クエスト
「一つ、でかい仕事が入った」
ある日の朝、ケンヤさんは俺達少年団員の前で、そんな風に話を切り出した。この日ケンヤさんの招集によって集まった少年団員は、およそ二十人程。アジト内にはとてもじゃないけど入りきらないので、俺達は青空の下に整列し、ケンヤさんの話に耳を傾けていた。すーっと風が流れて、俺達の服や髪の毛をさわさわと揺らす。するとふと、隣でランが不安そうな表情を向けたので、俺は大丈夫、と目線で返した。こうしてケンヤさんが何かの仕事を持って来るのはよくあることだし、しかもその仕事は国や自治体からの依頼であることが多いから、民間の依頼よりもはるかに報酬がいい。きっと今回も、俺達にとっていい話のはずだ。
「えー、ユーフォテルダの、西にある山。木が密集してて、途中から登れなくなってるのは知ってるな?」
ケンヤさんがそう言うと、何人もの少年団員がこくり、と頷きを返した。俺も頭の中に村の地図を思い描き、西側の山の風景を思い出す。あの山にはクエストで何度か行ったことがあるけれど、たしかに人が通れるような獣道が存在しているのは、山の中腹の辺りまでだった。
「ところが、最近調査の為にドローンを飛ばしてみたところ、上の方にはまた獣道がきちんと存在していて、山頂付近は開けた空間になっていることが判明したんだ。……と、いうわけで、山頂付近の生態系調査と、マッピングの仕事が来た。できるだけ大人数で行きたいから、何か特別な事情がない限り、長期受注中のクエストがあっても、こっちを優先してくれ」
ケンヤさんの言葉に、少年団員たちは顔を見合わせる。その顔に浮かんでいたのは、かなり報酬が良さそうな仕事が来たことへの喜びが主だった。ヒイロやナオキなんて、まるで今すぐにでも出発したいというかのように、目を爛々と輝かせている。
「……あれ、でも、その山頂まではどうやって行くんですか?」
「ジェットボートが使えることになったんで、それで川を上って行く。ギリギリ、獣道の始点の近くまでは上れるはずだ」
団員の質問にケンヤさんが返した言葉に、おお、と歓声のようなどよめきが上がった。今までも未開の地を探索するような仕事が何件か少年団に舞い込んだことはあったけれど、ジェットボートなんてものを使うのはこれが初めてだった。団員たちの興奮のボルテージは、最高潮に達していく。俺も久しぶりの遠出になりそうなこの仕事に、思わず体が疼いてしまうのを自覚した。
「と、いうことで、各自、スケジュール調整しといてくれ。参加できることがはっきりしたら、この名簿に名前書いておいてくれな」
「なんか、遠足みたいでワクワクするな!」
ブウウウウウン、というジェットエンジンの音にかき消されながらも、ナオキはわはは、と笑い声を上げた。ボートの縁に手を掛けるナオキの顔には風によって流れてきた水しぶきが襲いかかっているけれど、それすらも楽しい、といったような表情だ。
ケンヤさんが持ってきた、西の山の調査の仕事の当日、早朝。晴天に恵まれた空の下、アジトの部屋くらいの大きさは軽くありそうなジェットボートの上には、少年団員が十五人程乗り込んでいた。これは小学生を除くユーフォテルダ支部の少年団員勢揃いで、中学一年生のランが今日のメンバーの中では最年少だった。
ケンヤさんの操縦で山頂付近までボートで移動し、それから一日かけて周辺の調査をして、夕方には再びボートで村へと戻ってくる、というのが今日のスケジュールだ。しかし万が一のことを考えて非常用テントやサバイバルグッズも多数用意してきたため、ボートの上はバッグやリュックがひしめき合っていて、少年団員たちはその隙間になんとか体をねじ込んでいる。俺もいつの間にかボートの端に押しやられてしまっていて、ナオキと共に川の水しぶきを浴びる羽目になっていた。ここは景色がいいけれどいちいち顔を拭わないといけないのが面倒くさいので、俺はどこか他にスペースは空いていないか、とボートの上にきょろきょろと目を向ける。
「!」
