25.呪い
ヴィクターは神殿に用意された執務室で、書類仕事を片付けていた。
王宮に報告を上げる為でもあるが、自分たちがこれから作業を計画していく上でも、記録を付けていくのは大切な仕事だ。
そんなヴィクターの耳に、ある会話が入ってきた――ヴィクターは王都の各所に仕込んだ盗聴魔法、それぞれから送り込まれる会話を聞き分ける器用な耳を持っている。
『あなたは生まれてからずっと望まぬ同族殺しを強いられ、終いには他種族の為に、愛する肉親を滅ぼす事を果たすべき使命として与えられた』
ヴィクターの手が止まった。
会話を届けている盗聴魔法の位置はリーゼロッテの自宅、その玄関だ。
どうやら、同行していたヴィルケ王子たちに蜂蜜を渡していたようだが、その中の会話の様だった。
発言主はヴィルケ王子、会話の相手はリーゼロッテだろう。
――殿下がそんな使命を与えられたというのか? そして、何故それをヴィルケ王子が知っている?
確かに、神の寵愛は過去、魔王を退治する勇者の多くが持ち合わせていたものだと伝承にはある。
寵愛を受けて生まれてきたリーゼロッテが、魔王を打倒する運命を持っていたと考えても不思議ではないだろう。
ヴィクターが知り得ないこのフィリニス市民移送の間に、寵愛を受けて生まれてきた事を伝えたのかもしれない。
ガートナーも同行していたのだ。そういった結論に至る事も不可能ではないだろう。
――だが、何かが引っかかる。
ヴィクターは書類仕事を放りだし、隠遁魔法で姿を隠して王子の後を追った。
すぐに彼に追いつき、王宮に戻る彼の背後に付いて回る。
王子はその足で彼の妹――イェルク王女の部屋に向かった。
イェルク王女は父親譲りの艶やかな金髪を持つ碧眼の少女だ。
今年十六歳になったばかりだが、病弱な為に部屋で寝込むことが多いようだった。
そんな彼女は、王都の中では恵まれた食生活をしていてもやや、やつれて見える。
それでも彼女は、花が咲いたように明るい笑顔で兄を出迎えていた。
「お兄様!
こんな時間にどうしましたの?」
ヴィルケ王子は一人の侍女を残し、それ以外を人払いして扉を占めさせた。
水を入れたように見える大瓶を抱え、侍女と共に王女のベッドに近寄る。
「これは絶対に父上に知られてはならない事だが、その約束を守れるか?」
戸惑いつつ、イェルク王女は頷いた。
「実はな……
リズ殿下から、蜂蜜を分けてもらった。
滋養の高い花の蜜で作られたものだそうだ。
これを毎日毎食後、一匙舐めるといい」
そう言いながら、イェルク王女の膝の上に大瓶を乗せ、蓋を空けた。
彼女の周囲だけ蜂蜜の香りがするのだろう。彼女の顔がたちまち綻んでいった。
「なんて甘い匂い!
――ウルズラ、匙を取って頂戴!」
すぐさま侍女が匙を用意し、イェルク王女に差し出した。
王女はおそるおそる水を掬い出すと、大瓶から出した途端に水が蜂蜜独特のどろりとした液体に代わる。
それをゆっくりと口に入れた王女が、目を瞑って味わっているようだった。
しばらくして目を開けたイェルク王女は、感嘆の声を上げた。
「こんなに甘いもの、生まれて初めて食べた気がするわ!」
ヴィルケ王子は満足そうに微笑まし気に頷いていた。
「そうだろうな。
俺ですら蜂蜜を口にした記憶などない。
リズ殿下のご厚意だ。
大切に毎日食べるんだ。
蜂蜜には滋養が多く含まれる。
お前には必要な物だ」
「あら、お兄様もお食べになればよろしいのよ――
ウルズラ、匙をもう一つ用意して頂戴」
だが侍女が手渡そうとした匙を、ヴィルケ王子は拒んだ。
「俺はリズ殿下と約束したんだ。
『イェルクにだけ蜂蜜を食べさせる事を約束するなら譲る』とな。
その約束を違える訳にはいかない。
それと共に『父上には露見しないよう守り抜け』とも厳命されている。
ウルズラも心しろ。
父上が蜂蜜の存在を知れば、必ず取り上げに来る。
決して父上に悟られるなよ」
侍女が恭しく頭を下げた。
どうやら彼女は、王女に忠誠を誓う人間の様だ。
この様子であれば、秘密をばらす心配はないのだろう。
イェルク王女は不満げに頬を膨らませた。
「なんだか少し意地悪な方ね。
お兄様にだって分けてくださっても宜しいのに」
ヴィルケ王子は苦笑を浮かべて応えた。
「そんな事はない。
これほどの貴重品を何の見返りもなく、わざわざ滋養の高いものを新たに用意して、お前が病弱を克服できるようにと分けてくださった。
俺はまだ、こんな貴重品を受け取って良い働きなどしていないからな。
いつかそれに見合う働きを見せれば、彼女は何も言わずとも働きの報酬として分けてくれるだろう。
そういう心優しい人なんだ」
イェルク王女の視線が楽しそうに兄を眺めている。
「なるほど……
お兄様、さてはそのリズ殿下にお心を盗まれてしまったのね?
