9話 朝日に映える黄金色の輝き
めっきには前工程がある。アルカリ性の溶液で脱脂し、水で何度か洗浄を繰り返したあと、酸性の溶液で中和。そして、また水で洗浄するのだ。
鎧をぶら下げる棒は転がっていた槍を再利用できたし、処理に必要な大量の水やバケツも、ウルフが闇の中に用意してくれていたのでなんとかなった。猟犬という勇ましい見た目の割に、案外心配性らしい。
光魔法で煌々と照らされた洞窟の中には、ツンとした酸っぱい匂いと、下水道のような匂いが入りまじっている。水に溶かした酸とアルカリ液の匂いだ。鼻から下を布で覆い、エトナから借りた風の魔機で換気しているものの、独特の匂いはなかなか消えない。あまりキツくないとはいえ、ここにウルフがいたらとても耐えられないだろう。
アルティとミーナ二人だけの空間は、頭上から微かに聞こえてくる爆発音や罵声を除くと、至って静かなものだった。
「ひい……。派手にやってるにゃ」
天井からぱらぱらと落ちてくる土埃を見て、ミーナが怯えた声を上げる。すでに時刻は夜明けに近づこうとしているのに、双方の勢いは衰えていない。デュラハンのリリアナは言わずもがなだが、ミーナの兄たちも相当タフなようだ。
「兄貴たち死んでないかにゃ……」
「大丈夫ですよ。ああ見えてリリアナさんはきちんと常識がありますからね。歴戦の兵士ですし、力の抜きどころも知っているでしょう。まあ……無傷というわけにはいかないと思いますけど、致命傷は負わせないはずです」
黙々と作業しながら返すアルティに、ミーナが疲れた目を向ける。徹夜仕事はあまり得意ではないらしい。
「リリアナさまのこと、信頼してるんにゃね。付き合いは長いの?」
「ミーナさんとウルフくんほどじゃないですよ」
曖昧に答えて小さく微笑む。
リリアナとの付き合いが始まったのは夏からだ。とても長いとは言えない。けれど、首都にいたときよりもはっきりとわかるのだ。もしかしたら、夜空の下で一晩中語り合ったからかもしれない。
「二人は家族ぐるみの付き合いなんでしたっけ?」
「うーん……。家族ぐるみっていうか……。ウルフにはもう血が繋がった家族はいないのにゃ」
「え?」
思わず手を止めると、ミーナは少し言いにくそうに教えてくれた。
ウルフが生まれてすぐ、ウルフの両親は事故でこの世を去ってしまったそうだ。それからはずっと村人たちが面倒を見ていたらしい。ウルフの魔法学校の進学費用も、みんなでお金を出し合って工面したのだという。
「この状況だもん。信じられないよにゃ? でも、みんな本当に仲がよかったのにゃ。こんなことになるまでは……」
天井を見上げ、寂しそうに微笑むミーナに胸が痛くなる。もし自分の家族が諍いを起こし、それが村中に波及したら――とても考えたくはない。
「お兄さんたちが一目見て喧嘩を止めるぐらい、綺麗に直しましょう」
作業を再開しながら言うと、ミーナは小さく笑った。
「うん。絶対にギャフンと言わせてやるにゃ!」
それから何度か洗浄を繰り返し、ようやく前処理が終わった。いよいよ本工程のめっき作業である。
水を張ったバケツから円盤を引き上げ、スライムを入れたシンクの前に移動する。
スライムは長時間水に漬けると溶け出す特性があると本に書いてあったが、本当だったようだ。見事に液状と化している。
もう気絶から回復しているだろうに、アルティたちが近寄っても暴れたりはしなかった。あえなく捕まって不貞腐れているのかもしれない。
「じゃあ、ミーナさん。シンクの網と、鎧の銅線をそれぞれ握ってもらえますか?」
シンクの中にはあらかじめ金属の網を設置してある。スライムに溶かされないかと冷や冷やしたが、食指が動かないのか、入れたときのままだ。
「これ、何にゃ?」
「チタン白金板です。電極……ええと、これを持って電気を流してもらえれば」
雷属性のものは魔法を使うときに電気を帯びる。その上、流れも強さも自由自在らしい。本人たちは不本意だろうが、電極代わりになるのだ。
「用意よすぎないかにゃ? 職人さんってみんなそうなの?」
「念のためですよ。リリアナさんが言った通り、獣人は金が好きですからね。鎧に使われている可能性は高いと思って……。まさか洞窟の中で作業することになるとは思いませんでしたけど」
視線の先には白銅本来の輝きを取り戻した円盤がある。数時間かけて錆を落とした成果だ。工程のほとんどは錆取りに費やしたと言ってもいい。できれば二度とやりたくはない。
「行きますよ! せーの」
