1.1 孵化
呪われた大地に生まれた新たな世代の子供たち。彼らには決まって夜に読み聞かせられる一つの物語があった。いや、物語ではなく一つの確かな真実である。
戦争で滅び、儡鎧殻に穢された大地に投げ出された人々。そんな彼らの中から現れた、誰よりも自由で勇敢なカラス、最初のスカベンジャーたちのお話だ。
戦争で滅びる前、この大陸は二つの国に分かれていた。信仰と伝統を重んじ、魔法という祈りを掲げる『法の国』。万人が等しく扱える技術と科学を発展させ、魔法による支配を否定する『火の国』。二つの国は激しく争い、大陸全土を巻き込んだ大戦争を起こした。
法の国が誇る絶対的な力である『魔法』は火の国を圧倒し、火の国は常に劣勢だった。やがて魔法の力に対抗するために、火の国は『儡鎧殻』を造りあげる。
法の国へと投入された儡鎧殻たちは、その国土の殆どを汚染し尽くし、沢山の人々を殺した。だが、火の国の民にも制御しきれなかったのか、儡鎧殻は自らを造った火の国にも牙を向く。
誰にも止められない儡鎧殻たちは呪いをばら撒き続け、気づけば空は灰色に覆われ、大地にあった命の多くは呪いに歪められ、死に絶えていった。
両国の生き延びた人々は、唯一呪いによる汚染を免れた聖域『ニルヴァーナ』に集った。種族も人種も関係なく、聖域は万人を受け入れ、人々は安息の地を得たという。
ただし、火の国の儡鎧殻によって世界は滅びた事実に変わりはない。ニルヴァーナに逃れた火の国の民は、法の国の民に酷く迫害されることになる。
鍛治師、錬金術師、魔法技師といった火の国を代表する技術者たちは皆処刑され、技術を持たぬ人々も奴隷のように虐げられた。それでも清浄なる聖域に残るには、耐え忍ぶしかなかった。
そのままニルヴァーナは法の国を治めていたエルフの王によって統治され、人々は呪いを退けるニルヴァーナへ祈りを捧げ続けるだけの、悠久なる平穏を享受していた。
やがて、人々が聖域に閉じこもったまま百数十年が経ち、聖域の外の呪われた世界への関心すら失われ始めたころ。その平穏に亀裂が入る。
『魔法が使えぬ者は、真なる祈りの言葉を持たぬ不信者。この聖域に居座る資格はない』
そんな事を囁く人々が、ニルヴァーナでは増え始めていた。魔法が使えない人々を切り捨てる選民思想が顕著になっていたのだ。限られた土地に人々が収まり切らなくなってきたという背景も関与していたが、結果として口減らしが行われることになる。
その白羽の矢が立ったのは、火の国の民の末裔たち。法の国の民と違いその身に魔力を宿せない血筋である彼らは、かつての火の国の民が背負った罪を償えと強要され、聖域から追放されたのだ。
聖域の外の呪われた大地は、太陽の光で少しずつ浄化されていた。戦時中に比べれば呪いも比較的落ち着いてはいたものの、やはりまだ危険な世界であることに変わりはない。
儡鎧殻に呪われた大地は息をするだけで人の体を蝕む。それに加えて、儡鎧殻たちは常に命ある者を探して徘徊している。とても人が生きていけるような環境ではなかったのだ。
追放された人々は亡国の民として、あてもなく大陸中を彷徨い生き延びる術を探した。その末に人々は失われた旧世代の、かつての火の国の技術を求めた。
火の国の技術を継承する者は既に絶えてしまっていた。しかし、旧世代の遺物はまだ廃墟となった遺跡都市に残っている。そう考えた一人の男が単身、遺跡都市へと探索に出た。
遺跡都市には儡鎧殻や呪いから生まれた悍しい化け物が蠢いていたが、男は何度も死線を潜り抜け、旧世代の遺物を持ち帰ることに成功した。
遺物の中には、奇妙な機械仕掛けの鎧があった。人が扱うには大きすぎて、分厚すぎて、重たすぎた鎧。男は仲間と共にそれを本来あるべき姿へと復元した。
復元した鎧は、男に儡鎧殻と戦う力を与えた。男は鎧を駆り、儡鎧殻を退け、ニルヴァーナと同じように人々が安らかに暮らせる地を作るべく戦い続けた。
やがて彼の元には志同じくする者たちが多く集まり、一つの組織になる。組織の名は『ユニオン・ブラックバード』。鴉を模した紋章を掲げる彼らは、追放された人々の希望となっていった。
