5話 母親ごはん(5部の5話から6話の間のお話)
目の前で炊き立てのライスが湯気を立てている。その横には艶やかな色をした焼き鮭とだし巻き卵、そして黄金色に輝く野菜スープが置かれている。
まだ夢を見ているのだろうか。寝起きでぼさぼさの頭を整えるより先に、ぐうとお腹が鳴った。
「どうしたの、アルティちゃん。食べないの?」
顔を覗き込むヨハンナにハッと意識を取り戻す。今日は年末の前日。つい二日前、クリフの母親がウィンストンからやって来ていたのだ。
この工房に弟子入りして七年。自分で作らずに朝ごはんを食べられる日が来ようとは。
ヨハンナに感謝しながら箸を手に取ったとき、ふとクリフがいないことに気づいた。いつもアルティよりも早く起きて「メシはまだか」と催促してくるのに、珍しいこともあるものだ。
「師匠は? ひょっとして、まだ寝てますか?」
腐っても弟子なので、師匠より先に食べるのは気が引ける。そんなアルティに、ヨハンナは眉を下げてため息をついた。
「あの子ったら、『先に仕事を片付ける!』なんて言って、工房に下りちゃったのよ。いくつになっても職人仕事が好きなんだから。せっかく八十年ぶりに再会したっていうのにねえ」
唇は尖らせているが、声は嬉しそうだ。母親というものは、息子が自分より老けてしまっても可愛いものらしい。
(母さんもそうなのかな)
箸を持ったまま実家の母親の姿を思い浮かべていると、それに気づいたヨハンナが温かいお茶を差し出してくれた。
「弟子だからって待たなくていいのよ。冷めないうちに食べてくれた方が嬉しいわ」
お言葉に甘えてライスを口に運ぶ。いつもよりもふっくらでもちもちな気がする。
噛めば噛むほど甘みが出てくるし、おかずがなくてもこれだけでいけそうだ。炊くのが面倒くさいので朝はパン派だったが、思わずライス派に転びそうになる。水加減だろうか。
次にだし巻き卵を摘む。美味しい。焼き鮭もちょうどいい塩加減だ。ゆっくり食べようと思うのに箸が止まらない。
「美味しい?」
「美味しいです!」
「そう。嬉しいわ。たくさん食べて大きくなるのよ」
もう成人していますとは言えなかった。朝から旺盛な食欲を発揮するアルティに目を細め、ヨハンナはアルティの対面の椅子に腰掛けた。
「そうだ。クリフがお世話になっている皆さんに挨拶に行きたいの。ついて来てくれる?」
ライスを咀嚼しながら頷くと、ヨハンナの顔がぱあっと輝いた。とても百歳越えには見えない。長命種とは不思議なものだ。
「ごちそうさまでした」
「お粗末さま。綺麗に食べてくれてありがとう」
あっという間に食事を平らげ、空の食器を片付けたあと、店に下りる。
アルティの足音を聞きつけたのか、工房から出てきたクリフが、「あとは頼むぞ」と一言告げ、すれ違い様に階段を上って行った。その足取りは軽い。まるで、好物を前にした子供みたいな――。
(ああ、恥ずかしかったんだな)
子供に戻った姿を弟子に見られたくなかったのだろう。素直じゃないクリフに笑みを漏らしながら、アルティは工房の入り口をくぐった。
いくつになっても親子は親子。