並々ならない熱い想いを感じるわ。
どんなお顔をしている方なの?」
「お前にはかなわないな……
彼女は黒髪の女性、それしかわからない。
素顔はいつも隠しているからな。
見るだけで呪いにも似た現象が襲ってくるから、素顔を見られることを彼女は嫌がる。
俺に素顔を見せてくれることは、恐らくないだろう。
父上とも、そういう契約を交わしている。
要約すると『貴族にその素顔を見せる事が無い様にする』というな」
イェルク王女が難しい顔になって尋ねる。
「素顔を知らないのに、そこまでお心を奪われてしまったの?
不思議な方ね……
一度お会いしてみたいわ」
「彼女は多忙な人だ。
お前に会いに来てくれる時間を作る事は難しいだろう。
毎日森に食材を狩りに出かけ、暇があれば魔族を殲滅してまわっているらしいからな」
「あら? そんな方に会うのよ?
こちらから出向くのが礼儀ではなくて?」
「それこそ難しいだろう。
彼女の元には養っている二百人の子供たちが居る。
彼らの相手もしているから、お前の相手まではする時間がないと思うが……」
「お願いするだけして頂けないかしら。
それで断られたら大人しく諦めるけれど、蜂蜜のお礼を直接述べたいわ。
代償もなくこんな貴重なものを大量に頂いたんですもの。
お礼くらい述べるのが礼儀ではなくて?」
ヴィルケ王子は頭を掻いて悩み始めた。
「うーん……
そんな事をお願いすれば、彼女はきっと断らない。
無理をしてでも会って下さるだろう。
そんな無理をお願いする訳にはいかない。
お前も大人しく諦めてくれ」
「ますます興味が湧いたわ!
魔族の執政官というお話は聞いているのだけれど、魔族らしい噂が全く流れてこなくて困惑している所だったのよ。
どんな人なのか、一度確かめてみたいの!」
どうやら、リーゼロッテへの思いやりと妹への愛で板挟みになり、苦しんでいるようだ。
しばらく悩んだ末、彼は妹の望みをかなえる事を選んだ。
「……わかった。
リズ殿下にお願いするだけはしてみよう。
だが無理は決してしないようにとも伝えておくし、お前も決して無理をしてはいけない。
それだけは約束してくれ」
「もちろんよ!
ああ! 楽しみね!」
破顔する妹を微笑ましく眺めた後、ヴィルケ王子は妹の部屋を出て自分の部屋へ向かっていった。
その後ヴィクターはしばらく王子の後を付いて回ったが、これといって収穫もなく、彼が就寝したのを確認してから王宮を後にした。
****
その晩、ヴィクターはいつもより遅い時間に帰宅した。
「珍しいわね。
あなたが時間通りに行動しないだなんて」
「四千人も受け入れたのです。
普段の作業に加えてそれらの作業、普段通りの時間に仕事は終わりませんよ」
――そうだろうか?
三日間も猶予があれば、いつもから少し遅い程度に納めてしまうように思えた。
今日は普段より一時間以上遅い。
リーゼロッテには、ヴィクターらしくないと思えたのだ。
「ねぇヴィクター。
あなたの愛を、今日も捧げさせてあげましょうか?
だいぶ無理を言ってしまったのだもの。
報いは必要だと思うわ」
「……一体どうされたのですか?
三日前にも捧げさせて頂いたばかりです。
二年半もの間お預けした後は、立て続けに愛を捧げる事を許すなど、殿下らしくない気がしますが」
――おや? 警戒してるのかな?
確かに極端だろう。
だが二年半お預けだった理由は『そんな気分だっただけ』というものだ。
そこを訝しまれても、リーゼロッテも困ってしまう。
「あらそう?
じゃあもう金輪際、ヴィクターの愛は受け取らないことにするわね」
突如として必死な顔でヴィクターがリーゼロッテに食いついた。
「極端すぎます!
なぜそうなるのですか!」
「あなたが私に愛を捧げる事を欲する姿を、私は見たことがないわ。
それには理由があるのではないの?
――あなた、お父様から呪いを受けてるわね?」
ヴィクターは押し黙ったまま、何も応えなかった。
「……そう、やっぱりね。
お父様ったら、随分酷いことをするのね。
そんなあなたに労いを与えたいと思っただけなのだけれど、それでも私を疑うのかしら?」
「……いえ、失礼いたしました」
「理解したならソファに横になりなさい。
きっちり愛を捧げさせてあげる」
ヴィクターは大人しくソファに横になり、愛と期待の香りを漂わせた。
リーゼロッテはそれと同時に物凄い熱気も感じていたが、今は必死にその感覚を無視し続け食欲に集中した。
キッチリと愛を貪り、再び湧いてくる愛と歓喜も全て貪っていく。
だがほんのわずかな――口を利ける程度の余力は残しておく。
その状態でリーゼロッテは、一つの呪いを彼に施し始めた。
それに気付いたヴィクターが、戸惑いながらリーゼロッテに尋ねる。
「殿下?!