そして、決して折れない鋼の翼を携え、穢れた大地を自由に駆ける彼らは、いつしか『黒羽のスカベンジャー』と呼ばれるようになったのだ。
──
「う、ん……」
ぼんやりと混濁した意識の中、私は鉄のように重たい目蓋を何とか持ち上げる。まず目に入ったのは、無骨で薄汚れた天井。そして、吊り下げられたランプの灯だった。
それを眺めているうちに手、足、そして尻尾に耳まで、だんだんと体の感覚が戻ってくる。どうやら私は五体満足で生きているみたいだ。
(夢、じゃないよね……かといってあの世って感じでもないし……)
私はゆっくりと体を起こして、自分がいる部屋を見回す。ボロ布のベッドに、棚に置かれた包帯やハサミ。どうやらここは医務室とかそういう感じの部屋みたいだ。
窓一つないから少し閉塞感があるけど、遺跡都市のような呪いによる圧迫感はない。ここは一体何処なのだろうか。
「あら、目が覚めたのね」
「……っ!」
横から声をかけられ、つい驚きに肩が跳ね上がる。そして、恐る恐る声の主の方へ振り返れば、そこには白衣を着た綺麗な女の人がいた。
ショートカットにした灰色の髪の毛と、透き通るような白い肌。それとは対照的な黒い瞳をしたその人は、私が見た女性の中で一番美人かもしれない。
「意識ははっきりしてる? どこか痛むところとかはない?」
「い、いえ、大丈夫……です」
「そう。でも、一応少し診せてね」
そう言って女性は私が怪我していた右肩の傷や、儡鎧殻に締め上げられた首筋などを優しく診察してくれる。
特に異常はなかったと、女性は柔らかく笑みを見せながらその旨を伝えてくれる。けれど、正直私は軽傷で済んでいること以前に、生きていること自体が不思議でならなかった。
「貴女は運がいいわ、儡鎧殻と相対してこの程度で済んだんだもの。彼が助けてくれなかったら……」
「あの、すみません。私、まだ少し混乱していて状況が掴めないんですけど……私って、生きてるんですよね?」
「ふふっ、そうよ。頬でもツネってあげようか?」
そう言われて、私はまず自分で頬っぺたを摘んでみる──うん、感覚はある。でも、やっぱり実感は湧かない。
「お願いします……」
「それじゃあ……えいっ!」
「痛っ、痛たたたっ⁉︎」
思った以上に強い力でツネられて、つい涙目になってしまう。でも、この痛みは決して夢なんかじゃない。
「貴女はちゃんとここにいる、あの遺跡都市から生きて帰ってきたのよ。これで目は覚めたかしら」
「は、はい……」
「じゃあ、自覚できたところで……まずは自己紹介しましょ。私の名前はシュウカ。よろしくね」
シュウカと名乗った灰色の髪をした女性は、にこりと微笑みながら名乗る。その笑みは同じ女性の私でもドキッとしてしまいそうだ。だから私はつい、もじもじと口籠ってしまった。
「わ、私はマオでっす! よろ、よろしくお願いします!」
「そ、そんなに緊張しなくていいのよ」
シュウカさんにそう言われて、私は深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。そうしてると、シュウカさんが水の入ったコップを渡してくれた。
こんなことまで気を使わせてしまうなんて情けないことこの上ない。でも、喉は乾いていたので水はありがたく貰っておく。
「ゴクゴク……わっ、この水凄く美味しい」
「落ち着いたかしら?」
「はい、もう大丈夫です。でも……ここは一体何処なんですか? 私、こんな綺麗な水飲んだことがないです」
大地が呪いに汚染されているのだから、川や湧水、空から降る雨水の全てが呪われている。長期的に摂取すれば命に関わる、飲み水の確保には呪いを取り除かなければならないのだ。
太陽の光には呪いを祓う力があるので、大抵は陽光に晒して呪いを祓う。けど、普通は私が飲んだこの水ほどに洗浄はされない。
「ここジブラルタルには、状態の良い浄水器があるのよ。貴女は少なからず呪いが蓄積してるからね。まずは綺麗な水で……あら、どうしたの?」
