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9.新生活の始まり

 リーゼロッテは改めて屋敷を見渡す。

 廃墟ではないけれど、人が住むには問題が多そうな汚れ具合だ。

 雨漏りのシミもあれば壁板がずれて隙間が空いている個所もある。

 修繕する資材がないまま長い時間が経てば、こんなものだろう。


「これは中々……

 清掃し甲斐のある状況ね。

 まずは壁と屋根の修繕をしてしまわないといけないわ」


 ラフィーネが苦笑を浮かべている。


「こんな有様でも、王都に残っている一般的な家屋と比べても遜色がないくらいには立派な家よ」


「……そこまで困窮しているの?

 どう見ても雨漏りの跡があるし、隙間風も凄いわよ?」


「貴族たちですら、壊れている家屋に何とか住んでいる状況だもの――

 それよりも、この広い家を私たちだけで清掃するの?

 とても手が足りないわよ?」


「んー、すぐに汚れてしまうけれど、一旦屋敷全体を術式で洗浄してしまいましょう。

 埃っぽくていけないわ」


 リーゼロッテは屋敷全体を対象に浄化の魔導術式を発動させる――白銀の光に包まれた屋敷が瞬く間に綺麗になっていく。

 それを見ていたラフィーネが大きく口を開けて驚いていた。


「なにこれ……

 どんな魔法を使ったの?!」


「私に魔法は使えないってば。

 ただの浄化の魔導術式よ。

 この程度の初級術式くらい、あなたにだって使えるでしょう?」


「規模が違い過ぎるわよ!

 一体どんな魔力をしてるのよ!」


「そりゃあ魔王級の魔力ですもの。

 人間と比べられるものではないわね。

 最低でも一日十人の感情が欲しくなるという意味が、これで分かったかしら?」


 寂しそうにラフィーネが頷いた。


「確かに、これほどの魔力を私一人で賄うのは無理ね。

 あなたの愛を独占できないのは寂しいけれど、そこは納得するわ」


「いい子ね――

 まずは寝所を定めましょう。

 元々の家主の部屋があるはずよ。

 そこから見て行きましょう」


 部屋を回っていくと、一際ひときわ大きな個室の中にベッドが残っていた。

 浄化術式で充分綺麗になっているし、この部屋に大きな損壊はなさそうだ。


「ここにしましょうか。

 私は外壁と屋根を修繕してくるわ。

 ラフィーネは食器類の確認をしておいて頂戴。

 足りなければ付近の家を漁りましょう」


「修繕って……

 資材も道具もないのに?」


「土があればどうとでもできるわ。

 応急処置になるけど、雨風はきちんと防いでおかないと人間が身体を壊すでしょう?」


 リーゼロッテは屋内をラフィーネに任せて、外壁と屋根の修繕に走り回った。

 浮遊の魔導術式を駆使して空中に浮かび、ひたすら壊れた箇所の穴を塞いでいく。


 一通り外の修繕が終わってから一息つき、邸の中に入っていく。


「あらリズ、もう修繕が終わったの?

