64.大陸北東部救出作戦
リーゼロッテは魔王城上空からゆっくりと北東部へ進んでいた。
ようやく姿を表せたガートナーが不思議そうに尋ねる。
「どうした?
ラスタベルト王国に戻るんじゃないのか?
しかもなんでこんなのんびり移動してるんだ?」
「一仕事の前に打ち合わせよ。
大陸北東部で四魔公が人間を食い潰す勢いで暴れ始めているらしいの。
本格化する前にそれを止めてくるわ。
ガートナーさんは私たち全員に隠遁魔法を。
防御結界も忘れないで。
準備ができ次第、急行するわ」
「お、おお。わかった」
ガートナーが防御結界を張り、隠遁魔法を祈った。
これでリーゼロッテたちの姿は誰にも見えなくなった。
その直後、ミネルヴァが不可視の流星となって大陸北東部へ飛び立っていった。
****
ミネルヴァが降り立ったのは大きな都市の王宮。
リーゼロッテは、そのまま無言で地面に降り立ち、探査術式を撃った。
四魔公、レッティングル公爵の反応へ向けて真っ直ぐ進んでいく。
城の中に人間の姿がない――嫌な予感がする。
謁見の間、玉座で退屈そうに座るレッティングル公爵の目の前に行き、瘴気を解放してから、リーゼロッテは言葉を告げる。
「人間たちはどこに行ったのかしら?」
リーゼロッテが言葉を発する事で、隠遁魔法が解けた。
四人の姿が玉座の前に忽然と現れる。
リーゼロッテの言葉と瘴気に驚いたレッティングル公爵が、玉座から腰を浮かせた。
「リーゼロッテ殿下?!
いつのまに?! なぜここへ!」
「あなたが人間を殺し始めているという、信じられない噂を聞いたから飛んできたのよ――
今すぐ人間の虐殺を止めなさい。
命令に従えないのであれば、私がここにいる以上理解はできるわよね?
ウィレンチュラ公爵からも、あなたの侵攻が恐ろしいという相談も受けている。
大人しく従う方が身の為よ」
レッティングル公爵は顔をしかめたまま、歯ぎしりをして応えない。
――まさか!
慌てて広域探査術式を撃ち、王都の生体反応を探る――王都に人間がほとんど残って居なかった。
リーゼロッテが厳しい目でレッティングル公爵を睨み付ける。
「よくもやってくれたわね……
まさか、大陸北東部の集落全てがこんな有様ではないでしょうね?!」
「……ははは! もう遅い!
既に三割は我らの力となっている!
残りも時間の問題だ!
今から配下に伝令を飛ばしても手遅れと言うものだ!
――こんな状態でも、まだ粛清をすると仰い――」
全てを言わせる前に、リーゼロッテの魔力の矢がレッティングル公爵の弱点を撃ち抜いていた。
彼は愕然とした顔で、塵となって消えた。
立て続けに室内の貴族級全てに矢を放っていく。
へたり込む平民階級の魔族たちと、塵になっていく貴族階級の魔族たちを見届けた。
「ヴィクター! 急いで外に出るわ!
この国の貴族級、全て潰す!
人間を滅ぼさせては駄目!」
慌てて手近なテラスからミネルヴァの背に乗りこみ、行き先を任せて移動していく。
街の上空、ミネルヴァが止まったところで探査術式を使い、空から次々と弱点を射抜いていった。
それが終わるとミネルヴァが森に向って飛んでいく。
木々が邪魔だ、遮蔽物が多い。
上空から一網打尽は無理だろう。
「ここからは手分けをするわ!
ヴィクター先に行って!」
即座にヴィクターがミネルヴァから飛び降りていった。
リーゼロッテがガートナーたちに尋ねる。
「――ガートナーさん、アロイスさん、二人だけで貴族級を相手できるかしら?」
ガートナーがリーゼロッテの言葉に、首を横に振った。
「さすがに俺たちだけじゃ無理がある。
だが、上空から襲われている人間に防御結界を張って時間を稼ぐことはできる。
アロイス、お前は目がいいだろう。
一緒にミネルヴァで上空から探していくぞ。
リズは森の中を走れ!」
「わかったわ!
