第56話 父さんが帰省してきた
『ユカはどうすればいいと思う?』
プロのモデルになって東京に行くか、それとも今の生活を大事にするか。
人生の岐路に立たされたユカの、その大事な問いに俺は何も返せなかった。
情けないことに無言でうなだれることしか出来なかったのだ。
なにせこっちは人生経験のない陰キャ高校生だ。
芸能人になるかもしれない友達の、学校一の美少女の相談を受けるには器が足りない。
自分で言うのも何だが、社会を知らないガキが答えられるようなものじゃない。
その日は結局カフェで解散となり、あれからユカとは数日連絡を取ってない。
「どうすればよかったんだろう……」
エアコンもつけずリビングで横になり、スマホの画面を眺める。
俺はおぼつかない指で、この二ヶ月間ユカやミカと一緒に過ごしてきた思い出の写真をスクロールしていく。
何気ない日常の風景から、三人で一緒に撮った誕生日写真、本当に色々なことがあった。俺の15年間の中で最も濃密な二ヶ月だと自信を持って言える程に。
「そりゃユカがモデルになるのは凄いけどさぁ……。いや、ユカのスペックを考えるとこんな町に留まってちゃいけない人材なのは分かってたさ……。でもいきなりいなくなるとか言われても、どうすりゃいいんだよ……」
初めて仲良くなれた大事な友達を、ただ黙って送り出すことしか出来ないのか?
ユカがいなくなった事を想像してみると、恐ろしく空虚な未来が見えた。
彼女がいなければ俺はまた陰キャぼっちに戻るだろう。
元々俺と朝倉姉妹の関係はユカが間を取り持ってくれたおかげで成り立っていた関係だ。
ミカとは陰キャぼっち同士で趣味趣向が合致しているおかげで友達でいられるけど、大事な妹がいなくなったらミカもきっと落ち込んでしまうだろう。
そうなれば、もしかするとミカとの交流も自然と減っていくかもしれない。
ユカ目当てにはしゃいでたリア充たちもまた別の女子にうつつを抜かすことだろう。
ユカと俺の間に何かあったかなんて、すっかり忘れられるに違いない。
俺に嫌がらせをしてきた連中も、俺のことなんて眼中から無くなるだろう。
そんな色褪せた灰色の世界で残りの高校生活を楽しめるのだろうか。
「ユカがいなくなったら……俺は……。いや、でも俺なんかの都合でユカのチャンスを踏みにじるなんて出来るか! ぼっちに戻るからここにいてくれなんて、そんな言い分通るかよ……!」
こんな感じでここ数日間頭の中で考えが堂々巡りをしていた。
ユカがいなくなるのは寂しい。でも俺なんかが何かを言える立場じゃない。
そんなふうに思考のループを繰り返している。気付けば日課のアニメ鑑賞も数日間していない。
「はぁ……なんでユカは俺なんかに相談したんだよ……」
溜息をついて寝返りをうつ。こんな時、普通の人なら誰かに相談できるんだろうなぁ。
残念なことに俺にはそんな相手はいないけど。
――ガチャリ
俺が何度目かの溜息をついていたら、ふと玄関の鍵が開けられた。
この家の鍵を持っているのは父さんか母さんしかいない。まさか母さんがやって来たのか?
