34.愚者
フィリニス市民が王都に移住してから一か月が経過した。
四千人受け入れの混乱も収まり、フィリニスの森から森の恵みを得られるようになっていた。
塩田やその輸送路の警備も厳重になり、塩の配給も増えた。
人手が増えたことで穀倉地帯を始めとした農地も拡大し、収穫も二倍以上に膨れ上がっている。
森に逃げ込んでいた家畜種の豚や鶏などが見つかり、それを増やして畜産業の準備も始まっていた。
配給はより豊かになり、王都市民は徐々に二十年前の生活を思い出し始めたかのようだった。
木材が潤沢になり、森で食肉を得られるようになると、配給品に石鹸が含まれるようになっていった。
王都市民が浄化の魔導術式に頼らず、清潔を保てるようになっていった。
甘味料の原料も栽培されるようになり、配給品に砂糖が混ざるようにもなった。
少量の貴重品ではあるけれど、それは確かに市民全体が甘味料を再び手にした日だった。
衣類の配給は止まり、必要に応じて申請する形に代わった。
ここまでくると、王都の教育機関が再稼働を始めた。
なんとか現存していた教本を片手に、教師だった人間が子供たちに基礎教育を施していく。
筆記具もなんとか揃い出し、十歳未満の子供たちだけじゃなく、リーゼロッテのところに居る子供たちも学校に通い始めた。
大人たちの手伝いとして労働力になるのも大事な仕事だが、知能を育み知識を受け継ぐのも大切な事だ。
リーゼロッテは喜んで毎朝彼らを送り出している。
人々の暮らしは、確実に豊かさを取り戻していった。
****
リーゼロッテの居住区には、フィリニスの子供たち百人が新たに合流した。
やはり成人している人間は一人もおらず、未成年の子供たちばかりだ。
全員を虜にした後、一人一人意思を確認していったが、やはりリーゼロッテの提案を断る子供は居なかった。
今朝も賑やかな朝食の後、子供たちを学校に送り出す。
残った大人たちは各々の作業に散っていき、リーゼロッテもアンミッシュの森でいつものように狩りをしていた。
毎日探査術式で探っているが、この森は生命力が旺盛なようだ。
結構な量を毎日持ち帰っているはずなのに、一か月もすれば元に戻っている。
ミネルヴァは降り立つ地点を細かく変えながら、生態系を乱し過ぎないように注意しているようだ。
森から帰り、ドミニクを送り届けた後、リーゼロッテはまた魔族の掃討を開始する。
もう残っている集落はそれほど多くはない。
数日のうちに全ての集落から魔族は姿を消す。
ようやく、ラスタベルト王国が魔族から解放されたと本当に言える日がやってくる。
――まぁ、統治してるのは魔族である私なので、『本当に?』と問われれば言葉に詰まるのだけれど。
夕食の席をみんなで囲み、美味しい料理を頬張る子供たちをリーゼロッテが笑顔で見守る。
彼らの喜びの香りで胸を満たしつつ、リーゼロッテはいつものように紅茶で鼻をくすぐる。
イェルク王女も、より新顔のフィリニスの子供たちが来てからは馴染むのが早かった。
お互いが歩み寄り、今ではすっかり仲間として打ち解けているようだ。
顔色も健康そのもの。
配給も安定しているし、これならもう王宮に戻しても大丈夫だろう。
「ねぇイェルク王女、そろそろあなたは王宮に戻っても構わないけど、どうする?」
周りの子供たちが不満の声を上げた。
イェルク王女は少し考えながらリーゼロッテに応える。
「叶うなら、もう少し共に生活させては頂けませんか?」
「もう少しって、どのくらいかしら?
もうあなたが王宮に戻っても、病弱と言われるとは思えないんだけど」
イェルク王女が苦笑する。
「それは毎日食べている猪の肝臓のおかげですわ。
あんなもの、王宮でもまだ手に入りません。
畜産業が動き出すまでまだかかるらしいですし」
リーゼロッテが毎日狩りで手に入れた分を王宮に届けてもいいだろうが、イェルク王女が食べられる味付けは蜂蜜で甘くしたものだ。
猪の肝臓も蜂蜜も、国王が知れば横取りしかねない食材だ。
「じゃあ、どのくらいなら満足するのかしら?