済んだらミネルヴァを呼ぶから!」
リーゼロッテも軽やかにミネルヴァから飛び降りていった。
探査術式で人間を追い立てている貴族階級魔族を追跡し、有効射程に入った個体から次々と狙撃していった。
別の方角でも、ヴィクターが的確に貴族階級を滅ぼしているようだ。
二人がかりで森の中の貴族階級魔族を滅ぼし尽くしていった。
滅ぼし終わったところで、リーゼロッテは傍に居た人間に声をかける。
「ひとまず、街にいた貴族階級の魔族は滅ぼしておいたわ。
この森の中も、貴族階級はもう居ない。
でもこれから人間の生活がどうなるか、それはわからない。
それでも、森の中に居るよりはマシな生活ができるはずよ――
生き残った人間に伝えて回って!」
呆然と事態を飲み込めていない人間の男性は、何度か頷いた。
一応、意志は伝わったように見えるが、頼りなかった。
――大丈夫かなぁ?!
リーゼロッテが不安に襲われていた頃。
続いて上空からガートナーの大音量の声が森に木霊していく。
おそらく、拡声術式か何かを使ってるのだろう。
「王都ハーゲンと、この森の貴族階級魔族は、白銀の救世主リズが全て滅ぼした!
人間たちは全員、王都に戻れ!」
――なにその恥ずかしい名前。
リーゼロッテは一瞬、唖然とした。
だが大慌てで拡声術式を使い、夜空に文句を飛ばす。
「ちょっとガートナーさん!
勝手に人に恥ずかしい名前を付けるの、止めてくれないかな! 迷惑よ?!」
「ぶははは!
こういうのはインパクト勝負だ!
恥ずかしいぐらいで丁度良いんだよ!
そんなことより、他の場所の人間を救うんだろう?
早く合図をしてミネルヴァに乗りこめ!」
――ああもう! そうなんだけどさ!
リーゼロッテの顔は羞恥で真っ赤に染まっていた。
だが恥ずかしがっている場合でもない。
魔力を込めた指笛を吹き鳴らす――上空にミネルヴァが現れ、浮遊術式で背に飛び乗った。
ほぼ同時にヴィクターも乗り込み、全員が腰を下ろした瞬間、白銀の流星が別の街へ向かって飛んでいった。
****
大陸北東部、その主要な街の貴族階級魔族を滅ぼし終わった時には、もう夜も遅くなっていた。
ガートナーがミネルヴァの上で大の字になっている。
「だめだー! もう腹減って動けねぇ!」
昼間から夜遅くまで、ずっと魔法や術式を使い通しだ。
空腹もあるだろうが、ガートナーの魔力も尽きているのだろう。
アロイスが苦笑していた。
「あんたら、働きっぱなしだったからね。
何か持ってくりゃ良かったね」
だがヴィクターは平然としていた。
疲れもなさそうで、空腹を覚えている様子もない。
リーゼロッテは疑問に思って尋ねる。
「ヴィクターはお腹空かないの?」
「三日間までなら戦闘継続できますので」
さらりと言ってのけた。
アロイスが笑いながらリーゼロッテに告げる。
「ヴィクターは別格だよ。
人間の規格じゃないんだ」
「そんな事はない。
戦士ならこれくらいできて当然だ。
訓練次第でお前でも出来るようになると、二十年前に伝えただろうが」
アロイスが両手を上に挙げ、降参の意を示した。
「試してみて無理だったから言ってるのさ。
どうしても腹が減って倒れちまうんだ」
「そこを超えると平気になる。
それに慣れる訓練をするんだ――
そうか、やり方までは、教えてやれなかったな」
リーゼロッテは苦笑を浮かべた。
「別にそこまでしなくていいんじゃない?
とりあえず、大陸北東部はこれである程度救えたかな?
ミネルヴァも動かなくなったし」
ガートナーがリーゼロッテに告げる。
「月の神に聞いてみろリズ。それが確実だ」
「はーい」
(ねぇ月の神、大陸北東部はこれで人間が生きていける状態なの?)
『そうね、あなたたちの暴れ振りが逆に魔族たちに広まって、逃げ出しているみたい。
しばらくは大丈夫でしょう』
(失った人間はどのくらいの人数になるのかしら)
『そんなこと知りたいの?