ミーナに電気を流してもらい、スライムたちの体に円盤を沈める。途端に、円盤から小さな泡が浮き出してきた。皮膜が形成されている証拠だ。
漬ける時間はそんなに必要ない。
うまくいくだろうか。
早々と色づき始めた円盤を、祈るようにゆっくりと引き上げた。
洞窟を出て地下牢の階段を上がった先、ササラスカの涙を嵌め込んだ台座の向こうで、リリアナが踊るように剣を振るっている。ウルフもエトナも健在なようだ。彼らにまじってピーちゃんも頑張ってくれている。
氷の槍が降り、闇や風が吹き荒れる中で時折走る稲光は村人たちのものだろうか。当たったら一発であの世に行けそうな応酬を繰り出しながら、リリアナと村人たちは死力を尽くしていた。
いや、それは語弊があるかもしれない。
動きに精彩を欠いた村人たちやウルフ、そしてエトナやピーちゃんに対して、リリアナだけは疲れの色が見えないからだ。
村人たちの中には地面にへたばっているものもちらほらいる。いくらタフな獣人といえども、デュラハンの体力にはかなわないようだ。戦場に残っているのは、ミーナの兄たちをはじめ、比較的スタミナのある大型の獣人たちだった。
その姿は見るにたえない。リリアナが剣を振るうたびに体毛が刈られていくからだ。
虎の獣人は虎柄に、ぶち模様の獣人はドット柄に、そしてミーナの兄たちは頭頂部が円形に刈り込まれて地肌まで見えていた。明らかに遊んでいる。
「えっぐ……」
「……本当に常識あるのかにゃ?」
呆れたミーナの声に何も返せない。
アルティたちは湖面から顔だけを出して湖畔の様子を伺っていた。下手に出ていけば巻き込まれる恐れがあるからだ。
「これからどうするにゃ? 飛び出していっても、気づいてもらえないよにゃ?」
「ミーナさんの雷魔法って、どの程度の威力まで出せますか?」
「え? 本気を出せば結構……ああ、そうか。雷を落とすにゃね」
こくりと頷く。注意を引くには、それが一番手っ取り早い。
「あとは日が昇るのを待ちましょう」
「どうしてにゃ?」
「すぐにわかりますよ」
流れ弾に注意しながら空を見上げる。一面の紫色のベールの中に、徐々に薄桃色がまじり始めてきた。もうすぐ夜明けだ。
冴え渡った空気を取り込むように深呼吸して、はやる気持ちを抑え込む。ここでタイミングを間違ってはいけない。
湖畔の戦闘が一層激しくなり出した頃、待ち望んでいた夜明けがやってきた。
「今です、ミーナさん!」
アルティの声に合わせ、ミーナが雷を落とす。
最大出力なのだろう。一気に昼になったような白光と共に、地面を揺るがす轟音があたりに響き、生い茂る木々から鳥たちが一斉に飛び立っていった。
耳を塞いでいても激しい耳鳴りがする。それは湖畔にいたものたちも同じようで、みんな呆気に取られた顔でこちらを眺めている。
「ミーナ、お前……鎧を手に入れたのか?」
「おい、冗談だろ? まさか村長になるつもりかよ?」
「ふざけんな。そんなこと許されると思ってんのか?」
ゆっくりと湖畔に上がったミーナに、兄たちが口々に騒ぎ始める。周りの村人たちは困惑した顔を隠せない様子だったが、やがて兄たちに加勢し始めた。
怒りで毛を逆立てたウルフが食ってかかろうとするも、リリアナによってあえなく沈黙させられた。エトナとピーちゃんは黙って成り行きを見守っているようだ。
ミーナは何も答えない。まっすぐに伸びた背中で、村人たちに対峙する。
そのとき、空から差し込んだ日の光が、まるでスポットライトのようにミーナの体を照らし出した。
「すご……」
その呟きは誰のものだったのか。
黄金色の鎧と金色の体毛が眩い朝日に照り映え、ミーナの輪郭が溶けていく。その幻想的な光景を前に、誰もが目を逸らせない。
背中側の胴鎧も、他のパーツに比べて遜色なく輝いている。そして、右手に掲げ持った黄金色の槍は、白み始めた空を――いや、目の前に立ち塞がる全ての困難を貫くように神々しく見えた。
湖畔を静寂が支配する。
やがて、口を開けて立ち尽くしていた村人たちが、一人、また一人と武器を手放し、その場に跪いた。その中には兄たちの姿もある。
「ミーナ村長、万歳!」
感極まったウルフが両手を上げる。
もはや誰からも異論は出ない。
周囲が見守る中、ようやく笑みを浮かべたミーナが、「これからもよろしくにゃ!」と高らかと声を上げた。
洗浄に使ったバケツは、バケツといいつつも、でかいタライや桶ぐらいの大きさがあります。ダンジョン内で水が切れるとまずいと思ったんでしょうね。




