雲の上、或いは霧の中で(上)
ハーメルン様での「雲の上、或いは霧の中で(一)」〜「同(三)」に該当します
はじめましての方ははじめまして。ハーメルンからの方は此方でもよろしくお願いします。
足りぬ頭を捻って書いておりますのでどうかよろしくお願いします。
-一。-
1938年冬、支那事変短期決戦の試みが失敗したことを悟った内閣は、全兵力を動員しての一大作戦に全てを賭けようと決心した。
「同時多方面連絡断絶作戦」その南方作戦のひとつの主戦力、「第二航空戦隊」は支那海を南下していた。
「ああ、高梨さんの角落ちちゃいましたよ」
「ほら、そんな場所に置くから言わんこっちゃない…」
艦の動揺に合わせて盤面を滑る駒に四苦八苦しながら栗山一飛と高梨二飛、それと審判兼雑談役の片山二飛は将棋を指していた。
同じ機に乗る艦攻乗り3人組が操縦手─栗山隆一飛曹─の部屋に集まって、だ。
「落ちると言えば、武漢が陥ちたそうじゃないですか。それなのに、この空母蒼龍を擁する二航戦を南の方へ…ってお上は何をする気なんでしょう」
「んー…俺は下の方をもっと攻めたいに2円…あ、王手」
片山の雑談を受けながら確実に攻めにかかっている高梨が賭けを始めると、
「僕は連絡路の破壊に2円ですかね。栗山さんはどうです?」
「ちょっと待ってくれ…うん、よし…じゃあ大穴で練習航海に5円賭けよう」
「攻めますね〜、盤面とは大違いで」
片山が似合わぬ口を叩くと
「煩いやい、王手は弾いたからいいんだ。残念だなぁもしこれが当たったら儲けで酒を奢るつもりだったのにお前には奢れ無さそうだ」
「えぇ〜酷いじゃないですか…ってそれ元は僕達の金なんだから利益無くないですか?」
「…」
「あ、王手です」
思わず黙った栗山に無情に宣告する高梨。
「………参りました」
とほぼ同時に響く喇叭の音。飛行機乗りは至急集合。どうやら栗山は賭けにも負けたようだった。
「なんだか不幸なことが続くな…」
しょげた顔───中席、後席から彼の姿を窺うことは出来ないが多分そんな顔をしているのだろう───で栗山はそう呟いた。
「そんな不吉なこと言わんでくださいよ。大切な戦闘だって司令も言っておられましたし失敗したらどうするんですか」
中席から高梨がそう言えばすぐに
「や、それは大丈夫だろう。なんせ将棋に勝ったお前と賭けに勝った片山がこの機にいるんだ。足し引きゼロどころか余りが出るさ」
「だといいんですけどねぇ…」
そんな話をしているうちに幾つか山を超えて南部援蒋ルートの要衝、ビルマ-昆明を結ぶ道路の近くまでやってきていた。
「栗山さん、もう目標近いですよ」
「ん…あ、あぁ。……頼もしいな」
栗山がそういうと、
「え、僕ですか?」
「いや、そうじゃなくて…や、そうなところもあるが……そうじゃなくてだな。飛行機っていいな」
「唐突になんです?」
「いや、俺昔陸戦隊で戦ったことがあってな…こういう山も幾つか苦労して越えたもんだが機上なら遥かに楽に越えられるなと…なんか悔しいっていうか」
「この機だって貴方が操縦してるんだから悔しいってのも変な話でしょうに…」
「まぁ、そうなんだけどな…っと降下するぞ、舌噛むなよ」
五十番を沢山落とした編隊は、付近一帯をいわば「苦労して越える山」へと作り変えていった。
天気は晴れ、時々爆弾。
-二。-
「今日はやけに冷えるな…なんだってまぁ司令部はこんな時に出撃させるんだ?」
「まぁもう12月ですしね、上には上の都合があるんでしょう、下令されたからには飛ばなきゃ駄目でしょう。ほら、滑走路にもっと雪が積もる前にさっさと行きますよ」
「まぁ…重慶に行った時はいつもこんな具合の天気だったな…今回は目標が良く見えるといいが」
雲が陰り風も強く吹くある飛行場でパラパラと降り始めた雪の中を愛機へ向け歩いていく姿が幾つか。
「同時多方面連絡断絶作戦」中央部隊の一、陸海軍航空隊協同で行う「首都孤立作戦」部隊である。
「俺たちは…西側の街道だっけな」
「そうです、聞けば1番遠くへ行くから腕をみこんでこの担当にしてくれたと言うじゃないですか。恥かかんで下さいよ?機長」
「あのなぁ…もう少し先輩への敬意とかそういうのってないのか?海軍さんの航空戦隊はもうちょっときっちりしてると聞いたぞ」
「他所は他所、内は内ですよ、あ、もう機まで着きましたよ早く乗ってください」
「…ったく調子いいなぁお前は」