一週間前と比べて、半減してるわね。
よく救えた方だと思うわよ?』
(そっか……ありがとう)
「しばらくは大丈夫らしいわよ。
でもまだお父様の支配圏。
南東部か北西部の四魔公がここにやってくるはず。
そうなったら再び魔族の圧政が再開されるわ。
束の間の休息ね」
ガートナーが頷いた。
「そうだな。
人間社会の崩壊具合は、南西部よりはだいぶまし、南東部と比べていい勝負ってとこだ。
後は食糧問題だが、この地域は農地に向かない大地が続く。
ラスタベルトの麦が頼りになる。
今回の事は弱い個体の口減らしにも繋がった。
食糧問題は少しだけ緩和するだろう。
嫌な言い方だけどな」
魔族に襲われ、逃げ遅れるような人間――老人や子供を中心に命を落としたかもしれない。
逃げ遅れた人々を守ろうと抗った人間――そういった者も、数多く命を落としただろう。
失った損失は大きいと言える。
そのことに思いを巡らせ、リーゼロッテは複雑な心境だった。
――半減か……復興できるのかな。
アロイスがリーゼロッテの顔を見て尋ねる。
「あんたもだいぶ暴れてたみたいだけど、魔力は平気なのかい?」
「魔王城で百人分の愛を食べておいたからね。
その補充で賄えてるわ――
さて、帰りましょうか。
帰りに一度魔王城で宰相に報告してくるわ」
そう告げた途端、ミネルヴァが白銀の流星となって魔王城へ飛んだ。
****
リーゼロッテは執務室に居るアーグンスト公爵に、すぐに報告を上げた。
アーグンスト公爵は真顔でリーゼロッテを見ている。
「なるほど、すでに手遅れでしたか」
「ええ。半数近くは救えたと思うけど、人間の数はかなり減ってしまったわね……
大陸北東部はどうするの?」
「そうですね……
こうなったら、ウィレンチュラ公爵に北東部に移動してもらいましょう。
本日検討していた案の一つですが、それが一番妥当でしょう」
「ええ?!
じゃあ大陸南東部はどうするのよ?!」
アーグンスト公爵が優しく微笑んだ。
「リーゼロッテ殿下がお治めください。
大陸南西部執政官を改め、大陸南部執政官となって頂く、ということです」
「私に二つの地方を統治しろっていうの?!
第一、数が半減した北東部の人間じゃ、ウィレンチュラ公爵一派を養えないはずよ?!」
「大陸北西部の人間を少し、移動させましょう。
そこはこちらで調整いたします。
殿下は大陸南部に殿下の望む世界をお作り頂き、増産に励んで頂ければ宜しいかと」
リーゼロッテには、その笑顔の真意が掴めなかった。
困惑したが、魔王の真意を探るなど、娘である彼女でも出来はしない。
――これ以上ここに用があるわけでもないし、早く帰らないと子供たちも待ってる。
「わかった、でもお父様の承認がまだでしょう?
来月、その確認をしたら大陸南東部も引き受ける事にするわ」
****
魔王城から飛び立ったミネルヴァの上で、リーゼロッテは大陸南部執政官の話を伝えた。
ついでにウェレアムレイト公爵の危険な言動についても伝えた。
ウェレアムレイト公爵については、案の定ガートナーたちも、その存在を危惧する声を上げた。
「そいつを放置する手はない。
確実に潰さないと、こちらが食われる」
アロイスもそれに同意していた。
「このままじゃ、間違いなく魔王とリズの共倒れは狙ってくるだろう――
だがそれより、裏社会潜伏計画って奴の方が興味が引かれるね。
可能だと思うかい?」
リーゼロッテはヴィクターを見た。
裏社会というものを知らないリーゼロッテには判断が付かない。
魔王がリーゼロッテに継承させなかった知識だ。
ヴィクターが小さくため息をついてから言葉を告げる。
「これは殿下へのご報告から隠していた事。
できれば知らずに居て欲しいものでしたが――
裏社会というのは、人間社会が複雑化すれば必ず生まれる膿のような世界です。
魔族が好む血と暴力の横行する世界。
そんな社会が表裏一体となるのが人間社会です。
裏社会には裏社会の秩序と言うものが生まれ、街の無法者たちを飲み込んでいきます。
それはそれで、必要悪として存在するものです。
街が大きくなれば裏社会も大きくなる。
ある程度の魔族を飲み込む許容量を持つでしょう」
リーゼロッテはヴィクターの言葉で愕然としていた。
「私の作る、愛と平和で潤った世界だろうと、必ず生まれるものだというの?!」
「もちろんです。
人間が人間である限り、必ず生まれます。
人間社会には闇の需要が生まれます。
そして街には必ず社会から落ちこぼれる集団が生まれ、無法者と化します。
無法者が需要に対応していくうちに秩序だった社会を作り上げる。
それが裏社会です」
裏社会の『需要』――
国家が規制している品や人を欲しがる声だ。
貨幣経済が復活した今の王都では、既に裏社会が形成されていた。
その取り締まりも既に始まっている。
以前話題に上がった闇酒も、そういった品の一つだった。
リーゼロッテが不快な表情で唇をかんだ。
「既に兆候はあったのね……
今、その裏社会の状況はどうなっているの?」
ヴィクターが淡々と告げる。
「魔族支配時代でも見逃され易かった、裏社会の組織を構成する人間が中心となって秩序を作り上げていますよ。
神魔大戦前からの組織が半分、新興の組織が半分といったところでしょうか。
盗品の売買は見逃しているところですが、人間の売買は全て取り締まっています。
そんな状況です」
――あんな平和な街なのに、そんな私の嫌いな負の感情が渦巻く欲望を持った人間がいると言うの?
