30.不意の綱渡り
リーゼロッテが狩りから戻り、食材を食糧庫に納め、新たにリンゴ酢を一瓶作った後。
彼女は一人、ミネルヴァの背に乗って魔王城へ飛んだ。
これは昨晩、ヴィクターとも相談して了承を得た事だ。
魔王城へ行くと早速、粛清部隊の執務室に行く――やはり居た。アーグンスト公爵だ。
いつも通り、書類仕事を進めているようだった。
リーゼロッテの姿を認めると、彼は驚いて立ち上がり彼女を出迎えた。
「殿下?!
なぜ殿下がここに?!」
「一か月経つでしょう?
召使いの人間たちが気になって様子を見に来たの。
元気がない個体が居たら、愛を捧げさせようかと思って。
それが終わったらすぐ戻るわ。
まだまだ忙しいのよ」
リーゼロッテの気がかりの一つだ。
どうしても魔王城の人間たちが気になっていた。
魔王の直轄地からすぐに救い出す事はできない。
だが放置すれば衰弱して死んでいくことは明白だった。
アーグンスト公爵もそれは承知していたのか頷いて応える。
「確かに、そろそろ問題が出ている個体が増えていて頭を抱えていたところです。
彼女らを殿下の部屋に向かわせますので、部屋でお待ちください」
――やっぱりか。
人間の数が著しく減ってきている今、魔王城に残っている人間だって無駄にはできないのだろう。
今のリーゼロッテの状況でも、召使いたちの延命くらいは可能だと考えたのだ。
「お願いね、待ってるわ」
リーゼロッテは魔王城の私室に向かって廊下を歩きながら、アーグンスト公爵の態度を思い出していた。
――彼がお父様。
やはり、実感など湧かなかった。
玉座に居る魔王とは声も違う。
二十年間、父の声だと思っていたものが、実は作られた声だった事に気付き、ショックを受けていた。
部屋で待っていると、普段割り当てられていた人数を大幅に超える召使いがやってきた。
普段なら十人前後だが、総勢三十名に及んでいた。
全員がリーゼロッテの姿を見ると涙ぐみ、実際に感極まって泣き出す者も居た。
「殿下!
もうお会いできないものかと……」
一人が耐えきれずに声を上げた。
本来ならお仕置きコースなのだが、『事情が事情だ』と今回は目を瞑った。
他の魔族が絶望を覚えさせるために、『リーゼロッテが百年に及ぶ任務に就いた』と教えたくらいは容易に想像が付いた。
その魔族はさぞ美味い絶望を堪能した事だろう。
「これからも月一回程度は様子を見に来るわ。
そんなに心配しないで?」
リーゼロッテは彼女らを宥めながら、全員からしっかり愛を捧げてもらった。
彼女らが床に倒れ伏したのを見届けていると、リーゼロッテの視界の隅――部屋の入り口に立つアーグンスト公爵が見えた。
「どうしたの?
まだ何か用事かしら?
私はそろそろ戻らないと、やる事が多くて困ってしまうわ」
アーグンスト公爵はいつもの優しくも冷たい微笑みを湛えて応える。
「いえ、増産と出荷の計画は順調なのかと思いまして」
リーゼロッテは肩をすくめて応える。
「あそこは前任者の無能振りにいくら呆れても呆れ足りないほど、酷い有様だったわ。
とても順調とは言えない。
まだまだ人を増やせる段階ではないわ」
ラスタベルト王国の解放すら出来ても居ない。
なんとか王都の再建に着手できた、そんな段階だ。
他の国にいつ着手できるのか、目途も立たない。
「そうですか……やはり彼は粛清されるべくして粛清された、といったところでしょうか」
「手を打つのが一か月遅ければ、ラスタベルト王国すら間に合わなかったかもしれないわ。
他の国も早急に救い出したいけれど、私の魔力も時間も足りないわ」
リーゼロッテが倒れ伏す召使いたちを見渡した。
「今後も定期報告も兼ねて、月一くらいで魔王城に顔を出すわね。
召使いたちの感情でかなり魔力を補充できたわ――お父様はお元気かしら?
お変わりない?」
アーグンスト公爵が微笑みながら応える。
「ええ、陛下は変わらず、玉座で傷を癒し続けてらっしゃいます」
「他の四魔公から不満は出てないのかしら?
ウィレンチュラ公爵は不満気だったけれど」
「出たとしても、陛下に逆らう力など持ち合わせておらぬ輩です。
造反しようもありませんよ――殿下の赴任地、計画の進み次第で、私も直に拝見できればと考えております。
良いご報告をお待ちしておりますよ」
「あなた本人が?