するとふと、ボートの中央付近で、ヒイロとアスカさんと共に談笑しているランの姿が目に入った。残念ながら俺が入り込むスペースはなさそうだったけれど、そのランの顔に笑顔が浮かんでいるのを見て、ほっと胸を撫で下ろす。
実はランは、今回の仕事に参加するかどうかを、ぎりぎりまで迷っていたのだ。行ったことのない山奥の方へと行くということに、少し不安を感じてしまっていたらしい。だけどランはあれからも精進を続け、中型くらいのシャドウ化動物なら、一人でも落ち着いて倒せるようになっていた。それに調査には大人数で行くわけだから、そんなに心配しなくても大丈夫だ、というのが俺含め周りの見解だった。そんな言葉に背中を押され、参加を表明したランが無理をしていないかちょっと気になっていたけれど、あの表情を見るに今のところは大丈夫そうだ。ナオキじゃないけれど、遠足のようなスタンスで楽しんでもらえれば何よりだ。
エンジンをブウウウウン、と噴かせて、ボートはどんどんと川を上って行く。やがて川幅は狭くなり、ごつごつとした岩が目に入るようになってきた。ケンヤさんはスピードを落とし、右へ左へと岩を避けながらボートを進めるけれど、それにも限界が訪れる。
「悪いな、ボートはここまでだ。ここからは、歩いて行くぞ」
ケンヤさんはエンジンを止め、ボートを停めておく為のロープを手にすると、操縦席から俺達に声を掛けた。俺達少年団員は「うーっす!」と返事をすると、各々荷物を分担して持ち、ボートからごつごつとした岩場へと降りる。川の流れは上流付近とあって結構速かったけれど、岩場はかなり大きく水面から突き出していたので、足を取られて流されるという心配はなさそうだった。とはいっても平坦な道とは違いかなり歩きにくくなっているので、一番小さなランはケンヤさんが背負って連れて行ってくれることになった。身長百八十センチ以上はある大きなケンヤさんの背中に小柄なランがしがみつく光景は、兄弟というよりももはや親子のようだった。ぴょん、ぴょん、と岩の上をを飛ぶようにして駆けるランWITHケンヤさんに続き、俺もヒイロに手を貸しながら進んでいく。するとやがて木々が途切れ、まるで砂浜のようにぽっかりとした空間が見えてくる。その奥には人が横に五、六人は並んで通れそうな広さの獣道が見えたので、俺達は思わず「おお……っ」と声を上げてしまった。これがドローンで確認したという道なのだろうけれど、予想よりもはるかに広く綺麗で、人の手によって整備されたと言われても信じそうなくらいだった。もちろんそんなはずはないから、何か大型の動物がしょっちゅう通り道にしているとかなのだと思うけれど。
「うーし。全員揃ったか? それじゃあこれより、調査を本格的に開始する! くれぐれも、怪我のないようにな。何か変わったことがあったら、必ず仲間に知らせること。じゃあ、各々配置につけー」
「おーす!」
そしてその獣道の入り口前に一旦集合した俺達は、ケンヤさんの号令で一斉に縦長の列を作った。これは事前にあらかじめ決めておいた配列で、それぞれの役割によって並ぶ位置が決まっている。まず一番前は今回隊長を務めるケンヤさんで、その後ろに、『戦闘』担当のメンバーが続く。『戦闘』担当はシャドウ化動物が出現した際の駆除が主な仕事で、これほどの山奥であればかなり瘴気が濃く、動物も普段より凶暴化していると考えられたため、腕っぷしに自信のある年長者が多く配置されていた。そして次が、『撮影・採取』担当。周辺に現れる動物や植物の写真を撮影し、川の水や土、植物片などを採取する役割だ。その後ろが『マッピング』担当で、周辺の地図を書き起こすのが仕事。そして最後尾に再び戦闘担当を配置した隊列で、俺達はゆっくりと山の中へ進んでいく。
「えっと……あ、次は、この青い花のところはどうでしょうか」
「シュウ、百四十七歩」
「おっけー」
