39.為政者としての資質
ラスタベルト王国に戻ると神殿前でガートナーを降ろし、リーゼロッテは自宅へ戻っていった。
自宅に入ると、笑顔のラフィーネがリーゼロッテを出迎えてた。
「長旅お疲れ様!
ヴェローナはどうだった?」
「長旅って……ミネルヴァなら一瞬よ。
ヴェローナなら、今のラスタベルトよりずっと状態が良いわ。
統治者が違うだけで、ここまで差が出るのね。
一部の海も回復してもらったから、この国よりずっと早く再建が進むと思うわよ?」
ラフィーネが目を丸くした。
「そんなに状態が良いの?!」
「この国が酷過ぎる、と言った方が正しいわ。
ヴェローナは私が直に手を下すまでもなく、魔族が撤退し、人間の手に戻った。
後は国王の手腕次第で盛り返していけるでしょう。
おそらく、人間社会として立ち直るのに一年もかからないわ。
生活基盤がまだ生きてるからね」
ラスタベルト王国は生活基盤が死んでいた。
国家が崩壊同然だった。
そこから建て直しだ。
国土も広く、回復まで何年かかるか見通しも立たない。
一年では集落全てに配給を回す事も難しいだろう。
「そこまで違うのね……じゃあヴェローナの力を借りられるのかしら」
「そこまでの力は、ヴェローナにもないわよ。
あの国は海の国、海の全てを取り戻して、初めて力を発揮する国。
海の一部を取り戻した程度じゃ、大した力になんてならない――
かれが彼らにとって、天と地の違いだとしてもね」
大陸南西部の海域、その全てを、これもまた時間をかけて取り戻していく。
その半分を取り戻したぐらいで、ようやくヴェローナは他国を助けることが出来るようになる。
なによりあの国は海路の国。
あそこが力強い国になればなるほど、後々の大陸各地方の回復で力になってくれる。
今すぐ力に慣れなくてもいいし、回復にリーゼロッテの力をほとんど必要としないのも良い。
あの国は、海の文化を守り切った。
それを受け継ぐ人間をじっくり育成してもらいながら、力を蓄えてもらうだけだ。
「なるほど、私が郷土料理を忘れてしまうほど文化が損なわれているラスタベルト王国より、よっぽど恵まれてるのね」
「いいえ?
あなたぐらいの年代の子が郷土料理を知らないのはヴェローナも同じよ。
海の幸がヴェローナの味だもの」
この国は、文化を知る人間の数すらも減らし過ぎた。
そこが大きな違いだ。
王都だけでも、伝えるべきものを知る人間が、ヴェローナの半分しか居ないし、残った半数は老人と言える。
労働に力を割かれたら、伝える力が減る。
伝えていたら、労働の力が減る。
両立するには、人手が足りない。
結局、一にも二にも人手、人手が圧倒的に足りないのだ。
ヴェローナは現役世代がラスタベルトの二倍は居る。
文化も継承し続けてきているので、今後は海の文化を知らない世代に教えるだけでいい。
労働人口だけなら、ラスタベルトの三倍くらいは居るだろう。
子供世代など比べ物にならない。
「それだけ、ヴェローナは巧く統治されていたのね」
「そういう事ね。
絶望を味わっていたけれど、海を取り上げられただけで充分な絶望を覚えていたんでしょう。
それも幸いしたのかもね」
****
翌朝、リーゼロッテは私室の扉を叩き、イェルクを起こした。
すぐに物音がして、扉が開かれる――
イェルクは、目元を泣き腫らしていなかった。
「どうしたの?
