46.慈愛
ミネルヴァが自宅前に降り立った瞬間、アロイスが自宅に飛び込んでいった。
ドミニクもリーゼロッテを抱えたまま、その後を追う――
その後を食材、そして他の男性陣が付いてきた。
リーゼロッテはリビングのソファに寝かされ、すぐにイェルクとラフィーネがやってくる。
「リズ! 倒れたって本当?!」
「だからあれほど無理しちゃダメだって言ったじゃない!」
リーゼロッテは慌てて手で制した。
「待って?!
私は倒れてないわよ?!
誰よそんなでたらめを伝えたのは!」
アロイスが厳しくリーゼロッテに詰め寄った。
「倒れる寸前だと、あんたは自分で認めただろう?
今すぐ愛を食べないと、夜まで持たないと言ったのはあんただ」
ラフィーネがアロイスを突き飛ばしてリーゼロッテを抱きしめた。
「早く! 早く私たちの愛を食べなさい!
あなたは常時一万五千の低級眷属を使役してるのよ?!
刻一刻と魔力を消費してるのを忘れないで!」
――それぐらいわかってるわよ?!
困惑するリーゼロッテが、ラフィーネから烈しい熱気にあてられ、さらに困惑を深めている。
必死に甘い香りを探り当て、ラフィーネの感情を貪っていった。
ラフィーネが気絶してリーゼロッテの上に倒れ込むと、今度はイェルクがリーゼロッテを抱きしめた。
「アロイスさん!
子供たちが帰ってきたらすぐにリズが倒れた事を伝えて!
今度はしくじらないでよ?!
――さぁリズ、私の愛も早く!」
リーゼロッテはイェルクからも普段より強い熱気を感じつつ、愛と歓喜を貪っていった。
二人が折り重なるようにリーゼロッテの上に倒れ込んで、ようやくリーゼロッテは一息ついた。
「……はぁ。ちょっとだけ生き返ったわ」
「『ちょっと』では困ります。
私の愛も早くお食べ下さい」
リーゼロッテの声に被り気味にヴィクターの声が部屋に響き、その姿がソファの傍に現れる。
「ヴィクター?!
何で居るの?! 仕事は?!」
ヴィクターがリーゼロッテの正面に回り、彼女の頭を抱きしめる。
「そのような些事より、今は殿下の体調が第一です。
早く魔力を補充してください」
――もう夜まで持つぐらいなんだけど。
だが感情を食べて魔力を補充してみせないと、ヴィクターは納得しなさそうだった。
真剣な表情でリーゼロッテを見据えている。
――仕方ないなぁ……。
リーゼロッテはヴィクターからも烈しい熱気を浴びながら、なんとか愛と歓喜を貪り尽くしていた。
今、ソファに横たわるリーゼロッテの身体の上にはラフィーネ、イェルク、ヴィクターという見事なミルフィーユが出来上がっている。
リーゼロッテはこの上に子供たちがやってこないことを祈っていた。
このままでは、ラフィーネが潰れてしまう。
リーゼロッテの捕食行為を初めて見ていたアロイスたちやドミニクたちが、感心したように頷いていた。
アロイスがヴィクターの寝顔を観察しながら言葉を告げる。
「ほぉ……
リズの食事はこんな感じになるのか。
感情を食われてる方も、偉い幸福そうな顔をするんだね。
ヴィクターがここまで陶酔してるのなんざ、私でも初めて見たよ」
「私の捕食行為は、相手に『生命を謳歌する悦び』を覚えさせるのよ。
今を生きている充実感に満ち溢れ、魂の髄からの歓喜を覚えるらしいわ。
私の魔性に囚われている者なら、その余りの歓喜で気絶するほどの著しい歓喜ね」
ドミニクがニヤリと笑った。
「気絶するほど著しい生命の悦びか。
どんなもんか、一度味わってみたいもんだな」
リーゼロッテは苦笑を浮かべた。
「国王の布告した義務に応じてないという事は、ドミニクさんは二十代を超えているのでしょう?
