8話 お義父さんへのご挨拶(8部終了後のお話)
由緒正しいリヒトシュタイン家の応接間の中には、重苦しい沈黙が漂っていた。
直立不動で立つセバスティアンとマリーの右手側にはアルティとリリアナが、そして左手側には腕と足を組んだトリスタンが、それぞれソファに座っている。
低めのテーブルの上に乗っているのはアルティが持参した茶菓子だ。誰も手をつけられずに、ただ乾いていくばかりである。
「……初めましてではないですけど、改めまして。アルティ・ジャーノと申します。この度はお忙しいところ、お時間を取っていただき……」
「御託はいい。さっさと要件を言え。今の状況をわかっているのか? 首都はまだ瓦礫の山。物流も完全に再開していない。治安も悪化している。悠長に椅子に座っている暇があると思うか?」
「忙しいのはアルティだって同じです! まだ工房の再建が終わってないんですよ。なのに、早いほうがいいからって来てくれたんです。私のことを大切に想ってくれているんですよ、お父さま」
強烈なストレートを放つトリスタンに、リリアナが応戦する。だが、彼女が口にしたのはただの惚気であって、カウンターにはなっていない。
現にトリスタンは娘の反抗を鼻で笑うと、ソファに背を預けてさらにふんぞり返った。
「甘えたことを言うな。工房が潰れたのはそいつだけじゃない。それに、なんだ。お前のことを想ってるって。本当にお前のことを想っているなら、大人しく身を引くのが正解じゃないのか?」
傍目にもわかるほど心にもないことを言い、トリスタンはアルティを睨みつけた。
「そうだろ、小僧。ただの平民がリリアナと釣り合うと本気で思っているのか?」
「何を言ってるんですか! 自分だって平民のお母さまと結婚したくせに!」
「やかましい! お前は口を出すな!」
親子喧嘩が勃発する中、アルティが勢いよく立ち上がって頭を下げた。
「お嬢さんと結婚させてください!」
「ふざけるな!」
空気がびりびりと震えた。戦場でしか見せない殺気に、さすがのリリアナも黙り込む。セバスティアンもマリーも、ここまで怒りをあらわにするトリスタンは見たことがない。
まあ、パフォーマンスだとわかっているが。
だからこそ、こうしてのんびりと修羅場を見ていられるのだ。隣のマリーにいたっては、口元がぴくぴく動いている。今にも笑い出したい気持ちなのだろう。
「まだ半人前の分際で、何が結婚だ。そんなことでリリアナを幸せにできると思うのか? 今までのほほんと生きてきたお前に、リヒトシュタイン家を背負うリリアナを支える覚悟があるのか?」
「俺はもう半人前じゃない! 師匠の技術と想いを受け継いだ職人だ。覚悟なんてとうにしてる。この技術は必ず未来に引き継ぐし、リリアナさんだって幸せにしてみせる! 俺は彼女を愛してる!」
「抜かせ! クソガキ! 父親の前で好き勝手言いやがって! また殴られたいか!」
同じく立ち上がったトリスタンがアルティに掴み掛かった。テーブルの上に置いたグラスが倒れ、絨毯が紅茶まみれになる。ああ、新調したばっかりなのに。
「望むところだ! いくら殴られたって退かないからな! 俺はリリアナさんがほしいんだ! 絶対に諦めないぞ!」
「リリアナはものじゃない!」
「やめろ、二人とも!」
立ち上がったリリアナが二人を引き剥がした。顔の闇が真っ赤だ。相当怒っている。
隣のマリーはもうこらえられないようで、袖で口元を隠してしきりに肩を振るわせている。セバスティアンも続きたい気持ちだ。
「いい加減にしろ! なんで喧嘩になるんだ! これから家族になるんだぞ? 父上も父上です! 孫の顔が見たくないんですか? 私はアルティじゃないと絶対に結婚しませんよ! アルティも! こんなんでも私の父親なんだよ。仲良くしてくれ!」
その言葉で冷静さを取り戻したのか、アルティがトリスタンに頭を下げた。それを受けてトリスタンも頷き返す。
とんだ茶番だ。もし金を払って見ていたら野次が飛び交うだろう。これからの生活が思いやられる。
肩をすくめるセバスティアンの前では、婿殿と舅の鍔迫り合いが終わりに近づいていた。
「……リリアナに免じて認めてやる。これからも励めよ、アルティ」
「……これからよろしくお願いします。お義父さん」
お互い嫌そうに握手を交わす。
新しい家族の誕生だ。飛び跳ねてはしゃぐリリアナの振動で、倒れたグラスが絨毯に落ち、ぽふ、と軽い音を立てた。
側近は大変です。