27.魔性
リーゼロッテは初めて反魔族同盟の拠点の家屋の中に居た。
目の前には、呼び出されて呆れた顔のドミニクが立っている。
「なるほどなぁ。
血相を変えて飛び込んできたから何事かと思ったら、あの王女さんの病弱は栄養不足か」
「突然扉を開けて飛び込んでごめんなさいね。
つい勢い余ってしまって……」
ドミニクがニヤリと笑う。
「なに、あんたらしいさ――」
貧血に利く食材なら、動物の内臓だ。
鮮度が命だ。
狩人の間では割と定番の滋養強壮の食材だ。
「――獲物を捌いたその場で調理して食っちまうけどな」
「内臓?
今まで捨てて来たものにそんな栄養が詰まってたの?」
「ブタの肝臓、野生だと猪だな――」
これがてきめんに貧血に利く。
保全術式を使えるリーゼロッテなら、内臓を持ち帰る事も可能だろう。
だが内臓は味に癖が強い。
「――食うのに慣れてないと、口にするのは苦労するはずだ」
リーゼロッテに動物の内臓知識はない。
「ドミニクさん、同行してその部位を教えてくれないかな?」
「お安い御用だ。
俺たちの狩りは終わっているし、道具もいらん。
このまま付いていこう」
*****
アンミッシュの森の中を、猪を探しては仕留め、部位を教えてもらう。
「他の内臓はもったいないが、持ち帰っても持てあますだろう。
肝臓以外は捨てていこう――
それだ、そう、その部位だ。
それに保全の術式をかけておけば持ち帰っても食えるはずだ」
「この部位が栄養豊富な部位なのね……」
肉の部分はせっかくなのでそのまま収穫し、十頭分の食肉と肝臓をリーゼロッテはふよふよと宙に浮かせている。
「調理方法はどうするの?」
「既に充分血は抜いてあるし、後は――」
酒や酢に浸した後、キッチリ火を通す。
焼いた後は好みで塩をまぶして食うのが狩人風だ。
そこは好きに味付けをして構わない。
独特の食感があるが、翌日は疲れも取れるし力が溢れる。
「――最初はキツイだろうが、食い慣れておくのが良いだろう」
「そんな事でもお酒を使うんだ?
へぇ……
飲むだけじゃないのね。
酢はどうやって作るの?」
「例えばこの辺りの森の狩人は――」
リンゴを発酵させる。
綺麗に洗った後、水に浸して冷暗所で保管する。
すると半年ぐらいで酢になる。
「――毎日定期的に中身を混ぜ返したり、手間暇かかるんだがこれも栄養が豊富だ」
リーゼロッテは『術式で短縮できそうだな』と考え込んだ。
だが彼女の知識に、リンゴが無い。
「ねぇ、リンゴってどんなもの?」
「樹木に実る果物だ。
赤かったり青かったりするが、甘い香りが特徴だな」
ドミニクが地面に絵を描いたが、リーゼロッテは首を傾げていた。
これだけではよくわからなかったのだ。
「ちょっと探してみようか!」
リーゼロッテは探査術式を撃って、樹木に実っているそれらしい大きさの果実を探していく。
しばらくして、ドミニクが声を上げた。
「お、これだ。
これがリンゴの樹だ」
目の前には赤い実がたわわに実ったリンゴの樹が何本か生えていた。
この辺りから、リンゴの樹木が多い地帯ようだ。
ドミニクが器用に実を刃物で切り落とし、そのままかぶりついた。
「……うん、少し早いが、食うには十分熟している。
これを原料に酢を作れると思うぞ。
当然、そのまま食っても栄養がある」
「じゃあこの木に実ってるもの、半分くらい持って行っちゃおうか」
リーゼロッテはサクサクと手際よくリンゴを魔力で切り落としていき、表面に水洗い程度の弱い浄化術式を施した後、防虫と防獣を施してふよふよと浮かせた。
発酵させるなら、保全術式はかけられない。
全部で二百個ぐらいが空中に浮いている。
「これから私の家で酢を作るから、手伝ってくれる?