私はいつまででも居て構わないと思うけれど、あなたは王女なのでしょう?
王族の務めがあるのではないの?」
「王家に生まれた女子の務めは、有力な貴族に嫁ぐ事。
ですが、どうもリズ殿下を愛してしまった私が、他の男性を愛することは難しいようです。
何より、この事が既に王宮で広まっているそうですわ」
――誰が広めたんだろう?
リーゼロッテは小首を傾げた。
ここにいるのはそんな事をする人たちではないし、王宮に伝手もない。
どうにもわからなくて、イェルク王女に尋ねる。
「どうやって王宮に広まったのかしら」
イェルク王女が横に居る侍女――ウルズラを見ている。
ウルズラはバツが悪そうにして座っていた。
「……なるほど、国王に報告に上げるように指示を受けていたのね。
イェルク王女に忠誠を誓っていると見ていたのだけれど、それは勘違いだったのかしら?」
イェルク王女が苦笑を浮かべて応える。
「ウルズラは私の侍女であると同時に、王家に仕える侍女。
王家の血統に関わる事を黙秘する訳にも参りません。
定期報告を命じられれば断れませんし、問い詰められれば答えざるを得ないでしょう」
板挟みという奴だろう。
国王の追及を逃れられるほど、要領よく立ち回れる人ではないのだろう。
恐らく、そつなく報告するつもりで居たが、国王に『王女がリーゼロッテの虜となったか』を深く追及されたのだ。
その全ての追及をかわす事が出来なかった、という事だ。
「それで?
私しか愛せなくなったイェルク王女はこれからどうするの?」
「魔族、それも魔王の娘を愛するようになった私に、婚姻を持ち掛けてくる貴族男性は居ないでしょう。
元々病弱だった私には縁のなかった話です。
希薄が絶無に変わった、程度の差ですね」
「結婚しないってこと?
王女なのに?
子供はどうするの?」
「『しない』ではありません。
『出来ない』です。
望んでも相手が拒絶します。
国の為に婚姻を結ぶべきだと説いても、相手が頷かないという事です。
子供に関しては、諦めるしかないでしょうね」
――国の為だと説いても、魔族を愛したというたった一点のみで婚姻を拒絶するの? 相手が王女なのに?
リーゼロッテが再び首を傾げていた。
「そっか、子供は諦めちゃうのか……
それって、もう王宮に戻る意味もないんじゃない?」
イェルク王女が微笑んで頷いた。
「そうなんです。
お父様からも、特に戻って来いとは言われなくなりました。
最初はそう言われていたんですが、今ではサッパリです。
なのでもういっその事、リズ殿下と共に生きていこうかと思いまして」
未練の欠片も無さそうな王女の笑顔に、リーゼロッテは呆気にとられた。
「割と重大なことをぶちまけてる自覚、あるの?」
「そうは言われても、もう王宮に居場所もありませんし……
それよりは、愛する人の傍で生きていく人生の方が、幸福ではありませんか?」
リーゼロッテはウルズラを見た。
「ウルズラ、あなたはどうするの?