もう泣き飽きた?」
「そうかもね」
照れ臭そうにイェルクは笑った。
リーゼロッテはその頭を撫でてやり、食事に呼びに来た子供たちの元へ一緒に歩いていった。
****
朝食を元気に口に運ぶイェルクは、もう大丈夫そうだ。
彼女は既に平民、リーゼロッテに愛を捧げる義務を持つが、既にリーゼロッテを愛している個体。
改めて魔性に落とす必要はない。
静かに食事を口に運んでいたヴィクターが、思い出したようにリーゼロッテに告げる。
「ああ、報告が遅れました。
昨晩、ようやく国王の『教育』が終わりました。
私も本日より、通常業務に戻るつもりです」
その言葉に、イェルクの顔が綻んだ。
「良かった、生きて帰ってこれたのね」
「余りに愚昧で、死ぬまで治らぬかと思ったがな。
一応は身の程と言うものを理解したらしい。
詳しくはヴィルケ王子から聞くといいだろう」
リーゼロッテは両手をポンと叩いた。
「あら、丁度ヴェローナ王国の視察が終わったところなのよ。
次はカリアン王国なの。
どうせだから、ヴィクターもガートナーさんと共に随行しなさい」
ヴィクターが不思議そうに首を傾げた。
「どちらか一人で充分では?」
「それがね、ヴェローナ国王の話だと、カリアン王国は未だに魔族に抗う国らしいの。
ガートナーさん一人では人間を制御しきれない。
けれどガートナーさんを隠れ蓑に出来れば、人前で月の神に奇跡を祈れる。
どちらも居てくれると、カリアンで動きやすい気がするのよね」
ヴィクターが頷いた。
「ええ構いませんとも――
たしかあの国は、最高でも伯爵級の魔族しか配備されておりません。
確かに、人間でも対処しやすい勢力と言えるでしょう」
「どうして前任者はカリアン王国をそんな状態にしたのかしら?」
「カリアン王国は食料の生産力に劣る国。
国を跨ぐ交易を行えなくなった時点で、もう半分以上力を失う国です。
力を割く必要がない、だから割かなかった、という単純な理由でしょう」
ラフィーネが小首を傾げて尋ねてくる。
「伯爵級の魔族って、どのくらいの強さなの?」
返答に窮する問いかけだ。
人間と魔族で共有できる、魔力の強さの基準や指標、などというものはない。
リーゼロッテは、ラフィーネに理解できる表現を必死に考えた。
「どう表現しようかしら……せいぜい、全力を出してもこの王都の半分を吹き飛ばすのが限界ね。
その程度の、とても弱い個体よ」
「……侯爵級の魔族って、どのくらい強いの?」
「簡単にこの王都を丸ごと吹き飛ばす力があるわね。
国を滅ぼすのも簡単な力を持つのが侯爵級よ?」
「……じゃあ、公爵級は?」
「侯爵級を遥かに凌ぐ力を持つわ。
人間の国家群と争えるのが公爵級ね――四魔公も公爵級、公爵級が大陸四地方を封じているのは、公爵級であればどの個体でも各地方を治める力があるからよ。
それを最も力が強い四魔公に命じたのは、逆立ちしても人間に勝ち目がない状態をお父様が好んだ、という事でしかないわね。
普通に見たら過剰にも程があるわ」
「彼らを簡単に滅ぼしてしまえるリズは、どのくらいの強さだというの?!」
リーゼロッテが腕を組んで悩み始めた。
「本当に難しい質問をするわね……
全魔力で広域範囲攻撃の魔導術式を行使すれば、大陸の半分くらいは吹き飛ばせるんじゃない?
……って言えば、少しは私の凄さが伝わる?」
あくまでも目安だが、魔王級の魔力は簡単に表現するとその程度の強さがある。
もちろん、そんな事をすれば人間が大量に死んでしまい、魔族を待って居るのは食糧難からの飢餓、そして衰弱死だ。
そんな愚行はあり得ないのだが。
なによりそんなに力を使ったら、リーゼロッテも魔力を使い果たす。
傍に敵対者が残って居れば、抵抗する力もなく、簡単に滅ぼされてしまう。
自殺行為以外の何物でもないので、実際にそんな現場を見る事はない。
「……ようやく、再三リズが『魔王の娘を侮ってない?』と口にする理由が理解できたわ」
リーゼロッテはにっこりとラフィーネに微笑む。
「ようやく理解してくれたの?
嬉しいわ」
引きつった笑いを浮かべる大人たちと、楽しそうに「やっぱりリズはすげーよ!」と喜ぶ子供たち。
そんな彼らを、リーゼロッテは微笑みながら見守り、紅茶の香りを楽しんでいた。
扉を叩く音が聞こえ、すぐに扉が開かれた。
姿を現したのは――ヴィルケ王子だ。
血相を変えて、どこかヴィクターを睨み付けている風でもある。
「どうしたの? ヴィルケ王子。
何をそんなに怒っているのかしら」
「どうしたもこうしたも、昨晩帰ってきた父上がすっかり錯乱状態で、あれでは国王として政務を行える状態ではない!
