7.醜悪な選択
リーゼロッテたちが案内された部屋は、それなりの広さの続き部屋だった。
手前の部屋にはベッドが一つ。奥の部屋には二つあり、扉で間仕切られている。
部屋の中には侍女が二人ずつ、雑用に対応できるよう控えていた。
――この時点で、リーゼロッテは別の気配も感じていた。
リーゼロッテが侍女の一人に告げる。
「ヴィクターとラフィーネの食事を用意して頂戴。
お腹が膨れるなら賄い料理でもなんでもいいわ。
それと普段は外で待機をしていて頂戴」
侍女たちが部屋を辞去していき、リーゼロッテは手前の部屋のソファに腰を下ろし、フードを下ろして息をついた。
「あーあ、無駄な時間を過ごしたわ。
本当に明日はまともに誠実な話し合いができるのかしら……」
リーゼロッテはその見込みはないと思っている。
あそこまでするのだから、一度くらいは汚名返上の機会を与えても良いと、情けをかけただけだ。
その程度には深い失望を覚えていた。
「ヴィクター、食後の魔族掃討、今日はやらなくていいわ。
あいつら調子に乗ると何を言い出すか分からないし、王都の魔族なんてすぐに殲滅できるでしょう?」
「畏まりました。
食糧問題は如何致しましょうか」
リーゼロッテはラフィーネを呼び寄せて抱き締めながら応える。
――食糧問題、と言われてつい呼び寄せてしまった。
現在確保できている、貴重な食糧源がラフィーネだ。
「向こうが私の納得がいく提案ができなければ、国王たちの話を聞く必要もないわね。
素顔で王都を練り歩けば困ることはなくなるわ」
リーゼロッテは無駄に自分に心囚われる人間を増やさないようにしていた。
魔王城の外で心掛けている事でもある。
自力で制御できない力は、不用意に使うべきではないと考えている。
だが全国民の心を囚えてしまえば、最短最速で愛と平和の世界に近づくのだと気付いた。
あの無能のおかげだろう。
ラフィーネが不思議そうな顔をしてリーゼロッテを見上げた。
「王宮から出ていってしまうの?」
「だって、居る意味がないじゃない?
人間国家の統治を任せるつもりで居たけれど、あの無様な姿を見て気が変わったわ」
無能な個体に国家を任せる気にはなれなかった。
明日、リーゼロッテの気が再び変わるほどの結論を見せなければ、リーゼロッテ自身がこの国を直接統治すると宣言した。
リーゼロッテに王宮など必要ない。
民衆が互いに力を合わせて立ち上がれるように支援してやるだけだ。
「王家も解体して、人間国家の在り方も全て根底から作り直してやるわ!」
リーゼロッテの憤慨がこもった言葉だった。
ヴィクターが苦笑を浮かべながら応える。
「そこまでご立腹の殿下というのも珍しいですね」
「当たり前でしょう?
私は何一つ嘘をつかず誠実に言葉を告げていたのに、向こうはそれさえできなかったのよ?
それが一番頭に来るわ」
無能でも無能なりに誠実に対応してくるなら、リーゼロッテは相手を尊重する。
個体の能力に格差があるのは仕方のない事だ。
むしろ能力が足りていないなら尚の事、誠意を尽くすべきだと考えている。
あれなら最初から悪意を前面に出してくる魔族の方がよほどマシだ。
醜悪な心をいくら隠しても、人間の感情など魔族であるリーゼロッテにはすぐに匂いでわかる。
「人間にまともな判断を期待するだけ無駄なのかしら?
あれでは愛と平和に満ちた世界など実現できる訳が無いじゃない!」
ヴィクターがどこか諦観した様な表情でリーゼロッテに応える。
「魔族が人間を支配する前は、この大陸の中で人間の国家同士が殺し合い、領土や利権を奪い合う世界でした。
共通の敵がいる現在の方が、人間社会はある意味平和と言えますよ。
憎しみが全て魔族に向いていますからね」
「……つくづく、人間たちに統治の手綱を渡す気が失せる話ね――
あら、食事が来たみたいね」
リーゼロッテが廊下の方から人間が近づいてくる気配に気が付くと、いそいそとフードを被り直した。
そんな彼女の姿を見て、ラフィーネが小さく吹き出した。
「それほど言うのに、きちんと素顔は隠すのね?」
「侍女たちを虜にしてもしょうがないじゃない。
人間の街に居るときの癖みたいなものよ」
侍女たちが室内に料理を運び込み配膳をした後、再び部屋の外に辞去していった。
二人分のパンの入った籠と、わずかな具材の入ったスープの皿が二人分
王宮でもこんなものしか出せない、という事だ。
困窮は想像以上に深刻だとリーゼロッテに思わせた。
ヴィクターとラフィーネが食卓についた後、リーゼロッテはソファで横になりゆっくりと伸びをした。
そのまま彼女は仰向けになりながら、大きな声で部屋の外に告げる。
「私は不誠実な真似が嫌いだと告げたわ。
だというのにそうして未だ聞き耳を立てているのはどういう了見なのかしら。
まさか気づかれていないとでも思ったの?
