10.最初の生贄
朝になり、リーゼロッテが自然と目覚める。
ラフィーネはまだ寝ているようだ。
魂の活力はもう十分に回復している。
昨晩あれほど搾り取ったというのに一晩ですっかり回復するのだから、人間の魂が持つ力は凄いものだと感心していた。
リーゼロッテが部屋を見渡すと、壁際でヴィクターが毛布に包まれて眠っていた。
そのまま静かにベッドから抜け出て、ヴィクターの傍に歩み寄り、小さな声で語りかける。
「帰っていたのね。
きちんと食事はとったのかしら?」
ぱちりと目を覚ましたヴィクターが欠伸を噛み殺しながら頷いた。
「ええ、食料庫を覗いたら肉があったので、パンと共に少し頂いておきました」
「魔族の掃討は――
終わったみたいね。
さすがヴィクター、確かな仕事をするわね」
リーゼロッテが王都全体を探査してみても、魔族の気配はない。
ヴィクターが立ち上がり、リーゼロッテに暖かく微笑んだ。
「この程度、大したことではありません。
それより、ここからが大変です。
まずは穀倉地帯を急いで蘇らせなければなりません。
私はひとまず、ミネルヴァをお借りして魔王城へ神殿の解放を直訴して参ります。
すぐに戻りますが、それまで殿下の護衛が居なくなります。
私が戻るまで王都から出ないようにご注意ください」
ミネルヴァもリーゼロッテの護衛の一人といえる。
並大抵の脅威なら跳ね返す力がある。
そんなミネルヴァとヴィクター、どちらもリーゼロッテの傍から居なくなるのが心配らしい。
そんなヴィクターに、リーゼロッテが苦笑を浮かべた。
「心配性ね。
魔王の娘を侮ってない?
私の防御結界を貫けるのはお父様くらいよ。
それに今日は王都の若い人間が私に捧げられる日よ。
そちらの対応に忙しくて、他の事をしている暇はないと思うわ――
ミネルヴァ、ヴィクターに力を貸してあげて」
ミネルヴァを肩に止めたヴィクターが、リーゼロッテに恭しく頭を下げた後、朝食も取らずに邸から飛び出し魔王城へ飛び立っていった。
「慌ただしいわね……
朝食を食べてからでもいいでしょうに」
リーゼロッテはリビングと定めた部屋に移動し、ゆっくりとソファに腰を下ろし、時間が過ぎるのを待っていた。
****
七時を回る頃、王宮から兵士たちがやってきて人間の食料と毛布を運んできた。
黙って木箱を置いた後、リーゼロッテに告げる。
「十時頃に最初の市民がやってくる予定です。
ご準備をお願いいたします」
「わかったわ。十時ね――
それで人間たちの食料が多いのかしら。
五十人分くらいあるんじゃない?」
「今日の予定がそれくらいですので。
明日もまた、同じくらいの時間に同じ程度の人数がやってきます」
「王都に残ってる該当者は全部で何人いるのかしら?」
「二百人程度です。
明々後日までかけて、五十人ずつ誘導して参ります」
兵士はリーゼロッテに頭を下げてから屋敷を出ていった。
リーゼロッテはリビングのソファに座り、現状を顧みた。
ここはラスタベルト王国という大国家の王都、五万人程度は収容できる許容量があるように見えた。
この王都ほど大きな都市で、十歳以上二十代以下の未婚の若者の数が二百人というのは、絶望的に少ない。
なるほど、絶滅が危ぶまれる訳だと納得した。
穀倉地帯傍の王都でこの有様なら、他の街はもっと酷いと容易に想定できる。
王都の残存人口をリーゼロッテは知らない。
だが残りは既婚者を含めた大人とみなしてよいだろう。
その中には働けない老人もそれなりに含まれるはずだ。
彼らが生きている間に、生まれてくる子供たちにこの国の文化や技術を伝えてもらわないといけないと考えた。
通常の人間通りの生育を待っていたら、様々な技術や知識、文化が失われていくのは疑いようがない。
出生率次第だが、医療が復旧するまでは成人できる子供も伸び悩むだろう。
つまり正攻法では人間は衰退し、滅びを回避できないだろうと考えた。
次にリーゼロッテは、この現状からの打開策の検討を開始する。
通常よりも早く出産され、通常よりも早く成人し、晩年まで若さを保ち続ける――そんな人間を生み出す必要があると考えた。
それを実現する手段をリーゼロッテは持って居る――ラフィーネに提示した、若さを保つ術式だ。
若さを維持する代わりに寿命が半減するデメリットをもつが、若い時期の体力が死ぬまで持続する。
通常の人間が概算で二十歳から六十歳まで労働できると考えて四十年。
術式を施された人間が二十歳から百歳まで労働できると考えて八十年の半分、四十年でほぼ等しい。
