6話 職人と闘技祭
アルティには決闘を間近で見る経験は少ない。というか、先日のラドクリフとバルバトスの決闘を見るまでは皆無だった。なので、目の前で繰り広げられる光景がどの程度なのか判ずることはできないが、とにかくすごいということはわかる。
「何この迫力……。怖っ……」
デュラハンとドラゴニュートの本気の打ち合いに足がすくむ。工房で火花を見ることは数あれど、鍔迫り合いで火花が散るのは初めて見た。
「なかなか強くなったじゃないか、イモリくん! 私のおかげだな!」
「わかりやすく煽ってんじゃねぇよ! あんた、ラドクリフよりセンスないぜ!」
リリアナに抗戦するバルバトスの動きは以前とは比べ物にならないぐらい早かった。それが鎧の効果だと思うと嬉しい。
バルバトスもそう感じているのか、時折空を仰いでは地面を踏み込むような仕草を見せる。しかし、直後にハッと我に返っては止めるの繰り返しだ。決闘中に空を飛ぶと思い切るにはまだ何か足りないようだった。
「仕方ないな……」
ぼそっと呟いたリリアナがこちらに目配せをする。その手の中には、いつの間にか拝借していた木苺が握られていた。それに反応したプレリーがアルティの腕の中で暴れ、地面にころりと転がり落ちる。
「あっ、プレリー! 駄目だよ、戻っておいで!」
恥ずかしいぐらいの棒読みだが、必死に打ち合っているバルバトスには違和感を与えなかったようだ。無邪気に近寄ってくるプレリーの姿を見て動きを止め、大きな声で叫ぶ。
「リヒトシュタイン嬢! こっちだ! プレリーを巻き込んじまう!」
リリアナが仕掛けたのは、バルバトスが決闘の場を移そうと大きく身を引いたときだった。
「甘いな、バルバトス! 戦場ではその甘さは通用しないぞ!」
細身の籠手が青白く光る。間に入ってきたプレリーもろとも、氷魔法で吹き飛ばすつもりだ。
「おい、やめろ!」
顔色を変えたバルバトスが戻ろうとするも、とても間に合わない。大きく身を引いたのが仇となったと気づいたときには、巨大な氷柱がプレリー目掛けて迫っていた。
「クソが!」
ドラゴンの咆哮に似た雄叫びが上がる。
同時に、彼の褐色の体躯が空高く舞い上がり、リリアナ目掛けて急降下した。激しく吹き荒れる風と共に周囲に土埃が立ち込め、あたりの状況が掴めない。
ようやく視界がクリアになったときには、ばらばらに打ち砕かれた氷柱の先でリリアナが地面に押し倒されていた。バルバトスは呆然としている。自分が決闘中に空を飛んだと信じられないのかもしれない。
「やればできるじゃないか」
剣を手放したリリアナが不敵な笑みを漏らす。
「私を押し倒すなんてラッドにだってできやしないぞ。自信を持て」
ぽんぽんと太ももを叩かれて我に返ったバルバトスが、木苺を喰みながら擦り寄ってくるプレリーを見下ろして、泣き笑いのような表情を浮かべた。
そのままリリアナの体から下り、大きく肩を揺らす。その笑い声は、遠い首都にまで届きそうなほど晴々とした響きだった。
「ああ、もう。なんっだよ。してやられたよ。あんた、わざとやったんだな」
「当たり前だろ。ここは戦場じゃないんだ。人の大事な家族を撃ち抜くほど、私は非情じゃない。こう見えて、可愛いもの好きの乙女なんだぞ。なあ、アルティ!」
そこは否定しない。笑顔で頷いてリリアナたちに近づく。
「飛び心地はいかがでしたか?」
「リヒトシュタイン嬢が、あんたの鎧を着たら飛びたくなるって言ってた理由がよくわかったよ。どれだけ抑えようとしても気持ちがそわそわするんだ。こんなに体に馴染む鎧は初めてだよ」
「ありがとうございます。職人として最大級の褒め言葉ですよ」
バルバトスはふっと笑うと、力が抜けたように地面に倒れて大の字になった。視線の先には宵闇が迫り始めた空が広がっている。その中で早くも夜の訪れを告げているのは、一際大きく輝く赤い星だった。
「俺さ」
バルバトスがぽつりと呟く。
「ずっとドラゴニュートの自分が恥ずかしいと思ってた。大して苦労もしてねぇのに、士官学校では常にトップクラス。この見た目じゃ周りからも浮いちまう。自信がねぇから他のやつらの輪にも入っていけねぇし、挙句にようやくできたダチにまで迷惑かけてさ……。でも、もうやめるわ。どんだけ悩んだって自分の生まれが変わるわけじゃねぇもんな」
「そうだよ。私だって、父上の七光が恥ずかしいと思ってた。何をしたって、自分の力じゃないんだってな。でも、この兜のおかげで変われたんだ。だから私は今、自分のことが前よりももっと好きだよ」
愛おしそうに兜を撫でるリリアナは、誰よりも優しい目をしていた。
急に放たれた熱烈なラブコールに、身体中の血液が沸騰する心地がする。もちろん恋愛的な意味ではないことはわかっているが、こう言われて喜ばない職人がいるだろうか。いや、いない。
