31.許されぬ愛
玄関の扉を開けて「ただいまー」とリーゼロッテが声を上げる。
部屋の中からラフィーネが顔を出してリーゼロッテを出迎えた。
「ヴィルケ王子が応接間で待ってるわよ?」
この家は執政官の家。
来客用に応接間も形だけは作ってあった。
王宮から来る人間を待たせる場所として用意した部屋だ。
今日、初めてその部屋が役に立った、という訳だ。
応接間に入ると、中では仏頂面のヴィルケ王子と、楽しそうに微笑むイェルク王女が並んでソファに腰を下ろして待っていた。
「なんだかヴィルケ王子は機嫌が悪そうね」
イェルク王女が微笑んだままリーゼロッテに応える。
「お父様から許可がもらえたそうよ!
私は約束の範囲外、心囚われても問題としないと書面で記して頂けたわ!」
イェルク王女が微笑んでいる理由はそれだろう。
だがヴィルケ王子が仏頂面の理由がわからない。
イェルク王女はヴィルケ王子に向き直り、煽るように告げる。
「そういう訳で、リズ殿下に初めて捧げる天然物の愛は、私の愛という事に決まったの。
残念ね、お兄様」
「女同士で愛を囁くなど不自然だろう?!
何故そう言う事になる!
好意じゃなかったのか?!」
「仕方ないわ。
リズ殿下が余りに愛らしくて、日増しに好意が増していったの。
今では立派に愛しいと思えるのよ?
これが男女の間で通じ合わせる愛かは私にも分からないけれど、愛には違いないわ」
イェルク王女がやってきたのは昨日の朝だ。
昨日の今日で『日増しに』と言われて、リーゼロッテが首を傾げていた。
だがヴィルケ王子に勘違いがある事に気が付いた。
気を取り直したリーゼロッテがヴィルケ王子に告げる。
「ヴィルケ王子、私は人間の女性に子供を授ける事ができるのを忘れた?
私に愛を捧げる女性なら、子供たちにも大勢いる。
魔族との愛に限っては、決して不自然なことではないのよ?」
悔しそうに口を歪めるヴィルケ王子を満足気に眺めたイェルク王女は、おもむろにリーゼロッテに振り向いて言葉を告げる。
「さぁ殿下、お疲れでしょう?
早速、私の天然物の愛を食べてくださらない?」
言葉と共に、芳醇な愛の甘い香りが湧き立ち、リーゼロッテの鼻腔をくすぐった。
その香りにリーゼロッテは『嘘でしょ?!』と愕然としている。
リーゼロッテは先程、魔王城で三十人分の感情を貪ってきたばかりだ。
だというのに、食欲を刺激されて我慢できないほどの、確かな『愛』の香りを感じていた。
胸にも熱く響いてくるその気持ちを『間違いなく愛だ』と確信もしていた。
「イェルク王女?
私、あなたにそんな感情を抱かれるような覚えが一切ないのだけれど……
なにがどうなってるのかな?」
ふらふらと吸い寄せられるようにイェルク王女に近づきつつ、リーゼロッテは尋ねた。
イェルク王女は微笑んだまま応える。
「私にも理解できません――
いえ、リズ殿下を理解すればするほど、この気持ちが高まっていくようです。
さぁ、遠慮なく召し上がってください」
気が付いた時、リーゼロッテの両手は優しくイェルク王女の頬を包み込んでいた。
そのまま食欲のままに愛を貪っていく。
瑞々しく甘酸っぱい愛を貪ると、新しく魂から愛と歓喜が滴ってくるのは、素顔を見せた後の人間と同じ。
だが天然物の愛に『何かが違う』とも感じていた。
味の質、そして匂いにも、違いがあるように感じていた。
イェルク王女は恍惚としながら、命を吸われる感覚に身を任せているようだ。
しばらく夢中で感情を貪っていると、ふっと意識を失って身体から力が抜けていったので、慌てて抱きかかえた。
イェルク王女の魂には、まだ活力の余裕がある。
悩んだリーゼロッテは『体力がないのだろう』と結論付けた。
これだけ余裕があれば、目を覚まさせて会話くらいはできるはずだ。
王女をソファに横たえた後、覚醒術式を施した。
イェルク王女がゆっくりと目を開ける。
その表情は恍惚としたまま、うっとりと歓喜に陶酔したままだ。
「イェルク王女、どんな感覚?
