57.王妃の資質
結局、そのままディートリント嬢は部屋に戻ってくることがなかった。
リーゼロッテが『さっきまで扉の傍で聞き耳を立てていたのにね』と告げると、ヴィルケ王たちは苦笑した。
その意味がわからず、リーゼロッテは首を傾げていた。
自分に見込みがないと知って、それ以上は時間の無駄と切り捨てたようだ。
臣下の娘が、王を客として招いておきながら、こうも自分本位で行動できる、その神経の太さと面の皮の厚さ。
呆れ果てる人間性と言える。
ヴェゲン辺境伯の面目も丸潰れだろう。
父親の立場も思いやれない者が、王妃の資質など持つ訳もない。
リーゼロッテは、その事まで気が付いていない。
そんな人間が居る事に、想像が追い付かないのだ。
『何か用事でもできたのだろう』ぐらいにしか思っていない。
人間の悪意には疎い――そんな面があった。
魔王が敢えて継承させなかった知識なのだが、それはそれでリーゼロッテという存在を作り上げる要素となっていた。
ヴィルケ王たちは苦笑しながら「じゃあ帰りましょうか」と言い出した。
「本当にいいの?
折角の王妃候補よ?」
「彼女に王妃は重責過ぎます。
背負わせるだけ本人も、民も不幸になる」
――ヴィルケ王はそれで納得してるみたいだし、それでいいか。
今回、リーゼロッテは部外者だ。
当人たちが納得してるなら、それでいいと自分も納得した。
ヴェゲン辺境伯はただ苦笑している。
「国の力になれず、申し訳ありません」
ヴィルケ王も苦笑で返す。
「こればかりは本人の資質が大きい。
教育ばかりが原因ではあるまい。
そう気を落とすな」
玄関前では、まだちびちびと果実酒を愉しむ衛兵たちが居る。
「配給には果実酒や麦酒も含まれるはずよ。
一週間後を楽しみにしておくことね!」
陽気な兵士たちから快哉が上がる。
ミネルヴァに乗りこんだリーゼロッテたちを、兵士たちの陽気な声が送り出す。
白銀の流星は、遥かヴェローナの港町へと飛んでいった。
****
港町に降り立ったミネルヴァの上で、ヴィルケ王たちがきょとんとしていた。
「ここはどこですか?!
港?! まさかヴェローナ?!」
「そうよ?
漁師たちが避けてくれていたという鮮魚、今日はもう不要だと伝えておかないと無駄に待たせてしまうわ」
リーゼロッテは浮遊術式でふわりと降り立ち、鮮魚を分けてくれた漁師たちの元へ走っていった。
「朝はありがとう!
持て成した兵士たちは喜んで食べていたわ!
もう欲しがる人は居ないから、避けなくていいわよ?」
漁師は大きく目を見開いていた。
「偉い人への献上品じゃなく、兵士たちに振舞ったのか?!」
「そうよ?
王が臣下の領地を訪れるんですもの。
手土産くらいは必要でしょう?
みんな味わって食べていたわ。
とても素晴らしい手土産だったと思うの」
「臣下の領地って、領地の私兵に振舞ったのか……
リズは相変わらずだなぁ。
子供たちには振舞わなくていいのか?
充分な量があるぞ? 三百人だったか?」
「悩ましいわね……
この時間だと、もう夕食の準備が始まってると思うの。
ここで鮮魚が追加されても、料理を担当してる人たちが困ってしまいそう」
「なぁに、刺身で一皿追加すりゃいいさ。
良いから持ってけよ。
二十匹もあれば、子供三百人には足りる奴だ」
そう言うと傍にある大量の木箱を指さした。
中には大きな鮮魚が二十匹、確かにこれを刺身にすれば、三百人分くらいはありそうだ。
「保全術式は施してある。
明日の朝までは獲れ立ての鮮度で食べられるぞ」
「うーん、そこまで言うならもらわない方が失礼ね。
じゃあ有難くもらっていくわね。
今度お礼になにか持ってくるわ」
漁師たちが大笑いしている。
「ははは!
