67.惜しい熱気
ミネルヴァに無理をしてもらい、複数回に分けて九十九名の魔族たちを大陸北西部ツァイツ王国から大陸南西部ラスタベルト王国まで運んだ。
最後にヴィクターとゲルドシュタート侯爵を乗せ、ラスタベルト王国王都ヘルムートの郊外へ降り立った。
九十九名の魔族が立ち並び、ゲルドシュタート侯爵が全員を確認していった。
疲れ切ったミネルヴァを肩で休ませつつ、リーゼロッテはその光景を見守っている。
「私を含めた百名、全員揃っております。次のご指示を」
「あとはヴィクターの指示に従って頂戴。
彼の言葉は私の言葉。
不服があれば私に直訴しに来なさい――
ヴィクター、あとは任せたわ」
恭しくヴィクターが頭を下げた。
「畏まりました。」
リーゼロッテはそのまま歩いて自宅へと向かっていった。
****
自宅に入り、時計を見る――午後二時過ぎ。
ラフィーネやイェルク、ウルズラたちは昼食を終えている頃だ。
思った通り、三人が部屋から顔を出してきた。
ラフィーネが駆け寄ってリーゼロッテに抱き着いた。
「お帰り! 今日は早かったわね」
「私だって、そう何度も遅くまで働きたくないわ
――どうしたの? イェルク」
リーゼロッテは、もじもじと何かを言いたげなイェルクに言葉を促した。
「いえその……
私もユーディトみたいに子供を授かれたらなって」
「あら、興味がわいたの?
でもあなたは王籍に復帰させて王女となる身。
簡単に私の子を授かると決めて良い訳ではないでしょう?」
もうじき手続きが終わるとは聞いていた。
リーゼロッテが『イェルク』と呼び捨てる事が出来るのも、そろそろ終わりだろう。
「貴族たちは、相変わらず魔族であるリズを侮蔑したまま。
そんなあなたを愛した私も同様よ。
婚姻相手が居ないんですもの。
ならリズの子供を授かっても問題がないわ。
見ていた限り、不安を感じる必要もないみたいだし」
リーゼロッテはニタリと笑った。
「そう思うのは早計よ。
これからユーディトを襲う数々の体調不良、それを見極めてからでも遅くはないわ――
身体を母体に作り替える摂理というのは、とても負担がかかるの。
それを甘く見ては駄目よ」
「……そういうものかしら。
でも確かに、二か月間見守ってみる方がいいかもね」
リーゼロッテがにこりと微笑んだ。
同時に、背後にある玄関の扉が叩かれた。
リーゼロッテに抱き着いていたラフィーネが玄関に向かい、扉を開けた。
そこに居たのはヴィルケ王だ。
リーゼロッテが微笑んで言葉を告げる。
「あら、どうしたの? こんな時間に。
もうあなたにはあまり暇な時間がないんじゃない?」
都市機能が復活した今、王の元にも政務が届いているはずだ。
ヴィルケ王が苦笑いをしながら告げる。
「その仕事の一環で、相談をしに参りました」
リーゼロッテは小首を傾げながら、ヴィルケ王を応接間に通した。
****
向かい合って座るヴィルケ王が早速用件を切り出す。
「今日中にはイェルクの王籍に復帰させる目途がつきました。
まずはそのご報告です。
つまりもう、実質的に王籍に戻ったと思ってください」
「あら、じゃあもうイェルク王女と呼ばなければならないわね」
横に座っていたイェルクが、激しくリーゼロッテの肩を揺さぶった。
「今更そんな他人行儀なんて嫌よ!
今まで通り『イェルク』と呼んで頂戴!」
「わかった、わかったから落ち着いて!」
リーゼロッテはイェルクを引き剥がして落ち着かせ、ヴィルケ王に次の言葉を促した。
「ではもう一つ。
こちらが相談事なのですが……
平民に課しているあなたへ愛を捧げる義務。
あれを撤回する事は可能だと思いますか?」
「……それだと、私の子供たちは迫害を受けるという話だったけれど?
