5話 ジャーノ家の晩餐
「カンパーイ!」
妹たちの声に合わせ、がつん、と木のジョッキをぶつけ合う。飲兵衛の家系なので、未成年以外は全員酒だ。
古びた食卓の上には豪勢な食事が並んでいる。昔は肉なんて滅多に食べられなかったのに。兄姉たちがしっかり稼いでくるようになって、懐事情も随分改善したようだ。
「リリアナさん、改めてご紹介します。右から父親のキハチ、母親のナディア、次兄のルスト、末っ子の妹たち、そして長兄のルフトです。他にも祖父母と姉二人がいるんですけど、今は旅行中だそうです」
目の前にはアルティと似た顔が勢揃いしている。特に兄たちは未来のアルティといった感じだ。父親と兄たちは大工、母親は元料理人、そして妹たちは姉たちと同じ染色師の道に進んだらしい。ここにはいない祖父母も、昔は腕のいい大工と服裁師だった。
つまり、ジャーノ家は職人一家なのだ。
「ええと、それで――」
兄たちの膝の上に視線を走らせると、早くもジョッキを空にした次兄が、口元の泡を拭いながら相貌を崩した。
「俺の息子のルークと、兄貴の息子のルディでーす。嫁たちも、じいさんたちと一緒に旅行中だよ。アルティおじさーん。初めましてー」
紅葉みたいに小さな手を持って振る次兄になんとも言えない気持ちになる。ルディは三歳、ルークは去年生まれたばっかりだそうだ。
まさか、いない間に家族が増えているとは。喜ばしいのは山々だが、手紙を一切読んでいないことが赤裸々になって気まずい。
白髪が増えた両親と、一端の男になった兄たちの間で、つぶらな目をした甥っ子たちと妹たちが満面の笑みを浮かべている。右も左も赤茶色の連中ばっかりで目が痛い。
「双子、双子、アルティ、双子か。すごいな」
「ええ、それはもう……」
貧乏子沢山とはよく言ったものだ。
「そういや、荷台の車軸直しといたよ。補強もしといたから、悪路でも問題なく走ると思う。幌は少し破れてたけど、雨風を凌ぐには支障なさそうだよ」
「ありがとうルフト兄! 助かったよ」
兄たちはリリアナのベッドを手早く作ったあと、村まで荷台を直しに行ってくれていた。エトナもこれで一安心だろう。
彼女たちは当初の予定通り、村長宅に滞在している。旅人なんて滅多に訪れない村だ。今頃、村人総出の歓待を受けているに違いない。
「そのお礼と言っちゃあなんだけどさ。アルティ、お前、金属関係詳しいよな? ちょっと相談に乗ってくれねぇ?」
「え、何……。なんか怖いんだけど」
七年ぶりに会った弟に何を相談するというのか。思わず身構えるアルティに、次兄が「そんなびびんなよ」と唇を尖らせる。
「断熱性と防音性を高めたくて屋根を二重にしようとしてんだけど、いかんせん重くてさ。なんとか軽くできねぇかな? できれば強度も欲しいんだよ」
「軽く……」
腕を組み、しばし逡巡する。思い浮かんだのは、クリフと近所の職人連中が工房の中庭に作った開閉式の屋根だった。
「うまくいくかどうかはわからないけど、薄くした鋼板をこう……波型に折り曲げてみたら? で、その間に断熱材を充填すれば、防音性も高まると思うんだけど」
あえて溝を作ることで、強度を高めるのは鎧にも使われる手法だ。鋼板を薄くする分、重さも軽減される。次兄はアルティとそっくりな顔で天井を仰ぎ見ると、やがて「やってみるか」と呟き、満足げに頷いた。
「やるじゃん、アルティ。クリフさんとこで、しっかり修行してんだな」
「え……。ま、まあ、七年もいるし……」
照れ隠しにジョッキを煽る。何だろうこれ。無性に恥ずかしい。
「はいはい。仕事の話ばっかりしないの。リリアナさん、お味はどう? 遠慮せずに、たくさん食べてね」
「ありがとうございます。とても美味しいです。その……お、お母さま」
「あらやだ! お母さまなんて言われたの初めてよ! 娘がもう一人できたみたいで嬉しいわ。ねぇ、あなた!」
バン、と背中を叩かれて父親がむせる。
明るい笑い声が響く中、まだ温かい料理を口に運ぶ。途端に、七年前の記憶が蘇ってきて胸が一杯になる。
忘れもしない。家を出る日に食べたのと同じ味だ。よく見れば、机の上に並んでいるのはアルティの好物ばかりだった。
(……まだ、居場所はあるってことなのかなあ)
料理と共に、こっそり涙を嚥下する。
ほろ苦い気持ちを抱えて、賑やかな夜は更けていった。
ジャーノ家は村から少し離れた川のそばに建っている。
さっきまでの喧騒が嘘のように、あたりは静まり返っていた。玄関先でぱちぱちと爆ぜる篝火に照らされたベンチに座り、ぼうっと夜空を眺めるリリアナに水を手渡す。
「リリアナさん、大丈夫ですか?」