「ジ、ジブラルタルっ……ここが、あの……!」
バニンガムの周辺には、幾つかのコミュニティと呼ばれるグループがある。簡単に言えば、数十年前にニルヴァーナから追放された人々が寄り添って作った村落のようなものだ。
ジブラルタルはそのコミュニティの中で一番規模が大きい。なにせジブラルタルは、バニンガム探索に挑むスカベンジャーたち『ユニオン・ブラックバード』と、彼らが持ち帰った遺物を解析する魔法技師たちの活動拠点なのだ。
「じゃあ、私を助けててくれたのはジブラルタルのスカベンジャー、なんですか?」
「ええ。とあるスカベンジャーのグループがバニンガムに向かったきり行方不明になってると聞いてね。別のスカベンジャーが捜索に出ていたの。そこで貴女を見つけたのよ」
「そうなんですか。その、助けていただいてありがとうございます」
「お礼は貴女を助けたあの人に言っておいてね。さて、起きて早々で申し訳ないけど、貴女には色々も事情を聞いておきたいのよ」
そう言ってシュウカさんはボロボロの手帳とペンを取り出すと、私に幾つかの質問を始めた。
「まず、貴女は見たところ猫の獣人族の血筋のようね? それに、二股に分かれた尻尾……新しい世代の子供と考えていいかしら?」
新しい世代、それはつまりニルヴァーナから追放された人々が、その身を呪われながら産み落とした『生まれつき呪われた子供達』であることを示している。
数十年前にニルヴァーナから追放された人々の多くが呪いに蝕まれて死んでいったけど、中には私のように新しい命として生まれた者もいる。ただその代償に、生まれてきた子供達の多くは呪われていた。
目が見えない子供、片腕が無い子供、酷い時は人の姿すらしていない子供もいたという。当然、そう言った子供達は大人からは忌避される対象にされてしまった。
「……」
無意識に尻尾を腰に巻きつけて、シュウカさんには見えないように隠す。一本ならともかく、二本も尻尾が生えてる獣人なんて、気味悪いと思われても仕方ない。
「ああ、安心して。別に私は呪われてるからって蔑んだりしないわ。質問を続けるけど、貴女の生まれは何処かしら?」
「……バニンガムから北西方面の表街道沿いにあるウェルチ車両基地、そこのコミュニティで生まれました」
「北西方面のコミュニティでは一番の規模の場所ね。貴女のご家族はまだそこに?」
「いえ……母は私が幼い頃に病気で死にました。兄と父は、二年前に私を置いて出かけたきり、帰ってきませんでした……」
「そう……ごめんなさい、辛いことを聞いたわね」
お母さんが死んだ後、お父さんは兄さんを連れて何処かへと行ってしまった。食べ物を探しに行くと言っていたけど、二人が家に帰ってくることはなかった。
そして、お父さんたちが出かけてから数日後に、とあるスカベンジャーの人が私に汚れたガスマスクとバックパックを持ってきてくれた。その人は、それがお父さんの持ち物だったと言っていた。
話に聞いたところ、お父さんたちはなけなしの装備でバニンガムへと足を踏み入れ、儡鎧殻に襲われたのだという。つまり、私と同じような状況に陥ったということだろう。
「確かにバニンガムで手に入れた旧世代の遺物は高値が付く。それ目的でバニンガムへ挑む人は数知れないわ。私にはリスクに見合ってると思えないけれど……貴女もそれが実感できたでしょう」
「はい……でも、私はどうしてもスカベンジャーになりたかったんです」
「……他にもやり方があったんじゃないのかしら?」
こんな時代に私の様な子供が一人で生きていく方法なんて限られている。身売りという手もあるけど、それは許容し難かった。最後の最後のどん詰まりまで、それだけはしたくない。
まあ呪われた女の子なんて、誰も見向きしないかもしれないけど。とにかく、遺跡都市で旧世代の遺物を発掘してジブラルタルに持ち寄れば、身売りなんて目じゃないくらいの金が手に入るのだ。
それに、『ユニオン・ブラックバード』は人だけでなく沢山の種族の生き残りたちが集うという。獣臭いなどと罵られる獣人族でも、仲間に加えてくれるのではないか。そう、考えていた。