あなたもお父様と同じく、魔王城から出た姿など私は知らないわよ?」
「ヴィクターから報告を受けております。
あの時点では順調に計画が進んでいた様子。
早ければ第二世代か第三世代が生まれた時点で、増産された人間の品質や生活を直に拝見したいと思っております。
可能であれば検体も数体頂ければと」
検体、つまり『味見をしたい』という事だろう。
リーゼロッテは不快な気分を隠しながら、淡々と応える。
「検体は難しい相談ね。
その程度の世代では、まだまだまるで数が足りないわ。
子供の数が少なすぎるのよ。
一人たりとも欠けさせる訳にはいかないわ」
子供を産む役目がある女性は当然として、男性も働き手が足りてなくて困っている。
他の街から王都へ移したくても、王都の生活基盤も崩壊寸前で容易に受け入れる事も出来ない。
例え受け入れても、若い世代が少ない民衆。
「そんな状態で、若い検体を差し出せると思う?」
アーグンスト公爵が不満げに眉をひそめた。
「……確かに、陛下がダグムロイト公爵の粛清を決断なさるのが遅すぎたかもしれませんね。
検体は当分諦めざるを得ませんが、視察自体は早期に行いたいと思います。
それはお許し願えますか?」
「視察ぐらいであれば構わないわ。
でも、魔王軍を大勢引き連れてこられても困るわよ?
何故かは知らないけれど、人間たちは私に好意的なの。
せっかくそんな状態なのだから利用していきたいところね。
なのに魔王軍がやってきたら私に対する心証が悪化してしまうわ。
それは今後の統治に影響するから控えて頂戴」
「殿下が人間を利用、ですか?」
わずかにアーグンスト公爵の片眉が上がった。
リーゼロッテらしくない発言だ。
訝しむのも当然だろう。
リーゼロッテは平然と応える。
「魔王の娘である私を『可愛い』とか表現するのは許し難いけれど、好意的であればこちらの要求通りに行動してくれやすいわ。
こちらに付託するような行動も取ってくれるから、統治がしやすいのよ」
少なくとも、リーゼロッテに対して反抗しようとする人間は今現在いない。
そんな個体が出たら、リーゼロッテもヴィクターに命じて処理させざるを得ない。
「命はなるだけ有効に使いたいというだけよ」
「なるほど、殿下の御心、理解致しました――
陛下には、お会いにはならないのですか?」
「まだ任務の途中、お父様に直に報告できる成果も挙げられてないわ。
どんな顔をして会えと言うのかしら?
同族をこれだけ滅ぼしてきました、とでも言えば良いのかしら?」
「それもそうですね。失礼いたしました」
――納得は……したみたいね。
嘘をつかずに真実を隠す。
リーゼロッテの苦手とするところだが、なんとか乗り切ったようだ。
召使いたちの様子を見に来たついでだったが、結果は上々だろう。
検体の献上を拒否し、視察時に軍勢を連れてこないよう牽制を入れた。
これは後々に効いてくるはずだ。
「じゃあ私は戻るわ。
ヴィクターも忙殺されているし、私もまだまだ忙しい。
私の子供を産む子たちの世話も私がしなければならない状態なの。
あの国王の無能振りはダグムロイト公爵並ね」
「では粛清してしまえばよろしいのでは?」
「国王の子供はまだ王位を継げる段階じゃないわ。
子供を作るどころか、婚姻すらしてないんだもの。
直に国力が回復すれば、あの無能にも使い道が出る。
それまでの我慢よ――
それじゃあ、不在の間は引き続きお父様のお守りをお願いね」
「はい、畏まりました。
殿下もお気を付けて」
リーゼロッテは魔王城の内庭に出て、ミネルヴァの背に乗りラスタベルト王国へ戻っていった。
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――粛清部隊執務室。
書類仕事を続けるアーグンスト公爵が考え事をしていた。
どうやら計画は順調に想定通りの形で走り出したようだが、進捗は思わしくないようだ。
そこまで国力が衰退しているのは、報告書から読み取ることはできなかった。
書類仕事を嫌うのと同時に、内容にも欺瞞が紛れていたのだろう。
やはり、直接視察することの重要性を実感する。
大陸南西部はまだ視察に値しないが、他の地方へは一度、足を向けておく必要があるかもしれない。
それにしても――人間に『可愛い』と言われたか。
笑みをこぼしながら、思わず人間に同意してしまっていた。
実に魔族らしくない個体だ。
己の在り方を決して認めようとはしない――いや、ある意味でとても深く理解している。
清らかで無垢だが、卑しく悍ましい個体だ。
前者は決して認めようとはしないだろうが、後者は嫌というほど思い知っている事だろう。
そんな娘が産ませた子供、その絶望の味を、早く確かめてみたいものだ。
第一世代ではまだ早い。
それはまだ、純粋な人間に産ませた娘の子供だ。
その子供が生んだ第二世代くらいが味見としては丁度良い。
人間と魔族との間に生まれた人間に、娘が生ませた子供。
理論上は、今後の子供も同様の味わいとなるはずだ。
今後を占う味となるだろう。
なんとか娘の目を盗んで一人くらいは攫えないものだろうか。
ヴィクターに命じて、人間の人攫いに見せかける事ぐらいはしてもいい。
一世代三年として、二世代なら六年以降。
第一世代が生まれてから六年以降ならば、ラスタベルト王国の立て直し次第になるが、十年以内には味見が可能となるだろう。
実に待ち遠しい未来だ。
アーグンスト公爵は、近い未来に思いを馳せながら仕事を進めていった。
****
ラスタベルト王国の王都、自宅前にミネルヴァが降り立つと、そこには何故かヴィクターが待機していた。
「どうしたの?!