「ありがとう。少し飲み過ぎてしまったな」
「すみません。うちの家族、みんな加減を知らなくて……」
リリアナの隣に腰掛け、懐から金平糖の瓶を取り出す。妹たちが食後のデザートにと渡してくれたものだ。家を出たときはまだ五歳だったのに、おやつまで作れるようになったとは感慨深い。
「はい、どうぞ。ちょっと不格好ですけど」
口あたりの闇に金平糖を放り込む。すると、リリアナはぽろりと涙をこぼした。
「えっ、な、なんで泣くんですか? あっ、そうか、勝手に入れられたら嫌ですよね。すみません。つい妹たちを相手にしているつもりで……」
「違う、違うんだ。そうじゃなくて……」
焦りながら謝るアルティを、リリアナが震える声で制止する。
「ごめんな、アルティ。無理やり連れてきて。その上、あんな危険な目に遭わせて、本当にごめん」
「リリアナさん……」
子供みたいにしゃくりあげる背中を優しく撫でる。地上に緊急着陸してからずっと気に病んでいたのだろう。思えば、酒の席でも大人しかった。ただでさえ見知らぬ人間に囲まれていたのだ。緊張が緩んで一気に感情が押し寄せてきたのかもしれない。
「きっかけはリリアナさんでしたけど、最終的に行くと決めたのは俺です。多少危ない目に遭うのも覚悟の上ですよ。それに、ミーナさんを放っておけなかったんでしょう?」
「それもある。でも一番は、アルティはすごいんだぞって見せつけてやりたかったんだ」
「え?」
思わず聞き返すと、リリアナは涙を拭って顔を上げた。闇に溶けて境界線が曖昧になった輪郭の中で、青白い光がこちらをまっすぐに見つめている。それはまるで夜道を照らす灯火のように、アルティの心を捕らえて離さなかった。
「お世辞じゃないし、友人の欲目でもない。エミィのティアラを見たとき、本当に素敵だと思ったんだ。だから、今のアルティなら十分できると思った。でも、誰もそのことに気づいていない。アルティ自身も。それが、どうしても悔しかった」
「つまり、それって――」
顔がかあっと熱くなる。
お世辞じゃないと言うものの、リリアナは過大評価している。七年経ってようやく一通り回せるようになってきたが、まだまだできないことの方が多い。
職人としても、人間としても、アルティは成長途中なのだ。クリフのレベルに辿り着くまでには、さらに多くの時間を必要とするだろう。けれど――。
(この人に恥じない職人になりたい)
そう、心から思った。
「ありがとうリリアナさん。そんなに俺の腕を買ってくれて。まだまだ半人前だけど……。その信頼に必ず応えてみせます」
籠手越しに握りしめた両手から温かな体温が伝わってくる。初めて会ったときと逆の立場に、笑みがこぼれる。リリアナも同じことを考えていたらしい。アルティの手をぎゅっと握り返し、「あのときと逆だな」と笑った。
それから肩を並べてお互いの話をした。クリフが自由すぎて困ること。トリスタンが最近やたら話しかけてくること。エミィの可愛さのこと――思いつく限りのたくさんのことを。
酒が入っているからなのだろうか。それとも、旅の途中という特殊な状況がそうさせているのだろうか。今までどこに閉まっていたのかと不思議に思うぐらい、言葉がとめどなくあふれてくる。
そして、アルティは家族からの手紙を一度も開けなかったことを話した。
リリアナは最後まで黙って聞いていたが、金平糖を一つ顔の闇に含むと、静かな口調で語り出した。
「さっきな、アルティがティーディーちゃんたちを寝かしつけている間にルフトさんと話したんだ。言ってたよ。双子と双子と双子に挟まれて、ずっと疎外感があったと思うって。だから実家に戻りたがらないのも仕方ないって。手紙に配達証明を付けたのも、プレッシャーをかけるためじゃなくって、ただ無事を確認できればそれでよかったんだってさ」
そこで言葉を切り、リリアナは金平糖を夜空にかざした。少し歪なそれは、篝火の明かりに照らされて、まるで一等星のように輝いて見えた。
「たぶん気づいちゃいないだろうけど、アルティには家族の誰よりもすごい才能がある。こんな田舎に縛りつけておくのはもったいない。だからお師匠さんを頼ったんだって、そう言ってたよ」
「なんですかそれ。初めて聞いたんですけど……」
もっと言いたいことはあったのに、言葉が出てこない。
「アルティも食べてみろ。美味しいぞ」
口の中に放り込まれた金平糖がひどく甘く感じる。
今度は、アルティが涙をこぼす番だった。
親交を深めるアルティとリリアナでした。
ジャーノ家が村から外れた川のそばに建っているのは、姉たちが染色師になったからです。




