68.光と闇
「この土地を手放すなど!
こんな……こんな命令を認められるかぁ!」
叫んだウィレンチュラ公爵の弱点を、リーゼロッテの白銀の矢が射抜いた。
叫んだままの姿勢で塵となっていく哀れな魔族を、リーゼロッテは静かに見つめていた。
「本当に愚かね……
いえ、ウェレアムレイト公爵に踊らされなかった分、賢いのかしら?」
大陸南東部、ヴェルモトーネ王国の王都。
夜の謁見の間で一人呟いた。
既に室内の魔族は全員が塵と化している。
彼は魔王の命令に背き、大陸南東部から動こうとしなかった。
結果、リーゼロッテに粛清命令が下り、今こうして彼は塵となった。
恐らくウェレアムレイト公爵がウィレンチュラ公爵に接触を図ったはずだが、彼は土地から離れる選択をしなかった。
今頃は魔王の指示がリーベルト公爵に渡り、今後は彼が北部執政官となって北東部の支援に奔走するだろう。
リーゼロッテは玉座に書面で指示書を置き、大陸南東部の他の国へ向かった。
魔王に歯向かったウィレンチュラ公爵は、配下の貴族級を全てこの王宮に配置していたように感じた。
彼なりに防備を固めていたのだろう。
リーゼロッテの前では、無駄な努力だったが。
だが他の国に残っていないとも限らない。
その確認だけはしておこうと考えていた。
ついでに各国の王に事実と指示を認めた指示書を残していく。
ミネルヴァが居れば、簡単な仕事だ。
事実とは以下の通り。
魔王の娘である私が大陸南部執政官となった事。
私は大陸南西部ラスタベルトに居を構えている事。
大陸南西部の魔族は放逐済みである事。
大陸南東部も魔族を放逐する予定である事。
与えた指示は以下の通り。
今後は私の指示に従う事。
ただし国王として自治を行う裁量を認める事。
救援が欲しければラスタベルトに陳情に来ること。
これだけ伝えておけば、当面は充分だろう。
大陸南東部は農地ばかりの小国が多い。
農地で国土を埋めないと、国民を養っていけないのだろう。
この地域は南の海にせり出したような形状をしている。
温暖な気候の恩恵を最も受け、本来なら実りが多いはずだ。
だが、どうも収穫が上がらないようだ。
ここも人手不足だろうか。
あちこちの農地が荒廃していた。
――いや、これ収穫物が瘴気で枯らされた跡?!
耕作させておいて収穫直前で瘴気をばら撒いていたようだ。
『ばっかじゃないのあの公爵!』と、リーゼロッテはすっかり呆れかえっていた。
各国王都の人口を調べてはみた。
五千人が精々だろう。
小国の王都、規模が小さいのは仕方がない。
全体の総数では、リーゼロッテが着任した当初の南西部よりはマシだろう。
――うーん、一度事情を聞いておいた方がいいかな。
リーゼロッテは大陸南東部の貴族階級魔族全てを滅ぼした後、朝日を浴びながらラスタベルトの自宅へ戻っていった。
****
イェルクが興味津々でユーディトの大きくなり始めたお腹を眺めていた。
「一か月でこんなに変化するの……」
「あと一か月くらいで生まれるのよ?