王家の侍女なら、王女を止めた方がよくないかしら。
私の口利きで良ければ力を貸すわよ?」
「王宮の王侯貴族たちの殆どは、未だリズ殿下を他と同じ魔族と疎む人間が多いのです。
そんなリズ殿下を愛した王女を、既に人間の仲間と認めない貴族ばかり。
そんな人間の傍にいるより、ここで生活を続ける方がイェルク王女の為でしょう。
私は王女の傍に付き従うまでです」
王女と共に人生を終える覚悟。
王女が迫害されるなら、その苦しみを分かち合おうという固い意志を感じる目だ。
「……あなたの覚悟、受け止めたわ。
王女の希望も理解した。
では筋を通しに行きましょうか。
食事を終えたら王宮へ行って、国王に王女とウルズラを私が預かると宣言してくるわ。
その時に必要な物があれば持ち帰ってきましょう。
人手が必要なら、その人手を募らないといけないわね」
たちまち周囲の大人たちが声を上げ手を挙げた。
「……わかったわ。
みんなの力を貸して頂戴。
王宮で止める者が居ても、私が捻じ伏せるわ。
食事が終わったら向かいましょうか――
みんな、今夜は愛を捧げて貰う時間がなくなったと他の子に伝えて頂戴。
今夜は王女を引き受ける作業で潰れてしまう。
今日の分は明日、きっちり捧げて貰うわ」
子供たちも快諾の声を上げた。
絆を深めている人間たちを見て、リーゼロッテは自然と微笑みがこぼれていた。
****
王宮では衛兵たちに止められることなく、リーゼロッテたちは歩を進めた。
リーゼロッテは元より、王女を見ても怯える様子が見られる。
――なるほど、既に魔族の仲間として見られているという事か。
確かにこんな環境に王女一人を残しても、ろくな生活は待っていないだろう。
謁見の間に国王を呼び出し、リーゼロッテは久しぶりに足を踏み入れたその場を見渡した。
――なんだか、随分装飾品が増えてない?
まだ国家間交流どころか、都市間交流すら復活したとは言い難い。
せいぜいフィリニスの街に残った住民とのやりとりがあるくらいだ。
謁見の間を使う用件が生まれる訳が無い。
使われない部屋を華美に飾る意味など、全くないだろう。
この装飾品を作らせる為に、街の生産能力が無駄に使われた……頭が痛くなる事実だ。
ちゃんと報酬を与えたんだろうかと不安になっていた。
王家からの命令で無理に割り込みをかけて無報酬――いくら無能でも、それはないと思いたい。
例え対価がきちんと与えられたとしても、無意味な装飾を作る為に、潤沢とは言えない素材が消費された事実は揺るがない。
少なくともそれは、今やるべきではない。
――うん、やっぱり無能だわ。
ようやく謁見の間に現れた国王が、近衛騎士に挟まれて近付いてきた。
その目には警戒の色――感情も漏れてくる。
国王はそれでも笑顔を張り付けて言葉をかけて来た。
「これは殿下、今夜はこんな時間に何用でしょうか」
リーゼロッテは笑みも浮かべずに応える。
「王女から話は聞いたわ。
既に彼女は、王族の務めを果たせなくなったそうね?
どういう事か、あなたの口から説明してくれる?」
国王の片眉が跳ねあがった。
「私が申し上げるまでもなく、殿下ならご理解いただけるのでは?
人間でありながら魔族を愛するなど、既に心が魔族となった証。
そんな者を娶る『人間』が我が国に居ないというだけです」
――純粋な魔族である私の前で、魔族を汚らわしいと言い切られたのかな? これは。
魔族であるリーゼロッテを愛する、未来の国家を支える次世代の子供たちを、人間と認めても居ない。
彼らは純粋なラスタベルト王国の国民。
リーゼロッテの因子が混ざった存在ではない。
だというのに『見做し魔族』扱いである。
いや、もうこれは既に平民すべてを魔族同然の扱いで見ている。
このラスタベルト王国では貴族だけが人間だと、暗に宣言された。
――相変わらず、信じられない神経をした人間の個体だ。
「そう、ではあなたはイェルク王女をどう思っているの?
あなたの実の娘でしょう?」
「魔族の虜になった者を、王家の人間と認めるわけには参りません」
「彼女は虜になどなって居ないわ。
ただ私を愛しただけ。
そこは人間同士と――」
「屁理屈や言葉遊びは不要です。
既にイェルクは王家から籍を抜く準備が進んでおります。
後は殿下のお好きにどうぞ」
発言しているリーゼロッテの言葉を遮って国王が意見を述べた。
リーゼロッテは国王を睨み付けて、ゆっくりと言葉を告げる。
「この地方を治める執政官である私の言葉を、あなたは今、遮ったわね?
