71.失いたくないもの
翌朝、みんなの朝食を見届けたリーゼロッテはユーディトの様子を確認してから、自宅のリビングに戻った。
ぼーっとソファに横たわって考え事をしていた。
途方に暮れていた、というのが正しいかもしれない。
――やることが多すぎて、どこから手を付けていいの?!
という状態だ。
どれもこれも優先順位が高くて選べない。
『こんな八方塞がりもあるんだなぁ』と部屋の隅を眺めていた。
ラスタベルト国内は小さな集落の統廃合を進めていて、徐々に配備している低級眷属は回収を進めてる最中。
こちらも生産余力を配給に振り分けて、少しずつ推し進めている。
そんな状況で南東部を押し付けられ、北部まで押し付けられた。
あっちもこっちも『物資が欲しい』という悲鳴ばかりだ。
だが、ラスタベルトの大穀倉地帯が回復しきるには、まるで時間が足りない。
魔王対策も『不意打ちすれば?』と提案されはしたが、具体案はなにもなし。
――どうしろと?
今のリーゼロッテに打てる手を考えるが、何も浮かばない。
ガートナーと一緒に北部の海を浄化して回る――
今のガートナーは農作物増産計画とその指示で忙しい。
農作物増産は最優先だ。
他の事で拘束する訳にはいかない。
リーゼロッテがふぅ、とため息をつくと同時に、扉を叩く気配がした。
――誰だろう?
扉の外には、ヴィルケ王と護衛の騎士が佇んでいた。
リーゼロッテが思わず尋ねる。
「……暇なの? ねぇ、暇なの?」
ヴィルケ王が苦笑する。
「決してそうではありませんが、愛する人の顔を見て、声を聴きたいと、願ってはいけませんか?」
「……いいわ、私もお願いしておきたい事があるのを思い出したし。
入って頂戴」
応接間でウルズラに紅茶を給仕してもらって、さっそくリーゼロッテから切り出した。
「私が大陸南部を今まで任されていたんだけど、昨日はとうとう、北部まで任される事になったわ」
ヴィルケ王は嬉しそうに微笑んだ。
「凄いじゃないですか!
大陸執政官ですね!」
――あー、そういう肩書になるのかな……まぁ肩書なんてどうでもいいけど。
「それでね、北部に緊急連絡員として魔導士に駐在してもらっているんだけど、彼から『手土産は麦酒が良い』って言われてるの。
なるだけ早く、十樽ぐらい麦酒を用意して欲しいの」
「お安い御用ですよ。
今日中に届けさせましょう――
それだけですか?」
「私から伝えたいことはそれだけよ」
ヴィルケ王がまじまじとリーゼロッテを見つめた。
「私の愛を感じたいとか、声が聞きたいとか、ないんですか?」
リーゼロッテが顔を赤く染め、思わず声を上げていた。
「ばっかじゃないの?!
何を言い出すの、この馬鹿王は!
あなたじゃないんだから、そんなことある訳無いでしょう!」
「ですが、扉を開けたときはぼんやりしていたあなたが、今はとても元気だ。
あなたの元気に貢献できたなら幸いです」
今日もリーゼロッテの胸を焦がす熱気がヴィルケ王から浴びせられている。
昨日よりもさらに増して感じるその熱気に、胸が焦げる音が聞こえてきそうだった。
「ぐっ! その熱気で私を圧倒するのは止めなさい!
胸が暑苦しいのよ!」
「私の素直な気持ちですので、どうかそのまま心で受け止めていてください。
食べたければ食べても構いませんよ?」
――まだ言うかこの唐変木!
「あなたの愛は先に胸が一杯になって、食欲どころじゃないよ!
なんで天然物の癖にそんなに熱量が高いのよ!
意味がわからないわ!」
ヴィルケ王は満足そうにニコニコと微笑んでいる。
――何もわかってなさそうな笑顔だなぁ?!
そのままヴィルケ王がリーゼロッテに告げる。
「こんな私でも、あなたの悩み事ぐらいは聞いてあげられますよ?