そりゃあ大きくもなるわよ」
妊娠して数日が過ぎるまでのユーディトは、悪阻が辛い時期が続いた。
補佐術式を追加したことで落ち着きをみせたが、やはり自分の身体の変化に戸惑ってるようだった。
今では大分慣れてきたのか、「あ、動いた!」と楽しそうに声を上げている。
周囲の大人たちも、その変化の早さには驚きつつも、温かい眼差しで見守り、支援の手を差し伸べていた。
ユーディトの母親が、感慨深くユーディトの姿を見つめている。
「うちの子が、まさか母親になるなんてね……
孫をこんなに早く授かるとは思わなかったわ」
他の婦人たちも微笑んでイェルクに言葉を告げる。
「初産はお腹が大きくなりづらいとは言うけれど、ユーディトちゃんは五か月目くらいで結構大きいわね」
「二人目からは大きくなりやすいのよねぇ」
「そろそろ、妊婦服を用意してあげないとね」
ラフィーネがリーゼロッテの顔を見て尋ねた。
「こんな急激に身体が変化して、ユーディトの健康状態に問題はないの?」
リーゼロッテは胸を張って応える。
「術式でしっかり補佐してあるわ。
可愛い我が子ですもの。
抜かりはないわよ?」
「でも、ユーディトは動くのが大変そうよ?」
「それは仕方ないわ。
体を鍛える時間がないんだもの。
筋肉が鍛えられる前に子供が大きくなるから、転ばないように本人にも周りにも注意してもらうしかないの。
仕事を休んで安静にしていて欲しいというのは、そういうことよ」
子供たちや大人たちが労働に出かけ、残った人間がユーディトを支えながら部屋へ連れて行った。
手の空いてる者が常にユーディトの傍に付いて、彼女の移動を補佐している。
共同体の皆が待ち望んでいる、リーゼロッテの初めての子供ということだ。
五倍速で生育されるというその姿を初めて見る人間たちは、大人も子供も興味津々で毎日観察しているようだった。
リーゼロッテも椅子から立ち上がり、ラフィーネたちに声をかける。
「じゃあ私はちょっと、ヴェルモトーネ王国に様子見してくるわね!」
****
ミネルヴァがラスタベルト王都ヘルムートの、ある邸の前に降り立った。
それと同時に、リーゼロッテの周囲を殺気立った魔族たちが取り囲んだ。
「……なんだ、殿下か。何か用ですか?」
囲んでいた魔族にリーゼロッテは応える。
「ゲルドシュタート侯爵を呼んで頂戴。
少し人手を借りたいのよ」
リーゼロッテの前に現れたゲルドシュタート侯爵が尋ねてくる。
「人手を借りたいと伺いましたが、どういう事でしょうか」
「昨晩、大陸南東部のウィレンチュラ公爵とその配下の貴族階級を全て滅ぼしてきたわ。
でも平民階級が残っているでしょう?
彼らを保護したいのよ」
ゲルドシュタート侯爵が少し難しい顔をした。
「ラスタベルトには、まだそう多くの余力はありませんよ?」
「そこは現地の裏社会に潜り込ませるしかないわね。
彼らに手引きをしてやって、組織作りを手伝ってやって欲しいの。
人間の目にとまったら滅ぼされてしまうし、表社会からは姿を消していて欲しいのよ」
ここは貧民街区画、それも無法者が占拠する地域だ。
大きな都市では、どうしてもそう言った場所が生まれてしまう。
素直にそこに根城を作ってもらっていた。
この区画の外に無法者が溢れないよう、魔族たちに管理をしてもらっていた。
区画内は血と暴力の世界、それを裏社会の秩序で統制を保っている。
こんな裏社会を、大陸南東部でも作ってもらう事になる。
南部裏社会全体の統制を、ゲルドシュタート侯爵に引き続きとってもらう事になるだろう。
とりあえずミネルヴァで運べる先発隊九人を選び出してもらい、残りは後発隊として陸路を移動してもらう。
先発隊を乗せたミネルヴァが、白銀の流星となって空を東に駆けていった。
****
大陸南東部最大の国家、ヴェルモトーネ王国。
その王都バッサウに降り立ったリーゼロッテは、その場で指示を与える。
「一番権限を与えられている個体一名は付いてきて頂戴。残りはゲルドシュタート侯爵に指示された通りに動いて」
八人の魔族が方々へ散っていくのを見届け、リーゼロッテは一名の魔族を伴って王宮へ向かった。
王宮の入り口で、疲れ切った様子の衛兵に声をかける。
「国王に会いにきたわ。ちょっと通してもらうわね?」
衛兵が慌てて立ち塞がろうとした瞬間、随行している魔族が殺気と瘴気を漏らしていった。
それに気づいた衛兵たちが慌てて飛び退き、リーゼロッテたちは王宮の門を潜って行く。
そのまま謁見の間に向かう――やはり居た。
玉座に感慨深く腰かける老年の男性。彼が国王だろう。
彼の手には指示書があるので、読んではいるはずだ。
つかつかと歩み寄るリーゼロッテを、怪訝な顔で国王が見た。
「何者だ?