リズが居なきゃ、この海の幸は手に入らなかったんだ。
気にせず持ってけ!」
結局、リーゼロッテたちは肩を寄せ合い、大きな木箱を二十ほど浮かせてミネルヴァに乗りこんだ。
「なんだか、予定が狂ったわね……
とにかく、自宅に戻るわ!」
リーゼロッテが声を上げると同時に、ミネルヴァが白銀の流星となってラスタベルト王国へ駆けていった。
****
その後はヴィルケ王と別れた後、ラフィーネやイェルク、アロイスの手も借りてリーゼロッテが刺身にした鮮魚を各家屋に配っていった。
夕食時になると子供たちが呼びに来て、リーゼロッテたちも食卓に向かう。
鮮魚が思ったより大きかったのと、子供たちが自分たちの分を家族にも分け与えたので、食卓全員の前に鮮魚が並んだ。
大人たちは感動しながら少しずつそれらを口にし、子供たちはぺろりと平らげていった。
アロイスも一口を噛み締め、しみじみと「美味いねぇ」と呟いていた。
「そんなに美味しいものなの?
栄養価がそこまで高いものには見えないけど」
「なに、私らにとっちゃ思い出の味って奴だ。
これを食べると二十年前を思い出す。
そんな味なのさ」
――記憶で味が変わるってこと?!
リーゼロッテが小首を傾げていると、楽しそうにアロイスが笑う。
「それがわからないうちは、まだお子様ってことさね。
大人になれば、自然とわかるようになる」
――尚更わからないんだけど?!
魔族は成長しない。
リーゼロッテがその味を知る日は、来ないのかもしれない。
リーゼロッテがふぅ、とため息をついてから、言葉を告げる。
「せっかく色々用意したのに、今日は無駄足になったのが少し残念ね」
イェルクが意外そうな顔をして応える。
「あら、そんなことはないわよ?」
「え? だってヴィルケ王の婚姻相手にはならないんでしょう? あの子」
「……やっぱり無自覚なのよねぇ、リズって」
――どういうこと? なにが?
リーゼロッテがきょとんと見つめていると、アロイスが楽しそうに笑った。
「リズあんた、ヴェゲン辺境伯の最初の印象を覚えているかい?」
「ああ、なんだか前王の同類、卑しい人間かなって評価してたかな」
「じゃあ今日が終わった時の彼の評価はどうなって居たんだい?」
「……きちんと部下たちの心を評価できる、為政者の資格がある人間、かな?」
「大分隔たりがあるとは思わないかい?
たった一日の違いだよ?」
はた、と気付いたようにリーゼロッテが考え込んでいた。
――彼に何が起こったんだろう?
イェルクがふぅ、と息をついてから告げてくる。
「あなたの魔性に囚われ、本来の資質をあなたに見せたのよ。
彼がお父様の同類であった事は、彼自身認めなかった?」
「確かに、そんな風に自省して見せたわね」
「彼に反省を促し、彼本来の資質を目覚めさせた――
今の時代に必要な、自ら考え、動くことが出来る為政者よ。
お父様の時代には見ることのできなかった姿でしょうね。
きっとお父様の同類であることも間違いではないの。
でも光るものも持っていた。
あなたはたった一日、自分の姿を見せたことで、彼が持つべき姿を見せたのよ。
それがあなたの魔性の一つ」
――私の魔性に、いくつも種類があると言うの?