一緒に悩んであげる事ができます。
話してみてはくれませんか?」
――悩み? 悩みか。悩みだらけだ。
リーゼロッテはため息をついて、今抱えている数々の悩みを、愚痴りながら打ち明けていった。
「――どうしろっていうのよ!
私は一人しか居ないのよ?!
四つの地方をまとめて面倒なんて見れないわ!」
リーゼロッテは息を荒くし、声を限りに叫んでいた。
――ふぅ。なんだか吐き出してすっきりした。
ちょっと気分が良くなったリーゼロッテの顔を見て、ヴィルケ王がにっこり微笑んだ。
「あなたは焦り過ぎです。
それと一人で背負い過ぎです。
もっと気持ちを落ち着けて、仲間を信頼してください」
「それでも!
一人でも多くの人を救いたいのよ!」
「全てをあまねく救う事など、神でもできない事です。
どうしても救えない部分はでてきます。
あなたの仕事は、取捨選択をする事。
あとはあなたの手足となる者が動いてくれます。
あなたは彼らを信頼してください」
――ヴィルケ王の優しい眼差しが、なんだか心地良くて落ち着いた。
そうだ、為政者の大切な仕事の一つ、時に掬い上げ、時に切り捨てること。
その辛い仕事を、冷徹な判断で行うのが為政者の――私の責務だ。
ヴィルケ王の言葉が続く。
「北方は魔族の公爵にしばらく任せると決めた。
ならば任せましょう。
その魔族が最善を尽くす事を期待し、今は北方を忘れましょう」
北方を任せたのはリーベルト公爵。
彼は不器用だけど、人間に優しい統治を行う個体。
今も精一杯努力してくれている。
彼以上の成果を、私が出せる保証なんてない。
特に物資を用意できない今、出来る事はないだろう。
ヴィルケ王が言葉を続ける。
「ラスタベルトはヴィクター殿が精一杯回してくれています。
彼以上に成果を出せる者は居ないでしょう。
ならばラスタベルトも、今は忘れましょう」
ヴィクターは限界以上に頑張ってくれている。
これ以上を期待するのは酷だ。
為政者の我儘でしかない。
ガートナーさんだって農作物増産の手配を進めている最中。
私が出来る事はない。
リーゼロッテはヴィルケ王の目を見た。
「じゃあ、大陸南東部は?」
「あそこは裏社会を統制する魔族が奔走しているのでしょう?
国王たちには伝えるべき事も伝え、自治を許した。
ならば人間たちの自治を信じ、今は忘れましょう」
表社会が立ち直り始めた。
けれど次の収穫を得るまで飢えは続く。
そこに渡す物資はヴィクターが準備中だ。
裏社会は構築が始まったばかり。
その統治はゲルドシュタート侯爵に任せている。
彼らの、裏社会の秩序に一任している。
どちらも、私が出来る事はない。
リーゼロッテがヴィルケ王の目を見つめたまま、もう一度尋ねる。
「じゃあ、私は何をすればいいの?」
「あなたの子供をお腹で育てているユーディトと同じです。
時間をかけて、育つのを待つ時期なんです。
時期が来れば自然と赤子が生まれるように、時期が来ればあなたの力が必要とされます。
それまでユーディトのように、力を蓄えていてください」
――ユーディトと同じ……今は、お腹の中で胎児が育つのを待つ時期……。
あれほど焦燥感を覚えていた自分が嘘のようだった。
リーゼロッテの心が落ち着いていた。
見つめあっていたヴィルケ王が、また優しく微笑んだ。
「落ち着きましたか?
あなたの判断でも、今は待つ時期だと理解しましたよね?」
リーゼロッテが頷き、ヴィルケ王が言葉を続ける。
「今はゆっくりと心と体を休めていてください。
もし退屈だと思うなら、また私が話し相手に来ます」
「……ありがとう。助かったわ」
そのままだと照れ臭く感じ、リーゼロッテは言葉を続けた。
「な、何かお礼に付き合ってあげるわよ!
あなたは話したいことはないの?