 こちらはようやく食器の確認が終わったところよ。

 割れた食器はひとまとめにして、大きな破損が見られない食器を棚にしまっておいたわ」


「じゃあその割れた食器類もすぐに修繕してしまいましょうか」


「……そんな事も出来るの?」


「土や火の魔導術式を応用すれば、修繕くらいはできるわよ。

 その程度の事も人間はできないのかしら。

 私からしたら、そちらの方が驚きよ?」


「神魔大戦で腕の立つ魔導士はほとんど居なくなってしまって、技術を伝える人がろくに居ないのよ。

 ガートナーさんあたりならできるんじゃないかしら?」


「それはどうかしらね……

 あの人、戦闘に特化した魔導士だから、そこまで器用な事はできない気がするわ。

 魔法でなんとかしてしまうかもしれないけどね」


 リーゼロッテはまとめられていた食器類を修繕していく。

 陶器に金属製や木製――全て土の属性だ。

 同じように土や火の応用魔導術式で修繕していった。


 修繕が終わった食器類も全て棚に収納が終わり、台所が見違えるほど立派になっていた。

 ラフィーネが感動するように喜んでいる。


「凄いわ……

 私、こんなに立派な台所なんて生まれて初めて見るわよ?!」


「大袈裟ねぇ……

 あら、人が近づいてくる気配ね。

 誰かしら」


 玄関に出迎えに行くと、門兵をしている低級眷属に恐れを抱きながら数人の兵士たちが木箱に入ったわずかなパンと塩を持ってきていた。

 今日の分、つまりラフィーネとヴィクター二人分だろう。

 毛布は三人分ほどを抱えている。


 彼らは何も言わず木箱と毛布を玄関に置き、そのまま去っていった。


「愛想がないわね……

 毛布もすぐに洗浄するわね。

 ラフィーネはそのパンを食糧庫にしまっておいて頂戴」



 ラフィーネがパンを収納している間に毛布を洗浄し、適当に決めた部屋を寝具置き場としてそこに収納した。

 食料庫には害虫除けと害獣除けの術式が施してあるので、食料が漁られることもない。


「まだ日が暮れるまで時間があるわね――

 ラフィーネ、反魔族同盟の人たちに会いに行きましょうか。

 狩人の手配をお願いしに行きましょう」


「はーい」





****


 ラフィーネに案内された反魔族同盟の拠点――そこはそれなりの大きさの平屋だった。

 彼女が扉を独特の叩き方をすると、中からすぐに見覚えのある男性が顔を出した。

 喫茶店で一緒だった人間の一人だ。


「ラフィーネか……

 それに魔王の娘。

 なんの用だ?」


「パンは配給される事が決まったのだけれど、それでは人間の身体がもたないわ。

 森に狩りに行こうと思うのだけれど、私は動物の捌き方を知らないの。

 それを知ってる狩人を紹介してくれないかしら」


「この近くの森は、魔族共がすっかり瘴気で汚染しちまったから魔物が多い。

 満足な狩りなどできんぞ」


「多少遠い場所でも私なら困らないわ。

 今日得られた物は半分だけ分けてあげる。

 今後もお互い、損のない関係を構築できると思うけど……

 どうする?」


 男性は少し考えた後、「少し待ってろ」と言い残して一度中に戻っていった。




 二人が大人しく待っていると、中から三人ほどの男性が出てきた。

 喫茶店で見た顔もある。


 全員、弓や手斧、短剣など、狩猟に使うらしいものを見に付けている。


「今日の狩りの獲物は半分ずつ分ける、その約束に嘘はないな?」


「私があなたたち人間に嘘をついたことがあったかしら?

 あったというなら、それを指摘してくれると嬉しいわ」


 何故か悔しそうにその男性が顔をしかめた。

 リーゼロッテは人間に対して誠意ある態度を貫いているつもりだ。


「まぁいい、どうやって獲物が居る森まで行くつもりだ?」


「ミネルヴァを使うわ――ミネルヴァ、お願いね」


 肩にとまっていたミネルヴァが「ホー。」と一声鳴くと、リーゼロッテから離れてみるみると飛竜の姿に戻り、地上に降り立った。

 その様子を驚きながら見守って居た人間たちにリーゼロッテは告げる。


「五人くらいなら乗れるはずよ。

 背中に乗って頂戴」


 リーゼロッテはラフィーネの手を引いて、身軽にミネルヴァの背に飛び乗り、座り込んだ。

 男たちもリーゼロッテの真似をしてミネルヴァの背に座った。


 ミネルヴァが一瞬で白銀の流星となって空に飛翔し、そのまま西へ向かっていく。

 あっという間に王都が遠くなり、大きな森が目の前に広がっていた。

 その森の傍にミネルヴァが静かに降り立つ。


「ここに動物がいるみたいね――

 付近に魔族の気配も、魔物の気配もない。

 野生動物の脅威は知らないから、あなたたちは自衛して頂戴。

 私はラフィーネにしか防御結界を張らないからね」


 リーゼロッテたちが背中から降りると、ミネルヴァは再びフクロウの姿に変化してリーゼロッテの肩にとまった。





****


 森の中を、男性たちを先頭にして分け入っていく。

 一人が興奮するように呟く。


「ここはアンミッシュの森じゃないのか?

 王都から馬で一週間前後はかかる場所だ……

 あの一瞬でその距離を移動したというのか」


「ミネルヴァならそのくらい簡単にできるわ。

 魔王城からラスタベルトの王都まで、三十分もかからず移動できる子だもの――

 この辺りまで狩りに来ることはないの?」


「途中の地帯を魔族が封鎖しているからな。

 奴らをどうにかできなきゃ、こんな遠くまで狩りには出てこられん。

 迂回をすれば野盗共が狩人を襲って獲物だけを奪っていく」


「この辺りに街はないの?

