48.アロイス
その夜、リーゼロッテたちはアロイスたちを招いて、楽しい食卓を囲っていた。
子供たちの幸福な微笑みに、リーゼロッテは心からの微笑みを返していた。
美味しそうに食事を進める子供たちを眺めながら、紅茶の香りを鼻に届けていた。
「本来の食卓は、こんな雰囲気なんだねぇ……
こんな時代にこんな空気の食卓、他の場所じゃ在り得ないね」
アロイスがしみじみと呟いた。
女の子の一人が胸を張って応える。
「当たり前よ!
リズが毎日、身を粉にして作り上げた食卓よ!
幸福を感じない訳がないじゃない!
特にこの猪の肝臓は、リズがその為にリンゴ酢を作ったぐらいリズの愛が詰まってる一品なんだから!」
アロイスが興味深そうに猪の肝臓を口にする。
じっくり味わい、飲み込んでから言葉を告げる。
「なるほど、これだけ甘く仕立ててあれば、苦手な子でも食べやすくなるね」
リーゼロッテは微笑みながら応える。
「イェルクの好みに合わせたのよ。
元々、病弱なイェルクの為の一皿なの」
イェルクが澄まし顔で言葉を告げる。
「猪の肝臓を毎日食べるようになってから、すっかり病弱な身体とは無縁になったわ。
王族だった頃より、平民である今の方が健康だなんて、皮肉な話よね」
――王族……ヴィルケ王子はどうしてるだろう?
今頃は王位継承の手続きで忙しいだろう。
その内、アロイスと連携して動いてもらう事も増えるように思えた。
リーゼロッテはアロイスに尋ねる。
「アンミッシュの森の下見はどうだったの?」
「ああ、とてもいい森だね。
あれなら、三万人くらいは余裕で養えるよ」
アンミッシュの森は、ラスタベルト王国西部に広がる広大な森林地帯だ。
隣国のカリアン王国やヴェローナ王国の境になってると言ってもいい。
森の中を街道が走っていて、途中途中に街があったのだが、それらは全て廃墟になっている。
リーゼロッテが今日、地均しした場所は王都に最も近い街の跡地。
元々、森と同じアンミッシュと呼ばれた街があった場所だ。
ここが当面の生産拠点になるだろうという話だった。
それと並行して街道沿いの街を蘇生させていき、カリアンやヴェローナとの交易の足掛かりにした方が良いだろう、という話だ。
「なぁリズ。
今日みたいな地均しは、疲れてない状態ならいくつぐらい余裕を残しながらやれるんだい?」
「そうねぇ……
余裕を持って、か。
常設している低級眷属の分を差し引くから、五か所から十か所が限度じゃないかしら」
当然、疲れ具合は広さなどの条件に依存する。
そこは現地を見ても居ないのに明言はできない。
リーゼロッテなりに考えた、『だいたいそのぐらいだろう』という概算だ。
「あと一日は休んでもらうとして、明後日からカリアンに近い街道沿いの廃墟から地均ししていこうか。
廃墟を全て地均ししても、数日で終わるはずだ」
要は、後発隊に街づくりの準備をさせて出発させておいて、地均しが終わった場所に少しずつ住民となる人間を置いて行く、という話らしい。
街の広さ次第だが、当初は数百人から千人ぐらいになるだろうとのことだった。
資材となる樹木は周辺にあるので、持ち込むのは道具だけになる。
食料も周囲の森から得て生活していく形になる。
そうやってカリアンとラスタベルトとの間の交易路を確保してしまおうという話だ。
同時にヴェローナ方面の街道も同じように整備して、森の資源を消費する箇所を分散する。
あとは各街から収穫物を王都まで輸送する、という計画だ。
「森の資源だって無限じゃない。
回復する余地を残さないといけないからね」
何千、何万もの人々の需要を賄おうとするなら、負荷を分散させるのは必須となる。
リーゼロッテが残念そうに呟く。
「でもそうすると、二万五千を全て王都には入れられなくなるわね」
「なぁに、元々そんな人数を王都に収容して食わしていく余裕なんてないんだ。
少し減らした方が良いのさ」
確かに、フィリニス市民四千人ですらパンクしかけた。
その五倍以上の人口なんて、受け入れる余裕は無い。
アロイスが頼もしい笑みを浮かべて告げる。
「明日もミネルヴァを借りて、私がカリアンに話を伝えに行くよ。
それで無駄なく作業が進むはずだ」
「わかったわ――
それ、私からミネルヴァを取り上げることで、強制的に休ませるのも目的ね?」
「ははは!
見抜かれちまったかい!