いい根性してるじゃない。
二か月前とは雲泥の差ね」
国王が嫌らしく笑った。
「既に我が国の領土に残る魔族は、ごくわずか。
我が国の領土が解放されるまで、もう間もなくだ。
もう魔族を恐れる必要などない」
――誰がそれをやったと思ってるんだ、この馬鹿国王は!
リーゼロッテは国王を厳しく睨み付けた。
その両手から血が滴り落ちる感覚が襲っていた。
ぽたりぽたりと床に血が滴る音さえ聞こえてきそうだった。
この両手を血に染めて来たのは、この国に生きる人間たちを一人でも多く救うため。
決して玉座で暇を持て余していた国王を喜ばせる為ではない。
リーゼロッテは沸々と、腹の底で煮えたぎる怒りの鼓動を感じていた。
静かに怒りを秘めたリーゼロッテの声が、謁見の間に響く。
「あなたは玉座に座って居ただけ。
何もしていないわ。
あなた個人には何の力もない。
もうそれを忘れてしまった?
玉座で退屈に二か月間暇を持て余しているうちに、魔族の恐ろしさをもう忘れてしまったのかしら。
だとしたら、少し思い出させてあげてもいいのよ?」
「殿下にそれが出来ると?
人間を殺せず、魔族ばかりを嗤いながら殺して回る殿下の、何を我々人間が恐れる必要があるのか。
教えられる物なら教えて頂きたいものだ!」
――言うに事を欠いて『嗤いながら』か。
そうか、まぁそうかもしれない。
そこは認めよう。
躊躇なく、全てを瞬く間に、虫のように潰して回ってきたのだから、似たようなものだろう。
彼らに罪はなかった。
ただ生きていただけの、平民階級の魔族すら虫のように潰してきた。
――ならば貴様も虫のように潰してやろうか?
思わず残虐な魔族の笑みが、リーゼロッテの口角を持ち上げた。
この無能な国王は、人の神経を逆なでる才能だけは、月の神並か、それ以上だ。
もうリーゼロッテは我慢をするのを諦めた。
『この人間には言葉が通用しないらしい』と。
ならば力で示してやるしかない。
己の分を弁えさせるには、もうそれしかない。
リーゼロッテは即座に月の神の気配を手繰り寄せ、防御結界の魔法をその場の人間全員に付与した。
たちまち全員が半透明の白銀の膜で覆われ、国王たちが慌てふためきだす。
「これは?! 何事だ! 何をする気だ!」
急に慌てだした国王の滑稽な姿を、リーゼロッテは怒りを通り過ぎた、冷めた気持ちで見据えていた。
「恐れるものがないなら、どっしりと構えてなさいよ――
その目に焼き付けろ! 愚か者が!」
リーゼロッテは力の限り叫ぶと共に、瘴気を全力で解放した。
そのまま謁見の間を中心とした爆撃術式で部屋の全てを吹き飛ばしていく。
爆風は全ての窓を突き破り、謁見の間の天井を突き破って空高く吹き上がった。
激しい音と爆風が収まると、瓦礫の山となった吹き曝しの広い空間のみが残っていた。
結界越しにリーゼロッテの瘴気を浴び続ける国王の顔が、すっかり蒼白に染まっている。
その結界が解かれれば、彼は一秒と持たず全身が腐り落ちる。
両脇に居る近衛騎士たちも同じ条件、それを理解して、緊張で動けないようだ
――尤も、防御結界を個別に張っている。
彼らは国王を守りたくても近寄ることすらできない。
――失敗した。
リーゼロッテは烈しく後悔していた。
不完全燃焼だ。
ほんのわずかに力を使った程度で収まる怒りではなかった。
逆に不満が積り、苛ついていた。
かといって全力を出したら、王都を中心に大陸南西部が吹き飛んでしまう。
そんなことはできる訳もない。
リーゼロッテは蘇ってきた苛立ちを隠さぬままに言葉を告げる。
「生かしておけば使い道があるかと思って放置していたけど、そこまで害悪を振りまく個体なら不要ね。
生かしておく価値はないと判断するわ。
私がその結界を解除するだけであなたは死ぬ。
その理解はできているかしら?
