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2話 バルバトスとラドクリフ

「ごめんな、アルティ。痛かっただろ?」


 静かになった庭の一角で、アルティは目を覚ました。頭の下には硬い感触。眼前には心配そうに覗き込むリリアナとラドクリフ。一瞬の間をおいて、リリアナに膝枕をされている現状に気づき、その場に飛び起きる。


「わっ、あっ、すみませんっ!」

「おい、急に動くと危ないぞ。別にそのまま寝ててもらっても、私は構わないが」

「俺が構います!」


 地面に立ち上がり、腕を伸ばすリリアナから距離を取る。少しくらりとしたが、結婚前の女性の膝に頭を預けるなど言語道断である。気合いでなんとか耐える。


「無理しちゃ駄目だよ、アルティ君。君に何かあったらエミィが悲しむからね。はい、これ。よかったら飲んで」

「ありがとうございます、ラドクリフさま」


 手渡されたコップの中身を一息に煽る。咄嗟に吹き出しそうになって必死に飲み下した。気つけのために持ってきたのだろうか。水かと思いきや、酒だった。


 ごほごほと咽せるアルティの背中をなでながら、ラドクリフが後ろを振り返る。


「反省してんの? バルバトス」


 その視線の先には、ぼろぼろになったバルバトスがバツの悪そうな顔で荒れた地面をならしていた。使用人や傭兵の姿はない。みんな屋敷の中に引っ込んでしまったようだ。


 それでも主人が心配なのだろう。幾人かが玄関脇の窓からちらちらとこちらを見ている。気分はまるで猛獣だ。領主が不在そうなのが、唯一の幸いと言ったところか。


「……悪かったと思ってるよ。つい気持ちが先走っちまって……。もっとちゃんと順序を踏むべきだった。怪我までさせて申し訳ない」


 真摯に頭を下げられ、さっきまで腹立たしかった気持ちが萎んでいく。我ながら単純だとは思うが、貴族にここまでされて意地を張るのも大人気ない。それに不可抗力とはいえ、問答無用に暴れ回ったのはこちらである。


「まあ、いいですよ」と鷹揚に頷き、改めて周りに視線を走らせる。


「あれだけの魔法が飛び交っていたのに、まるで何事もなかったみたいですね」

「ああ、あれ。見た目が派手なだけのハリボテだよ。触ったら熱いけど、燃えるまではいかない。さすがに人の家を焼くわけにはいかないからね。リリィの氷は本物だけど」

「わ、私のは溶けるからいいんだ」


 膝の土を払いながら立ち上がったリリアナが、身を隠すようにアルティの背後に回る。体格が違うので隠れきれていない。


「あの……。そういえば、あの子……妖精竜は?」

「ここにいるよ。守ろうとしてくれて、ありがとな。ほら、プレリー。お礼は?」


 優しく促され、バルバトスの両脚の隙間から顔を出した妖精竜が「ピュイピュイ」と鳴いた。見る限り怪我はなさそうでほっとする。


「ああ、よかった。急に飛び出して行ったんで、どうしちゃったのかなと思って」

「悪い悪い。プレリーのやつ、顔見知りが来たからはしゃいじゃってさ。紹介するよ。おーい、カミル!」


 その呼びかけに応え、庭の隅で様子を見守っていたドラゴニュートが飛竜の手綱を引いて近づいてきた。バルバトスとは旧知の仲らしい。利き腕同士をぶつけ合うというドラゴニュート特有の挨拶を交わし、こちらに頭を下げた。


「初めまして。ワーグナー商会の配送人、カミルと申します。バルバトスとは幼馴染で、よく一緒にバネッサさまに怒られた仲です。そして、こちらが私の相棒のピーすけです。ピーすけはプレリーの養い親なんですよ。仲間とはぐれたところを拾ったんです」

「ピーすけ?」


 どこかで聞いたような名前だ。魔物使いはセンスも似るのだろうか。


 プレリーは嬉しそうに鳴くと、ピーすけのふかふかの羽毛に全身を埋めた。


「うわー……。見惚れるほど見事な毛並みですね。緋色って珍しくないですか?」

「ピーすけは火属性が強いからな。空を飛ぶ姿はそりゃあ見事だぜ」

「確かに。ここに来る途中えらく指を差されたよな、ラッド」

「うん。飛竜って鳥の割りに大きいしねえ」


 そう。飛竜という名前で誤解されがちだが、実は鳥の魔物なのである。


 ドラゴンは風魔法で上昇し、蝙蝠の羽に似た翼で滑空するが、飛竜は羽毛に包まれた翼を羽ばたかせて飛ぶ。なのに何故、飛竜と呼ぶかというと、嘴が小さくて見た目がドラゴンに似ている上に、最初の発見者が「これはドラゴンだ!」と譲らなかったからである。


