2.優しさ
「――ふぅ、食べた食べた!」
リーゼロッテの前で、また一人の召使いが倒れ込んだ。
倒れた召使いは九人。
彼女の目が、残った最後の一人に向けられた。
召使いの少女は期待で頬を紅潮させ、自分の番を待ち侘びていた。
「私はもうだいぶお腹が一杯で、そろそろ執務室に戻らないといけないんだけど、貴方の愛はどうしようかしら――どうして欲しい? 言ってみて?」
慌てた少女が、眉をひそめて懇願した。
「お願いです殿下!
この瞬間の為に私は今日まで耐えて生きて来たのです!
どうか私に殿下の愛をお与え下さい!」
リーゼロッテは愛を捧げさせては居るが、与えてはいない。
そもそもリーゼロッテは、愛の与え方も知りはしない。
だから『愛を与えろ』と言われても、困ってしまう。
これはリーゼロッテに対する禁句だった。
禁句を口にした召使いには『お仕置き』が待っている。
召使いの少女の目を見据えたリーゼロッテは、一息で相手が失神するほどの感情の昂りを与えた。
これは一度に搾り取れる生命力の量が少ない手法だ。つまり、余力が残る。
覚醒術式で無理やり目覚めさせて、同じことを繰り返す。
これを生命を維持する限界まで繰り返した。
失神するほどの愛と歓喜を覚える――これを短時間で立て続けに繰り返した。
彼女が『熟成コース』とも呼ぶお仕置きだ。
その様子を部屋の入り口から眺めていたヴィクターが言葉をかける。
「またそんな惨い事をなさったのですか」
リーゼロッテがヴィクターに振り向いた。
「惨い事?
この子、こんなに元気になってるし、とっても悦んでるのに?」
「それを施した人間はしばらくの間、魔族たちの間で御馳走として堪能されます。
とても美味い絶望が味わえるそうですよ」
リーゼロッテが小さくため息をついた。
「それは仕方ないわ。
これほど魂が活性化してるんだもの。
産み落とす感情が力強くなるのは当然よ」
「殿下はこれから、百年以上の任務に赴かれるのですよ?
彼女が生きて殿下と再会できる望みは、もうありません」
「それも仕方がないわ。
その任務はお父様の命令だもの。
私にはお父様の命令に逆らう権利はないわよ?」
ヴィクターが責めるような口調で応える。
「それがわかっていて、なぜそのような愛の与え方をなさったのですか。
それこそ惨いというものではありませんか」
リーゼロッテがきょとんとしてヴィクターの目を見据えた。
「ではヴィクターは、彼女たちに真実を告げて、全ての愛を断った方が優しいと言うのかしら?
私の行為は貴方にとって優しさにならないのね?」
リーゼロッテと二度と会えないと告げられた召使いたちは、死を選ぶほどの絶望を覚えるだろう。
唯一の生きる希望を奪い去り、明日を生きる為の活力を奪い去る。
期待に胸を高鳴らせ、唯一の生きる希望を求めてきたら、それを今後一切望めないと知らされる。
それは他の魔族には真似できないほど、深い絶望を味わわせる行為だ。
その場に刃物でもあれば、衝動的にその場で命を絶つ事は間違いない。
それができなくても、その直後、他の魔族によって『鮮度が悪い』と責め殺される。
待っているのは死だけだ。
一方リーゼロッテの捕食行為は、この魔王城で唯一の生きる希望を与える。
『生きていればまた愛を与えてもらえる』と絶望に耐え忍ぶ。
明日を生き抜く活力の元になる。
どちらが『優しさ』なのかと問われ、ヴィクターの顔が苦悩に歪んだ。
「それがあなたの優しさだと言うのなら、失神している人間たち全員を殺してあげればいいんじゃない?
今なら苦しみを覚えずに死なせてあげられるわよ?」
ヴィクターの手が固く拳を握った。
そう、魔族が人間を支配する今の時代、なにをどうしようと人間たちに幸福はやってこない。
少なくとも、この魔王城で飼われている人間には。
今この場で人間たちに残された道は、希望を胸に命を長らえさせるか、絶望を胸に死んでいくかの二択だけなのだ。
リーゼロッテは生き延びる道を提示した。
少なくとも、希望に縋って居られる間は命をつなぐことが出来る道だ。
何が優しさで何が惨いのか、わからなくなってくる話だ。
リーゼロッテは『惨い』と言われ、『ならばこの問いに応えてみなさい』と迫った。
彼女のひたむきな眼差しに耐えられなくなったヴィクターが、俯いて目を逸らした。
彼もまた、人間たちに死を与える道は選択できなかった。
「そんな不毛な事を言う為に、わざわざあなたがやってきたの?
何か用事があったのではないの?」
「……アーグンスト公爵がお呼びです」
リーゼロッテが「ポン」と手を打ち鳴らした。
「ああ、うっかり愛を貪るのに夢中で時間を忘れていたわ。執務室に戻りましょうか」
リーゼロッテはドレスから乳白色の旅装へと着替え終わっていた。
予備の旅装を鞄に詰め、いつでも出立できる準備が整っていた。
彼女は部屋の入り口に立ち、室内に倒れ伏している人間たちを見渡した。
――生きていれば、いつかまた再会できるかもしれない。
彼女たちには、それだけを希望として生きてもらうしかない。
それがリーゼロッテの選択だった。
リーゼロッテが俯いたまま動かないヴィクターを見る。
「鞄を持って頂戴――あなたは同行するんだっけ?
それとも、お留守番してる?