それについてはどう考えているの?」
「現在、市民感情の多くはリズ殿下に友好的です。
その子供であれば、迫害される可能性は低いと思います。
困窮した生活を救ったのがあなただと言うことを、市民たちは知っているからです」
確かに、街に行っても敵意らしい敵意はほとんど感じない。
全くない訳ではないが、大多数は好意的だった。
「義務を負った世帯と負わなかった世帯、そこに不公平感は生まれないの?」
「それは直に聞いてみなければ分かりませんが、あなたの食卓を見ている限り、義務を負った世帯が不服に思う事はないように感じます。
残る問題は、あなたの魔力の補充くらいかと」
確かに、三百人の子供たちの愛を食べるのに、日付が変更するまで時間がかかっている。
学校が再開されている現在、早朝や昼間に愛を捧げさせる事もできない。
これ以上人数が増えても、食べる時間を確保するのが難しくなるだろう。
人数を増やすだけ無駄と言える。
今後はこの三百人からの愛を備蓄していく事で、魔王に対抗する事になるだろう。
「そうね……
今の都市機能が回復した王都であれば、普通の人間を生育できる環境が揃いつつある。
増産と出荷の計画を中止するつもりなら、今からでも都市機能に人を回して鍛えていく方が健全ね」
子供たちの生育という需要を作っておかなければ、供給する都市機能が育たない。
つまり、今後増える王都市民の新生児たちが必要な状況だ。
リーゼロッテの子供たちは直接術式で補佐していくし、あっという間に成長していく。
そこに都市機能の出番はない。
周囲の大人たちも補佐してくれるので、子供たちが初めての母親体験をしても問題がないはずだ。
イェルクが手を挙げて意見を述べる。
「いきなり完全に義務を撤廃するのはやっぱり反発を避けられないわ。
段階的に、まずは条件を緩和してはどうかしら。
対象年齢を据え置きで、募集をかける事にするの。
その時、リズが素顔を隠したまま面談をして、愛を感じた人だけ採用するとか」
募集をかけた結果が振るわない状態を続ければ、募集を打ち切る口実になる。
素顔を見せずに心囚われる、イェルクのような例外的な個体が多いとは思えない。
少なくとも子供たちの両親に、イェルクのように心囚われる個体は存在しないのだから。
「悪くないわね。
ヴィルケ王、そちらで検討してみて頂戴」
「わかりました――
イェルクの意見を採用するなら、迫害を受ける可能性を潰す、最も有効な私の案も聞いていただけますか?」
「なにかしら?
述べてみなさいな」
ヴィルケ王がリーゼロッテの両手を握り、目を真っ直ぐに射貫いた。
「あなたが王妃となれば、あなたの子供は王妃の子供となります。
私生児となりますが、私が継承権のない王族として認める法を作りましょう。
王族を迫害する度胸を持つ人間は圧倒的少数です」
リーゼロッテは頬が熱くなるのを感じて俯いた。
最近、ヴィルケ王から感じる熱量がラフィーネを超えてきている。
素顔を知らずに、よくもここまで熱い想いを寄せられるものだと感心していた。
手を握られ、見つめられて困っているリーゼロッテ。
そんなリーゼロッテを、篤い視線で見つめ続けるヴィルケ王。
――二人の握られた両手を、イェルクの手刀が鋭く断ち切った。
「お兄様!
あまりリズを困らせないで頂戴!」
不機嫌そうに眉をひそめるイェルクに、ヴィルケ王がニヤリと笑って見せた。
「おや? リズ殿下に変化があるとようやく認めたのかな?
ならば約束通り、俺の愛を忘却させる事はしないと解釈していいな?」
「誰もそんな事は言っていないわ!
リズはリズよ!
何も変わってなど居ないわ!
お兄様はそんな事より、人間の王妃探しに励みなさいよ!」
最近、何度かあったやりとりだ。
リーゼロッテは解放された手で顔を扇ぎ、頬を冷ましながら二人の様子を眺めていた。
「ヴィルケ王、今のラスタベルトに、そんなたくさんの王族を養っていく余裕はないわよ?