術式で発酵を早めるからすぐに終わるわ」
「あ? ああ、そういう事なら構わんが……
時間を進めるとか、そこまでできるのか?」
「発酵、つまり腐敗を進める術式でいけるでしょう?
それなら魔族の術式にあるもの」
****
リーゼロッテは持ち帰ったリンゴを保管庫に入れ、さっそく大瓶を用意してリンゴを十個ほど切り刻んで皮ごと中に入れた。
「あとは水に浸して冷暗所で保管し、毎日かき混ぜるだけだ」
桶に水を汲んできて中に注ぎ込み、遮光術式と保温術式を施す。
「温度はどれくらいが良いかな?」
「水が凍らない程度の室温で良かったはずだ」
その程度に瓶の中の温度を保った後、かき混ぜながら瓶の中の腐敗を加速させていく。
五分程度で調査術式を撃つと、中身がすっかり変質したことを確認できた。
中身を匙ですくって味をドミニクに確認してもらう。
「……うん、酢になってる。
魔族の術式は便利だな」
「じゃあこれと猪の肝臓を渡して調理してもらうようにお願いしてくるね!」
リーゼロッテは肝臓一つと酢の大瓶一つを浮遊させ、残りの内臓は一つずつ瓶の中にしまった。
その日の夕食当番の家屋に駆けこむと、さっそく何やら作り始めてるところだ。
「ねぇ! 追加で猪の肝臓を調理してもらいたいのだけれど!」
****
ドミニクの助言の元、最初の猪の肝臓の一品が出来上がった。
下ごしらえで酢に浸し、汚れた酢を捨てた後に肝臓に火を通す。
「火を通し過ぎても硬くなるが、キッチリ火が通ってないと食あたりで死ぬことがある。
これぐらい火が通ってれば十分だ」
調理をした婦人たちが、恐る恐る口にしていた。
ドミニクは旨そうに塩を振ってかぶりついていた。
婦人たちはみんな微妙な顔をして眉をひそめている。
「なんだか、すごい食べにくい食感ね」
「初めて食べるわ、こんなもの」
「だが、滋養が高い。
特に貧血には効果的だ。
他の内臓も食えるんだが、そっちはさらに癖が強い。
食い慣れた狩人以外には向かない食材だろう」
リーゼロッテがドミニクに尋ねる。
「どうしたら美味しく食べられると思う?」
「味を濃い目に付けるしかないな――」
塩だけで食えるのは食い慣れた人間ぐらいだ。
だが、今の王都で塩以外の調味料を得るのも厳しい。
その増産の目途も立たない。
「――蜂蜜だって調味料の一つだと言えば、少しは分かるか?」
「塩はどうやって作るの?」
「海水をくみ上げて、水を蒸発させる。
すると塩だけが残る。
ここは海が近いからまだ塩を作りやすいんだが、他の地域は塩すら満足に作れまい」
「人手は増えたのに、増産の目途が立たないのかしら?」
「途中で野盗が出るからな――」
ヴィクターが逐次潰して回ってる。
だが野盗も塩を求めて集まってくる。
塩田は充分な広さがあるが、増産すれば塩を多く運搬する事になる。
その時に野盗を追い払う人員が必要になってくる。
「――だが、戦闘要員は一朝一夕で用意できる人員じゃない」
リーゼロッテが戦闘要員の事で悩み始めた。
自警団を組織して、低級眷属を五体も付ける。
並大抵の野盗集団なら対応可能だろう。
だが心配せずとも、ヴィクターが準備を進めてるはずだ。
ドミニクが腕を組んで悩んでいるリーゼロッテを笑った。
「なに、調味料は庶民にとって本来、高級品だ――」
王都だから潤沢にあっただけだ。
庶民が庶民らしい生活をしていると思えば、塩があるだけ贅沢だ
ここには蜂蜜もあるし、試してみたらどうだ?