混乱して、リーゼロッテが頭を両手で抱えていた。
イェルクが優しくリーゼロッテに微笑んだ。
「人の上に立つ者は、下の者が見上げた時に手本となるべき存在よ。
それこそが上に立つ者の資質。
あなたは優れた為政者であると共に、慈しみ溢れる存在。
人として『こうありたい』と心あるものなら憧れを持ってしまう存在なの。
そんなあなたに、ヴェゲン辺境伯が為政者としての手本を見たのよ」
リーゼロッテは戸惑いながら尋ねる。
「それと今日が、どう結びつくの?」
「あなたがこの二日で彼の資質を目覚めさせた――
ラスタベルト王国の重要拠点、東の国境を含めたヴェゲン領を治めるヴェゲン辺境伯を為政者として目覚めさせたのよ。
それは充分な見返りと言えるのではなくて?」
確かに、東の国境沿いは重要拠点。
今後の魔族との戦いを考えた場合でも、優れた統治者に治めていて欲しい場所。
広大な牧草地は多くの馬を生み出す、大穀倉地帯に次ぐ重要拠点でもある。
大陸を繋ぐ街道沿いでもあるし、アルノルトの街は通商の重要拠点ともなる。
そんな地域を治めるヴェゲン辺境伯が、リーゼロッテが為政者足り得ると認める資質を見せた。
最後には魔族であるリーゼロッテに対して、敬意すら感じるほどの態度を見せていた。
生まれや種族ではなく、本人の資質を見ることが出来る人間へと変貌を遂げていた。
今の彼ならば、リーゼロッテの子供たちへ偏見を持つことなく、平等に資質を見定めて対応する事もできるだろう。
そう考えると、確かに今日一日は無駄とは言えない。
確実に未来に対する布石、投資だったと言える。
「……なるほど、『無駄ではない』と言い切れるわね」
アロイスが笑いながら告げる。
「少しは自分の資質について自覚ができたかい?
あんたは資質を持つ人間を触発できる存在なのさ」
リーゼロッテはまだ納得が仕切れなかった。
だがヴェゲン辺境伯という、頼りになる味方を得た事実は認めていた。
彼の部下には優れた人材が多い。
それだけ、彼自身にも優れた資質がある証拠だ。
優れた人間が優れた人間を率いる――組織として理想的な形だと言える。
その結果は納得できるのだが、変化の原因が自分と言われても首を傾げるばかりだ。
イェルクが小さく息をついた。
「――やっぱり、そこはまだ無自覚みたいね。
まぁいいわ。
その無自覚な所が魔性の一因なのだから。
自覚して計算高くなったリズなんて、私は見たくもないし」
アロイスが頷いていた。
「違いない」
周りの大人や、挙句には子供たちまでが頷いていた。
「……私は冷徹で計算高い為政者のつもりなんだけど?
もしかして魔王の娘、侮られてる?」
途端に周囲が大笑いを始めた。
――やっぱり侮られてる?!
リーゼロッテがむくれてそっぽを向くと、ラフィーネが抱き締めて宥めた。
「いい子ね~。そんなにおへそを曲げていたら、可愛い顔が台無しよ?」
「私は!
人間に畏怖されるべき魔王の娘なのよ?!
なんで逆にこんな温かい気持ちで包まれなきゃならないのよ?!」
「あら、でもリズは愛と潤いに溢れた世界が好みなんでしょう?
ならばこれはあなたが望んだ世界。
仕方がないわね?」
リーゼロッテが歯ぎしりをして悔しがっていた。
――なんだか納得がいかないわ!