 人間の気配もなさそうだけど」


「狩人の街がいくつかあったが、どれも十年以上前に滅んだよ。

 奴ら、生産拠点を先に潰していきやがったからな。

 無人になった廃墟なら、まだ残ってるんじゃないか?」


 しばらく進むと、男性たちが地面に跪いて確認を始めた。


「何をしてるの?」


「動物の痕跡を確かめてるんだ……

 この付近に群れが居るな」


「居るわよ?

 前方、少し右手に二百メートルくらいね――

 あなたたち、この程度の探査術式も使えないの?」


 男たちが憮然としてリーゼロッテを眺めた。


「……人間は数百メートルもの探知範囲を発揮できない。

 そんな事より、俺たちの狩りの楽しみを邪魔しないでくれ」


「私があなたたちに求めたのは、得物の仕留め方じゃない。

 仕留めた獲物の捌き方だけよ。

 それを教わったら、あとはあなたたちが好きに行動すればいいわ。

 その時に存分に楽しみなさい」


 リーゼロッテは男性たちを無視してラフィーネを連れ、真っ直ぐ群れに向かっていく。

 その後を男性たちが慌てて付いていった。


 五十メートルくらい先に居る獲物に向かって魔力の矢を放ち、次々に頭を撃ち抜いていく。

 その様子に男性の一人が呆れた声を上げる。


「なんでこんな森の中、この距離で矢を撃って当てられるんだ?!」


「術式ですもの。

 矢の軌跡くらいはある程度自由に制御できて当然でしょう?」


 リーゼロッテたちは仕留めた獲物に近づいていく。

 野生の鹿が五頭、頭を吹き飛ばされて転がっていた。


「じゃあ捌いて頂戴。

 見て覚えるから」


 三人の男性たちが三頭の獲物を分解していく様子を観察していく。


 最初に術式で体内の血を全て絞り出しているらしい。

 少し時間をかけて傷口からボタボタと血が地面に流れ落ちていった。


「術式を使わない時は、川にさらしたり、木に吊るしたりするんだ」


 ――なるほど、とにかく血を綺麗に抜けばいいのね。


 続いて彼らは三人とも同じような手順で皮を切り裂き、丁寧に剥いでいった――皮は不要と。

 続いて内臓を取り出し、これも捨てていった――この部分も不要な部位、と。



 彼らが四頭目、五頭目に手を付けようとしたところでリーゼロッテはそれを手で制した。


「この二頭は私がやってみるわ」


 彼らが頷いたのを見てから、リーゼロッテはまず術式で体内から血を全て、体外に一気に絞り出した。

 魔力の刃で切り刻み、瞬く間に皮を剥いで内臓を抜き取っていく。

 彼らが残したのと同じ部位を食べられる部位と見定め、それに対して保全術式を施す。


「これでいいのかしら」


「あ、ああ。

 これなら問題ないはずだ」


「じゃあここからはしばらく手分けをしましょう。

 日が暮れる前にあなたたちに合流してあげるから、あなたたち三人は固まって動いていて頂戴。

 近くの群れは譲ってあげる」


 リーゼロッテは二頭の鹿肉を空中に漂わせながら、ラフィーネを連れてその場から立ち去った。





 少し離れたところにいる群れを全て仕留め、それらを捌いていく。

 瞬く間に三十頭ほどの肉がリーゼロッテの傍でふよふよと浮いている状態になった。


 その様子に、ラフィーネが呆れてリーゼロッテに告げる。


「一度見ただけで、動物の捌き方を覚えたの?」


「何が不要でどこを残すのかが分かればそれでいいのよ。

 あとは術式で効率よくそれを行うだけだもの――

 これだけあればしばらくは持つわね」




 リーゼロッテたちはそのまま反魔族同盟の男性たちに合流し、彼らが仕留めた肉を浮遊させてあげながら森の外を目指した。


「俺たちが七頭仕留めている間に、二十八頭仕留めたのか」


「効率よく魔動術式を駆使しているのだから、早いのは当り前よ」


「そんなに強力な術式を使い倒して、魔力は尽きないのか?」


「この程度、魔族を粛清するときに比べたらとても小さい魔力しか使ってないわ。

 明日には私の食糧が届くから、それまではラフィーネ一人で空腹に耐えるだけね」


「食糧……

 他の人間も、お前の虜にするのか。

 布告は聞いたが、本気であんなことをするのか?」


 男性は複雑そうな顔をしている。

 リーゼロッテはきょとんと尋ね返す。


「提案をしたのはラスタベルト国王よ?

