風属性のプレリーの鱗をふんだんに使った腕鎧と足鎧の成果か、まるで風のような速さだ。一瞬で間合いを詰め、ラドクリフの喉元に向かって短剣を突き刺す。
しかし、ラドクリフはまた読んでいたようだ。バルバトスの腕を捉えると、捻り込むように地面に引き倒し、そのまま上半身を預けてバルバトスの体を押さえ込む。
仰向けで首を絞められて「ぐうっ」と苦しげな声を漏らすバルバトスに、ラドクリフが容赦のない力を込めながら舌打ちをする。
「そんなご大層な鎧着といてまだ飛ばねぇのか。ドラゴンじゃなくて本当にイモリになっちまったんじゃねぇだろうな。いつまでくだんねぇトラウマ引きずってんだよ」
「うるっせぇな……! 顔を合わせりゃ飛べ飛べってよ……! そのくせ理由も言わずに闘技祭出ねぇとか言うし……わかりにくすぎんだよ……お前……!」
「てめぇこそ、下手な挑発しやがって。俺に構ってほしけりゃ、もうちょい考えろよな」
「お前に言われたくねぇ……! その下手な挑発にわざと乗ったのはどいつだよ……!」
ギリギリと嫌な音がして、バルバトスの顔がだんだん赤黒くなっていく。
種族一の怪力を誇るデュラハンにレスリングに持ち込まれれば、ドラゴニュートに勝ち目はない。観客が嘆息した瞬間、ラドクリフの胴体に腕を回したバルバトスが全身で叫んだ。
「そんなに飛びてぇなら……飛ばせてやるよ!」
今回、2話のサブタイと対になっています。
バルバトスは速い分、動きが直線的になるので読まれやすく、それを逆手に取った作戦となります。次回、決闘に勝敗がつきます。