何故衛兵たちは貴様らを止めんのだ」
リーゼロッテは玉座の前で足を止め、国王に声をかける。
「お楽しみの所を邪魔して悪いわね。
南部執政官のリズよ。
指示書は読んでもらえたかしら?」
その一言で、国王の顔面が蒼白に染まった。
震える声で彼は言葉を絞り出す。
「……何用でしょうか」
「私たちとあなた、三人だけで内緒話ができる部屋へ案内しなさい。
そこで話すわ」
国王が玉座から立ち上がり、リーゼロッテに応える。
「では、軍議室へ参りましょう」
リーゼロッテたちは彼の後を付いて、謁見の間を後にした。
****
軍議室の扉が閉まり、三人きりになったところでリーゼロッテたちは腰を下ろした。
腰を下ろさない国王を見上げながら、リーゼロッテは尋ねる。
「どうしたの?
見上げて話すのは首が疲れるわ。
あなたも椅子に座りなさいな」
国王がおずおずと傍の椅子に腰かけた。
リーゼロッテが口火を切る。
「まず最初に伝えておくことがあるわ。
私はこの大陸南東部から魔族を追放する――
その気持ちに嘘はないのだけれど、本当に追放する訳ではないの。
表社会から追放するだけになるわ。
裏社会では引き続き、魔族に生き残ってもらう事になる。
この事を、国王のみが知る事実として理解して欲しいの」
国王が顔を蒼褪めさせたまま、リーゼロッテに尋ねる。
「では、引き続き我が国は魔族の支配を受けるのですか」
「私は魔族よ?
私が一番上に居る限り、それは変わらない。
でも以前とは全く別の姿になるわ。
それがどんな姿かは、ラスタベルト王国の王都ヘルムートまでいらっしゃい。
あそこは既に、そういう形で機能している都市よ。
王都市民の活気ある生活ぶりを見れば、絶望に震える必要がないと理解できると思うの」
国王が首を横に振りながらリーゼロッテに言葉を告げる。
「あなたが何を望んでいるのか、まったく理解ができません」
「簡単よ?
人間社会では必要悪として生まれる裏社会、その管理と統制を魔族にさせるわ。
極力表社会には影響させない様にね。
彼らには理知的に無法者たちを管理してもらう。
彼らの秩序でね。
あなたたち国王は、表社会を国家の秩序で管理しなさい。
その自治の裁量を与えるわ。
でも裏社会には直接手を出しては駄目よ? 魔族の報復が待っている。
各都市の裏社会には統制役を作っておくから、彼らに相談を持ち掛けなさい。
極力国王の意向を汲むように指示は伝えておくわ」
「……それで、私はこれからどうすればよろしいのですか?」
リーゼロッテは随行している魔族を紹介する。
「今は臨時で最も権限を持つ魔族が彼よ。
裏社会に関して相談する事があれば、彼に相談しなさい。
そのうち正式な統制役がこの街にやってくるんじゃないかしら。
連絡方法は適当に決めておいて頂戴。
そこまで指図はしないわ。
あとはもう、あなたの自由よ。
国王としてこの国を治めればいいわ――
ここまでの事を、王位を譲る時、次の王に伝えてあげてね。
まぁ簡単に『裏社会に何かしたかったら統制役を通せ』ぐらいでいいけど」
国王の表情から、いくらか緊張が取れていくようだった。
「……用件は以上ですか?