理解したならとっとと国王にでも報告に戻りなさい!」
部屋の外、廊下で中を盗聴していた何者かに声が届き、廊下を走り去っていく気配がした。
ラフィーネもヴィクターも、驚いた顔でリーゼロッテを見ている。
「殿下、まさかずっと監視されていたんですか?
いつからお気付きに?」
「部屋に入った時からずっと監視されていたわね。
魔族の鋭敏な感覚を舐め過ぎよ」
聞かれているとわかっていれば、相応に会話を制御するだけで終わる。
放置していても良かったが、敢えて『わかっている』と教えた――腹立たしいからだ。
ダグムロイト公爵には通用したのかもしれないが、無能と同列に扱われる事に我慢がならなかった。
ラフィーネが憤慨するリーゼロッテを見て、苦笑を浮かべていた。
「リズの心証は最悪になってしまったわね。
でも妙に不機嫌だった理由の一つがそれなのね」
「明日が色々な意味で楽しみよ、全く!」
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国王や宰相たちが控える会議室に、慌てた侍従が駆け込み報告をする。
「陛下、あの魔王の娘に盗聴を気付かれました。
これ以上続行するのは危険かと存じます」
「それで、あの娘はなんと言っていたのだ?」
「誠意のない人間に酷く失望し、明日納得のいく答えを陛下が用意出来なければ、王家も国家も解体し自分が作り直すと述べていました」
「……いつ盗聴に気付かれたのだ?
お前のその魔法は神の奇跡、魔族が検知することはできぬはずだが」
「あの娘は神気を纏っています。
途中で気配が変わった様子もありませんでしたので、おそらく最初から勘付いていたかと」
国王グレゴールがため息をつき「わかった、下がってよい」と告げると、侍従は部屋から辞去していった。
スヴェン宰相が不安を隠せない表情で国王に詰め寄る。
「陛下、あの娘をどうするおつもりですか。
未婚の若い女子全てを生贄にするなど、それこそ国家が崩壊しますぞ!
相手は魔族一人に人間が一人、全軍を上げて滅ぼせないのですか?!」
クリスハルト将軍がスヴェン宰相に対して首を横に振った。
リーゼロッテが王宮に入ったという報告からヴィクターが国王を呼び出すまでの時間がおよそ十五分程度。
入り口から謁見の間まで、のんびり歩いて十分から十五分。
つまり、王宮にやってきたという報告から前任者討伐の報告があるまでの時間と、移動時間がほぼ等しい。
戦闘時間がほとんどなかったという事だ。
「……まさか、謁見の間に入った瞬間に全てを一瞬で滅ぼしたと、そう言いたいのか?」
クリスハルト将軍が頷いた。
「まさに魔王の娘だな。
それだけの真似をする化け物が相手だ。
十万の軍勢があったとしても勝ち目など見えはしない」
国王グレゴールも蒼い顔で俯き、考え込んでいた。
逆らう真似は許されていない。
そんな力もない。
だが国家崩壊をみすみす看過する真似など出来はしなかった。
「なにか策はないものか……
せめて、少人数の生贄だけで満足してもらう案を考えよ。
明朝までに答えを出しておかねばならん。
無理にでも知恵を絞れ」
誰一人、これといった案が思い浮かぶ事なく時ばかりが過ぎていった。
三人の顔が更なる心労で青白くなっている。
もうこの国家の未来が見えない状況だ。
人間全体の未来のために、自分たちの国家を差し出せと要求されているに等しい。
なんとかして魔王の娘を追い出しても、既にこの国は国家の形態を維持しているのが不思議な状態だった。
王都ですら都市機能のほとんどが機能していない。
生還した密偵からも、他の地域も大差ない状況だという報告があった。
人間はそう遠くないうちに大陸から絶滅するだろう。
国王グレゴールが大きくため息をついた。
「わが国だけが崩壊するのは腹立たしい。
このまま人間という種族を巻き込んで滅ぶのも一興かもしれんな。
そのきっかけが我が国に在ったとしても、その汚名を伝える人間や文化は残るまい」
スヴェン宰相が眉をひそめる。
「陛下、そのような事を口にしてはなりません。
最低でも一日十人とは言っていましたが、毎日別の人間を用意しろとは言われておりません」
つまり十人の若い男女を差し出せば、当面は時間を凌げるはずだ。
その稼いだ時間の中で、魔族の子供に対する案を考えるしかない。
「だがどうするというのだ。
少数であればあるほど、魔族の子供は迫害を受ける。
それは避けようがあるまい」
我が子が迫害された時、リーゼロッテがどのような行動を起こすのか、それを全く予想できなかった。
室内に四人目の声が響き渡る。
「やれやれ、いったいどれだけ不毛な話し合いを続ければ気が済むのか」
声とともにヴィクターが国王の背後に姿を現した。
わずかな驚きの後、すぐさまクリスハルト将軍が剣を抜いて切りかかるが、易々と組み伏せられてしまっていた。
「貴様ら如きの戦闘能力で、俺に歯向かえるとは思わんほうが身の為だ。
殿下には遠く及ばずとも、俺一人でもこの国の人間を一人残らず殺して回るくらいはできる」
冷たい眼差しに殺気を込めたまま、ヴィクターは静かにクリスハルト将軍を見つめている。
国王が緊張を隠せないまま、ヴィクターに尋ねる。
「貴様、魔王の娘と共に居た人間だな?