リーゼロッテはヴィクターの言葉を信じられず、言葉を失っていた。
ヴィクターが苦笑を浮かべる。
「裏社会は表社会から隠れて存在する世界。
目には見えませんよ。
表社会でも影響力を振るおうとする組織は全て叩き潰していますので、尚更です。
放置していると表社会が裏社会に支配される事を許してしまいますからね。
残存しているのは、秩序をもって裏に引っ込んでいる大人しい組織ばかりです」
「……魔族が棲み分ける許容量のある社会が存在する事は理解したわ。
そこに普遍的な魔族を住まわせる利点はあるのかしら」
「理知的な魔族であれば利点は出ますが、一般的には暴力に酔いしれる個体の方が多い。
そういった魔族を統制できる個体が率いる一派であれば、利点は生まれるでしょう。
裏社会にも自浄作用を期待できるようになりますので、こちらの手間も減ります」
「つまり、裏社会の取り締まり業務の一部を、そういった裏社会に潜む魔族の一派に委任してしまう、そういうこと?」
「人間は魔族に勝てませんが、魔族は殿下に勝てません。
一方で殿下は人間を殺せない。
そういった三竦みの状況にはなるでしょうね――」
魔族が統制する裏社会で、人間は魔族に逆らえなくなる。
リーゼロッテが統制する社会全体で、魔族はリーゼロッテに逆らえない。
結果として裏社会も、リーゼロッテの望む状態を保ちやすくなる。
「――これは中々巧い共存方法だと思いますよ。
ウェレアムレイト公爵発案という点を除けば、とても優れた案です――
ただし大前提が一つだけあります」
「なにかしら?」
「殿下が社会に君臨し続ける事――
殿下の存在が大前提です。
殿下が寿命を迎えた後、魔族が好きに支配する裏社会が出来上がります。
人間は魔族に逆らえません。
そうなれば、表社会も魔族が支配する世界へと変わる。
すぐに表社会に魔族が進出を果たし、人間社会全体に君臨するでしょう」
――それは……不健全だなぁ。
ヴィクターがリーゼロッテに尋ねる。
「殿下、魔族は寿命を迎える前に、それに気づけるものなのですか?」
「できるけど……
何をさせる気?」
「殿下が魔族として子供を残し後継者とする――
これならどうでしょうか」
人間との合いの子ではなく、魔族の生態として純粋な魔族の子供を残す、という意味だ。
リーゼロッテは深いため息をついてから返事をする。
「あのねぇ……
魔族の個性は宿る魂に大きく依存する。
私から生まれるのは普遍的な魔族が普通のはずよ!
そんな存在が表社会も牛耳ったら、即座に破綻するわ」
「ではこの案は却下ですね。
残る可能性は時限性――
殿下が寿命を迎える頃に裏社会から魔族を追い出すくらい、でしょうか」
大陸のどこかに魔族が生き残れる余地を作り、そこに隠れ棲んでもらうぐらいだろうか。
おそらく数百年で魔族に虐げられた記憶と共に、魔族に対する憎しみも薄れるだろう。
そのぐらいの時期に隠れ里を作る余地は生まれるかもしれない。
だがリーゼロッテが居なくなったあと、魔族が大人しくしているかと言うと疑問が残った。
そこでリーゼロッテはふと気づいた。
不可避の裏社会が普遍的な魔族と相性が良いのなら、なにをどう足掻こうとそこに魔族は居着く。
魔族を滅ぼさない以上、それも不可避だろう。
きっと魔王も、そうやって力を蓄えた。
リーゼロッテが打てる手は、魔族に対抗する手段を残すぐらいだろう。
ガートナーがニヤリと笑って語った。
「魔王が滅んだ後なら各地の神殿を機能回復できる。
加護のある人間なら魔族に対して勝ち目がある。
裏社会に潜むような人間に大した加護は与えられないから、裏社会の秩序は魔族が守る。
そして表社会を加護を持った人間が守る事になる。
そう大きな不安はいらんだろう――
リズは、魔族を滅ぼしたくはないのだろう?
ならばその計画は、飲んでみてもいいと思うがな」
リーゼロッテが腕を組んで考え始めた頃。
ミネルヴァがラスタベルト王都に降り立った。
リーゼロッテが瞬く間に子供たちに囲まれたのは言うまでもない。