 私はそれを飲んだだけ。

 それに魔族だって食べなければ死んでしまうわ。

 あなたたちがこうして動物を殺すのに比べたら、ずっと慈悲ある行動だと思うけど。

 私は命を奪う訳ではないもの。

 それとも、人間以外の動物は人間に殺されても構わない格下の命だと見下しているの?

 それは他の魔族が人間を見下しているのと何が違うのか、教えてもらえるかしら?」


 リーゼロッテは純粋な疑問として問うた。

 男性はリーゼロッテが言いたいことを理解したのか、黙って歩いている。


「それを理解した上で、あなたたちに魔族を憎む資格があると、本当に思える?

 お互いが生きていくために仕方のない事をしているだけ。

 確かに同族や自分が虐げられたら憎む気持ちは分かるけれど、私は人間を虐げる存在ではないわ。

 そんな私を憎み続ける自分たちの存在を、疑問に思ったりしないのかしら?」


「だがお前に囚われた人間はもう、自分の子供を残せないんだろう?」


「男性はそうなるけど、女性は人間の子供を生める。

 ラスタベルトの国民が減ることにはならないわよ?

 それに国王の提案で、貴族は虜にしないという約束をしてあるの。

 平民は私の因子を持った人間の子供ばかりになるけれど、貴族たちは生粋の人間の血を維持するらしいわ」


「なんだよそれ……

 自分たち貴族だけは自分の子供を残し続けるっていうのかよ」


「そうよ?

 それが国王の選択だもの。

 平民は従わざるを得ないわね。

 それに国王が決めたのは十歳以上二十代以下の未婚の人間の提供。

 今現在既婚の人間はまだ、自分たちの子供を残せるわ」


「だがその子供たちだって、成長したらお前の虜になるんだろう?

 その子供が生む子供はもう、魔族との合いの子だ」


「私の虜になった人間は明日を生きる活力に溢れ、充実した人生を送るわ。例え今の世であってもね。

 自分の直接の血を残せない事など、些末な事として気にならなくなる。

 すぐにこの国は活力に溢れた人間ばかりになって、あっという間に再建を果たすわよ?

 あなたたちはそんな新しく生まれてくる子供たちに、生きる術を伝えてあげて。

 人間の文化を残す為に、ちゃんとね」




 森の外に出たリーゼロッテたちは飛竜の姿に戻ったミネルヴァの背に乗り、王都へ戻っていった。





****


 反魔族同盟の拠点に降り立ったミネルヴァの背からリーゼロッテたちは降り立ち、彼らの分の獲物をその場で地面に置いた。

 彼らが仕留めた十頭とリーゼロッテが仕留めた三十頭、合計四十頭を折半なので、二十頭分の食肉だ。

 男性の一人がリーゼロッテに語りかけてくる。


「……今回は助かった。

 これで仲間たちの数日分の食料を確保できた。

 なぁ、また狩りに行く時には同行させてくれないか?」


「じゃあ私が狩りに行く時には声をかけてあげる。

 もし余ったら付近の住民に分けてあげるといいわ。

 配給が安定するまで、もうしばらくかかるでしょうし。

 私の手が空いてる時なら、あなたたちの狩りを手伝ってあげてもいいけど、私の食料が安定したらしばらくは魔族を滅ぼして回るから、都合を合わせておいた方が良いわね。

 次回は三日後でいいかしら?」


「ああ、構わない。

 だが、お前がこの国の魔族を滅ぼして回るのか?