多忙なあなたがこんなところで佇むだなんて、何かあったの?!」
「いえ、殿下がお帰りになる予定時刻なので、それをお待ちしていただけです」
リーゼロッテが懐中時計を見る――予定時刻を三十分は過ぎている。
「ヴィクター、まさか三十分ずっとそこに立っていたの?」
「その通りですが、何か?」
平然と答えたヴィクターの前で、リーゼロッテは頭を抱えた。
昨晩、様々な話し合いの結果、今日は多忙を極めているはずの人間が、三十分を無駄にして平然としている。
――示しがつかないにも程があるんじゃないかなぁ?!
「あなたがやるべき仕事はどうなってるの?!」
「全ての作業分野に代理で統括できる人材を選び出し、彼らに委任しています。
いつまでも私が全てを采配していては、私が不在となる事態に陥った時に機能不全となります。
これは本来であれば組織として、まず最初にやるべき仕事です」
キーマン不在で組織が機能不全となるようでは管理者失格と言える。
バックアップの人材の用意も行っておくのが当然だ。
「幸い、文官たちも意欲を持って仕事をし始めました。今は平民に混じって、彼らに指示を飛ばしている事でしょう」
どうやらフィリニス民衆移送時に同行していた役人たちの心境に、変化があったらしい。
あの日、ヴィルケ王子と共にヴィクターに『自分たちに出来る事』を聞きに行った人間たちだ。
確かに、副官が十人も居ればそれぞれに任せられる作業量と言える。
だが四千人の受け入れで文官にも大量に仕事が発生しているはずだ。
「文官としての業務はどうなっているの?!」
「それは他の文官が担当しているようです。
自分たちの領分の職務であれば、彼らは喜んで仕事を引き受けます。
問題ありません」
リーゼロッテは人間の貴族の在り方に『働きたいのか、働きたくないのか……理解が難しい』と苦悩していた。
平民に混じり共に汗を流す事を厭う人種、そんな在り方に初めて触れたのだ。
彼ら貴族階級に属する人間の矜持を、魔族のリーゼロッテが理解するのは当分先だろう。
頭を悩ませているリーゼロッテに、ヴィクターが微笑んだ。
「人間の扱いはお任せ下さい。
殿下は殿下として在れば自然と人間は付いてきます。
そんな彼らを、私がうまく使いこなしてみせましょう」
「なによそれ……じゃあヴィルケ王子はどうなったの?」
「彼は自警団を率いる部隊長として仕事を任されました。
ですが今は、近衛騎士たちが自警団に戦い方を教えている最中でやることがありません。
なので殿下の自宅の中で帰りを待って居ますよ。
なんでも話があるとか……」
――話? 話って何だろう?
小首を傾げながらリーゼロッテが応える。
「わかったわ、あなたもすぐ戻りなさいよ?
いくら副官が居るからって、あなたが居るのと居ないのとじゃ効率が天地ほど違うはずなんだから」
ヴィクターは恭しく頭を下げた後、姿を消すように駆け出していった。
今使ったのは身体強化の術式だ。
そんなに急いで戻らなければならないほど忙しいというのに、三十分を平気で無駄にしていた。
――ヴィクターも何を考えてるんだか。