二十年前ですらないんじゃないかしら」
「やってみなければ分かりませんよ?
二十年前とは事情も大きく違う。
リズ殿下という存在も居る。
配給を優先する理由にもなる。
王族らしい生活をさせる事は難しいでしょうが、王家が手厚い支援を与える口実になるんです」
「王妃が市街に住むことに問題はないの?
子供たちの存在がある限り、私はここから離れるつもりはないわよ?」
「ではこの居住区に離宮を建てましょう。
あなたが住まう程度の、小規模なもので構わない。
王族が居住する住居であれば良い。
用があれば私がここに通う。
従来通りの形を維持しましょう」
つまり、この居住区は王族とその親族の居住区として新しく定められるという事だろうか。
居住区にはまだまだ空きがあるし、今後増えて行く子供たちの住居に困る気配はない。
離宮を建てる余裕くらいはあるだろう。
「外交対応はどうするつもりなの?
王と王妃が別々に住んでいたんじゃ、来賓が挨拶するのも大変よ?」
「離宮にも謁見の間を設けるだけですよ。
来賓には別々に挨拶をしてもらえばよいだけです。
リズ殿下はこの地方の執政官、私はその中の一国の王。
同列に並ぶ事が出来るとは、最初から思っていません」
「あー……その事なんだけど、私は近いうちに、南東部を含めた大陸南部執政官になるわ。
これはほぼ確定。
そしてこれは推測だけど、そう遠くない未来に、大陸全土を預かる執政官となるわ」
さすがにヴィルケ王が目を丸くした。
しばらく絶句した後、リーゼロッテの言葉に応える。
「もうそこまで話が広がっているのですか?」
「成り行きという奴よ。
私の手はまだ、ラスタベルトすら救いきれていない。
他の地域は今後、復興を進めながら余力を回していく形になるわね」
――こんなの私だって予想外の展開だ。
お父様打倒計画も、大幅に見直しをしなければならない。
加護を受けた人間の戦士たち――その育成を待つ必要が恐らく無くなった。
リーベルト公爵の配下百名。彼らに私の低級眷属を交えれば、それだけでもお父様の眷属には抗える公算が高い。
リーベルト公爵を含めた、その配下全員が揃えば、私の補佐すら要らなくなる。
即戦力が手に入ってしまった。
お父様は人間の減少にかなり焦っている。
戒めておいたから、あの時点では落ち着きを取り戻したと思う。
だけどその直後、北東部の人間半数が減ったのは大きな痛手のはずだ。
今頃は再び焦燥感に苛まれているだろう。
今後、四魔公がリーベルト公爵のみになった時――
その焦燥感から、私に大陸全土を委ねる可能性すらあるかもしれない。
私の統治下なら、人間が増えることを約束されているようなものだからね。
とはいえ、それは実質的な『魔族による直接支配体制』の放棄だ。
人間の統治を全てを私一人に任せる。
お父様はただ、魔王城で人間を受け取るだけになる。
魔王軍の中で、居ても居なくても変わらない存在となってしまう。
それはつまり、私が実質的な魔王の位置に立つようなものだ。
そんな事、あの用心深いお父様が許すだろうか?
これは私には予測不能だ。
私の統括地域が増える分、お父様が視察に来る場所を絞り込む事も難しくなった。
どの地域がいつ復興するのかも、今はまだ読めない。
つまり、時期も場所も読めなくなった。
待ちの姿勢で迎撃するなんて計画は、実現性が危ういと言わざるを得ない。
ここまでくると、魔王城に攻め込む事を考えてもいいのかもなぁ。
リーベルト公爵たちとヴィクター、そして私。
近衛部隊さえなんとかできてしまえば、残るのはお父様のみと言っても良い。
ガートナーさんとアロイスさんに魔王城の人間を逃がしてもらいつつ、それが完了次第、本格的に襲撃する。
魔王城付近ならお父様が全力を出しても、エッセングル山脈の中央が抉れる程度で済むはずだ。
リーゼロッテが物思いに耽っていた。
そんな彼女を、ヴィルケ王が興味津々で顔を覗き込もうとしていた。
リーゼロッテがそれに咄嗟に気付き、素早く反応した。
慌ててフードで顔を覆い隠して声を上げる。
「何を考えているの?!