残念だけど、私は二十代以下の魂が生み出す感情しか食べられないの。
それもできれば、若い女性の生み出す愛が好みの味なのよ。
瑞々しくて甘酸っぱいあの味が好きなの。
男性の愛は、力強くて少し刺激的なのよね。
小さい男の子はそこまで刺激が強くないんだけど」
「愛にも味の違いがあるのか?」
「三十代以上の魂は、瑞々しさがほとんど感じられなくなるの」
リーゼロッテにも憶測でしかないのだが、どうやら『生命力にあふれる愛を瑞々しい』と感じるようだった。
出産可能な身体になったばかりの女性の愛に、そういった『瑞々しさ』を感じることが多かった。
おおよそそれは二十歳あたりをピークに減衰が始まるようで、三十代の頃には半減以下に感じていた。
『成長が終わると失われる力』をより瑞々しいと感じるのではないか、と推測していた。
刺激的なのは、おそらく肉欲――相手の肉体を求める感情だろうと考えている。
この地区に居る子供たちの場合、男性は十歳から徐々に強くなっていき、十四歳から十六歳でピークを迎えるようだった。
女性には刺激のある味が目立つ個体は多くは居ないように感じていた。
少なくとも、この地区の子供たちに、そういった女性は居ない。
瑞々しく甘酸っぱい、刺激のない味わい――そんな『若い女性の愛』がリーゼロッテの好みの味だった。
ドミニクも苦笑した。
「なるほど、そりゃ確かに、その刺激の正体は肉欲であってそうだな。
刺激に感じるという事は、肉欲は雑味なんだろう」
「私が食べられる以上、正の感情だとは思うけれど、あまり好みの味でもないわね。
魔族は動物的な肉体から解放された種族。
肉欲を持たない種族だもの。
好みから外れるのは仕方がないわ。
男性の愛の力強さは嫌いじゃないけど、やっぱり瑞々しさが潤沢で甘酸っぱい女性の愛が好みの味よ」
アロイスが腕を組み、顎に手を当て、考えながら言葉を告げる。
「しかし、気絶するほど著しい感情を覚えるなんて、危なくはないのかい?
すぐにまた、それを求めてしまうんじゃないかい?」
「その通り、禁断症状のようなものがあるわ。
でも、それは愛する者と長く離れ離れになる事と、私には区別がつかないの。
人間はどうも、長期間愛する者と離れていると、強く会いたいと思う生き物みたいじゃない?
それと、長期間私に愛を捧げられないと、強く私に愛を捧げたいと思う事、その違いは何だと思う?」
アロイスが難しい顔をして悩み始めた。
「ん~~~~~、確かに、その二つに区別はつかないね。
禁断症状と言えば禁断症状かもしれないが、唯の愛情といえば確かにそうかもしれない。
そう考えると、別に不自然な感情のやりとりってわけじゃないのかねぇ?」
「少なくとも、月の神はこれを『愛と美の神の寵愛による副次効果』と告げたわ。
神の祝福だそうだから、邪悪なものではないはず……
だとは思うのだけれど、魔族の私の特性と噛み合った時に在り方が歪んでしまった可能性もある。
私たちには結局、判断が付かないわね」
ドミニクが指を一本立てた。
どうやら天井、そのさらに上、空を指差しているようだ。
「じゃあ、分かる奴に聞けばいい。
月の神本人なら、それがどんなものなのか、知ってるんじゃないか?」
――あ、なるほど。
曲がりなりにも屈指の神だ。
わからないことはそんなに多くないだろう。
リーゼロッテは早速月の神の気配を手繰り寄せ、気配に話しかける。
(月の神、これは禁断症状なの?
それとも、正常な感情なの?)
『正常な、動物としての基本機能よ?
邪悪なものではないわ』
(じゃあ、私の捕食行為でなくても禁断症状のようなものが愛にはあるのかしら?)
『そういう事になるわね。
通常の範囲の感情の大きさでは、その要求も小さいから気にされていないだけよ』
(わかったわ。ありがとう)
「月の神は『正常な、動物としての基本機能』と応えたわ。
邪悪ではないと断言してくれたわよ?」
ドミニクが頷いた。
「それならリズが気に病む必要はないな。
ただ愛を捧げているだけだ」
「でも、その行為自体に禁断症状がある事も認めたわ。
愛には禁断症状があるけど、普通はその欲求が小さいから問題視されてないだけだって。
私の捕食行為は愛も歓喜もとても強く覚えてしまうから、それで禁断症状も強く表れてしまうみたいね」
「なるほど、気に病む必要はないが、気を付ける必要はある訳だ」
一部始終を聞いていたアロイスが、困惑しながらリーゼロッテに尋ねた。
「リズ、あんた祭壇でもないのに神と会話したのかい?」
「寵愛を受けた者だけの特権だそうよ?
神の気配を知って居れば、つまり魔法を使える状態ならば、神と何時でも会話できるわ」
アロイスが感心するように頷いていた
「魔王の娘が、確かに月の神の寵愛を受けている証拠か」
リーゼロッテがジト目でアロイスを睨んでいる。
「……感心してないで、ヴィクターをそちらのソファに移してもらえるかな?