 しかし、どれだけ似ていてもドラゴンと飛竜では習性が違う。いずれ別れるなら早い方がいいと、カミル経由でバルバトスに預けられたそうだ。


「いやー。リヒトシュタイン家の戦女神さまに詰め寄られたときはどうしようかと思いましたよ。たまたま仕事の予定が空いててよかったです。飛竜便は数が少ないので」


 そこで、ふと思い出した。バルバトスの事情をまだ何も聞いていないことに。


「そういえば、俺をここに連れてきた理由って何ですか?」

「それは……」


 何故か言いにくそうに言葉を濁すバルバトスに、ラドクリフが「いい加減にしなよ」と吐き捨てた。


「どうせくだらない理由なんだろ。ただでさえ闘技祭前で忙しいのに、手間を取らせるなよ」


 いつもの穏やかさとは似ても似つかないほどキツい口調だ。あたりの空気がピリッと震え、バルバトスの表情も自然と剣呑なものになる。


「は? くだらないって何だよ。お前に関係ねぇだろ」

「はあ? 何が関係ないって? こうして迷惑被ってるでしょ。どこに目玉ついてんの?」

「あ? やんのか、コラ」

「やれるもんならやってみろよ。負け越してるくせに」

「えっ、ちょっと待ってください。なんでいきなりそんな険悪なんですか」


 まるでチンピラのように睨み合う二人の間に割り込もとうしたが、呆れた目をしたリリアナに引き止められた。


「放っとけ。あいつら昔からああなんだよ。顔を突き合わせるたびに喧嘩してるって、ラッドの姉上から聞いた。士官学校時代からのライバルなんだってさ」

「そんないいもんじゃないって。ただの腐れ縁だよ。別に特別な感情なんてない」

「っだよ、それ!」


 激昂したバルバトスが腰の剣を抜く。


「ガキの頃から何かと突っかかってきやがって! いい機会だ! ここで決着をつけてやるよ!」

「いいね! すぐに返り討ちにしてあげるよ!」


 同じく剣を抜いたラドクリフがバルバトスに向かっていく。大きく吠え、激しく剣を合わせる姿はまるで獣のようだ。明らかにいつもの彼ではない。


「あいつ、剣を持つと豹変するんだよな。だからさっきも魔法で戦ってただろ? どうしても血の気が抑えられないんだってさ」


 目の前で繰り広げられる大喧嘩に、リリアナが肩をすくめる。


「てめぇ、デュラハンのくせに得意げに火魔法使ってんじゃねぇよ! それはドラゴニュートのオハコだろうが! 鎧にまでうちのイフリート鉱石使いやがって!」

「うるせぇな! 種族なんて関係ねぇだろうが! ぶっ×すぞ! この×××××! ××××! ××××ついてんのか!」


 思わず耳を防ぎたくなる罵声が飛び交っている。普段のスマートさを知っているだけにギャップがえぐい。


「ひ、ひええ……」

「これでわかったろ? 私があいつと結婚したくないって言ったわけが。夫婦喧嘩になったら収拾つかなくなるからな。それこそ周囲が平らになるくらい」

「でしょうね……」


 壊滅状態に陥った首都を思い浮かべて、ぶるりと身を震わせた。


「あ、バルがダウンした」


 冷静に観戦していたカミルの言葉で視線を戻すと、体をくの字にしたバルバトスが地面に這いつくばっていた。腹に蹴りを喰らったらしい。フルプレートのデュラハンに蹴られて意識を保っているとは、バルバトスも相当強い。


 しかし、ダメージは大きかったようで、なかなか立ち上がることができない。それを見たラドクリフは忌々しそうに舌打ちすると、剣を振り上げて叫んだ。


「偉そうな口を叩いてもう終わりか? 立てよ、このイモリ野郎!」

「それ地雷……」


 カミルがぽつりと呟く。


 ドラゴニュートという種族名は古い造語で、イモリニュートのような体色をしているからだとか、空と陸を自由に行き来できる能力が両生類のようだからとか、始祖のドラゴニュートがドラゴンに育てられたニュートさんだったからだとか、諸説ある。


 ドラゴニュート自身も自虐ネタとして使うことは多々あるが、それを他人が言うのはまた別の話である。


「俺の……腹は……赤くねぇよっ!」


 雄叫びを上げて、バルバトスがラドクリフに向かっていく。それを避けずに迎え撃ったラドクリフは、剣を捨てると同時にバルバトスに組み付き、足を引っ掛けて力尽くで地面に引き倒した。


 次いで、腰に下げていたダガーを喉元に突きつける。流れるような動きだ。最初から予測していたのだろう。


「まだやるか?」

「止めを刺す寸前で言うセリフかよ……参ったよ」


 勝負を諦めたバルバトスが地面に手足を投げ出したのを機に、ラドクリフはその場に立ち上がった。勝った割に面白くなさそうなのは気のせいだろうか。


「っくそ……。また負けた」

「だろうな。空を封じたドラゴニュートが俺にかなうわけねぇだろ」


 剣を収め、バルバトスに向き直ったその目は、いつも通りの穏やかな光をたたえていた。


「今回は非公式の勝負だからね。ノーカンにしてあげる。決着は闘技祭に持ち越し。それでいいんでしょ?」


 バルバトスの金色の目が大きく見開かれ、口が微かにひらく。彼が言葉を紡ぐよりも先に、ラドクリフはこちらに近寄ってきた。


「待たせて悪かったね。首都に戻るよ」

「承知いたしました。またぜひワーグナー商会の飛竜便をご用命ください」


 手早く離陸準備を整えたカミルに促され、ラドクリフがピーすけの背に取り付けた籠に乗り込む。


「あの、まだ何も話聞いてないんですけど……」


 そう訴えると、兜を撫でたリリアナがため息まじりに言った。


「帰るのはラッドだけだよ、アルティ」

「え? それって……」

「ごめんね、アルティ君。リリィを置いてくから、あの馬鹿にもうちょっと付き合ってあげてくれる?」


 手渡されたのは、アルティの工具一式だった。

駐屯地の破壊神と名高いマリアの弟なので、剣を持ったときの姿がラドクリフの素です。

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