今すぐ跪いて許しを請うなら、容赦を考えてあげなくもないわよ?」
国王は慌てて周囲を見回し、リーゼロッテに叫ぶ。
「私の謁見の間が!
貴様、なんてことをしてくれたのだ!」
――この期に及んで、言う事がそれか。
常にリーゼロッテの無能記録を更新し続けてくる、底が知れない無能。
これは逆に逸材なんじゃないかとさえ思えてくる。
――その無能な頭で理解できるかはわからないけれど、人間の言葉で改めて説明してやることにしよう。
「これでも私の力、そのほんの一部よ? 小指の先ほども力を使っていない。
私がその気になれば王都を丸ごと消滅させる事も容易いと知りなさい。
無能な王の居場所など、吹きさらしの瓦礫の山で充分よ――
それより、許しは請わなくていいのね?
情けはいらないと、そういう解釈で良いかしら。
直接殺せなくても人間を殺す方法などいくらでもあるのよ」
「はっ! 強がりを!
人間を殺せるなら殺してみるが良い!」
リーゼロッテの瞳が更に温度を失った。
――どうやらこれは『虫』のようだ。人間ではない。ならば潰すのみだろう。
力の差を理解する知能も、人間の言葉を理解する知能もない。
人の形をした『害虫』だ。
生かしておくだけ害悪というものだ。
叫んだ国王に向けて、リーゼロッテの殺気が集中していく。
その殺気を同時に傍で浴びた近衛騎士たちが、国王の代わりに跪き首を垂れた。
「リズ殿下! どうか、どうかご容赦を!
国王陛下には後程、きつく言って聞かせます!
ですからどうかこの場は御納めください!」
国王は殺気に怯みながらも、まだ口答えを続けていた。
「何故跪くのだ!
人間を殺せぬ魔族に何を怯える事がある!」
「国王陛下!
リズ殿下の殺気は本物です!
彼女は国王陛下を始末する気なのです!」
リーゼロッテの背後から、イェルク王女が声をかける。
「――リズ殿下、ここは私に免じて、お父様の命を助けてあげられないかしら」
リーゼロッテは振り向かず、イェルク王女に応える。
「国王は今まで、一度たりともあなたを見なかった。
実の父娘でありながら、既に娘として認めていない。
そんな男、私は許せないわ」
――それが、何よりも許せない事実。
実の娘を侮蔑し嘲り笑う。
冷酷な魔王ですら、そんな態度は取らなかった。
そんな者を、リーゼロッテは人間とは認めたくなかった。
「それでも、あんな屑みたいな人でも、私のお父様なの」
その一言で、リーゼロッテの中の煮えたぎっていた怒りが、嘘のように冷めていた。
イェルク王女の口から出た言葉が、リーゼロッテの心からから怒りを奪い去った。
この二か月の間、心の中で何度その言葉を繰り返したのか。
その言葉は、誰よりも自分が言いたい言葉だった。
神に滅ぼせと言われてしまった、害悪の根源。
リーゼロッテが運命に従って滅ぼさなければならない魔王。
――でも、そんな人でも、あの人は私のお父様。命を救える道が在るなら、それに縋りつきたい気持ちが未だにある。
イェルク王女の気持ちに共感していた。
そんなリーゼロッテがイェルク王女の父親の、生殺与奪を握っている。
リーゼロッテが今最も欲している救いを、彼女に与えてあげられる。
リーゼロッテは全ての瘴気を納め、全員の結界を解いた。
「ヴィクター!」
名を叫ぶと同時に、国王の背後にヴィクターの姿が空気から滲み出るように現れる。
「お呼びでしょうか殿下」
「殺さない程度に痛めつけておきなさい。
私に逆らった事を後悔するまで、徹底的にね」
――『分を弁えさせる』、それが私にできる最大の譲歩。
「御意」
怯える国王の襟首をつかんだヴィクターの姿が、再び空気に溶けるように消えて行った。
リーゼロッテは深呼吸を一つして、ようやく気分を落ち着けた。