代償として寿命が通常の人間より短くなってしまうが、今の時代に必要なのは即戦力と持続力だ。
今のこの国に、社会保障にかけられる余力は一切ないと見て良い。
老人を増やし、社会が彼らを抱える事は極力避けた方が良いと判断した。
今回なら例えば、通常の五倍の速度で生育し、十五歳程度で成長を止める。
妊娠してから二か月程度で出産され、三年で成人相当となる。
成人がやや早いが、現状はあまりにも状況が悪い。
十五歳程度であれば身体も相応に動き、生殖能力も持つ。
三年で一世代が完成する事になる。
時期を見て四年で一世代、二十歳相当に変更することになるだろう。
知識や道徳観や倫理観、常識と言ったものは、術式で親の持つものを直接継承させてしまうしかない。
三年間で十五年分の教育を施すのは不可能だからだ。
ほとんど母親の複製のような存在になってしまうが、そこも割り切りとなる。
これで世代を重ねるほど、深い知識を得ていく生命体になる。
既に人間であるか疑わしい生態だが、肉体の構成要素や精神性は通常の人間と変わらない生命体でもある。
彼らから生まれる生命体は引き続き通常の人間のままなので、いつでも元の人間の世界に戻す事もできる。
絶滅間際の緊急事態に対応する為の世代で社会基盤を立て直したら、元の世界に戻せばいい。
リーゼロッテも気は進まないが、人間や国家が滅びる寸前では贅沢を言えない。
今は国家を維持することが最優先だと判断した。
もちろん、母体となる女性たちの同意を得られなければ、通常の人間を生育してもらうことになる。
母体となる女性たちにもラフィーネのように、寿命と引き換えに若さを保ち続ける術式を受けるかどうか聞いてみる事にした。
****
十時頃、十人の兵士たちに誘導されてやってきた五十人は、みんな十代前半ぐらいの子供たちだった。
全員の顔に脅えが見え、恐怖と不安が色濃く漂う。
その悪臭に、リーゼロッテの顔も思わず引きつった。
兵士たちが押し込めるように屋敷の中に人間たちを誘導し、扉を閉めて去っていった。
リーゼロッテは小さくため息をついてフードを下ろし、できるだけ優しく微笑んだ。
「そんなに怯えないで大丈夫よ?
あなたたちが嫌がる事も、望まない事も、私はしないから安心して?」
彼らの視線がリーゼロッテの顔に集中する。
次第に彼らから思慕の感情が香り立ち、不安や恐怖の悪臭が薄まっていった。
リーゼロッテも密かに胸を撫で下ろす。
「一人ずつ、奥の部屋で面談をさせて頂戴。
そこで話し合った後、あなたたちが望むならこの地区に住んでもらう事になるわ。
あなたたちが望まないなら、話し合いの後に帰って構わない――
じゃあまずあなた、最初に来てくれる?」
その場をラフィーネに任せて、リーゼロッテは入り口近くの応接間に一人の少年を導いた。
この後はラフィーネが順次、次の子を送り込んでくれる手筈になっている。
部屋のソファに座らせた少年の思慕を食べ、愛と歓喜を貪ったあと、覚醒術式で目覚めさせて結論を聞き出し、隣の部屋の隅に浮遊術式で運び座らせた。
回復するまで立ち上がれないので、これはしょうがない。
「ラフィーネ、次の子をお願い」
そうしてリーゼロッテは二十人の少年と三十人の少女の愛と歓喜を貪り終え、彼らから結論を聞いた。
五十人全員がリーゼロッテとの共同生活を望み、少女たち全員が彼女の提案する不老術式の施術を望み、子供を望み、子供に施す術式を承諾した。
****
――昼過ぎ。
彼らが起き上がれるようになると、全員分の食事の用意が始まる。
昨晩のラフィーネのように、彼らはとても喜びながら食事をしていた。
広い食堂でパンと肉を頬張る子供たちを眺めながら、リーゼロッテは疑問だったことを聞いてみた。
「どうして若い子しか居ないのかしら。
二十代の人は一人も居なかったわね」
傍の女の子がリーゼロッテの疑問に応える。
「この国では十八歳が成人で、結婚が許されるわ。
婚姻していればリズの生贄にならなくて済むからと、成人している人たちは必死に結婚相手を探したみたいよ?」
つまり、残ったのは未成年だけという事だ。
それなら思ったよりは若い人口が居るという事でもある。
「意に添わない相手と結婚してでも、私と会うのが嫌だったのかしら。
いったいどんな布告を受けたの?」
「えっとね、『十歳以上二十代以下の未婚の平民に、魔王の娘に人生を捧げる義務を与える』だったかな。
実際はこんな幸福が待っているとわかって居たら、むしろ喜んでここに来たんでしょうけどね。
布告だけ聞いたら絶望してしまうのも仕方がないわね」
「喜んでくるって……
そんなに幸福なの?