「スカベンジャーとして成功すれば、こんな世界でも一人で生きていける。それで失敗したとしても、行動した上での結末なら……そう、思っていました」
「成る程ね。じゃあ聞くけれど、その気持ちは実際に儡鎧殻と相対して変わったかしら? あの化け物に殺されかけても、スカベンジャーになりたいと思う?」
「……」
シュウカさんにそう問いかけられ、私は少し言葉に詰まる。確かに、儡鎧殻は私が想像していた以上に強大で恐ろしいかった。私なんかでは、傷一つ付けられないことも痛感した。
──それでも、私の意思は変わらない。
「私は……一人で生きていける力が欲しいんです……! 私はもう、無力な子供のままでいるのは嫌なんです!」
「ふぅん。力が欲しいなんて、随分と漠然とした目的ね。でも、それならスカベンジャーじゃなくてもいいんじゃない? どうしてそんなにスカベンジャーにこだわるのかしら?」
「それは……」
多くの人々が頼りないコミュニティの中で身を寄せ合って生きている中、彼らスカベンジャーは危険を顧みずに呪われた大地に挑み続けている。
お金のため、名誉のため、冒険心を満たすため、沢山の人々を助けるため。その理由は一人一人違っても、何かを手にする為に命を懸けている。
その生き方が、私にはとても眩しく映って見えた。特に『魔導鎧殻』を所有するスカベンジャーは、まさに自由と強さの象徴だ。
「こんな時代に生まれたからといって、私は自分の命を諦めたく無い。どうせなら、精一杯生き抜きたいです。失うだけの人生なんてまっぴらごめんなんです!」
「……」
「どうか、私をブラックバードの一員に加えてください! 危険な仕事でも何でもこなしてみせます! だから、どうか……!」
「……ふふっ、なるほど」
シュウカさんはどこか意味ありげな笑みを見せると、手帳に何か書き込んでから白衣の内ポケットにしまう。私の考えはちゃんと伝わったんだろうか?
「中々見どころありそうじゃない、貴女」
「じゃ、じゃあ……私をスカベンジャーの一員に加えて貰えるんですか?」
「残念ながらそれを決めるのは私じゃないの……ねえ、お二人はどう思う?」
そう言ってシュウカさんが後ろに振り返ると、そこにはいつの間にこの部屋にやってきたのか、二人の見知らぬ男性がいた。
片方は、灰色がかった髪の毛をしたスーツの男性。シワが刻まれたその眉間からひしひしと伝わってくる厳格さは、男性の性格を如実に表しているようだ。
もう一人は、長めの黒髪を後ろで束ね、左目を包帯の眼帯で隠した青年だった。私とそれほど年齢的に差がないように見えるけど、それに反してかなり大人びた雰囲気が感じられる。
「俺は……素質十分だと思いますよ。なにせ、初めて遺跡都市に足を踏み入れて、初めて儡鎧殻と出会して、そのまま丸一日逃げおおせたんだ。ロクな装備も無しで、ね」
眼帯をした青年は、擦り切れたコートの裾を弄りながらそんな意見を述べる。それに対して、スーツの男性は顎に手をやって考え込む。
「運が良かっただけ、ではないようだな……ふむ」
しばらく難しい表情のまま思案にふけっていたスーツの男性だったが、やっと結論に至ったようで表情を変えずに私の横に立つ。
「……いいだろう。君がスカベンジャーになることを望むのならば、しばらく教育係を付けて様子を見るとしよう」
「ほ、本当ですか⁉︎」
「教育係は……ホムラ、君が彼女を助けたのだ。最後まで面倒を見てやれ」
「えっ……俺が⁉︎冗談じゃない、子守は勘弁してくれっ!」
ホムラと呼ばれた眼帯の青年は、あからさまに嫌そうな顔をして手を振る。子供扱いされていることは捨て置けないけど、その前にこのスーツの男性は『君が彼女を助けた』って言っていた。ということは──
「あの、貴方が私を儡鎧殻から助けてくれたスカベンジャーなんですか?」
「んあ? あ、ああ……まあ、そうだが」
やっぱりそうなんだ。あの少し古びた魔導鎧殻に乗っていたのは、この人なんだ。シュウカさんにも言われていたし、きちんとお礼を言っておかなければ。