慌てて周囲を近衛騎士が付近を見渡していた。
だが、隠遁魔法を使ったヴィクターを追いかける方法はないだろう。
「ヴィクターさん、来ていたんですね」
イェルク王女が呟いた。
リーゼロッテは落ち着いた声で彼女に応える。
「彼は王都中の音を未だに盗聴してるわ。
この王都で起こる出来事で、彼が把握できないことはないわよ」
リーゼロッテは未だに国王を探して辺りを見回している近衛騎士の一人の肩を掴む。
彼女の手に怯え、身が竦んでいた。
「心配しなくても国王は帰ってくるわ。
何日後になるかは、あの男の無能振り次第だけど……
命の保証だけはしてあげる。
だからあなたたちは部屋に戻りなさい」
リーゼロッテの言葉に納得したのか、納得せざるを得なかったのか。
彼らは大人しく、自分たちの部屋に引き上げていった。
リーゼロッテが振り返る。
同行してきていた大人たちが目を丸くして驚いていた。
子供の父親らしい男性が言葉を告げる。
「リズ、本当に魔族だったんだな……
すげぇ瘴気だった。
リズの魔族らしい面を、初めて見たよ」
リーゼロッテは呆れてジト目を向ける。
「なんどもそう告げているし、私は魔王の娘だとも告げているわよ?
まさか、信じていなかったの?」
子供の母親らしき女性がリーゼロッテに応える。
「あんな怖いリズ、初めて見たからびっくりしたよ。
リズも怒る事があるんだねぇ」
「あはは、ごめんね。
ついイラっとしちゃって。
でも、ヴィクターがきっちり『教育』して来てくれるはずだから、次会う時は少しは懲りてることを祈るわ」
「ヴィクターさんの『教育』って、どんな事をされるんだい?」
「知らない方が良いわよ?
殺さないけど死んだ方がマシ、そんな目に多分、何日も遭わされ続けるわ。
あの無能な国王が懲りるまで、延々とね」
ヴィクターはそういう事が巧い人間だった。
アーグンスト公爵――魔王が、たまに魔王城で彼にやらせていた、本物の『お仕置き』が彼の仕事の一つだ。
アレに比べたら、リーゼロッテの『お仕置き』など名前だけだ。
「さぁ、国王の許可も得たし、イェルク王女の私物を運んでしまいましょうか!」
その後、イェルク王女の部屋に行くと、目ぼしい調度品は全て持ち運び出された後だった。
残っているのは水の入った大瓶と、わずかな備え付けの家具ぐらい。
あの大瓶には注意を逸らす術式も施してある。
うっかり蓋を開ける人間を避ける保険程度の術式だったが、どうやら功を奏したらしいとリーゼロッテは胸を撫で下ろした。
さすがにイェルク王女も乾いた笑いを上げていた。
「あはは……お父様、こういう時はやる事が徹底的なのね。
思い出の品一つ、残ってないわ」
クローゼットルームも、ひとつ残らず服が無くなっている。
宝飾品は言わずもがなだ。
「なんだか、持っていく物は蜂蜜の瓶だけになりそうね」
侍女のウルズラも部屋の全てを確認した後、頷いた。
「他には何も残されておりません。
私は辞表を部屋に置いて参りますので、しばらくこちらでお待ちください」
リーゼロッテは蜂蜜の瓶を浮遊させて大人たちに謝った。
「みんな、せっかく来てくれたのに、やることがなくなっちゃったみたい。
無駄足を運ばせてごめんね」
「なーに、リズの意外な一面が知れて楽しい夜だったさ!
あれだけで今夜来た甲斐がある。
気にするな!」
ウルズラが戻ってくると、手持ち鞄を一つ抱えていた。
「私の私物は残されておりましたので持って参りました。
申し訳ありません」
イェルク王女が笑って応える。
「何故ウルズラが謝るの?
残っていたなら良い事じゃない。
さぁ、『私たちの家』へ帰りましょう」
そうしてリーゼロッテたちは、みんなで王宮を後にした。