私自身は、あなたたちが感じる幸福を感情の味わいとしてしか感じることが出来ないから、想像することもできないのよね」
「生まれて初めて覚える愛と歓喜もだけど、今は何よりこの食事よ!
こんなまともな食事、私たちの世代は知らないもの。
いつもカビたパンの切れ端を食べて、水を飲んで飢えを凌いでいたわ」
確かに、成長期と見られる子供たちは年齢の割に発育が悪い。
栄養状態が悪いのだろう。
頬もこけているし、肉付きが良いとは言い難い。
本来ならもっと背も高いはずだ。
こんな状態で成長を止めてしまうのは少し可哀想に思えた。
「あなたたち、遠慮せず食糧庫のお肉は食べて構わないわ――
ラフィーネ、切り分けたお肉に火を通すくらいはできるかしら?」
「ええ、その程度の術式は使えるわよ。
任せておいて!
でも、突然どうしたの?」
「もうじきヴィクターが帰ってくるはずよ。
そうしたらまた反魔族同盟の狩人を連れて、森で食材を調達してくるわ」
子供たちがワイワイと食事をする中、ヴィクターを乗せたミネルヴァが庭に降り立った。
リーゼロッテはヴィクターに駆け寄り、報告を受ける。
「豊穣の神の神殿に限り、機能を取り戻す許可が下りました。
私はこれから、それらの手配と穀倉地帯に潜む脅威の掃討を行ってまいります――
殿下はどうされるのですか?」
「今日来た子供たちの栄養状態が余りにも酷いの。
明日も五十人の子供たちがやってくる予定だし、追加の食材を仕入れてくるわ。
パンの素になる麦の確保は、ヴィクターに頼むわね!」
ヴィクターがニヤリと笑う。
「お任せください。
殿下とここに住む人間たちを決して飢えさせないよう、万全を尽くして対応致します」
リーゼロッテはヴィクターの代わりにミネルヴァの背に乗り、反魔族同盟の拠点に飛び立った。
****
リーゼロッテは反魔族同盟の狩人たちと共に、再びアンミッシュの森の中を歩いていた。
「そう、あなたたちのところも、あっという間に食材が尽きてしまったのね」
「周りの住人達に分けていたら、瞬殺だったよ。
一人頭は少なくても、新鮮な肉なんて年単位で口にしてない連中ばかりだ。
泣いて喜ぶ奴もいた」
「ヴィクターが今日、お父様から豊穣の神の神殿を回復する許可を取り付けてきたわ。
これで少なくとも、農作物で困る事はなくなっていくはずよ」
驚いたように隣の男性――彼はドミニクと名乗った――が目を見開く。
「魔王が、神殿の回復を許可したのか?」
「同時に王都の惨状を伝えたんじゃないかしら。
このままでは、平民たちが飢え死にしていくのは避けられないもの。
貴族たちは今も暢気に王宮でパンを食べているでしょうけれど、子供たちは私の家で泣きながら『こんなまともな食事は生まれて初めて』と喜んで食べているわ。
とても王都の住民の有様とは思えないわね」
ドミニクが複雑な表情でリーゼロッテに告げる。
「貴族共とリズたち、いったいどっちが魔物なんだかわからなくなる話だな」
「私はあんな卑しい人間たちと同列に語られたくはないわね。
確かに私は人間の感情を、命を卑しく貪る生き物だけれど、代わりに感情を捧げた個体に幸福を与える生き物でもあるもの。
私の所にやってきて同居を受け入れた子供たちには、子供を作る前にきっちり栄養状態を戻してもらわないといけないわ」
「……お前に心囚われても、同居を拒める人間は居ると思うか?」
「それは見たことがないから何とも言えないところね。
私が望んで心を囚えている訳でもないし――
でも仮にそんな個体が居たとしたら、きちんと家に帰すわよ?