ランとヒイロの言葉を受け、俺はすらすらと、手元のメモ帳にペンを走らせる。俺達三人は何の担当なのかというと、マッピング担当であった。ランが目印を探し、ヒイロが歩数で大体の距離を測り、俺が方位磁針を見て方向を確かめつつ、メモ帳に書き記していく。そしてこれらの小さなメモを後から繋げ、一枚の大きな地図にするという仕組みだった。なんだか、江戸時代に初めて正確な日本地図を作った某偉人の気持ちを体験するかのような作業である。GPSが使えればそもそもこんな原始的なことはしなくていいのだけれど、実はこの世界の難点の一つとして、魔石の存在がGPSを狂わせてしまうというものがあった。なのでこうして地道にやっていくしかないのだが、幸い細かい分かれ道は少なく、そこまで複雑な地図にはならなさそうだった。だけど一応帰りのことを考えて、ランが定期的に木の枝に赤いリボンを結びつけていく。
「!」
するとそのとき、木々の間からチーターのようなフォルムの動物が二匹、ラン目掛けて飛び出してきた。二匹とも両目は真っ赤な血の色に染まっていて、シャドウ化しているのは明らかだった。ぐるるると喉を鳴らして牙をむき出しにする凶暴なその顔に、ランは咄嗟に身を竦ませる。
「よっ……」
しかしそこでランの目の前に、すっとナオキが躍り出た。ナオキは薄荷色に輝く剣でチーターもどきを薙ぎ払うと、すぐ後ろの木へと叩きつける。それでもチーターもどきはすぐさま体制を立て直し再び飛び掛かろうとしてきたけれど、バン、バンッ、という音と共に飛来した銃弾がそれを止めた。銀色の弾で何度も体を貫かれたチーターもどきはぐったりとし、最後にナオキの一閃を受け動かなくなる。もう一匹も同じように剣と銃とのコンボによって命を絶たれ、二匹は同時に離脱現象を起こし天へと還って行った。
「……ふぅー。大丈夫か、ラン? シャドウ化モンスターは、オレらにお任せだぜ?」
「は、はい……! ありがとうございます! すごいです! 二人の連携、お見事でした!」
かちゃり、と剣を鞘に収めるナオキと、少し離れた所で銃を腰のホルダーへとしまうアスカさんに、ランはぱあっと顔を輝かせてお礼の言葉を述べた。このナオキの剣とアスカさんの銃による連撃は、何度見てもスカッとする光景だ。近接武器と遠距離武器を持つ者が同時に動くのは、よほど息が合っていないとできない。
「……しかし、随分気性が荒い感じだね。ここらへんのは」
アスカさんはぼそりとそう呟くと、木の根元に転がっているチーターもどきの死体を見つめた。……たしかに、さっきの感じ、スピードも、そしてダメージを受けてからの立ち直りもかなり早かったように思う。瘴気が濃い分幾分かは予想していたとはいえ、戦闘担当のアスカさん達にとってはちょっと厄介そうだ。
「大丈夫だって、アスカ! いざとなったらオレが身を挺して守るからさあー」
「だってさ、ラン。よかったね。ナオキが餌になっている間にアタシらは逃げよう」
「え、えええ、ちょっと待って、いや、言葉通りではあるけど、なんか欲しかった反応と違うううう」
しれっと言い放つアスカさんに、ナオキはあわわわと手を伸ばす。ランはその二人の様子を見て少しあたふたしていたけれど、もちろんこれはいつものコントみたいなやり取りだから心配はいらない。むしろそんな冗談が言えるということは、それだけ状況が深刻でないということだった。たしかにシャドウ化動物の気性は荒めではあるけれど、今日はこの大人数だし、最悪戦闘担当が取りこぼしても他で十分にカバーできる。
「……あ、ヤバい、シュウ」
「……なんだよ、どした」
しかしそんなことを考えていたら、隣で急にヒイロが切羽詰まった声を上げたので、俺は驚いて目を向けた。ヒイロは眉間に皺を寄せ、うむむと何かを思案するような顔をしている。
「なんか今の出来事でさあ、何歩歩いたか忘れたんだけど」
「……お前」
俺はぴきり、と顔をひきつらせる。それじゃあ、さっきの目印に戻ってもう一回数え直しじゃねえか。
「あ、でも、多分八十歩くらいだと思うよ、うん」
ヒイロはそう言って、へらへらと笑う。別に多少の誤差があっても完成形はたいして変わらないんだろうけれど、どうせやるならやはりできる限り正確にやりたい。俺はヒイロをぎろりと睨むと、ランと、そして俺達のボディガードであるナオキとアスカさんを連れて、来た道を引き返すのだった。まったく、二度手間だよ!
