5話 男の友情とプライド
「こら、プレリー。邪魔しないの」
黙々とリベットを打ちながら、背中によじ登ろうとするプレリーを嗜める。
手元には完成間近のブリガンダイン。幸か不幸か鎧を作る以外に何もすることがないため、作業は順調に進んでいる。この分だと今日中に試着までいけそうだ。
兜、腕鎧、足鎧は屋敷の倉庫にあるものが使えればそれでいいと言うので、ひょっとしたら思ったより早く工房に戻れるかもしれない。
「アルティ、これ、こんな感じでいいのか?」
「バッチリです。ありがとうございます」
向かいには金属板に錆止めを塗るリリアナがいる。納期短縮のために手伝ってくれているのだ。
バルバトスの姿は見えない。訓練が終わったと同時に屋敷に引っ込んでいった。領主が不在中の仕事を一手に引き受けているそうだ。跡取り息子は大変である。
「そういえば、ここに来て一週間ちょっと経ちますけど、警備隊の仕事は本当に大丈夫なんですか? 闘技祭の訓練もあるんですよね?」
鼻歌まじりで錆止めを塗っていたリリアナが、ぐっと喉を詰まらせる。手を止めて見つめると、彼女はアルティから目を逸らして「……実は大丈夫じゃない」と呟くように言った。
「思ったより仕事が立て込んでて、ハンスから救援要請が出た。だから、訓練後に近くの駐屯地まで送ってもらって、転送魔法でちょくちょく首都に帰ってる。有休中だけど、まあ仕方ないよな。ここに滞在すると決めたのは私の我儘だし」
「それじゃあ、最近たびたび姿が見えなかったのって……」
「仕事してた。訓練はオイゲンに任せておけば何とかなるが、闘技祭の警備に関する決裁は私がいないと進まないみたいでな」
「そんな中、仕入れまでしてもらって……。大変だったんじゃないですか?」
「このセレネス鋼は父上に頼んだんだよ。コネがあるって言っただろ? 使用許可をくれたら試合の応援に行くって言ったら、二つ返事で送ってきた。そうまでして自分の力を見せつけたいもんかね」
たぶん違うが、今はそれどころではない。まさか苦手な父親に頭を下げてまで手に入れたものだとは思わなかった。
「……ラドクリフさまのために、そこまでするんですか?」
自分でも驚くぐらい、低い声が出た。何故か無性にもやもやする。リリアナが誰と仲よくしていようが、こちらには関係ないのに。
「いや? 別にラッドはどうでもいいぞ?」
リリアナはきょとんとして小首を傾げた。
「私がアルティを一人残して帰りたくなかっただけだよ。エクテス領は遠いから、何かあってもすぐに気づけないしな。職人にこんなこと言うと笑われるかもしれないけど、鎧作りも手伝ってみたかったんだよ。ミーナのときはできなかったからさ」
はにかむような笑みに、胸が大きく脈打った。どうしてだろう。妙に体が熱い。エクテス領の強い日差しにやられてしまったのかもしれない。
そんなアルティの様子には気づかず、リリアナは錆止めを塗り終えた金属板を空に掲げた。
「それに、バルバトスのことも放っとけなかったんだよな。本当の自分を押し殺して生きる辛さはよくわかるからさ」
「……そうですよね」
体の熱が消え、肩が急に重くなった。自分のためだけじゃなかったのか、と的外れなことを思うのは、きっと疲れているからだ。そろそろ休憩を挟もう。
頭の上にまでよじ登ってきたプレリーを抱きながら、傍らの椅子に座る。それを見たリリアナも金属板を作業台に置いて、近くの椅子に腰を落ち着けた。
「なんでバルバトスさまは決闘で飛ぼうとしないんでしょう。空を飛ぶのが嫌なわけじゃないんですよね? 俺をここに連れてきたぐらいですし」
使用人が淹れてくれたアッカムティーを啜りつつ、話の続きを促す。リリアナは少し迷っているようだったが、やがてコップを置くと、静かな声で語り始めた。
「ヒト種のアルティにはピンと来ないかもしれないが、属性持ちの種族ってよくも悪くも目立つんだよ。特にドラゴニュートは空を飛べる分、どうしても周囲のやっかみを集めやすくなる。士官学校なんて閉鎖された空間では余計にな」
「……あ」
リリアナが言わんとしていることを悟って、思わず声がこぼれた。人が集まるところには必ず嫉妬と悪意が存在する。バルバトスもそれに触れたのだろう。
「じゃあ、そのときの経験が原因で……?」
「いや、原因はラッドだよ。あいつ、周囲が止めるのも聞かず、バルバトスのことを卑怯者扱いしたやつらをボコボコにしたんだ。だから卒業しても近衛騎士団には入れなかった。マルグリテ家は代々近衛騎士を排出している家系なのにな」
誰でも入れる国軍とは違い、近衛騎士団は家柄がよく、かつ素行がいいものしか入団できない。暴力騒ぎを起こしてしまったらまず採用されないだろう。