****
――ヴェゲン領アルノルトの街、ヴェゲン辺境伯の私室。
ヴェゲン辺境伯は、紅茶に蜂蜜を落としたものを口に含み、その甘さを身体に染み渡らせていた。
彼が昨日、そして今日見た魔王の娘と名乗る少女、リーゼロッテの姿を思い出しながら、二十年振りとなる嗜好品の味に身を任せる。
己は利己的で卑しい魔族と言い放ちながら、リーゼロッテは他者を思いやる慈しみの心で溢れていた。
『全ては副官が考え、決める。自分はそれを認めるだけだ』と言いながら、副官に言葉を与え、彼の計画を変更させた。
それも全ては、会ったばかりのヴェゲン辺境伯、引いてはその領内に居る領民を思っての行動だ。
リーゼロッテの副官、ヴィクターの計画では、各領地の生産拠点に絞って回復を図るつもりだったのだろう。
餓死者を恐れなければ、それが最も効率良く国力を回復させられる。
そこを曲げさせ、ヴェゲン領内で自治を促させ、より多くの民を救える可能性を欲した。
放置していればヴェゲン領内の生産拠点のみに配給が回され、他の街は後回しになり、餓死者が続く事態に長く耐えなければならなかった。
だがヴェゲン辺境伯が努力すれば、その未来を変えて領民の多くを救える未来を提示して見せたのだ。
充分な説得力を持つ言葉で、計算高い副官を納得させて見せた。
ヴェゲン辺境伯は、リーゼロッテが『可能ならば全てのラスタベルト王国民を救いたい』と欲している事も気付いた。
だが現実は厳しい。それは不可能だ。
物資も人手も、絶望的なほど足りない状況だ。
それでもそれに近い未来を手に入れる事ができる――ヴェゲン辺境伯が努力すれば、その可能性があると示唆した。
その姿に、ヴェゲン辺境伯は憧憬を抱いた。
為政者としてこうありたいと願ってしまった。
前王グレゴールには抱く事のなかった思いを、魔族の少女に見た。
わずか一日で自分をそこまで変えてしまった一人の少女に、ヴェゲン辺境伯は心を囚われたのだ。
昨日までは『魔族など汚らわしい』と思っていた自分が、今では魔王の娘に憧憬を抱いている。
実に不思議な気分だと、我ながら思っていた。
あれだけ優秀な為政者なのだ。物資の重要性など充分に理解している。
だというのに、手元にある貴重な品々を惜しげもなく王の歓待に使わせた。
ヴェゲン領の領民である私兵たちが渡した物資に羨望を抱いていると気付き、急いで追加の手土産まで持参してきた。
急場凌ぎではない、本物の値千金の手土産――それらを私兵に惜しげもなく振舞って見せた。
その慈愛と度量は、人として憧憬を抱かずにはいられない。
そんな姿を見せられて、卑しく狭量だった己を恥ずべき存在だったと自省せずにはいられなかった。
私兵――領民たちにのみ許された、二十年振りのヴェローナの鮮魚。生まれて初めて見る憧れの品。
それは確実に私兵たちの士気を高め、明日を生きる活力に変えただろう。
今まで辺境伯とその娘にしか許されていなかった特別待遇、それが霞む待遇を受けた。
この街ではこれ以上ないと言えるほどの贅沢を、平民の自分たちと騎士たちだけが味わえたのだ。
おそらく、一生涯忘れる事のない味と思い出を魂に刻み付けただろう。
リーゼロッテはこれを、無自覚にやる。
彼女は一切の自覚なく、他者を慈しみ喜ばせる。
己のやった事の価値を理解せず、ただ喜ばせたいから喜ばせる。
それでいて計算高く、冷徹な為政者の面も持ち合わせる。
慈愛に溢れる魔族、矛盾の塊。それがリーゼロッテなのだとヴェゲン辺境伯は理解していた。
まるで、苦くて甘い、この蜂蜜を落とした紅茶のようではないか――そう微笑んでいた。
そんな彼女の在り方は、どうやら娘になんの感慨も抱かせなかったらしい。
終始、魔族である彼女に敵意を向け続けていた。
窓の外に見える兵士たちの変化にも気づかず、以前通り利己的に振舞い続けた。
自分の前にある二十年振りの嗜好品の数々――それにすら、何の感慨も抱かなかったようだ。
自分なら受けて当然の待遇――生まれて初めて見る品々にすら、その程度の思いなのだと、表情が物語っていた。
それを同席していた女性たちに暗に責め立てられ、最後には逃亡した。
ヴィルケ王は『本人の資質が大きい』と仰ってくれた。
リーゼロッテの在り方に心打たれるようであれば、目も在ったかもしれない。
だが彼女の在り方に何も感じ入る事が出来ないのであれば、それはもう資質がないと言うしかない。
そんな娘が王妃になれば、国を我欲で振り回し、最悪食い潰す事だろう。
この時代、この状況であれば、その最悪は充分に考えられる。
王妃足り得ないのだ。
リーゼロッテのような存在が王妃であれば、ラスタベルト王国も安泰なのだが――
それは叶わぬ願いだと、諦観に包まれながらヴェゲン辺境伯はカップを呷った。