まあそんな多少のトラブルはありつつも、調査活動は、比較的スムーズに進んでいった。そうして山の中を歩いていると思うことは、やっぱり自然っていいなあ、だった。自分の背丈よりも高い木々がずらりと屹立している様は見事だし、風に揺れてさわさわと音を立てる緑の葉や、その隙間から差し込む木漏れ日は芸術的に綺麗だ。すうっと息を吸い込むと、マイナスイオン全開と言った感じの爽やかな香りが鼻を抜ける。それにシャドウ化さえしていなければ、動物との出会いも楽しいものだ。日本にはいそうにない色鮮やかな羽根を持つ鳥や、口をぱんぱんに膨らませるリスなど、マッピング作業をしつつも、ついつい目を奪われてしまう。
そうして自分なりに楽しみを見つけながら、上へ上へと進み続け、登山開始からおよそ三時間半くらいが経っただろうか。ようやく俺達は、目的地である山頂の開けた空間へと辿り着いた。要所要所で休憩を挟みつつもわりとハイペースで登ってきたため、その瞬間どっ、と今まで意識しないようにしていた疲労感が襲ってくる。その小さな体でしっかりと俺達についてきたランなんて、本当に頑張り屋さんだ。
「うーし、みんなお疲れー。よかった、みんなの頑張りのおかげで、この感じだと予定通り夕方にはちゃんと帰れそうだ。で、あとはこの山頂を一通り調査するだけだが……みんな、疲れたろ? 大分早いが、一旦お昼にして休憩しよう。ブルーシート敷いて、弁当と飲み物準備だ!」
「おおおおーっ!」
そのケンヤさんの言葉に、団員達は大歓喜に沸いた。早朝に村を出てきたため、時刻はきっとまだ午前十時過ぎとかその辺りのはずだ。だけど俺達はもうすでに腹ペコマックスだったので、ケンヤさんの提案は嬉しい限りだった。団員達は一気に疲れが吹き飛んだ様子できびきびとばかでかいブルーシートを地面に敷くと、バッグから重箱や水筒をいくつも取り出す。
「おお……っ」
そして重箱の蓋をぱかりと開けて中を覗き込んだ俺達は、目に飛び込んできたおかずの群れに思わず感嘆の声を上げた。から揚げにハンバーグ、エビフライに肉団子に春巻といった、彩りよりも食べごたえ重視なおかずが一段目にずらりと並ぶ。そして二段目にはマカロニサラダやパスタ類、三段目には大きな俵型のおにぎりがぎゅうぎゅうと敷き詰められている。四段目には、りんごやキウイなどの瑞々しいデザートがお待ちかねだ。この四段重ねの重箱が全部で十個近くあるのだから、食べ盛りの俺達にとってはもう天国だ。
「ふふふ、みんな、目一杯食べるといいよ!」
そしてこの重箱を前にさっきからドヤ顔をしているのが、ヒイロだった。実はこれらのお弁当は全部、ヒイロの居候先である定食屋の老夫婦が作ってくれたものだった。なので当然、味はお墨付きである。絶対ヒイロは手伝ったりしていないから得意気にしている意味はまったく不明だけれど、そんなことを突っ込むよりもとにかく早く食べたい。俺達はヒイロを華麗にスルーすると、いただきますの挨拶を済ませた瞬間我先にと箸を伸ばした。
「うんめー!!」
どいつもこいつも口の中に食べ物を放り込むと、途端に恍惚そうな表情を浮かべる。初めは重箱が十個もあれば余ってしまうんじゃないかと心配したけれど、どれもこれもおいしくて、あっという間に空の箱が増えていく。労働の後の食事ほど、おいしいものはない。腹八分目なんて言葉も無視して、俺達は一心不乱に胃袋を満たし続けた。
「ふぅー……」
そうして昼食を済ませ大満足したところで、一時間ほどの食後の休憩タイムに入った。辺りを散策する者や、仲間とお喋りをする者、昼寝をする者など、その過ごし方は様々だ。俺も午後からの活動に向けて少し休んでおくか、と、ごろりと地面に横になって青空を見上げる。
「シュウ、来て! いいもの見つけた!」
「……あ?」
しかしそんな安息な時間を邪魔する者が、約一名。にゅっと顔を覗き込んできたヒイロが、起きろ起きろと俺の体を乱暴に揺さぶる。はじめは無視していたけれどどうにも治まる気配がなさそうだったので、俺はヤケクソ気味に体を起こした。ヒイロはそんな俺の腕を引っ張ると、ずんずんと山頂の空間の隅のほうにある、細い道へと入って行く。