「じゃ、じゃあ、闘技祭でも飛ぶことを前提に考えましょう。腕鎧と足鎧、もっと軽量化した方がいいですね」
「軽い、軽いか……。金属だとどうしてもなあ……。でも、革だと強度が……」
腕を組んだリリアナが首を傾げたとき、プレリーがカリカリと己の顔を引っ掻き、剥がれた鱗が地面に落ちた。
「バ、バルバトスさま! プレリーの鱗が!」
「ん? ああ、大丈夫だよ。ドラゴンって、こうやって何度か脱鱗して成竜に近づいていくんだ。これで何枚目だ? 最近、よく剥げるなぁ」
そう言って、バルバトスは鱗を拾い上げるとズボンのポケットにしまった。
「……ひょっとして、今まで剥がれたやつ残してます?」
「一応記念だからな。売ろうと思ったら売れるし」
リリアナと顔を見合わせて同時に叫ぶ。
「それだ!」
魔法士が放った火球が空に打ち上がり、何度目かの試合の終わりを告げる。
今日の種目は、士官学校及び魔法学校の新入生たちと先輩たちの仁義なき模擬戦。国軍兵士の部署対抗バトルロイヤル。そしてトリに将軍クラスの兵士の馬上槍試合だ。今はちょうど新入生たちが先輩たちに小突き回されているところである。
「はーい! こっち空いてるよ! どうぞ!」
「次はあんた? 安心しな! 綺麗に直してあげるからさ!」
王城の外苑内に位置する工場の中には怒号に似た職人たちの声が響いていた。
外も戦場なのかもしれないが、こっちも戦場だ。ぼっこぼっこに腫れた顔をした新兵たちが、ぼっこぼこにへこんだ防具を抱えてくる様は一種異様である。
アルティもクリフと共に金槌を振るい続けている。闘技祭が終わったら、しばらく筋肉痛に苛まれるだろう。
それでも、新入生たちの模擬戦が終わり、部署対抗のバトルロイヤルに移行すると、少しずつ修羅場も落ち着いてきた。ひよっこたちと比べて、ベテランたちはそうそう武具を破損したりしない。
開けっぱなしの引き戸の向こうでは、ひっきりなしに観客の歓声が聞こえてくる。ちら見したくても、ここは闘技場の壁の外にあるので試合の様子は見れない。
「おい、アルティ。あのお嬢さんの試合もうすぐじゃろ。応援に行ってやれ」
「え、でも、仕事が……」
「ワシ一人でどうとでもなる。ここでお前を出さずに恨まれるのはごめんじゃからな」
苦笑するクリフに頭を下げ、軍手とエプロンを外して闘技場に向かう。
堅牢な石造りの闘技場は見上げるほど大きく、綺麗な楕円形をしている。中は階段状になっており、どこに座っても試合の様子が観戦できるようになっている。多くの人が詰めかける場内は冬とは思えないぐらいの熱気がこもっていた。
「アルティ君、こっちこっち」
見慣れた赤い鎧兜のデュラハンに手招きされて向かった先には、愛らしい熊のぬいぐるみを抱いた女の子の姿もあった。彼女が着ている鎧兜も、熊のぬいぐるみが着ている鎧兜もアルティが作ったものだ。
「アルティ!」
「こんにちは、ラドクリフさま。エミィちゃんも来てたんだね」
抱きついてくるエスメラルダの兜を撫でながら、挨拶を交わす。その向こうではエスメラルダの父親ハロルドが穏やかな笑みを浮かべていた。どうやらウィンストンから一時帰郷していたらしい。ラドクリフが決闘に出るから応援に来たのだろう。
「お久しぶりですね、アルティさん」
「お元気そうで何よりです。奥さまは?」
「試合の審判を仰せつかってますよ」
「駐屯地の破壊神の異名はまだ健在なんだよね」
彼らが指差す先には、濃い紫色の鎧兜のデュラハンが凛々しい立ち姿で周囲を見渡していた。エスメラルダの母親、マリアだ。反則行為を犯した兵士たちに注意をし、言うことを聞かない相手には容赦のない鉄拳をお見舞いしている。
「ママ、格好いい……!」
エスメラルダがうっとりとため息をつく。聖属性だと判明した一件以来、彼女はみるみる元気になった。ラドクリフ曰く、最近では剣の特訓も始めたらしい。目下の目標は母親やリリアナみたいに強くなることだそうだ。願わくば二人には似ないでもらいたい。
眼下ではマリアが試合の終わりを告げ、次の試合に向けて準備が進められているところだった。いよいよリリアナの出番だ。拡声器を持った魔法士が場内に進み出て片手を振り上げる。
「さあ、皆さまお待たせいたしました。本日のバトルロイヤルの最後を飾りますのは、勇猛果敢で知られる首都駐留軍第一師団長のアズゴア・オルステッド率いる赤組! そして我らが英雄、首都治安維持連隊長のゲオルグ・リリアナ・リヒトシュタインが率いる青組です! 武闘派のデュラハン同士の対決! これは見ものですよー!」
大歓声の中、コバルトブルーの鎧兜のデュラハンが姿を現した。
マリアはすでに国軍を退職してますが、ピンチヒッターとして審判を依頼されました。
ハロルドは妻の勇姿を見るため、朝早くから場所取りをしてました。なので、ほぼほぼ最前列で観戦してます。