あんたはミネルヴァが居ると、どこにでもポンポン移動していっちまうからね!」
実際、ミネルヴァを奪われたリーゼロッテは、出来る事の大半を失っていた。
自分が考えてる以上に、リーゼロッテはミネルヴァに依存していたようだと、自覚を始めていた。
****
リーゼロッテは子供たちからの愛を受け取り終わり、ラフィーネとイェルクからも改めて愛を捧げてもらった。
これで魔力はもうほとんど回復したと言える。
リビングでソファに座っていると、正面にヴィクターが腰を下ろした。
「今日は大変な一日でしたね」
「全くよ!
子供たちにまで泣き顔を見られるだなんて、不覚にも程があるわ」
朝、泣いてしまったのは彼女自身でも、なんとなく理由がわかる。
リーゼロッテは人間を殺せない個体だ。
それは負の感情が苦手というのもあるが、本当は心がそれを拒否するからだ。
そんなリーゼロッテが、詭弁で自分を騙す事で人間を殺す方法の一つがカリアンで使った方法。
リーゼロッテの瘴気で人間を殺してしまう。
『そこに殺意は必要ない。ただ瘴気を抑えるのを止めればいい』。
そんなものは、もちろん詭弁だ。
普段は我慢して抑えている瘴気を解放する。
それは明確な殺意だ。
魔力を介して殺してしまうと、殺した手応えを感じてしまう。
だから瘴気という気配だけで殺す事で、手応えを感じることなく殺している。
紛れもなく、殺意を持って人を殺したのだ。
その行為に、心が激しい拒絶感を覚えた。
――やっぱり私には向いていない行為らしい。
たった九十人を手にかけるだけで、あれほど取り乱すくらい、心に負荷がかかった。
今後は極力控えなければならない――そう、リーゼロッテには思えた。
魔族なら、一晩でその二倍や三倍は手にかけてきた。
『だというのに、不思議なものだ』と思っていた。
実際には、リーゼロッテは同じ程度に心を痛めている。
心が麻痺して、自覚できないだけだ。
その事を、うっすらと理解するようになっていた。
――では、昼間泣いてしまったのは何故だろう?
女の子に「分かち合う愛を捧げさせて欲しい」と言われ、胸が熱くなって泣いてしまった。
あの子はユーディトという女の子。今年十六歳だ。
十六歳の人間の女の子に、慈しまれただけでリーゼロッテは泣いてしまったのだ。
あの子も不思議な包容力を持った子だ。
自己主張するタイプではないが、言葉には力がある。
彼女の声は良く通り、子供たちも彼女の指示には従う。
強い意志を持ち、心も強いようだ。
あの子は発育も悪くない。
子供たちの中では、最も早期に子供を授ける段階に進めるグループの一人だった。
リーゼロッテの子供を最初に身ごもってもらう可能性が高い。
――そんな大役を、任せてしまってもいいかもしれない。
リーゼロッテは改めてヴィクターを見る。
「アロイスさんがとカリアン人六人。
さらに後発隊二万五千人が来るわ。
再建計画は大幅に変更が入りそうね。
大丈夫?」
「嬉しい悲鳴ですね。
後発隊は、森で自活する力もあります。
既に街道沿いの復興計画も聞いていますよ。
良い手だと思います」
森の負荷を最小限にしつつ、アンミッシュの森の恵みを王都に届ける事ができるようになる。
魔導術式の使い手もそれなりに居るらしく、保全術式を施した食肉を作る事もできる。
輸送にリーゼロッテが力を割く必要もなく、自衛しながら王都にやってこれる人たち。
カリアンやヴェローナとの交易路としても早期に活用が可能となり得る。
受け入れ準備は大変だが、見返りは余りにも大きい。
確かに、嬉しい悲鳴が上がる。
「アロイスさんに言われてしまったわ。
『全員は救えない』、『今の余力でその先を考えて次に抱え込む人間を選ぶべきだ』って」
フィリニス市民は狩人や木こりなど、フィリニスの森を活用できる人材を多く含んでいた。
決して悪い選択ではなかったが、それでも四千人を抱え込むことで、余力を食い潰された。
余力が回復するまでしばらく時間が必要で、その間は次の手を打てなかった。
一方でカリアン人二万五千は、逆に余力を与えてくれる人たちだ。
彼らは出来る事を大きく増やしてくれることで、次に様々な手を打てるようになる。
「その通りです。
闇雲に周辺地域の住民を王都に抱えていたら、王都の余力は彼らを食べさせる事で食い潰されてしまいます。
できるかぎり次に打つ手を踏まえて人を抱え込まねばなりません。
それを繰り返す事で、少しずつ抱えられる人間を増やしていく事になるでしょう」