「なんだ? 食べられそうな木の実でも見つけたのか?」
「え、シュウあんだけ食べといてまだ食べ足りないの? どっちかってーと、食後の運動って感じだよ」
俺のなんとなくのその予想を、ヒイロは否定する。運動って……こいつもタフだなあと、俺は呆れを通り越してもはや感心していた。しかし正確に何を見つけたのかは教えてもらえず、もやもやとしたまま少しの間歩き続ける。するとやがて木々が途切れ、ぽっかりと開いた空間が姿を現した。そしてそこにはすでに、見知った人物の存在があった。
「おー、シュウ。見ろよ、これ、すごくね!」
「……湖?」
くるり、とこちらに振り返ったツンツン頭、ナオキの向こうには、並々と水が溜まった丸い湖のようなものが見えた。大きさは学校の二十五メートルプールの半分といったところでそんなに大きくはないけれど、かなり水は透き通っていて、いざとなったら飲み水にも使えそうな感じだ。
「よーしそれじゃあ!」
「さっそく!」
「え?」
そうして湖に目を向けていると、ナオキとヒイロがそれぞれそんな掛け声みたいなものを発し出したので、その意図がわからず俺は首を傾げた。するとヒイロがシュッ、と胸元のリボンを解き始めたので、俺はパニックに陥りそうになった。慌てて顔を逸らすも、シュルシュルという衣擦れの音は止むことなく聞こえてくる。逃げ道を探すように視線を彷徨わせると、ナオキもジャケットを脱ぎ、中に着ていた真っ白なワイシャツのボタンに手を掛けているところだった。えええ、何こいつら、なんで脱ぎ始めてんの!
「はっはっは、こんなこともあろうかと、中に水着を着ておいたのさ!!」
「ね! さすが私達、先見の明ってやつだよね!!」
そう言ってグレーの海パン姿になったナオキは、バーン、と服を投げ捨てる。同時に後ろから肩をぎゅっと掴まれたのでちらりと目をやると、ヒイロもいつの間にか白いビキニ姿になっていた。肌の大部分を惜しげなく露出したヒイロのその姿に、俺の思考は一瞬フリーズする。な、なんか、普段服着てるとあんまわかんないけど、ちゃんと出るとこ出てて、なんていうか、体はちゃんと大人じゃん、とか思ってしまう。差し込む陽光を反射する真っ白な肌は、触れたら溶けてしまいそうなくらいに柔らかそうだ。
「ほら、シュウも脱ぎなよ! 一緒に泳ご!」
「え、い、いや俺は、水着ないから」
じろじろと見てしまっていたことがバレたのではとどきまぎしつつも、俺はなんとか変な間を空けることなく言葉を返す。くっそ、つーかなんなのこいつ。なんで裸とそう変わらない恰好してんのに、そんないつも通りでいられんの。なんだか、勝手に恥ずかしがっているこっちのほうが恥ずかしい。顔が赤くなっていないといいんだけど。
「えー、そんなのパン一でいいじゃん。男なんだから」
「嫌だよ。バカ同士ナオキと勝手に泳いでろ。俺もう行くから」
「えー、シュウー」
俺はこのままヒイロを見ていたら色々と醜態を晒してしまう気がして、ざっと足早に湖の傍から離れた。後ろからはヒイロが俺を呼ぶ声が聞こえたけれど、心頭滅却、やはり昼寝でもして心を落ち着けようと、再び先程昼食をとったブルーシートの付近を目指す。
「あれ、シュウ。どしたん? そっちになんか面白いもんでもあんの?」
するとその道中、少年団員の男子に声を掛けられた。俺が小さな道の入り口から現れたため、その先が気になったらしい。
「ああ、なんか湖が……」
と、そう正直に答える途中で、俺は口を噤む。
「……あったけど、まあなんか、大したことなかったよ」
「ふーん、そっかー」
その返事を聞くと、男子は興味を失ったらしく、ぱたぱたと仲間の元へと駆けて行った。
「……」
その背中を見つめていると、俺の中で少しばかり良心が痛んだ。大したことないなんて、嘘だった。俺は遠慮したけれど、きっとあの湖を見たら、パンツ一丁になって泳ぎたいと思う男子はたくさんいるだろう。