行きたい場所とか!」
「お気持ちは嬉しいのですが、そろそろ私も政務に戻らねばならない時間です。
続きはまた、明日にしましょう」
立ち上がるヴィルケ王を、リーゼロッテの目が追いかけた。
そんな彼女を、困ったような微笑みが見つめ返した。
「……そんな寂しそうな顔をされてしまうと、仕事を放り投げたくなってしまいます。
笑顔で見送ってください」
「だ! 誰が寂しい顔してるって?!」
「ははは!
そうそう、そんな顔でも結構ですよ。
ではまた明日、同じ時間に来ます」
微笑みながら身を翻したヴィルケ王は、そのまま後ろを振り返ることなく、騎士たちを従えて扉から外に出ていった。
****
リーゼロッテは応接間のソファに座り直し、ただぼんやりと、さっきまでヴィルケ王が居た空間を瞳に映していた。
……なんだったのかな、あの心地良い時間は。
そしてそんな時間が過ぎ去ってしまったのが、とても名残惜しくて寂しかった。
『今の私は胎児を育てている母親と同じ』か。
そんな考え、今までした事なかったな。
そうやって考えてみると、待つことの大切さがなんとなくわかってくる。
どんなに焦っても、胎児が早く生まれてくるわけじゃない。
胎児の成長を、生まれてくる瞬間をじっと待つんだ。
そう、今のユーディトのように。
「――ふぅ。リビングに戻るわ。
ウルズラ、紅茶をリビングに持ってきて頂戴」
「畏まりました」
リーゼロッテは立ち上がり、応接間から出ようとした。
だが、入り口で悔しそうに涙ぐんでいるイェルクが立ちはだかっていた。
「どうしたの?
なんで泣いてるの?」
「リズは! お兄様なんかに渡す気はないからね!」
――え? 何のこと?
リーゼロッテが困惑しているうちに、イェルクは部屋の中に飛び込んで扉を閉めてしまった。
『……何が言いたかったのかなぁ?』とさらにリーゼロッテは困惑を深めていた。
傍に居たラフィーネが苦笑していた。
「イェルクったら、よっぽど許せないのね。
そしてリズは、相変わらず自覚はないみたいだし」
「自覚?
なんのことかしら?」
ラフィーネが首を横に振った。
「あなたが自分で気付かなければ意味がないの。
だから私の口からは何も言えないわ」
――尚更意味がわからないんだけど?
リーゼロッテは、小首を傾げながらリビングに移動し、ソファでくつろいだ。
蜂蜜を落とした紅茶の香りを鼻に届け、幸福な笑顔の記憶を呼び覚ます。
『心と体を休める』か。
ヴェーゼブル侯爵が到着すれば、やる事が出来るはず。
それまで私は、のんびりして居よう。
****
その次の日もヴィルケ王は同じ時間にやってきた。
扉を開けたリーゼロッテはにっこりと微笑んだ。
「やっぱり暇なのね?」
ヴィルケ王も微笑んで応える。
「決して暇ではありませんよ?」
その日は昨日の麦酒のお礼を告げ、取り留めのない話をした。
ユーディトのお腹の子供が動いた。
窓辺の花の蕾が開いた。
港町ヴァレンに麦酒を運んだら、港前で漁師たちが大勢集まって酒盛りを始めた。
本当にどうでもいい話をリーゼロッテは口にし、ヴィルケ王は微笑んで聞いていた。
そして時間がやってきて、ヴィルケ王がまた立ち上がり、微笑みながら去っていく――振り返る事もなく。
リーゼロッテは再びヴィルケ王の居なくなった空間を、ソファに腰を下ろしながら瞳に映していた。
****
その次の日は、同じ時間になってもヴィルケ王が来なかった。
リーゼロッテは時計を眺めながらそわそわと部屋を歩き回り、どうしようか悩んでいた。
迎えに行こうかな。
もうこっちに向かってる頃じゃないのかな。
それとも急に用事が入ったのかな。
部屋をぐるぐる歩いているリーゼロッテを、ラフィーネが微笑まし気に見つめていた。
扉が叩かれ、玄関に向かおうと動き出したラフィーネよりも素早くリーゼロッテが動いた。
玄関に辿り着いて、扉を開ける――
リーゼロッテはにっこり微笑みながら、扉の向こうに言葉を告げる。
「……やっぱり暇なんじゃないの?」
扉の向こうのヴィルケ王は、息を切らしながら微笑んでいた。
「……暇じゃ、ありま、せんよ?」
****
応接間のソファに座り、ようやく息を落ち着けたヴィルケ王が最初に謝った。
「申し訳ありません、朝一番に片付けねばならない書類が出来て、遅れました」
「えっ?! 本当に暇じゃないの?!」
ヴィルケ王が苦笑した。
「都市機能が回復した王都ですよ?