と言いつつも入口を開けて機長を手招くあたり、きっちりと弁える所は弁えているのだから憎めない。
「それじゃ、行くとしますか」
窓に雪のぶつかる中、彼らの九七式重爆の編隊は先に上がっていた護衛戦闘機隊に急かされるように、しかし悠々と高度を上げて行った。
編隊は順調に離陸と上昇を続け、雲の中へと突っ込んで行く。
あたり一面が白く染まる中で信用できるのは計器と己の勘だけだ。
風で徐々に狂れる機位を手先で感じ取りながら巧みに操縦桿を揺らす。
「あぁ畜生、霜がついてちょっともたつくな…さっさと雲を抜けたいもんだ」
そう零す機長に"憎めない後輩"は
「下から見た感じじゃなかなかに厚い雲の様に見えましたがね。まぁもう少しすれば抜けるでしょう」
と答えるとくるりと回って後方警戒に戻った。
「まぁ、そうだな…っとおぉ…」
周囲が急激に明るくなり、視覚が戻ってきた時には目の前は真っ青になっていた。
雲を抜けたのだ。
編隊は白い軌跡を青空に突き刺すように飛び続ける。
その光景は幻想的だがしかし、雲から真っ直ぐに飛び出してきた攻撃隊は敵戦闘機隊の格好の的だ。
機長は周囲を見渡して敵影の無いのを確認すると高度7000で水平飛行に移る。おそらく僚機も同様の動作を取ったのだろう。一拍遅れて水平に移り、編隊飛行に復帰した。
雲を抜ければ快晴。至極当然のことだがこの頃基地が曇り続きだった航空隊員は喜び、そうでない者も気分はなんだか晴れやかになってくる。
「なんだか、唄でも歌いたくなる青空だな」
反射して輝く窓のフレームに目を細めながら、機長はそんな事を呟いた。
天気は雪、雲を抜ければ晴れ。
-三。-
雲海の切れ目を見つけては下の様子を窺うという動作を副操縦士がきっかり15回繰り返した後。
前に窓のフレームの反射とも、僚機の反射とも異なる輝点が視界の隅で瞬くのと、音質の悪い機上無線機が「敵戦一時方向!数は6乃至8!」と吠えたのは殆ど同時だったように思えた。
「攻撃隊は高度8000まで上昇!戦闘機隊は半数を残して敵戦闘機の排除へ向かえ!」
司令機から飛んできた指令が耳から脳を叩くやいなや操縦桿を引き機首を起こして機を上がらせる。敵襲だ。
軽々と翼を翻す九七式戦に信頼感を抱きながら警戒を解かずに上へ上へと登る。
一つ火球が生じるのが見えた。
敵か味方かは分からなかったが、無線の声を聞く限りどうやら幸運なことに敵であったようだ。
その後も2つ3つと火球が生まれ、暫くすると弾薬切れか生き残りも帰っていった。
全く困った悪戯小僧だ…と冗談を言えるのもひとえにこちらに損害が出なかったからだ。
そして、敵側の被害など、非情ではあるが気にしてなどいられない。
「死者を弔うのは最後に生き残った者の特権だ」等とはよく言ったものだ。うちの隊など何本線香を立てれば良いか分かったものではない。それに葬式を上げている最中に襲撃でもされたら最悪だ。そういうのは戦後にやっていただきたい。
まだ見ぬ戦後に思いを馳せて、機をゆっくりと元の高度7000へ戻す。
ちらりと燃料計を見る。無駄な行動をしてしまったが、まだまだ余裕はありそうだ。
気がつけば、眼下の雲海はとうに切れていて、白銀に飾られた山並みが広がっていた。
その表面を這うように通る黄色い筋。重慶から成都に至る道だ。
そして指令が下る。
「各機高度2000まで降下!」
今度はキビキビと、編隊はより下へ降りて行く。
また編隊の安定したのを見て「攻撃始め!」の号令がなされると、各機は腹に持った爆弾を道へ向け、或いはまだ層を開かずに通信施設や基地へ向かい、指令のままに行動した。
計画通りだ。非常に(敵にとっては非情にも?)順調。この具合なら他の隊も上手くいっていることだろう。
想定より抵抗の少ないのには驚いたが、一体どういう訳だろうか。
無論こちらの被害が少ないに越したことはないのだが、いつもと違うそれに機長は少し寒気を感じるのだった。
「こちらが攻撃方法を変えたからだ…きっとそうだろう」
自分に念押すようにそう呟く。
「なんです?」
「いや、なんでもない」
結局、今回の爆撃は想定より良好な結果を残して終了した。
成功記念にと浮かれる者も多くいたが、どうにも懸念の拭えなかった機長は、最早復路で往路のように歌を歌いたいとは思わなかった。
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