「本当にありがとうございます、貴方がいなかったら私は……」
「や、別に俺はただ任務で助けただけでな? そんな大したことはしてないさ。そう、俺は大したスカベンジャーじゃないんだ、だから教育係はまた別の奴に……ってわけにはいきませんか?」
そう言って眼帯の青年はスーツの男性の方をチラリと見る。それに対して、スーツの男性はやはり表情を変えずに言葉を返す。
「お前の家には、ずっと放置されてる空き部屋もあるだろう? 彼女を寝泊りさせるには十分ではないか」
「いや、待ってくださいよ⁉︎そこまで面倒見なきゃならないんですか!」
「じゃあ、路上に放り出すの? 女の子に対してそれは可愛そうよ」
「シュウカさんまで……」
「だいたい子守とか言ってるけど、貴方も別に大人って歳でもないでしょ? マオちゃんとそんな大差ないんじゃ──」
「分かった、分かりました! 俺がやればいいんですね⁉︎」
眼帯の青年はヤケクソ気味にそう叫ぶと、ズカズカと私のところまでやってきて手を差し伸べてくる。そして、引きつった笑みを浮かべるのだった。
「俺はホムラ、見ての通り若輩で半人前のスカベンジャーだ。暫くは面倒を見てやるから、すぐにもっと良い人のところへ鞍替えしてくれよ? な?」
「よ、よろしくお願いします」
ホムラと名乗った眼帯の青年と乱暴な握手を交わした私は、命の恩人に対してつい中途半端な反応を返してしまう。どうやらあまり快く思われていないようだ。
「あぁ、くそっ……なんでこんな面倒くさいことに……俺はもう行きますよ! そいつの為に空き部屋を掃除してくるんで! それじゃあ失礼!」
荒々しく扉を閉めて部屋を出て行くホムラさんの背中を見送ったスーツの男性は、ため息をついて肩をすくめる。同じように、シュウカさんも呆れたように笑っていた。
「なんだかんだ言って請け負ってくれるのね。しかも、マオちゃんのために部屋の掃除まで……彼、根は世話焼きなのよ」
「そう、なんですか」
「ま、なんにせよこれからよろしくね。怪我したら、私がいつでも治してあげるから──っていうか、貴方も名前くらい名乗ったら?」
「むっ、そうだな……」
シュウカさんにそう言われて、スーツの男性は襟を正して私へと向き直る。その時のスーツの男性の表情は、さっきまでのような厳しそうなものではなく、幾分柔らかなものだった。
「私はコルヴォ、『ユニオン・ブラックバード』のリーダーを務めている。君がスカベンジャーとなるのなら、これからも顔を合わせる機会があるだろう……君が生きていればの話だが、な」
そう言ってスーツの男性、コルヴォさんは背を向けて部屋を……って、『ユニオン・ブラックバード』のリーダー、って言った⁉︎私、とんでもなく偉い人と話してたんじゃ……
(でも、この人が認めてくれたのなら、私は正式にブラックバードのスカベンジャー見習いになれたのかな?)
イマイチ実感が湧いてこない。儡鎧殻に襲われて死にかけたところをギリギリで助けてもらっただけでなく、スカベンジャーになれるよう指導までしてくれるというのだ。
こんな美味しい話がそうあるはずがない。やっぱりこれは夢じゃないのだろうか?
「夢じゃないわよ。ほらっ」
「あ、痛っ! 痛いですよシュウカさん〜!」
またもやシュウカさんに頬を引っ張られてつい涙目になってしまう。でもやっぱり、頬はジンジンと痛む。これは紛れもない現実なのだ。
「ふふっ、喜ぶのは早いわ。見習いとしてスカベンジャーに同行し、遺跡都市に赴く人だって沢山いる。でも、その中で一人前になれるのはほんの一握り。多くの人が道半ばで命を落とすのよ」
「……」
「でも大丈夫よ。貴女ならきっと……きっと成れるわ」
シュウカさんに引っ張られた頬を抑えながら、私は部屋を去って行くコルヴォさんの背中を見つめていた。彼のスーツの背には、あの紋章が描かれていたからだ。
決して折れない鋼の翼、穢れた空を舞う自由の象徴、スカベンジャーである証の『黒羽』。私は今、ようやく卵から孵った雛鳥だ。きっといつか、あのように堂々と黒羽を背中に携える日が来る──私は、そう信じたい。