私に心囚われた感覚はあるかしら?」
「……できれば、もう少しこの気分に浸らせて頂けないかしら。
リズ殿下のお言葉だとしても、今は何も考えたくないのです」
――おお?! 初めて見る反応だ。
リーゼロッテの魔性に心囚われた人間は、リーゼロッテのお願いを断れなくなるようだった。
それを断ったという事は、囚われていないという事なのかもしれない。
リーゼロッテはゆっくりとヴィルケ王子の横に腰を下ろし、イェルク王女を観察した。
彼女は十分ほど陶酔した後、ようやくリーゼロッテの顔を瞳に納めた。
「なんという至福だったのでしょう。
確かに、今を生きている、生命を謳歌しているという実感を得ました。
命を吸われている感覚も確かにあるというのに、愛すれば愛するほど愛おしさが増す感覚。
みなさんが仰る通りですね。
愛を尽くすほど、それを受け止めてもらえているという実感。
命を燃やして愛に生きているという実感があるのです。
この充実感は、何物にも代えがたいです」
ヴィルケ王子が不安気にリーゼロッテに尋ねてくる。
「イェルクは、妹はもう、心を囚われてしまったのでしょうか」
「少し愛を食べてみればわかるわ。
天然物の愛は味が違ったの。
愛の味が変わってなければ、囚われていないはずよ」
リーゼロッテは未だ彼女から漏れ出ている愛を少しだけ齧った。
味覚では変化を感じられない。
嗅覚でも『変わってない……ような気がする?』と判断した。
「おそらく、囚われてないはずよ。
愛を貪られてる姿も、身を震わせる程の歓喜を覚えてる訳でもないみたいだったし。
そこまで強い歓喜は実際に食べていないもの」
リーゼロッテの言葉にイェルク王女が目を見開いて驚いた。
「嘘でしょう?!
これ以上の歓喜があるというのですか?!」
「感情の大きさでは、比べ物にならないわよ?
多分だけど、イェルク王女が感じた感覚は、私に囚われた子たちが感じる感覚の断片よ――
でも、天然物の愛……実に味わい深かったわ。
満腹でなければ、もっと食べたいと思っていたかもね」
信じられないという表情でリーゼロッテを見つめるイェルク王女に、リーゼロッテは笑って見せた。
「あなたはまだ、『自分が生まれてきた意味』や『今を生きる意味』を見出したという実感は得られてないんじゃないかしら?
おそらく、人間同士の愛でも感じられ得る範囲の愛と歓喜しか覚えていないはずよ?
どうかしら?
あなたは『私に愛を捧げる為に生まれて来た』と感じられる?
『私に愛を捧げる事こそが自分が生きる意味』だと、心の底から思える?」
イェルク王女は少し考えたあと、静かに首を横に振った。
「私はあくまでもラスタベルト王家の人間、生まれてきた意味も、生きる理由も、この国に生きる民を幸福にするために在ります。
例え自分の人生や幸福を犠牲にしてでも、これは優先しなければならない事。
それこそが王族に生まれた者の務めです」
イェルク王女は王族としての矜持を語って見せた。
心が囚われていたら、このような発言はできなかっただろう。
リーゼロッテはイェルク王女を手のひらの先で示しつつ、ヴィルケ王子を見た。
「御覧の通り、心囚われては居ないわ。
あなたの妹は、変わらず王家の人間よ――
ねぇイェルク王女、一つ聞かせてもらってもいい?