「では、次に抱え込むのはどんな人たちになるのかしら」
「次は馬が欲しいですね。
ラスタベルト王国東の草原地帯、その牧草地周辺の街に手を伸ばし、馬の数を増やしたいところです」
「馬? そんなに馬が重要になるの?」
「人を乗せる以上に、物資の運搬には馬や牛が必要不可欠です。
これからは物資の輸送が鍵となります」
森の恵みを王都に持ち込むにも、穀倉地帯の恵みを各地に運ぶのにも、人の力だけでは限界がある。
リーゼロッテがミネルヴァを奪われる事で、出来る事が極端に減ってしまうようなものだ。
効率よく物を運べるようにする。
それが次に打つべき手だろう。
「それはどのくらい期間が必要だと思う?」
「牧草地に生き残っている野生の馬を捕まえるだけで、すぐに効果が出ますよ。
東の牧草地で馬を飼育してもらい、馬と交換で食料を渡す。
しばらくはそんな感じになるでしょう」
「牧草地の街の目星はついてるの?」
「王都に比較的近い、ユストゥスの街があります。
そこの住民が生き残って居れば、彼らに馬の増産をお願いできるでしょう」
――生き残って居れば、か。
以前ドミニクは『奴らは生産拠点から潰していった』と言っていた。
それには牧畜農家が多かった牧草地の街も、多く含まれている可能性が高い。
逃げ延びた人が街に戻り、細々と生き残っている。
そんな一縷の望みだろう。
「全滅していたらどうするの?」
「王都市民の中から、馬の飼育が出来る物を募ります。
それで数が足りなければ、カリアン人の力を借りる事になるでしょう」
東の方、草原地帯でリーゼロッテが低級眷属を置いている集落――その中の一つにユストゥスの街がある事を祈るしかない。
生き残っていても、少人数が細々と暮らしていくような集落が多かった気がした。
その中に、牧畜農家が生き残っている事を祈るしかないだろう。
「わかったわ。
そのうち暇を見つけて様子を見てくるから、地図を用意して。
ユストゥスに限らず、候補地に印が付いた地図が欲しい所ね。
その中で生き残っている街があれば、その人たちを使った方がいいかもしれない」
「わかりました。
明日のうちに用意しておきましょう」
今の王都では、製紙工場も動き出している。
森を確保しただけで、様々な工場が少しずつ動き出している。
さすがにそれで全てを賄うことはできないので、地図はほとんどが動物の皮を材料とする羊皮紙だ。
それすらも、まだ貴重品だった。
「ねぇ、アロイスさんってどんな人だったの?
カリアンの人たちからとても慕われてるみたいだけど」
「あいつは大陸北部の生まれでした。
故郷の国では負け知らずの剣士だったらしいです。
頭も比較的回る方で、飛び抜けて秀でたタイプではありませんが、なんでも卒なくこなせてしまうタイプですね。
情に篤くて、昔から人に慕われやすい奴でしたよ」
故郷の国で負け知らずの剣士が『飛び抜けて秀でたタイプではない』。
――ヴィクターの判断基準、もしかして少しずれてるのかな?
或いは、二十年前の神魔大戦に参加した人たちには、そのくらいの人材がひしめき合ってたのかもしれない。
「神魔大戦に参加した人たちの中で、アロイスさんはどのくらいの位置にいたの?」
「あの中でですか?
純粋な剣術であれば、おそらく上位二十名に入る程度の実力はありますよ。
総合力で言えば、数百人が参加した神魔大戦の戦士たちの中で、中間くらいに位置するのではないでしょうか」
上位二十位から一気にランクダウンの評価だ。
神の加護が弱いタイプなのだろう。
ヴィクターが苦笑している。
「なんでも卒なくこなしますが、魔導だけは苦手でしたからね。
加護も弱く、たいした魔法も使えません。
神魔大戦における戦闘能力では大きな功績を残せませんでしたが、現在のような局面では頼りになる力です」
魔導を苦手とするのが、大陸北部の人間の特徴らしい。
だがアロイスは人間力に優れた人物のように感じていた。
「確かに、今はとても頼もしく感じる人ね。
アロイスさんが大陸南西部に居てくれて助かっちゃった――
加護が弱いって言うけど、アロイスさんの加護はどんな神の加護なの?」
「あいつは剣の神の信徒です。
剣士の多くが信仰する神ですね。
剣術の才能に秀でた者を好む神だったはずですが、あいつ自身が神への信仰心が薄いタイプなのでしょう。
あいつは人を信じるタイプですから」
人を信じるか。
『もっと仲間を信頼しろ』と言ってくれたアロイスさん。
そうやって信頼した相手と絆を深めて、慕われるようになる人なのかなぁ。