指示書にないのは、その闇社会に関する事のみのようですが」
「前任者がどんな統治をしていたか、少し聞いておこうかと思って。
少し空から見て回ったけど、農地が酷い荒らされ方をしてるわね。
あの男、あんな馬鹿なことをずっと続けていたのかしら?」
「はい。公爵は収穫期目前になると、配下の者たちと共に農地に瘴気をまき散らしていました。
難を逃れた作物をなんとか拾い上げ、飢えを凌ぐ有様です。
瘴気に汚染されたものを食べ、命を落とす者も居たと聞きます」
「そりゃあ、そんなものを人間が食べたら死ぬわよ……
でも、もうその心配は要らないわ。
見た感じ、大地が汚染されている様子もないし、次の収穫物は見込めるでしょう。
労働人口の問題は大丈夫?」
「そこは厳しい所です。
働き盛りの人間ばかりを選んで、公爵閣下は命を弄ぶかのように責め殺していましたから。
若い世代が多く残っているのが救いではありますが、労働の主力は老人になります」
リーゼロッテは頭を抱えた。
ダグムロイト公爵と大差ない無能じゃないかな。
何が『残虐公』なのかしら。
その名前を恥ずかしいと思う感性は、どこかに忘れて来たのかしら。
人間を減らす手腕は見事だと思うけど。
人間が減ったら魔族が飢える――そんな当たり前を、なぜ無能共は理解しないのか。
「んー、しばらくはそれで耐えてもらうしかないかなぁ。
ラスタベルト王国の余力をなるだけ送るけど、街ひとつに配給する程度しか今は余力がないのよ。
少しずつ増えてるけど、私は北西部へも食糧支援を開始しなければならない。
そちらは今は待ってもらっているけれど、それほど長くは待ってもらえない。
配給された物資を、生産能力が高い街から配るとか、小さい集落を捨てて統廃合して効率化を図ってもらうとか、そういう政策を取ってもらうかなぁ――
野盗は出るの?」
「ええ、野盗はそこそこ出没します。
集落を襲われ、住民が命を落とす事もあります」
「じゃあそちらは魔族が対処するわ。
兵士たちも手が空いてれば討伐してもらって構わないけど、魔族が食糧として野盗の命を食べる事になると思う。
なのでそのうち数は減っていくわよ」
「……公爵閣下と同じことをなさると?」
「簡単に言うと、そういうことよ。
魔族も食べなければ死んでしまうけど、今のこの国の活気では魔族を養いきれないし。
野盗には尊い犠牲になってもらうわ。
そのうち、闇社会の組織編制が終わったら、野盗たちも飲み込まれるんじゃないかしら?
――だいたいこんなとこかな。
陳情があれば指示書の通り、ラスタベルトまでいらっしゃい。
野盗にだけ気を付ければいいわ。
ラスタベルトまでくれば、もう野盗もほとんどいないけどね」
立ち上がったリーゼロッテを国王が見上げた。
「本当に、魔族に怯える必要はないのでしょうか」
「ないわよ?
私は人間を殺せない魔族だし。
逆らうものには容赦しないけれど、従うものには寛容なつもりよ?
貴族階級は粛清済みで、平民階級は裏社会に潜ませるように伝達している所。
もう表社会の人間を襲う事もないはずよ――
ここまでを理解したなら返事なさい」
「――畏まりました。
そのように致します」
リーゼロッテは国王に手を振り、魔族の個体と共に軍議室を後にした。
****
夕食前にようやく帰宅したリーゼロッテは、疲れ切って扉を開けた。
「ただいま~……」
その場に居たラフィーネが、不思議そうな顔でリーゼロッテを見た。
「なんで魔族のリズが疲れ切ってるの?
魔族は肉体的な疲労とは無縁なんでしょう?」
「精神的な疲労はあるわよ……南東部の国家、三十弱あるのよ?!
各国の国王に同じような話をしてまわったのよ?!
さすがに飽き飽きするわ……」
リーゼロッテは気が重たかった。
『もういっそ、南東部で一つの国にまとまらないかな』などと考えていた。
多数の小国を相手にするのは、管理コストが高すぎた。
リーゼロッテがラフィーネに抱き着いて寄り掛かっていると、背後から子供たちが呼びに来た。
「リズ! 夕食だよ!」
子供たちに背中を押されるように、リーゼロッテたちは家屋の中に吸い込まれて行った。