そんな覚悟を持ったあなたが、何故私に心囚われる危険を冒してまで愛を食べさせたの?」
イェルク王女は静かに語る。
「リズ殿下は魔性の存在。
神の祝福という魔性は、ただその姿を見た者の心を魔性に落とすだけ。
でも殿下は素顔を見せなくても、人を魅了する魔性も持っている。
お兄様はそれに心囚われた。
私はリズ殿下を確かめようと近付いたのに、そんな私の心もリズ殿下の魔性に囚われてしまった。
その魔性の正体を知っておく必要があると感じたのよ。
お兄様を救い出せるなら、救わねばならない。
お兄様は次期国王となり国民を率いる身。
リズ殿下に心囚われている場合ではないの」
ヴィルケ王子は静かに黙ってイェルク王女を見つめていた。
代わりにリーゼロッテがイェルク王女に尋ねてみる。
「それで、その私の魔性とやらは見極められたの?
私には未だにさっぱり意味がわからないんだけど」
「ええ、私の心が囚われていないということは、超常的な力ではないという事。
つまり、ただの『人たらし』です。
リズ殿下は、ただ内外ともに魅力的なだけなんです」
――人たらしっ?! 魔王の娘たる、私が?!
『内外共に魅力的って、それはやっぱり魔王の娘らしくないわ!』とリーゼロッテは憤慨していた。
リーゼロッテにとって『魔王の娘』はアイデンティティの柱だ。
彼女なりの理想像がある。
それから剥離した評価だろう。
「なんかわかんないけど、その称号は却下するわ!」
「リズ殿下の意見はこの際どうでも宜しいのです。
超常的な力でないのであれば、神の奇跡や魔導術式でお兄様の心を救う事ができます。
想い人への愛を断ち切る術式などはありませんか?」
ヴィルケ王子は歯を食いしばって怒気を迸らせながらソファから立ち上がり、イェルク王女の言葉を烈しく否定する。
「断る!
何故、俺の気持ちを打ち消さねばならぬのか、その理由を教えろイェルク!
何故俺は、この愛を断ち切らねばならぬのだ!」
イェルク王女はあくまでも冷静に、見下ろしてくるヴィルケ王子に応えていく。
「魔族への愛を持ったところで、その子は次の王位を得られません。
この国の王位を継ぐ責務があるお兄様には、許されぬ愛なのです。
そこまで言わねばおわかり頂けぬほど、お兄様は愚昧ではなかったと思いますが?」
「彼女は正室としつつ、他に側室を作れば良いだけの話だろうが!」
「今ですら婚約者を作れぬ第一王子。
魔族を正室とする国王の側室になりたがる貴族女性が、果たして居るのかどうか……
これも言わずともおわかりでは?
そもそも、まともな結婚適齢期の貴族女性自体が希少なのですよ?」
「では彼女との子供を王位継承者とするだけだ!
その時の国王が私なら、誰にも文句など言わせぬ!」
リーゼロッテがヴィルケ王子の子供を産むことが前提で話が進んでいた。
彼女は『どういうこと?!』と混乱している。
唖然としながら、リーゼロッテは流れを見守っている。
イェルク王女はそれでも冷静に淡々とヴィルケ王子に告げていく。
「貴族、それも最も高貴とされるべき王族の血に魔族の血が混ざる……
他の貴族に対する求心力が大きく落ち、その子供が国王となっても、まともに国家を運営することが難しいはずです。
それ以後の子供たちはずっとそれを引き継ぎ、婚姻すら難しくなるでしょう。
ラスタベルト王国の終焉となり得ます。
それも簡単に予想が付く事では?」
リーゼロッテは憮然としながら意見を述べる。
「なんだか私を置いてけぼりで話が進んでるんだけど、私はヴィルケ王子の子供を産むつもりはないわよ?
あなたたちの杞憂でしかないわ」
イェルク王女がリーゼロッテを見据えて応える。
「ならば尚の事、お兄様にはあなたへの愛を忘れて頂かなくてはなりません。
そして人間との間に人間の世継ぎを作って頂く。
これは王族として生まれ王位を継承する者の責務。
疎かにはできぬ役目です」
ヴィルケ王子は歯ぎしりをしながらイェルク王女を睨み付けた。
「――俺は仕事に戻る!
だが忘れるなよイェルク。
俺は彼女への想いを諦めるつもりなど毛頭ない!」
そう言って乱雑に歩き出し、部屋から出ていってしまった。