王女が食えればいいんだ。
「――味付けなしと塩、蜂蜜、塩と蜂蜜、四種類を今作って食べてもらえばいい」
「それもそうね――呼んでくるわ!」
自宅に戻り、リーゼロッテの部屋で横になっていた王女が浮遊術式で運び出された。
「な、何事ですか?!」
「ちょっと味を確かめて欲しくてね」
ドミニクたちが待つ家屋に戻ると、さっそく四皿が並んでいた。
「さぁ、この四皿を食べて、一番食べられそうな味を選んで頂戴!」
イェルク王女はリーゼロッテを怪訝な目で見た後、さらに怪しい物をみる目つきで皿の上の肝臓を眺めていた。
「なんですか? これは」
「あなたの健康状態を向上させるためのお肉よ?」
イェルク王女は一皿ずつ口に含んでは顔をしかめ、飲み込んでいく。
だが二皿だけは美味しそうに食べていた。
「甘くて美味しいですね!
こっちは塩が少し利いていて、それがさらに甘味を引き立ててる気がします!」
「……なるほど。
蜂蜜と塩で火を通した皿が好みか。
もう一方は蜂蜜のみだ。
王女は蜂蜜が相当気に入ったんだな」
婦人たちが改めて同じものを作り、それぞれ口にしていく。
「あら、確かにこれなら食べられるわね」
「私はこれでも苦手かもしれないわ」
リーゼロッテは軽く両手を打ち鳴らした。
「ともかく、一日最低一皿、できれば毎食、王女には食べてもらうわ――」
他の人も、食材は備蓄が充分あるから一緒に食べても構わないわよ。
貧血で困ってる人は食べておいた方が良いわね。
調理方法は他の家族たちにも伝えておいて!
私はこれからヴィクターと塩の増産計画がどうなってるか、確認にいってくるわ。
夕食までには戻るわね!
「――ドミニクさん、拠点まで送るわ!」
リーゼロッテはドミニクの腕を引っ張り、外へ駆け出していった。
****
リーゼロッテが慌ただしく飛び出していった台所で、婦人たちが楽しそうに笑っていた。
「リズったら、相変わらずね」
「あんなに身を粉にして働きまわって、身体を壊さないといいんだけど……」
「そうね、あの子に倒れられたら、ここに居る子供たちが全員悲しむもの」
その様子を微笑まし気に眺めていたイェルク王女が語りかける。
「やはり、リズ殿下は普段からああなのですか?」
「ええそうよ? 一か月前からずっと変わらないわ。みんなの為に走り回って、自分の時間なんて一秒もないんじゃないかしら」
「あれで『私は魔族よ!』なんて言われても、説得力がないわよね」
「魔族がみんなリズのようであれば、共存する道もあったかもしれないのだけれどね」
「リズ殿下は、あれでも『自分は利己的に生きてるだけで、心優しいなんて幻想よ!』と言い張ってたわ。わざと惚けてるのかしら?」
婦人たちが顔を見合わせた後、笑い合った。
「まっさか! あのリズにそんな器用な事、できる訳がないわ! あれほど生きる事に不器用な人を、私は見た事がないわよ」
「あれでも本人は利己的に生きてるつもりなのよ。心底ね」
「本当に利己的に生きている人間を教えてあげたいわ」
イェルク王女は、そんな人間に一人心当たりがあった。
困っている誰かの為に、一秒すら惜しいと走り回るリーゼロッテに対し、利己の限りを尽くす存在を知っていた。
王宮の玉座で今も暇を持て余し、欠伸を噛み殺しているであろう自分の父親だ。
そんなに暇なら自室でくつろいでいればいいだろうに、と思うのだけど、二十年ぶりに魔族から取り返した玉座の座り心地から離れられないようだ。
それでいて配給の食事が貧相だと文句をつけては、庶民が未だ口にできない肉を頬張っているらしい。
少なくとも、兄や侍女たちを経由して聞こえてくる父王の姿はそんなものだった。
一方でリーゼロッテは、自分に人生を捧げた子供たちの為に毎日森に赴き、彼らの為の食肉を確保しているらしい。
王宮以上に潤沢な食肉を使った料理が、この地区の食卓には並ぶのだと言う。
そしてリーゼロッテは『そんな生活を早く王都市民が取り戻せるように』と、日々努力を続けているそうだ。
先ほど走り去ったのも、塩の増産計画の為。