私の顔を見たらどうなるか、忘れたわけではないのでしょう?!」
「ですが、リズ殿下は心境に変化がお有りだ。
私の愛を受け止めているなら、あとは私が愛を与えてもらうだけで済む。
あなたがわずかでも私を想ってくれていれば、多分素顔を見ることが出来るのではないかと」
「私は! 別にあなたを愛している訳では――」
「ないのですか?」
ヴィルケ王が小首を傾げて尋ねた。
リーゼロッテには、断言が出来なかった。
――そもそも愛がわからない私が、相手を愛しているか否かを判別できる訳が無い。
にこりとヴィルケ王が優しく微笑んだ。
「手っ取り早くそれを確認する方法が、素顔を見ることかと思うのですが」
「後戻りのできない賭けをする気はないわよ!」
「父上と約束した義務の撤回に、あなたは同意した。
つまりあの約束は効力を失いました。
現在の王である私は、貴族階級を特別扱いする気はありません。
心が囚われても、問題には成りませんよ?」
「世継ぎの問題があるでしょう?!
人間との間で婚姻できなくなるのよ?!」
「私は最初から、あなた以外を愛する気がないと言っていませんでしたか?
ここまで復興し、社交界も動き始めましたが、未だ私の元を訪れる令嬢は居ません。
王妃候補に目ぼしい女性がいない証拠ですよ」
「それは早計よ?!
彼女たちにも体調を整えて、身奇麗にする時間くらい与えるべきよ!
一年もする頃には社交界を通じて顔を出すはずよ!」
「その頃にはあなたの心がさらに変化して、私と深く愛を通じ合わせている頃ですね……
手遅れではないですか?」
――なん~~~でこんなに自信に満ちているのかな?!
どうしてそれが確定事項だと言わんばかりの口調なのかな?!
ヴィルケ王がにこやかにリーゼロッテに語りかける。
「なのでまず手始めに、あなたが私を愛し始めている事実を確認するのが先決でしょう。
どうです? 素顔を見せる気になりました?」
「なる訳無いでしょうが!
後戻りのできない賭けはしないと既に告げたわ!
私に同じ事を言わせないで!」
「……約束は効力を失ったと告げました。
私が心囚われても約束を破る事にはなりませんが、何が後戻りできないのですか?」
「あなたの天然物の愛が失われてしまうでしょうが!
そんな当たり前の事もわからないのかしら?!
この唐変木!」
ヴィルケ王がさらに喜色を漏らして微笑んだ。
「つまり、今の私の愛を惜しいと思っているのですね?
食べている訳でもないのに、不思議だと思いませんか?」
リーゼロッテは絶句していた。
――そうだ、なんで食欲が刺激されてる訳でもないのに、惜しいと思ってるんだろう?
食欲を感じる余裕もないほどの熱気で、いつも胸が熱い。
この天然物の熱気を失うのを、リーゼロッテは怖がっていた。
その恐怖を自覚していた。
イェルクの愛とは違う、この熱気にリーゼロッテは何を感じているのかと、自問自答していた。
困惑と混乱でリーゼロッテの頭が埋まっていく。
そんな硬直しているリーゼロッテを、イェルクが強く抱きしめた。
イェルクはヴィルケ王を厳しく睨み付けて声を上げる。
「まだ!
お兄様にリズを渡す気はないわ!
リズが自分で認めるまで、お兄様には渡さないわよ?!」
リーゼロッテは絶句したまま、呆然とイェルクに抱きしめられていた。
それを満足そうに見つめたヴィルケ王が、ソファから立ち上がった。
「用件は以上です。
ではまた後日、お会いしましょう」
イェルクに睨まれつつ、ヴィルケ王は応接間を退出していった。