当然、政務も山のように発生しています」
リーゼロッテは呆然としながらヴィルケ王に尋ねる。
「そんな忙しいのに、なんでこんなところで無駄話してるのよ……
仕事しなさいよ」
「無駄話ではありませんよ?
愛する人の顔を見て、その声を聞いています。
そしてその人が元気になる姿を見て、私も元気をもらっていますから」
リーゼロッテは真っ赤になり、俯いてフードで顔を隠した。
「ばっかじゃないの?!
あなたこそちゃんと心と体を休めなさいよ!
魔族の私と違って、人間は貧弱な肉体を持つのよ?!
そんな事をしていたらいつか倒れるじゃない!」
「おや? 私の身体を心配してくれているんですか?
ありがとうございます。
でも大丈夫です。
これでも騎士並みに鍛えていますから」
リーゼロッテは、何故かヴィルケ王の顔を見ることが出来なかった。
俯いたまま、ヴィルケ王に尋ねる。
「一つ聞きたい事があるんだけど、いいかしら」
「なんでしょう?」
「どうして昨日も、一昨日も、帰る時に振り返らなかったの?」
ヴィルケ王が驚いた顔でリーゼロッテを見た。
「……何故、そんな事を聞くんですか?」
――何故って言われても……。
「なんだか、気になるのよ。
どうして振り返ってくれないんだろうって」
「……私に振り返って欲しかったんですか?」
「ちがっ! ……わない、かもしれないけど」
リーゼロッテの顔がどんどん赤くなっていった。
それと同時に、胸に感じるヴィルケ王からの熱気がさらに熱量を増すのを感じていた。
「だから! そんなに熱い想いをぶつけてこないで!
熱気でどうにかなってしまいそうよ!」
「……私が振り返らないのは、振り返ってしまうと帰れなくなってしまうからですよ。
私が帰るのを惜しいと感じてくれているあなたの顔を、見ないようにしているんです」
「私は! あなたが帰る事を惜しいだなんて――」
そこで、リーゼロッテの言葉が止まった。
ヴィルケ王が帰った後、居なくなった空間を見つめている間。
確かにリーゼロッテは惜しい時間が過ぎ去ったと感じていた。
言葉に詰まって俯いていたリーゼロッテのフードに、ヴィルケ王の手がかかる。
「今なら、フードを下ろしても大丈夫だと思いませんか?
試してみませんか?」
「ダメに決まっているでしょう!
ここにはウルズラも護衛の騎士も居るのよ?!」
ヴィルケ王の失笑が聞こえてきた。
「気づいてなかったのですか?
あなたが俯いて居る間に、みんなには退室してもらってます。
扉も閉まって居ますから、この部屋には私とあなた、二人だけです」
リーゼロッテが思わず顔を上げて辺りを見回した。
部屋の中に居るのは、リーゼロッテとヴィルケ王だけだった。
――誰も居ない?! いつの間に?!
リーゼロッテのフードに手をかけたままのヴィルケ王が、もう一度尋ねる。
「どうです?
フードを下ろして自分の気持ち、確かめてみたいと思いませんか?」
リーゼロッテはフードに手をかけたヴィルケ王の両手を掴んだ。
「駄目よ、そんなこと……
後戻りなんてできないの。
失敗は許されない。
確信が持てない限り、私はそれを許可できないわ」
「そうですか?