私は何も強制したりしないの」
「ラフィーネはこれからどうなると思う?」
「あの子は自分から望んで、ヴィクターと同類の存在になったわ。
彼女は私が生きている限り、あの若さを保ったまま私に愛を捧げ続ける。
私が滅ぶ時に、実質的にあの子も滅ぶ事になるわね」
「それは、本当にあの子が望んだ事と言えるのか?」
「若さを保ちつつも人として死ねる道と、若さを保ったまま私と生き続ける道を提示したわ。
彼女は悩み抜いた末に結論を出した。
間違いなく彼女の選択よ」
「そうか……ならいい。
あの子はきっと、そういう子だったんだろう。
ラフィーネはリズと共に居られる限り、充実した生命を謳歌し続ける。
そういうことなんだな?」
「それは約束してあげる――
私に心を囚われても、それは人間が人間に愛を感じるのと本質的には差がないと思うのよ。
その後の選択は本人の意志よ。
私のこの呪いのような性質は影響してないと思うわ……多分ね」
――この正体不明の体質は、一体何なんだろうなぁ。
この体質の正体を知るものは、地上には居ないだろう。
その事にリーゼロッテは密かに苦悩を続けている。
その日は五十頭ほどの鹿を仕留め、ドミニクたちと合流した。
彼らは昨日と引き続き、十頭ほどの獲物をしとめたようだ。
「また随分たくさん狩ったな」
「明日、追加で飢えた子供が五十人くるんだもの。
明日もまた食材調達に来ないといけないわ」
「鹿以外に猪も美味いぞ。
見つけたら捌き方を教えてやる。
それに肉ばかりじゃ栄養が偏る。
山菜で構わないから、植物も口にしておいた方が良い」
リーゼロッテは山菜についての知識を教わりつつ、山菜も収穫して森を出た。
かなりの大荷物となり、ミネルヴァは一回り大きくなっていた。
ドミニクが呆れたようにその様子を眺めている。
「飛竜にこんな能力があるのか?」
「ミネルヴァは聖竜だから、神の奇跡――
竜の魔法を使えるそうよ。
そういった能力じゃないかしら」
****
ドミニクたちを反魔族同盟の拠点に降ろした後、リーゼロッテは自宅へ戻った。
ミネルヴァが庭に降り立った途端、子供たちがリーゼロッテを笑顔で出迎える。
「わー!
すっげーたくさんの肉だ!
これ全部食べていいのか?!」
リーゼロッテは相好を崩している子供たちを窘めるように見回す。
「駄目よ?
これは明日の為の食材なの。
今夜の食事で少し使ってもいいけど、明日も五十人がやってくるわ。
その子たちを、きちんと美味しい食事で迎えてあげたいのよ」
リーゼロッテの意志を理解した子供たちが、少ししょげ返りながらもリーゼロッテの背中を押して家の中へ連れて行く。
「ちょっと?!
どうしたのあなたたち?!
なに? なんなの?!」
「俺たち、元気になったからリズに愛を捧げたいんだよ。
こんな幸福な生活を教えてくれたリズに、少しでも恩返しがしたいんだ。
是非受け取ってくれよ!」
「わかった!
わかったから、まずは食材をしまわせて!」
リーゼロッテは食材をしまった後、元気が有り余っている子供たちの愛を熟成コースで堪能した。
彼らも初めて知る熟成コースの味に酔いしれ、気持ちよさそうに寝ている。
ラフィーネは熟成コースの様子を興味深げに眺めていた。
「一度に何度も立て続けに愛を貪り続ける……
あれってどんな感じになるの?」
「一回ごとに著しい歓喜を覚えているみたいだし、回数が増えるほど感じる愛と歓喜が強くなってるみたいよ?
感情がとっても味わい深くなるわ。
あなたも熟成コースを受けてみる?」
ラフィーネは少し迷ってから恥ずかしそうに頷いた。
「これ以上の歓喜があるとは思えないのに、まだ上があるのね?
楽しみだわ!」
ラフィーネも心地良い夢の世界へ旅立ったのを確認した後、リーゼロッテは改めて食料庫を確認した。
夕食の分は残っているが、パンは予定より減っている。
昨日取ってきた食肉もほとんど残っていなかった。
――お腹いっぱい食べたんだろうなぁ。
水ではなく、食肉で満腹を覚えるまで食べたのだ。
きっと、それは生まれて初めての経験だったに違いない。
――明日やってきて同居を決める子たちにも、同じ幸福をきちんと味わわせてあげないとね!
目を覚ました子供たちやラフィーネの夕食を見守った後、彼らが毛布にくるまれて眠る姿を、リーゼロッテは朝になるまで眺めていた。