命こそあるが、もう人間として使い物にならないではないか!」
ヴィクターが淡々と応える。
「殿下への悪口雑言を言い続けた愚昧な男が、その口を利けなくするまで教育を施した結果だ。
恨むなら父親の愚昧さを恨め。
命を失わなかっただけ有難く思っておくんだな。
あれでもまだ口が減らぬようであれば、もう殺すしかないところだった」
「あんな状態を生きていると言えるのか!」
「なに、人間はしぶとい。
時間が立てば、人としての感情をそれなりに取り戻す。
俺は殺さぬように命は受けたが『王として戻せ』とは一言も言われていない。
王としての能力が失われようと、元々無能だった男だ。
前後で何が変わる事もない」
リーゼロッテはポンと手を打った。
「ああ、そう言えば『殺さない程度に逆らった事を後悔するまで徹底的にやれ』としか言わなかったわね――
ヴィクターは命令を厳守しただけよ。
その責任があるとしたら、私にあるわ。
責めるなら私を責めなさい」
人間として役に立たなくなるほど痛めつけられて、ようやく逆らった事を後悔したという事だろう。
――どれだけ愚昧なんだろう……ダグムロイト公爵が可愛く見えてしまう。
リーゼロッテは静かに呆れ倒していた。
そこまで愚昧な男が国王として権力を振るっても害悪しかもたらさない。
ならば無力化してしまった方が、この国の為だろう。
リーゼロッテはまだ納得がいかなそうなヴィルケ王子に、再び言葉を告げる。
「ヴィルケ王子、ここからは王の名代としてあなたが王の政務を行いなさい。
手に余ると思った決済は引き続き私が引き受けるわ。
書類を応接室に置いておけばいいわ。
早めに譲位の準備を進めておきなさい――」
人間として壊れた男を王位に据えている意味などない。
隣国と国交が回復したときにも問題にしかならない。
さっさとヴィルケ王子が新国王として即位するべきだろう。
「――これは執政官としての命令よ」
「……わかりました。
直ちに取り掛からせましょう」
「スヴェン宰相やクリスハルト将軍は元気?
国王の姿に、彼らも何か思うところがあるんじゃない?」
その二人も国王の同類だ。
代わりになる人材が居るなら、とっとと取り換えてしまいたいのがリーゼロッテの本心だ。
「どちらも、父上の姿を見てから屋敷に引っ込んでしまいました。
政務も放置している有様です。
兵士に何度も呼びに行かせていますが、応じる気配はないという事です」
『次は自分の番』とでも思ってるのだろう。
『害悪を振りまかないならば敢えて手を下す必要もない』とリーゼロッテは考えているが、職務放棄は頂けない。
「彼らの分の仕事は、今どうなって居るの?」
「宰相の代理は文官の一人が、将軍の代理は近衛騎士が執り行っています」
「そう、彼らが充分代理を務められそうなら、早期に役職を挿げ替えてしまいなさい。
スヴェン宰相やクリスハルト将軍は、逆らわない限り放置しておけば良いわ。
害悪となるなら報告に来なさい。
ヴィクターに処分させます」
やはり納得がいかなそうなヴィルケ王子が、リーゼロッテに尋ねる。
「彼らが造反の意志を見せれば、殺してしまうのですか?」
「私は私に逆らう者にかける情けを持たないわ。
魔族に何を期待しているの?
博愛主義者でも平和主義者でもないわよ?
争いや諍いが嫌いなだけ。
その種になり得る存在を、私は許しはしないわ」
「あなたは心優しい人だ。
心が痛むことはないのですか?」
「だから、何度もそれは幻想だと告げているというのに――
為政者は、時に残酷に見える決断もしなければならない。
どんなに辛くてもね。
そうしなければ、より大きな不幸が民衆を襲うのよ。
その決断ができない者を無能と呼ぶの。
ヴィルケ王子も為政者の一人なのだから、肝に銘じておきなさい」
『仲良しこよし』で全てが解決するなら、この世に争いも諍いも存在しない。
そんな理想郷はこの地上にはない。
ならば為政者は、心を鬼にしてでも民衆を守らなければならない。
――ただそれだけの事だというのに、それができない為政者のなんと多い事か。
今まで粛清してきた高位貴族級魔族たちにも、そういう個体は居た。
同族を処罰する事に躊躇い、結果として任地に混乱を引き起こした無能たち。
俯いて悔しそうに歯を食いしばるヴィルケ王子を眺めていると、彼らの姿が重なって見えた。
「ヴィルケ王子……まさかあなたも、為政者の務めを理解できない無能なのかしら?
ならばあなたも処分を考えなければならくなくなるわ。
私にそんな決断をさせないでいてくれることを願っているわね」
さらに顔をしかめたヴィルケ王子に、イェルクが冷淡な目で冷たい声をかける。
「お兄様はこれまで何を勉強して来られたのかしら。
リズが辛い思いを押し殺して決断している事も理解できないというの?
彼女は為政者として求められる責務を果たしているだけよ。
お兄様はリズにそんなに心の負担を余計に増やしたいのかしら?
お兄様の愛はその程度なの?
ならば、もう忘れてしまった方がいいわよ」
リーゼロッテは思わず苦笑を浮かべた。
「どうやら、為政者としてはイェルクの方が遥かに適正があるわね。
ヴィルケ王子を処分する事になったら、イェルクに女王としてこの国を統治してもらう事にするわ――
だからヴィルケ王子、為政者の責務を苦に感じるようならいつでも言いなさい。
ラスタベルト王家を取り潰し、イェルクに新しい王家を起こさせてこの国を継がせます。
後の心配は要らなそうよ?」
イェルクは微笑んで応える。
「あら、私はリズ以外を愛する事などできそうにないし、相手も出てこないわよ?