何故人間が魔王に従う」
「従わざるを得ないから従う。
それ以上教える必要はない」
「……では、ここへ何をしに来たのだ?」
ヴィクターの冷たい目が国王グレゴールを捕らえる。
「なに、盗聴魔法が貴様らだけの特権ではないと、教えておこうと思ってな。
その手の魔法は俺も得意なんだ」
「……言いたいことはそれだけか?」
「貴様らに助言をくれてやろう。
貴様らが生贄と呼ぶ十人の中に、貴様らの子供を含めろ。
未婚の二十代以下の子供を全てだ。
そうすれば俺が殿下に取り成し、それで我慢してもらうようお願いしてやろう」
国王グレゴールが顔を歪めて憎々し気にヴィクターを睨み付けた。
「我らの家に、王家に、断絶しろと言うのか貴様は!」
「女系として再構築すれば家自体は残るだろうが。
男系に拘らなければ血は残ると、あの不毛な会議でも伝えたと思うが?」
国王たちも自分の孫への迫害を放置できぬはずだと説得すれば、リーゼロッテはひとまずは納得するだろう。
「我らがそれに頷かなければ、貴様はどうするつもりだ?」
「俺は殿下に従うだけだ。
あとは貴様らが出す回答次第だ」
結果を出せなければ、リーゼロッテはフードを下ろして王都を練り歩くだけだ。
国王や重臣を含めて、国民全てがリーゼロッテに服従することになるだろう。
「つまり、国家の為に我らの家に犠牲になれと、そう言いたいのか」
「国の跡取りが迫害対象ならば、迫害の手も少しは緩むだろう。
そんな不確実な未来などより、若い国民全てを虜にして頂く方が遥かに確実で手っ取り早いのだがな」
ヴィクターが酷薄な笑みを浮かべた。
「――或いは、もっと貴様らに相応しい、醜い選択肢を提示してやっても構わんぞ?」
二十代以下の未婚の平民たちにリーゼロッテへの感情の献上を義務付ける――
つまり、貴族は例外とするのだ。
これならば貴族だけは男系、そして人間の純血種が守られる。
「どうだ?
利己的な貴様ららしい醜悪な選択肢だと思うが」
国王グレゴールは屈辱で顔をしかめつつ、背後で冷静に考えを巡らせる。
貴族階級に汚らわしい魔族の血が入らないのであれば、以後の婚姻も貴族階級のみで行うのだから人間の清らかな血は守られる。
貴族階級への引き上げ基準を今より遥かに厳しくし、実質不可能にまで落とし込めば、魔族の血を完全に拒絶したまま王家を維持することは可能だろう。
人間として純血を保てるのは貴族階級のみになるが、平民たちの血が穢れるのを諦めれば充分に飲める条件だと思われた。
国家の労働者階級に魔族の血が入る程度なら、大した屈辱とも感じない。
今後は国民に対する思いやりが減るかもしれないが、それで心が痛むこともなくなるだろう。
国王グレゴールが渋々と頷いた。
「その貴族を例外として除外する案、検討しよう」
スヴェン宰相、クリスハルト将軍も、同様の考えに至ったようで異論を述べなかった。
そんな三人の貴族たちを、実に酷薄な表情でヴィクターは眺めていた。
「――思った通り、貴様らの魂は魔族より卑しいな。
なんと卑賎な精神をしている事か。
こんな人間どもを守る為に二十年前あれほど苦労をしたのかと思うと、実に己の馬鹿さ加減に呆れるよ――
では明日、殿下にはその案をお前たちの口から伝えるがいい。
そんな下衆な選択肢を、恥と思わないのであればな」
言い終わると、ヴィクターの姿が空気に溶けるように消えて行った。
呆気にとられていた国王グレゴールたちは、すぐに我に返り、改めて相談を続けていった。
この案に問題がないか、もう一度見直しをしなければならない。
魔族の部下が提案してきた案なのだから、罠がないとは限らないのだ。