あなたなら百年後も生きて会えるわよね。
じゃあ元気でね」
リーゼロッテが鞄を持とうと動こうとした瞬間、弾かれるようにヴィクターが鞄を抱え込んだ。
「いえ、同行します――させてください。
必ずお力になってみせます」
「そう? わかったわ――
あなたに前回愛を捧げさせたのはいつだったかしら」
「……二年半前になります」
「普通の人間は一年を過ぎる頃には『私に会いたい』と泣いて懇願すると他の魔族が言っていたけど、あなたはそうはならないのね。
あなたに渇望する思いはないのかしら?」
「いえ、そんなことは……」
「じゃああなたは我慢強い人間なのね。
良かったわ。
今はもうお腹いっぱいだし、これ以上はしばらく入りそうにないもの」
リーゼロッテは、黙って俯いているヴィクターの前を横切り、部屋を出て執務室に向かった。
それを慌てて追いかけるように、ヴィクターが鞄を持って彼女の後を付いて行った。
****
アーグンスト公爵が優しい微笑みでリーゼロッテに告げる。
「仔細はヴィクターにお任せくだされば、後は殿下が思うように統治して頂いて構いませんよ」
リーゼロッテが眉をひそめ、懐疑的な眼差しを向けた。
「本当に?
私、粛清部隊を向けられて返り討ちにするような面倒な真似、したくないわよ?
本当に好きにしていいのね?」
アーグンスト公爵が苦笑を浮かべた。
「殿下を粛清できる実働部隊などおりません。
その心配はご無用ですよ」
「それもそうね。
次にあなたに会えるのは何年後かしらね」
「殿下の成果次第です。
遅くとも百年後には一度、視察をしたいと思っております。
そこで殿下に継続して頂くかを判断したいと思います」
「私が執政官を継続する場合、その後任の四魔公はどうなるの?」
「殿下の代わりに粛清部隊の実務に加わるでしょう。
殿下の代理としては力不足ですが、人間増産計画の方が大事ですので」
リーゼロッテが小首を傾げた。
「増産と言われても、私も何をしたらいいのかなんてわからないんだけど?」
「ヴィクターが現地を見て提案をするでしょう。
殿下はその是非を判断して頂ければ充分かと。
後はヴィクターにお任せください」
「そうね、細かなことは任せてしまいましょうか――
出荷計画にはまだ納得できないんだけど、本当にやらないとダメなのかしら」
「百年くらいであれば、大陸の人間が絶滅する事もありません。
しばらく出荷できなくても構いませんし、いずれ人間たちが自ら出荷を願い出るでしょう。
殿下はそれを許可するだけで構いませんよ」
「だいたいわかったわ。私はもう行くわね。
あなたにはお父様を任せたわよ?
あの人、本当に自分で動こうとしないんだから」
「はい、お任せください。殿下もお気を付けて」
恭しく頭を下げるアーグンスト公爵にひらひらと手を振って、リーゼロッテは執務室を後にした。
****
魔王城の中庭でリーゼロッテが指笛を吹き鳴らすと、魔王城の傍から飛来する白銀の流星が中庭に流れ落ちた。
中庭に降り立ったのは一頭の雌の飛竜。
リーゼロッテによってミネルヴァと名付けられた、彼女唯一の友人だ。
「ミネルヴァ、道中よろしくね」
ミネルヴァの背にリーゼロッテが駆け上がり、その背に腰を下ろした。
ヴィクターはその背後に腰を下ろした。
その瞬間、ミネルヴァは瞬く間に白銀の流星となって空に駆け上がり、大陸南西部へ飛翔を開始した。
大陸中央の険しい山岳部を抜けると、すぐに大陸南西部に広がる平野部が見えてきた。
大陸随一の大穀倉地帯、『大陸の食糧庫』と呼ばれた地帯だ。
「……食糧庫、という割に荒れ地が広がるだけなのね」
「農業に従事する人手が足りないのでしょう」
農業は人間の生活を支える食料を生産する産業だ。
これが揺らげば、国家の人口を支えることが出来なくなる。
衰退が人口減少に直結してしまう。
「そんな大事な分野をここまで荒廃させてしまうだなんて、ダグムロイト公爵は本当に無能なのね。
粛清されても仕方がないわ」
広大な穀倉地帯の内、一割も機能していないようだ。
都市や農村に近い部分で、何とか収穫を得ている状況だった。
リーゼロッテが頭を悩ませる。
「増産計画というなら、まずは食料事情を改善する必要があるわね。
すぐに打てる手はあるの?」
「一朝一夕で改善できる問題ではありませんよ。
少しずつ積み重ねて、世代の人口を増やしていく事になります。
農地を回復するのに、早くても数十年を要するでしょう」
「……気が遠くなる話ね。
減らすのは簡単なのに、増やすのはとっても大変。
増産しろだなんて簡単に言うけど、とても出荷が見込めるほど増やせるとは思えないなぁ」
「それについては腹案がございます。
ダグムロイト公爵の粛清後、改めてご相談したく思っております」
「わかったわ――大きな街が見えるわね。
あれが王都かしら?」
ミネルヴァが減速を開始し、音も立てずに地表に流れ落ちた。
ふわりと王都の郊外に降り立ったミネルヴァの背から、リーゼロッテとヴィクターが歩いて降りていく。
リーゼロッテは瘴気をしまい、旅装のフードを目深に被った。
「それじゃあ街の様子を視察しながら、ダグムロイト公爵の所に向かいましょうか」
リーゼロッテたちは王都の入り口に向かい、ゆっくりと歩き出した。