私は確信を持っています。
私の手を握るあなたの手が震えている。
私のこの愛を失う事を、あなたはそれほど恐れている。
ならば、確かめてみても良いんじゃないですか?」
リーゼロッテはフードが外れないように首を横に振った。
「嫌よ! 失いたくないの!
この熱気を失ったら、もう今の私には耐えられない!」
ヴィルケ王の右手がフードから外れ、リーゼロッテの頬を撫でた。
「それは、あなたが私の愛を受け入れ、求めている――
そうは思えませんか?
ならばそれは、あなたが私を愛し始めたのだとは思えませんか?」
自分の手が震えてるのを自覚した。
震えるほど恐ろしかった。
どうしても、その決心が付かない。
「……なんと言われようと、この熱気を失う可能性があるなら、私は認めるわけにはいかないの。
お願い、私から救いを奪わないで。
素顔を隠したままでいいなら、王妃でも何でもなるわ。
だからお願い、素顔だけは見ないで欲しいの」
無理難題を吹っ掛けられて、途方に暮れて、疲れ切った時に救いをくれた人。
今はまだ、何も状況が変わってなど居ない。
それでも心が安らいでいるのは、この熱気に包まれて居られるからだ。
今この胸に迫る熱気を失ったら、私はまた途方に暮れてしまう。
それ以上に、失ってはならないものを失ったと、激しく後悔するだろう。
ヴィルケ王が困惑した顔で尋ねる。
「……素顔を見なければ、私の妻となってくれる。
妻となり子を産んでくれる。
そう言ったのですか?」
「そうよ!
それであなたが私の素顔を求めなくなるなら、私はあなたの子供ぐらい、いくらでも生んであげるわ!
だからお願い、私の素顔を見て心が囚われる事だけは止めて!
そんな事になったら、私は自分を許せなくなってしまう!」
「私の妻となり、その子供を産んでも構わない――
そこまで思えるのに、あなたはまだ自分が私を愛しているとは認められないのですか?
あなたは、愛していない者と子を成す事ができる人なのですか?」
リーゼロッテは再び首を横に振った。
「前もあなたには告げたはずよ!
私には愛が何なのか、愛する事が何なのかもわからないと!
愛し方もなに一つわかりはしない!
――今わかるのは、あなたの浴びせてくる熱気を失いたくないという、この気持ちだけよ!
その為ならなんだってしてやるわ!」
リーゼロッテは叫びながら涙を流していた。
嗚咽を上げながら「お願い」と小さく呟いていた。
しばらく、彼女の嗚咽が部屋を支配していた。
扉を叩く音がして、外からアロイスが声をかけてくる。
「入るよ?
フードは被ったかい?
五秒数える。
四、三、……」
数え終わったアロイスが部屋に入ってきた。
リーゼロッテはアロイスを見ると、ヴィルケ王から逃げるようにアロイスの胸に飛び込んだ。
そのまま嗚咽を上げ続けるリーゼロッテを、アロイスが優しく抱き留めていた。
「フードは――
そうかい、下ろせなかったんだね。
ヴィルケ王はそろそろ時間だろう?
後は任せて、仕事に戻りな。
今日はここまでで充分だ」
ヴィルケ王が苦笑を浮かべながら部屋から出ていく。
リーゼロッテはその気配で、アロイスの胸から顔を上げた――その背中だけでも見たかった。
応接間から出ていくヴィルケ王の後姿がわずかに見えて、寂しい思いがリーゼロッテの心に強く残っていた。
「そんなに姿を追いかけていても、まだ確信が持てないのか。
重症だねぇ」
「しょうがないじゃない!
わからないものはわからないのよ!
そんなあやふやなもので後戻りのできない賭けには乗れないの!
失いたくないの……」
アロイスが深くため息をついた。
「まったく、月の神も惨い祝福を与えたもんだね……」
リーゼロッテはそのまま、嗚咽が止まるまでアロイスの胸の中で涙を流していた。