人が大変な目にあってる時に面倒な人と会いたくないのだが……。
「亮ー! 帰ってきたぞー!」
しかしリビングに入ってきたのは母さんでは無く、単身赴任しているはずの父さんだった。
そう言えば7月末に帰ってくるって言ってたっけ。もうそんな時期になっていたのか。
「父さん、おかえり。あと久しぶり」
「なんだ、久々に顔合わせておいて元気ないじゃないか。ちゃんと飯食べてるのか?」
「まぁ、俺なりになんとかやってるよ。父さんこそ飯大丈夫なの?」
「父さんが借りてるとこは食堂があるからな。社宅って最高だぞ、そこそこ広くて月々の部屋代2万いかないし朝晩食堂で飯食えるし」
「さすが福利厚生が充実した大企業、俺はそんな会社入れそうにないわ」
「なんだか落ち込んでるな。何かあったのか?」
「んー……いや、友達と色々とあって……」
俺の言葉に父さんは衝撃を受け、お土産を入れた紙袋を手から落とす。
また古典的なりアクションだな、びっくりの仕方が昭和か。
あ、でも父さんも昭和後期に生まれてるからそんなに昭和の文化知らないはずだよな。まぁどうでもいいか。
「お、お前に友達が出来たのか……!」
「いやそれは前に電話で言ったでしょ。まさか信じてなかったの?」
「う、そういうわけじゃないが……。喧嘩したのか知らないけど、そんなに落ち込んでるってことは、余程仲がいい友達なんだな」
「うん……。たぶん、俺の人生の中で初めて、本当に仲良くなれた子だよ」
中学時代にも数少ない友達はいた。だが彼らとは中学三年間で一桁の回数しか遊んでないし、高校になってからはLIMEのやり取りなんて一度もしていない。
結局俺と彼らの間にはぼっちを紛らわせるためにつるむ程度の絆しかなかったのだ。
だけどユカは違う。彼女は本当の意味で友達と呼べる存在だろう。
「亮が友人関係で悩む日が来るとはなぁ。父さんでよければ話聞こうか。話したくなければ無理にとは言わないけどな」
「そうだね。じゃあ……帰ってきてお疲れのところ悪いけど、ちょっと息子の人生相談にのってよ」
「任せなさい。なんたってそれが父親としての義務だからな」
やはり父さんは頼りになる。まっとうな社会人として生きてきて、それなりの人生経験を積んでいるからか、言葉一つ一つに説得力がある。
まぁ地方アイドルの追っかけやってて、挙げ句その子にプロポーズして、子供が生まれたらユーチューバーデビューを勧めて、更に自分の給料からスパチャ投げてるところは擁護できないが。
俺は父さんにユカとの一件を話してみることにした。
親にこんなことを相談するなんて生まれてはじめてかも知れない。
つくづく俺は普通の人が体験する当たり前のことを、人より遅く経験するんだなと自分の陰キャぶりに自嘲してしまう。
話し終えた後、父さんはお土産の菓子を俺に一つ差し出してきた。
スポンジケーキでバナナ味のクリームを包んだ甘いお菓子だ。かなり有名なお土産で、お土産を貰う機会の無い俺でも知っているお菓子である。
うん、甘くておいしい。
お土産って珍しいお菓子とか貰えると嬉しいよね。
逆にどこでも買えそうなチョコクランチみたいなものを貰ったら、若干テンションが下がる。
まあ俺にお土産をくれる知り合いなんていないんだけどな!
全部親経由で貰ったお土産だから、文句を言う筋合いなんて無いんだけどな!
父さんはお菓子を食べてお茶を飲んだ後、俺に向かって話しかけてきた。
「そのユカちゃんって子がモデルになること自体はいいことなんだろう? 今の時代、安定した仕事なんてあまりないし、若い内からやりたいことに挑戦できるのはいいことじゃないか」
「そうなんだよ……だからモデルになるべきだって分かってるのに、なんかモヤモヤするんだよなぁ……」
「で、その子は東京に行くかお前やお姉さんとの日常を選ぶか悩んでいるわけだ。だからお前に相談したんだろうし」
「でも何で俺なんだよ……。俺の勝手な意見でユカの夢をどうこう出来やしないのに……」
「ふう……。やっぱりまだまだ子供だな亮は。自分の気持ちが分かってるなら彼女に伝えればいいじゃないか。人生には絶対に言っておかないと後悔することってあるぞ?」
分かってるよそんなこと。だからこそ悩んでるんじゃないか。
俺の余計な一言でユカの人生が大きく変わってしまったら、それこそ後悔しか出来ないじゃないか。
父さんはお土産のパッケージを掴んでぼそっと呟く。
「しかし東京ねぇ。みんなそんなに東京が好きなのか? 満員電車はキツイわ人混みばっかりだわで、こっちでの仕事のほうが楽だったけどなぁ」
「ん……? 父さん、今なんて?」
「だから、東京での仕事よりこっちの方が楽だって……どうした亮、急に立ち上がって」
そうか、父さんは東京に単身赴任してるんだっけ。
今年の三月にそんな事を説明された気がしたけど、一人暮らしのこととか考えててよく覚えてなかった。
ということは父さんもそれなりに東京のことを知ってるはずだ。
「ねぇ父さん! 東京って俺でも通えそうな大学ってあるかな!?」
俺は一つの答えを見つけ出した。
それは答えと言うには稚拙すぎる考えだけど、それでも無い頭で考え出した俺の気持ちそのものだった。
父さんの話を聞いた後、俺は急いでユカにメッセージを送り、近所の公園で会うように約束を取り付けたのだった。