イェルクがうなされ始めてる。
ラフィーネも潰れてしまいそうよ」
慌ててドミニクたちがヴィクターを、アロイスがイェルクを抱えて別々にソファに寝かせた。
続けてアロイスがラフィーネも別のソファに寝かせて、ようやくリーゼロッテは解放された。
アロイスはそのまま外に向かい、玄関から出ていった。
リーゼロッテが疲れ切った声で呟く。
「はぁ。重かった」
ドミニクがニヤリと笑う。
「安心するのは早いぞ?
アロイスが外で子供たちを待ってる。
そろそろ子供たちの学校が終わってお前が倒れたと知らされる。
そうなれば全員がお前に愛を捧げに来る。
この部屋は三百人の子供たちが倒れ伏して大変なことになるぞ?」
――あ……そうだった。
リーゼロッテはいそいそと起き上がり、ソファから立ち上がった。
その背後からドミニクが、楽しそうに声をかける。
「どこへ行く気だ?
まさか、お前を心配して泣き喚く子供たちを放置して逃げ隠れよう、なんて事をお前が考える訳……ないよな?」
――またそういうピンポイントで抉る事を?! そんな事を言われたら逃げられないじゃないか!
リーゼロッテが恨みがましくドミニクを睨み付けていると、さっそく数人の子供たちが部屋に飛び込んできた。
「リズ! 倒れたって本当?!」
「お腹空いてるんでしょう?! 早く愛を捧げさせて!」
「だから、いつか倒れるって言ったじゃないか!」
「どうして平気じゃないのに平気って言っちゃうんだよ!」
続々と部屋に子供たちが押し寄せてきて、既に収拾がつかなくなっていた。
こんな状態では、リーゼロッテも愛を食べるどころではないだろう。
子供たちから感じる愛の熱気で、のぼせてかけていた。
リーゼロッテは必死に声を張り上げる。
「みんな! 大丈夫! 大丈夫だか――」
「リズの『大丈夫』は信じられないんだってば!」
その場にいる子供たちが一斉に叫んだ。
――どうしろと?
唖然とするリーゼロッテは、とっくに子供たちに囲まれている。
既にリビングは続々と子供たちが詰めかけて来ていて逃げ場もない。
彼らの愛の甘い香りを打ち消すほどの物凄い熱気で、リーゼロッテは胸が熱くて苦しい。
こんな場所で捕食行為などできようはずもなく、リーゼロッテは途方に暮れている。
刻一刻とすし詰めになる部屋。
早く愛を食べろと涙目で要求する子供たち。
既に逃げ場はない。
――仕方ない、最後の手段だ。
まずは沈黙の術式を部屋にいる子供たち全員に施す。
これで部屋に静寂が戻った。
次に鎮静の術式を施し、落ち着かせる。
リーゼロッテは大きく声を張り上げた。
「みんな聞いて!
ラフィーネたちの愛を食べたから、今夜みんなの愛を食べるまでは大丈夫よ!
今夜はきちんとみんなから愛を捧げてもらうから、それで我慢して頂戴!」
しばらく不満そうにしていた子供たちも、リーゼロッテが微笑みながらも意志を変えないと悟ると、次第に部屋から引き揚げていった。
****
子供たちが全員引き上げたのを確認して、リーゼロッテはようやくソファに腰を下ろした。
「――つかれた」
ぐったりと、そのままソファに横になる。
――いや、ほんと疲れた。愛の熱気で焼き焦がされるかと思った。
ドミニクたちやカリアン人たちが、とても楽しそうに笑っていた。
リーゼロッテは彼らをギロリと睨み付ける。
「……何がおかしいのかしら?」
ドミニクが笑いを堪えながら応える。
「いや、本当にリズは愛されてるな」
「当たり前じゃない!
あの子たちは全員、私の魔性に心を囚われて愛を捧げないと生きていけない子たちよ?!