「自分のせいで友人が本来歩むべき道を断たれてしまった。そう考えたバルバトスは、それ以降決闘で飛ぶのを辞めた。……まあ、ラッドの姉上からの又聞きだから詳細は違うかもしれんが、大体そんなところだ」
「でも、それってラドクリフさまが望んだことじゃないですよね?」
「そうなんだよ。だからラッドはあの手この手でバルバトスの枷を外そうとしてる。闘技祭に出ないと言ったのも、わざと挑発に乗って意見を翻したのも、矛盾しているように見えて、全部バルバトスを本気にさせるためさ」
気持ちはわからなくもないが、やり方が回りくどいというか、素直に話し合った方が早い気がする。
そう言うと、リリアナは「だよな」と肩をすくめた。
「ラッドの兜、こうくるっと巻いてある……ホルンみたいな角がついてるだろ?」
黙って頷く。ラドクリフの希望でつけたものだ。本人は羊の角だと言っていたけど。
「あれはドラゴニュートの角なんだよ。子供の頃にドラゴニュートの曲芸飛行を見てから、ずっと空を飛ぶことに憧れてるんだ。なのに、向こうはその憧れの対象を封印して向かってくる。対等に扱われてない気になるんだろうな。それを知られたくないのは、男のプライドってやつなんだろうよ。女の私にはわからんが」
「……こじれてますね」
「面倒くさいやつらなんだよ、本当に」
作業台に置かれた金属板が、深くため息をつくリリアナの姿を映し出している。バルバトスとラドクリフの間には色々と複雑な感情が入り乱れているようだが、職人としてはやることは一つだ。
気合いを入れるためにアッカムティーを飲み干し、アルティは金属板に手を伸ばした。
紅茶を薄く溶かしたような空の下、アルティとリリアナは作業台の上で木苺を食べるプレリーを眺めていた。『猫にまたたび、妖精竜に木苺』ということわざ通り、プレリーも木苺が大好きなようだ。口元を真っ赤にして夢中で齧り付く姿につい目尻も下がる。
その隣には完成したブリガンダイン。あとは試着後に微調整をすれば終わりだ。そろそろ屋敷に戻ろうか、と話していた矢先、玄関から出てきたバルバトスがこちらに近づいてきた。
「おーい、もうすぐ夕飯だってさ。……って、それ」
バルバトスが作業台の上のブリガンダインに目を止める。口を開けて釘付けになっているところを見る限り、見た目はご満足いただけたようだ。
「完成しましたよ。試着されますか?」
「あ、ああ! 頼む」
顔を輝かせたバルバトスにブリガンダインを着せる。
ラドクリフの赤い鎧と対になるように、革は夜空に似た深い濃紺色に染め、リベットには真鍮を利用した。全て等間隔に打つのではなく、体の線に沿って幾何学模様を描くように配置した成果か、まるで星を散りばめたみたいに見える。
「なんだこれ、スッゲェ……。空気を着てるみたいだ」
興奮した声を上げ、その場に飛び跳ねるバルバトスの頬は微かに赤く染まっていた。大きく見開かれた金色の目が夕焼けの光に反射して綺麗だ。
素直に喜びを見せてくれる客に、こちらの気持ちも弾む。
「いかがですか? 気持ち悪いところがあれば……」
「ないない。想像してたよりはるかにいいよ。あんた、やっぱりあのクリフさんの弟子なんだな」
「ありがとうございます。今後もぜひ、シュトライザー工房をご贔屓ください。デュラハン以外の鎧兜は専門外ですが、バルバトスさまなら今後もお受けいたしますよ」
手のひらを返したように褒めちぎってくれるバルバトスに営業しつつも、向かいで立つリリアナと目を合わせる。小さく頷いた彼女の目には大きな字で「任せろ!」と書いているように見えた。
「どうだ? 実戦での調子を確認してみないか? 夕食前の運動にちょうどいいだろう?」
バルバトスは一瞬考え込むような素振りを見せたが、空に浮かぶ赤い夕陽を見て気が変わったのか、「そうだな」と頷いた。
「せっかくだから闘技祭の試合形式と同じにしよう。頭部への攻撃は無効。武器の持ち込みは一つだけ。有効範囲はこの庭の中。あとはなんでもありの一本勝負だ」
「わかった」
「じゃあ、アルティ。開始の音頭をとってくれ。ああ、危ないからプレリーはしっかり抱いていてくれよな。たとえ木苺が目の前にあっても飛び出さないように」
「わかりました」
作業台で木苺を喰んでいたプレリーを抱き上げ、二人の前に進み出る。これから起きることを考えるとかわいそうな気もするが、リリアナのことだ。きっと悪いようにはしないだろう。
「では、準備はいいですか?」
頷きあう二人に頷き返し、高々と腕を掲げる。
「試合開始!」
振り下ろした腕と同時に、剣を抜いた二人が勇ましい声を上げて激突した。
いつの間にやら、以心伝心の仲になったアルティとリリアナです。