必然的に、私の家の子供はリズとの子供になる。
王家が魔族混じりの国家になれば、外交でも苦労するわ。
そんな面倒を押し付けられるのは御免よ?」
「少なくともヴェローナは外交で苦労することはないんじゃない?
私の子供であれば、邪険にされる事もなさそうな手応えだったわ。
カリアン王国はこれから見てくるけど、どうなるかしらね。
他の地方との外交は、それこそどうなるかは見てみないとわからないわ」
「もうヴェローナもリズの魔性に取り込んでしまったの?
それなら他の地方の国家もリズの魔性で取り込んでいけるかもね。
カリアンもそうなったら、女王を引き受けてあげてもいいわよ?
その後は、リズに愛を捧げる義務から貴族の例外事項を取り除くだけで、この国は真に魔族と交わった国になる。
すっきりするわね――
そういう事だから、お兄様は何の心配もなく平民として暮らしていけばいいんじゃないかしら?
リズに愛を捧げながら、一労働者として働けば宜しいのよ」
朗らかにヴィルケ王子――現王家を取りつぶした後の話を交わし始めたリーゼロッテとイェルク。
二人に、ヴィルケ王子が強い意志を込めた言葉で割り込む。
「――いえ、その必要はありません。
彼らの処分も、お手数をおかけする訳には参りません。
こちらで対処いたします」
だがリーゼロッテは冷たい眼差しで、その言葉を弾き返す。
「いいえ、それでは被害が増えるし、人手が必要になる。
今この国にそんな余力はないの。
ヴィクターなら一人で最大の効果を上げられるわ。
遠慮なく報告に上げなさい。
勝手な判断で行動して余計な国力を消耗する者もまた、無能と呼ぶのよ。
覚えておくといいわ」
「……わかりました。
その兆候が見られたら、報告に参ります。
ですから、どうかあまり無理をなさらないでください」
リーゼロッテはきょとんとヴィルケ王子を見つめた。
「為政者が為政者の責務を果たす。
当然の事をするだけよ?
労働者が労働者の責務を果たすのと同じくらい大切な事。
どちらもきちんと責務を果たしてこそ健全な国家が成り立つ。
それを無理と感じるようであれば、最初から為政者など引き受けないわ。
尤も、何をする必要があるかの判断はヴィクターがするし、実際に動くのもヴィクターだけどね。
私は最終決断とその責任を負えば良いだけよ」
ヴィルケ王子は何かを考えるように俯いた後、頭を下げて家屋から出ていった。
食卓を囲む成人男性の一人が、リーゼロッテに声をかける。
「リズの意外な一面だな。
あんな怖い事も言えるのか」
「仕方ないわ。
その決断をしなければ、民衆が不幸になるんだもの。
誰かがその辛い決断をしなければならないの。
統治の最高責任者は、その決断をして責任を負わなければならないわ。
責められるべきは私、その罪はすべて私が背負うの。
それがこの地方を任された執政官としての私の仕事よ」
一人の婦人が、リーゼロッテに尋ねる。
「王子はその辛い決断をできる人間だと思うかい?
私には、どうも優しすぎる気がするんだけど」
「そうねぇ……決断力が足りないようにも感じたけれど、最後は強い意志を感じたわ。
己を奮い立たせて決断を下せるのであれば、まだ為政者としての資質があると言えるわね――
優しいというのは、時に足枷になるの。
決意を鈍らせ、判断を誤らせるわ。
自分の心を殺す事に慣れていなければ、為政者なんて務まらないのよ」
リーゼロッテは、自分の心を殺す事にかけては、生まれてから二十年絶え間なく続けて来たベテランだ。
――おかげで自分の心なんてものを見失ってしまったけれど、それで困る事もない。
ラフィーネが辛そうに眉をひそめてリーゼロッテを見ていた。
「そうね、リズは生まれてからずっと、望まない同族殺しを強いられてきたんだものね。
心を殺し慣れていて当然だったわね」
「今更の話よ。
もうとっくに私の手は同族の血で染め上がっている。
これからも更に染まっていくわ。
もう絞っても絞っても、同族の血が絶え間なく滴る程に血塗れの両手よ」
リーゼロッテがじっと両手を眺めていると、子供たちが彼女に近寄って身体を抱きしめていった。
「リズ、無理はしないで」
リーゼロッテはその子に微笑んだ。
「無理なんてしてないわよ?
大丈夫、問題ないわ」
子供たちの顔も、とても辛そうだ。
――本当に問題ないんだけど、なぜそんなに不安気な顔になるのだろう?
彼らから熱気のような愛を心に感じる。
リーゼロッテは彼らに慈しまれていると感じてはいるが、ここまで思わせてしまう理由がわからなかった。
リーゼロッテは微笑みながら「さぁ、学校の時間よ?」と子供たちを送り出した。