今さら何を言っているのよ?!」
「あの子たちのあの姿を見ても、まだそんな事を言っているのか……
いいか、リズ。
魔性はあくまでもきっかけに過ぎない。
愛を深めたのは、お前の慈愛が子供たちに届いたからだ。
あの子たちは、リズに慈しまれているという実感を日々得ている。
そうやって愛を深めたんだ。
あの子らに聞いてみるといい。
同じような答えが返ってくるぞ?」
だがリーゼロッテはドミニクの言葉に納得が出来ない。
魔性で囚われても愛が深まる事は、食べる感情が増大するので知っていた。
捕食回数で愛が深まるのも同様だった。
何より――
「私の慈愛なんて、そんなものは幻想にすぎないわよ……
なんでみんな、存在しないものを感じてしまうのかしら」
ドミニクが神妙な顔でリーゼロッテを見つめた。
「いいか? リズ。
存在しないんじゃない。
お前が自分の慈愛を自覚できないだけなんだ――」
自覚できないものだから、存在を感じ取れない。
だから幻想だと思ってしまう。
だが愛や慈しみなんてものは、元々形のないものだ。
「――お前の魔性と関係がないものだとして、それが有るのか、それとも無いのか、誰がどうやって判断すると思う?」
リーゼロッテが反論する。
「少なくとも、子供たちの愛は、私が食糧として確かに感じているわ」
「それはお前が魔族だからだ。
自分が人間になったつもりで考えてみろ。
味でも臭いでも愛や慈しみを感じられなくなった時、つまり普通の人間はどうやってその有無を判断する?」
リーゼロッテはしばらく考え込んでから、顔を上げた。
「心、なのかな……
私の心は、確かにあの子たちの身を焦がすような熱気を感じていた……」
ドミニクが頷いた。
「そう、相手の心だ。
つまり、愛を与えられた側が、その有無を判断するんだ。
お前の愛の有無は、子供たちやラフィーネやイェルクが判断してくれる。
そいつらが、お前の愛を否定したことがあったか?」
「……私の捕食行為は、相手に私の愛を感じさせるわ。
それで錯覚してるだけよ」
「よし、じゃあ子供たちを呼んでくるから『リズの愛を感じる瞬間』を聞いてみろ。
リズ、お前はラフィーネとイェルクを起こして聞いてみろ――おーいみんな!」
言うが早いか、ドミニクは散っていった子供たちを呼び戻しに出ていった。
リーゼロッテが唖然としたままソファで座っていると、続々と子供たちが部屋に入ってくる。
「俺は『一緒に食事をしてくれる時』だな!」
「私は『蜂蜜の味を感じた時』かなぁ。毎日新鮮な蜂蜜を採って来てくれる、あれがリズの愛よ」
「俺は『毎日狩りをしてくれる事を考えた時』だ」
「お前それはズルいぞ! 全部込みじゃねーか!」
「私は『どんなに忙しくてもなるだけ毎日私たちに会おうとしてくれると実感した時』かなぁ」
「俺は『腹一杯になった時』かな。これだってリズの愛だ」
「私はイェルクみたいに病弱だったのに、猪の肝臓を食べるようになったら健康になったわ! あれって凄い手間暇かかってるのよ?! リズの愛の結晶よ!」
「私は『学校で勉強している時』もリズの愛を感じるわよ? 学校が再開できたのも、リズの愛の結果だもの」
「俺は『白銀の低級眷属を見た瞬間』にもリズの愛を感じるぞ? この街の治安だって、リズが毎日身を削って守ってくれてるおかげで保ててるんだ」
「それなら『こうしてみんなで楽しく笑い合えてる時間』こそ、リズの愛を感じる瞬間じゃない!」
唖然としているリーゼロッテの前で、まぁ出てくる出てくる。
競い合うように子供たちが『リーゼロッテの愛を感じる瞬間』を言い合っている。
――え? そんな瞬間に愛を感じるの?
誰一人として『愛を捧げてる時』と言わない事に、激しい困惑を覚えていた
ある女の子が、小さく、だけどよく通る声で告げた。
「自分がどんなに辛くても、私たちの前ではずっと笑顔で居てくれる。
あれこそリズの愛よ」
その瞬間に部屋が静まり返り、その子が前に押し出され、リーゼロッテの目の前に来た。
隣の男の子が笑顔でリーゼロッテに告げる。
「こいつの言う通り、『リズの笑顔を見た時』こそが、俺たちが一番リズの愛を感じる瞬間だ!」
部屋中の子供たちが拍手で同意を示していた。
一番前に押し出された女の子は、強い意志でリーゼロッテの瞳を見つめている。
「リズ、辛い時は、素直に私たちに辛いって言って欲しいの。
私たちにも、あなたの辛さの半分を背負わせてほしいの。
そうしたらリズの辛さを、私たちが少しは減らしてあげられるでしょう?」
私たちに、分かち合う愛を捧げさせて欲しい。
泣きたい時に一緒に泣いて、笑いたい時に一緒に笑う。
そんな時間を一緒に過ごしたい。
女の子は確かに、だが優しく包み込むように訴えた。
「お願いだから、全てを一人で背負いこまないで。
一緒に、心から笑おう?」
その後の事は、私はよく覚えていない。
なんだか世界が滲んでいた気がするし。
喉が嗚咽を上げていたような気もする。
その女の子に、抱き着いてしまったかもしれない。
覚えているのは、部屋を満たすほどの、みんなからの身を焦がすような熱気だけだった。