新たに四千人増えた王都市民を賄う塩をどうやって増やすか、その具体的な相談に行ったのだろう。
おそらくその時にも、彼女の力が大いに必要となるはずだ。
この王都の治安維持には、五百体の彼女の眷属が配備され、一役買っていると聞いた。
彼女が居なければ治安維持すらままならないのが、今の王都なのだ。
フードの中からわずかに覗くその顔立ちには、飛び抜けた美貌の予感があった。
呪いのような魔性を持ち、その為に人間の前では目深に被り、決して外さないフード。
その下にはどれほどの美貌が待って居るのだろう。
声も澄み渡った鈴の音のようだ。
そして内面も心優しく、情けに篤い。
突然早朝から押し掛けた自分を追い払わず、嫌な顔をしながらもきちんと面倒を見てくれた。
狩りの間もずっと自分たちに心を配り続けてくれていた。
狩りから帰ってすぐ自分の体調不良に気付き、慌てて再び森に私の為の食材を調達しにまで行ってくれた。
いったいどれだけお人好しなのだろうか。
なにより彼女は誠実を尊び、不誠実を疎んだ。
実に魔族らしからぬ特性を備えた個体だと思う。
それでいて彼女はそんな在り方に無自覚で、それを指摘するとむきになって否定してくる。
どうやら彼女は『利己的で穢れた存在』という自分を信じて疑っていないようだ。
言動の矛盾を指摘しても、それを認めようとはしなかった。
そんな在り方に幼さが垣間見え、実に可愛らしい性格をしていると思った。
きっと無垢とはああいう者をいうのだろう。世俗の穢れを知らない魂だ。
心清らかで無垢な存在。彼女を知った後なら、その言葉をすんなり受け入れる事ができた。
なるほど、兄が心奪われたのも納得するというものだ。
この場にいる人間も、彼女に対する好意を隠そうともしていない。
子供たちの人生を奪われたにも関わらず、彼女に好意を抱かずに居られなかったのだろう。
それだけで、ここに生贄として納められた子供たちが、日々どれほど幸福な笑顔を浮かべているのかを想像するのは、決して難しくなかった。
こんな時代にそこまで幸福な笑顔を浮かべさせてくれる存在になら、人生を捧げても仕方がないと思えたのではないだろうか。
「あなたたちは、子供がリズ殿下に奪われた事を後悔したことはありますか?」
婦人たちは顔を見合わせ、苦笑を浮かべた。
「最初はそれこそ、納得なんてできなかったわよ?」
「でも、あの子たちの幸福な笑顔は本物だったの」
「それ以前とそれ以後で、子供たちの性格が変わってしまったという事もなかった。あれは子供たちの選択の結果よ」
思った通りの答えが返ってきた。
リーゼロッテは『自分が生きる為、仕方なく魔性に堕とした』と告げた。
その後の選択などに、本当の自由などないと自ら認めた。
その上で、彼らがその選択を後悔する事のないように最善を尽くしているとも認めたのだ。
仮に拒否できたとして、従来の暮らしと今の暮らし、どちらがより幸福な笑顔を浮かべられたのだろうか。
噂では、彼女の魔性に堕ちるとそれだけで至福を得られるらしい。
だがそれだけではないだろう事は、もう既に明らかだ。
これほど心砕いてくれる存在が傍にいてくれる事など、普通に人生を歩んでいても巡り会えるかわからない僥倖だろう。
こんな時代であれば尚更だ。
従来の暮らしにそんな存在を望めない事など、親である彼女らもよくわかっている。
親と変わらぬほど心を砕いてくれる存在と共に歩む人生、それこそが至福と言えるのではないだろうか。
素顔を見せずとも相手の心を奪っていく資質――まさに魔性の存在だ。
兄同様、既に自分もその魔性に囚われてしまった自覚がある。
あんな存在に好意を持つなというのが無理と言うものだ。
そんな魔性の存在と、最低一か月の共同生活を命じられてしまった。
人間に拒否権はないらしい。思わず苦笑が零れる。
こんな所でのみ、彼女は権力を振るうのだろう。
一か月後の自分がどこまで彼女に心酔しているか――それが楽しみだと、イェルク王女は考えていた。




