第109話 ミカとユカの唇を観察してみた
「難しいな……」
「難しいって、何が?」
弁当を食いながらユカは小首をかしげる。
「なにってそりゃ答え合わせだよ」
「答え合わせって……何の?」
続けてミカが頭の上にはてなマークを浮かべて聞いてくる。
「何のってそりゃ問題の答え合わせだよ」
「「さっきから何言ってるのリョウ(りょう)君」」
ミカとユカが声を揃える。
二人が不思議に思うのも仕方ない。俺は今、ただ一人難問に立ち向かっているのだ。
その姿は傍から見たらとても間抜けなものに見えてしまうに違いない。
なにせ俺は昼食を食べる朝倉姉妹の顔を真正面から覗き込んでいるのだから。
完全に不審者である。通報しようとしない二人の優しさには涙が出てくるぜ。
「むむむ……二人とも柔らかそうな唇してるな……」
「えっ、ちょっと何いきなり? セクハラだよそういうのー」
「りょう君が……不良になっちゃった……。これはミカたち……ピンチ……?」
「いや不良とかそんなんじゃないって。ただやっぱり二人ともよくケアしてるなぁと感心してな」
ミカもユカも、二人とも本当に柔らかそうな唇だ。
俺のカサカサな唇と違って潤いたっぷりだ。君たち広告やれるよまじで。
「しかしこれじゃどっちかわからないなぁ。ううん……」
「リョウ君が何を探ってるのか、ユカちっともわかんないよぉ! ユカたちの唇になにかついてるの?」
「いや気にしなくていいよ。ちょっと個人的に気になることがあるだけだし」
「そんなにジロジロ見られて気にするなって話も無理だと思うけど!?」
ユカはいやいやいやとツッコミを入れてくる。まぁ分かるけど。
だが俺もこのセクハラ……もとい観察を中途半端にやめるわけには行かないのだ。
なにせ俺には二人のマシュマロの様な唇を見極める義務がある。いや責任がある。
俺の基調なファーストキスを奪いやがってくれたのは果たしてどちらなのか。ミカの告白への返事をする前にはっきりさせておきたいのだ。
いや別にキスされたのがユカだったらミカの告白を断るとか、そんなことじゃないんですよ?
ただ俺の中で中途半端な状態のまま、誰かと付き合うというのが嫌なだけだ。
なんかこう……超えてはならない一線を超えてしまう気がする。チャラいというかヤリ〇ンへの第一歩になりそうだし。
この程度で何をと思う方々もいらっしゃるだろう。
だが俺のような陰キャは少しでもタガが外れれば、そのまま突き進んでしまうものだ。
普段消極的な分変なところで行動的になってしまうと、長年生きてきた経験で分かるのだ。
「もーそんなに見られたらご飯も食べづらいよー。さっきからなんなのさー! 怒るよいい加減、ねぇミカちゃんー?」
「えっ……あ、うん……そうだね……。りょう君……あまりユカちゃんを怒らせちゃ……駄目だよ……?」
「お、おう……そうだな。そろそろやめるとするか……昼休みも終わりそうだしな」
「そだねーでもリョウ君、いいの?」
「ん? 何が?」
「何ってそれ、食べなくていいの?」
「あ~…………」
昼飯、食べるの忘れてたな。
今日は新作のコロッケパン買ってきたのに。
新作といっても『おいしくなってリニューアル!』といういつものアレだ。
ほとんど変更点がないのに量が減ってる的なコンビニの販売戦略的なアレだ。
ちなみに裏面を確認したらしっかり内容量が減っていた。カロリーも減っていた。俺の感動も減っていた。
仕方がない。これは夜飯に回すとしよう。
◆◆◆◆◆
「りょう……君」
「んん?」
放課後だった。俺は廊下でミカに呼び止められた。
誰もいない空き教室で二人っきりの状況で、朝倉ミカは真剣な表情をしていた。
「さっきみたいなこと……やらないでほしいの……」
ミカはそういって目を伏せる。
さっきのこと、というのは一体何を指しているのだろうか。
俺がカードゲームで初心者のユカを先行ワンキルで倒したことだろうか。
それともミカに宿題を貸したけど、わざと一問だけ間違った答えを書いていたことだろうか。
どちらにしてもミカが文句を言うなんて珍しいなと思う。
「あんな風にされたら……ユカちゃん困っちゃうと思うし……探るようなやり方……よくないとおもう……」
「ミカ? 何を言って――」
「ユカちゃんがキスしたって……言い出せないだろうし……。恥ずかしがっちゃうと……思うの……だから……ね?」
「え……」
ミカは今、なんて言った……?
ユカがキスしたと、そう言ったのか?
それはあの日――夏祭りのキスのことを言っているのだろうか。
もしそうなら……ミカはユカが俺にキスしたことを知っているということだ。
その上で俺に告白してきた。そういうことになる。
「りょう君が気になっちゃうのも……仕方ないけど……ね。あ、ユカちゃんには……内緒にしてあげてね……りょう君が知ってるって分かったら……泣いちゃうかも?」
ミカは淡々と言葉を紡ぐ。まるで他人事のように。
いや、ミカからすると他人事なのか? どうなんだろう、双子の妹が自分の好きな人にキスしたというのは他人事になるんだろうか。
少なくとも俺にはこんな風に表情一つ変えずに話すようなことだとは思わない。
そこには多少なりとも嫉妬という感情が見え隠れしてもいいはずだ。
だがミカは本当にいつもどおりの顔のままだ。
ミカが何を考えているのか分からない……。
俺のことが好きで告白したんだろう? ユカがキスしてきたことについて、怒っていないのか?
それともキスを目撃したから告白しようと決心したのか。
駄目だ……ミカの言動に振り回されてしまう。
「りょう君……」
ミカは俺の名を呼び、肩に手を置く。
優しい手付きで、甘い声色。それなのに俺は目の前の少女にどこか違和感を覚える。
「ユカちゃんのこと……気になる……?」
「俺、は……」
声が出ない。
喉が焼けたようにひりつく。
そんなことない――そう言おうとしたのに、どうしても声が出なかった。
ユカにキスされたという事実が、どうしようもなく俺に突き刺さる。
なぜミカはこんなことを言うのか。そんなことで俺が揺れないだろうと信じているのか。
それとも何も考えていないのか。
本当にミカの考えが分からなかった。
「行こ……ユカちゃん待ってるだろうし……ね?」
ミカが鞄を持って教室を出ていく。
俺も後を追うが、その日の帰り道は何を話したのか全く思い出せなかった。
俺の頭に残っているのは、ユカの隣を歩くミカが……虚無のごとく無表情だったことだけだった。