 同族だろう?」


「生まれてからずっと同族を粛清して二十年、私にはいつもの事よ。

 そんな自分が嫌になるけれど、この国に残った戦力では魔族に対抗することが出来ないんですもの。

 私がやってあげるしかないじゃない。

 既に同族の血で染まり切った手だもの。

 更に血で染まったところで、何も変わりはしないわ」


 何かを言いたそうな男性たちに、リーゼロッテは別れの挨拶を告げてその場を立ち去った。





****


 家に帰り食糧庫に肉を保管し、リーゼロッテはラフィーネの食事が終わるのを待った。

 肉の一部を切り取り火を通したものに塩をまぶして食べていたラフィーネは、満足そうに微笑んでいる。


「こんなにちゃんとした食事、何時以来かしら。

 ちょっと思い出せないくらいよ。

 こんな新鮮なお肉を食べるのも、生まれて初めてかも」


「こんな粗食ですら、そんな事を思うほど困窮していたのね。

 せっかく食材があるのだし、私に敵意を持たない人たちから料理を教わっておいた方が良いかも知れないわ。

 あなたは料理を覚えてる?」


 ラフィーネが苦笑した。


「食材のない生活を小さい頃から続けていたから、料理なんてものは縁がなかったわね。

 郷土料理がなんなのかさえ、私は知らないわ」


 彼女の記憶にあるのは、王宮のようにわずかな具材の浮いたスープぐらいがせいぜいらしい。

 それはとても料理とは呼べないだろう。


「少しずつ人間の文化を取り戻していってもらわないといけないわね。

 なるだけそれを覚えてる人が生きているうちに、教わっておく必要があるわ……

 そうだ、ラフィーネは年を取って私に愛を捧げられなくなることを嘆いていたわね。

 あなたが望むなら、今の若さを保つ術式を施してあげてもいいわよ?」


 パッとラフィーネの顔が綻ぶ。


「本当に?!

 ――でも、それってデメリットはないの?

 歳を取らないなんて、人間の自然な在り方ではないでしょう?」


「私が使える通常の術式だと、寿命が減ってしまうわね。

 長生きできても五十歳くらいという人間になるわ。

 邪悪な術式でも構わないなら成長を完全に止めてしまう事も可能だけれど、術者の私が死ぬと同時に一瞬で全ての若さを失う事になるわ。

 身体の変化を止めてしまうから、女性のあなたは子供を作る事もできなくなる。

 どちらがいいかしら?」


 ラフィーネはしばらく腕を組んで考えていた。


「その邪悪な術式って、死ぬこともなくなるの?」


「老衰することはなくなるわね。

 ヴィクターも同じ術式をお父様から施されているはずよ。

 でも大怪我や病気で死ぬことはあるから、不死ではないわ」


「不老ではある訳ね。

 それでも夢みたいな術式だけれど、どの辺が邪悪なのかしら」


「邪悪な術式として伝えられてるだけよ。

 人間が呪いと呼んでいる分野の術式なの。

 それにこれを施せるのは、私でも一人が限界よ。

 あなたの同類はヴィクターだけになるわ。

 周囲の人間が死んでいくのを見届け続ける人生を強制されるし、解呪してもやはり若さが一瞬で全て失われる。

 後戻りができない術式よ」


 選択肢は三つだ。


 このまま老いるに任せ、三十代以降はリーゼロッテへ愛を捧げる事を諦めるか。

 寿命を削って若さを保つ人間となか。

 リスクがあり、子供を諦める事になるが、リーゼロッテが生きている限り若さを保つ存在となるか。


 ラフィーネは更に頭を悩ませていたようだけど、意を決したようにリーゼロッテを見つめた。


「決めたわ!

 不老であり続けるなら、リズが死ぬまでこの姿で愛を捧げ続けられるという事だものね!

 もうそれは人間と呼べるかわからない存在かもしれないけれど、それでも構わないから私にその呪いを施して!」


 リーゼロッテはその決断の潔さに苦笑を隠し切れなかった。


「やっぱり、ラフィーネは愛の激しい人間ね。

 あなたが望むなら、この呪いをかけてあげる――

 ベッドに横になって頂戴。

 魂に術式を刻み込むわ」



 食事を終えたラフィーネをベッドに横たえさせ、リーゼロッテは魂に術式を丁寧に刻み込んでいった。

 施術が終わってから、リーゼロッテは彼女に告げる。


「終わったわ。

 もうあなたは今の状態から老いることがない。

 これから私が死ぬまで、ずっと共に在る人間よ――

 今日は少し疲れてしまったから、あなたの愛を思う存分食べさせて頂戴」


「ええ、任せて!

 食事をとって気力もばっちりよ!

 リズの為に、愛を尽くしてあげる!」





 リーゼロッテは彼女の魂が迸らせる愛と歓喜を限界までじっくり絞り尽くした後、気を失った彼女に添い寝するようにベッドに入り目を瞑る。

 魔族に睡眠は不要だけれど、今は起きて無駄に魔力を消耗するよりは休眠状態になっておいた方が良いと判断した。

 この地区を警護する低級眷属は二十体ほど作り上げて常設してある。

 無法者たちが近寄ってくる事もないはずだ。


 リーゼロッテはラフィーネの愛の余韻に浸りながら、静かに闇の底に意識を沈めていった。


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