何をなさっているのですか!」
「私に不利な事を、他者に伝えることを禁じる呪いを施しているの。
用心深いお父様を見習って、忠実な副官であるあなたを呪いでも縛っておこうかと思ったのよ。
不満かしら?」
「その理由には納得がいきません!
殿下はこれまで、そのような事は好まれていなかった!」
「――そうね。
でももう呪いは施し終わったわ。
私の好みではないけれど、これであなたはお父様にも、アーグンスト公爵にも、私にとって不利な情報を伝える事ができなくなった。
ひとまずこれで安心かしら」
「……一体、何をお考えなのですか」
「これから、お父様があなたに施した呪いを全て無効化するわ。
副作用も含めて、全てね。
朝までかかると思うけど、付き合ってもらうわよ?」
「目的は何なのですか!」
「あなたを『魔王の忠実な犬』から『私の忠実な副官』に戻したいだけよ。
お父様と言えど、私の副官を奪う真似は許せないわ」
ヴィクターの目が困惑で揺れている。
「ですが、魔族の呪いを副作用も込めて全て無効化するなど、あなたには不可能なはずだ」
「神の奇跡を願うわ。
魔法ならできるらしいから安心していいのよ?
――ちょっと解析に時間がかかるけどね」
「私は不老を失ってまで呪いから解放されたいとは思っていません!」
「それなら、不老の術式を与えてあげる。
それで我慢する事ね。
その呪いがある限り、あなたは『魔王の忠実な犬』であり続けるのでしょう?
それを私は許す訳にはいかないわ」
ヴィクターが唇をかんだ。
リーゼロッテは話しながら月の神の気配を手繰り寄せ、解析し終わった呪いの術式の無効化を願う。
「そう、不満なの?
でもお父様に屈服する屈辱からは抜け出せる機会よ?
――はい、その呪いは無効化したわ。
これであなたはお父様に屈服する必要はないはずよ?
感想があったら述べる事を許すわ」
「……本当に無効化されたというのですか」
「ええそうよ?
お父様が滅んでも、あなたは若さを維持し続けるわ。
不老の術式も施した。
寿命は今から三十年ほど、といったところかしら」
「私が寿命で死ねば、必ず魔王陛下が訝しんで手を打ってきます。
いつの間に月の神の洗礼を受けたのかは知りませんが、その可能性すら勘付かれますよ」
「その前にお父様――
いえ、アーグンスト公爵と呼んだ方が良いかしら?
彼を滅ぼせばいいだけだと思うけど」
ヴィクターの目が見開かれた。
「……何故、その事をご存じなのですか」
――ああ、やっぱりそうなのか。
「まだまだ呪いはあるみたいだけど、重要そうなのから解析して無効化していくわね――
やっぱり、私に愛を要求すると転送術式が発動する呪いがあるのね。
酷いものね」
リーゼロッテは会話をしながら次々と呪いを無効化していく。
ヴィクターはただ、唖然とリーゼロッテを見つめていた。
「あなたが寿命を迎える前にお父様を滅ぼすわ。
そうしないと人間が滅びてしまうと神に告げられたの。
そうしたら魔族も滅びてしまうでしょう?
同族殺しを続けてきた私が、同族にしてやれる唯一の事だと思うのよ。
その時にあなたにも協力して欲しいの」
ヴィクターは静かに施術を見守っていた。
リーゼロッテも黙々と施術を進めていく。
ヴィクターから動けない程度に活力を貪りつつ、呪いを解析し、その無効化を祈る。
忙しい時間が続いた。
間もなく朝を迎える時間になり、全ての魔王の呪いを無効化し終わった。
「――ふぅ。
これであなたの呪いは、私がかけたものだけになったわ。
少し眠っておきなさいな。
今日も作業があるのでしょう?」
「殿下は魔王陛下を倒せると思うのですか?」
「できるできないじゃないわ。
やるしかないの。
この計画に失敗すれば、もう人間側に勝つ見込みはないと思うの」
「……発案者はガートナーですね?」
「そうよ。
詳しくは彼から聞いて頂戴――
それで今のあなたは『魔王の忠実な犬』なのかしら?
それとも『私の忠実な副官』かしら?」
「私は新たに生まれ変わった、『殿下の忠実な副官』です。
必ずや魔王陛下打倒のお力となって見せましょう――
今朝も朝から作業があります。
少しの間、眠る事をお許しください」
リーゼロッテはヴィクターに微笑んで頷いた。
「ええ、ゆっくりと眠りなさい。
頼りにしてるわよ?」
リーゼロッテは眠りに落ちたヴィクターの寝顔を見つめ、朝を迎えた。




