2話 ご機嫌な連隊長(2部終了後のお話)
連隊長が鼻歌を歌っている。
そんなざわめきが警備隊の本所に広がったのは、ハンスが遅めの昼休憩を終えて戻ってきたときだった。
市民の皆さまの様々な事案に対処するため、本所内は他の公共施設と比べて広い作りになっている。
入り口すぐの正面にある総合受付を越え、案件ごとに分かれた相談窓口もさらに越えた先で、頭上のプレートに『連隊長室』と書かれたドアの前に集まった先輩や同僚や部下たちが、小さな窓を恐々と覗き込んでいた。
「……皆さん揃って何をやっているんですか?」
「ああ、ハンスさん。お帰りなさい。いや、それが……連隊長が鼻歌を歌ってらして。今までそんなことなかったじゃないですか。もしかして異動になったのかなあ、なんて思ったりして」
鼻歌ぐらい誰だって歌うだろ、と思うものの、ここ最近リリアナの機嫌は芳しくなかった。神殿に忍び込んだ不届きものたちの一件で、「リヒトシュタイン家の戦女神さま」という褒め言葉なんだか不名誉なんだかわからない呼び名が定着したからだ。
たとえ腹に据えかねていても、リリアナは部下を放り出して辞めたりはしないと思うが、周りが心配するのもわかる。
リリアナはブラックに足を突っ込んでいた治安維持連隊の職場環境を良くしてくれた存在だ。いなくなってほしくないのだろう。文官希望のハンスを無理やり連隊に引き抜くという傍若無人なところはあるが、部下には慕われているのだ。
「副連隊長は何かご存知ですか?」
たまたま近くを歩いていたオイゲンに声をかけたが、彼はちらっとハンスを見ただけで、そのまま去っていってしまった。非常に有能な大ベテランなのだが、口下手が極まって滅多に喋ってくれない。
(仕方ない。これも副官の勤めだ)
勇気を出して連隊長室に入る。相変わらず机の上は未決の書類で山積みになっている。鼻歌を歌いつつ、質の良さそうな万年筆を走らせているリリアナの兜には、白銀色の髪留めが光っていた。
(ああ、そっか)
なんてことはない。アルティという職人に新しく作ってもらったのだろう。リリアナだって年頃の女性だ。アクセサリーを身につけて心を弾ませることだってある。
「連隊長、その髪留め素敵ですねー」
ハンスの褒め言葉に、リリアナは顔を上げて嬉しそうに笑った。
警備隊の日常話でした。