だけどなぜそんな嘘を吐いたのかというと、俺は他の団員達に、ヒイロの水着姿を見せたくなかったのだ。ヒイロは普段ああいうノリだけれど顔は普通に結構可愛いから、多感なお年頃である団員達はあの姿を見たらきっと色々と妄想を膨らませるに違いない。
「……」
俺はくるりと、来た道を引き返して湖へと向かった。また他の男子が近づかないよう、ブロックする役目を担おうと思ったのだ。
「あれ、シュウ! やっぱり泳ぎたくなった?」
俺が戻って来たことに気が付くと、ヒイロはぱあっと顔を輝かせた。その体は今は胸の下辺りまでが湖面に浸かっており、濡らさないようにか長い銀髪は頭の後ろでアップにされている。
「……いや、別に。ただ、こっちのほうがマイナスイオン出てるなって思って」
「えー何それ。シュウってほんと大自然好きだよねー」
ヒイロがけらけらと笑うと、その動きに合わせて胸元の丸い二つの膨らみがわずかに揺れた。濡れた水着は肌に張り付き、首筋には丸い水滴がキラキラと輝いていて、なんだかさっきよりもますます艶っぽく見える。俺は適当な木の根元に腰を下ろすと、できるだけそちら側を視界に入れないように心掛けた。すると必然的に、同じく湖で泳いでいるナオキの姿が飛び込んでくる。わははと大声ではしゃいでいるナオキはヒイロのことを微塵もやらしい目では見ていなさそうなので、なんだか自分が最低な奴のように思えてきて仕方がなかった。こいつは、きっとアスカさんにしか興味がないんだろう。一途で素晴らしいな。
それから俺は自分の煩悩への懺悔の気持ちも込めて、湖に人が近づく気配がする度に適当な理由を付けて追い返しに行った。そしてそれを何度か繰り返したところでピーッというホイッスルの音が聞こえてきたので、再び道の入り口を確認しに行く。すると向こう側に少年団員達がぞろぞろと集まり、ブルーシートを片付けたりしているのが見えた。休憩時間が終了したのだと悟った俺は、それを知らせるべく湖のヒイロ達の元へと戻る。
「おい、休憩終了したっぽいぞ。上がれ」
「えー、もう? もうちょっと泳ぎたかったな」
そんなことを言って唇を尖らせるヒイロに、俺は脱いだ服の傍らに置いてあったバスタオルを投げてやる。同じようにナオキにもバスタオルを渡し、早く着替えをするように促した。
「……あれ」
しかし体や髪をさっとタオルで拭ったナオキは、地面に脱ぎ捨ててあった自分の服をわさわさと漁りながら、そんな声を漏らす。
「どうした?」
「やっべ、パンツない……」
「おいおい、小動物にでも持ってかれたのか?」
俺は思わず、ぷっと吹き出す。自然豊かな山の中だから、そんなことも普通に起こり得るだろう。ナオキのパンツを盗んだところで、得する動物がいるのかは疑問だけど。
「いや、そうじゃなくて……オレ中に水着着て来たからさあ、パンツ持ってくんの忘れたっていう……」
「は? なんだそれ小学生かよ」
「あ、私もだ」
「!?」
そんなナオキとの会話に突如ヒイロの声が飛び込んできたので、俺はぎぎぎと顔を引きつらせつつ後ろを振り返った。ヒイロはバスタオルで髪の端を拭きながら、うーんと考え込むような表情を浮かべていた。
「どうしよ。さすがに下着の替えとかは、あの大荷物の中にないよね?」
「え、あ、どうっすかね……。泊まりじゃないわけだし……」
動揺のあまり口調がおかしくなってしまいつつも、俺はなんとかそう言葉を返す。ナオキのパンツがないのは激しくどうでもいいけれど、ヒイロの下着がないというのはかなり由々しき事態なのではないだろうか。
「まあしゃーねーよ。こっからはノーパンでいくしかねえや」
「そうなるよねー。あー、次からはちゃんと忘れないようにしないと」
「!?」
するとナオキとヒイロはそんな会話をしうんうんと頷き始めたので、俺はズシャアと数メートルは後ずさりたくなるほどの衝撃を受けた。何度も言うがナオキが何をどうしようが別にどうでもいいけれど、ヒイロの場合はそれはちょっと問題ありだろう。
「いや……この際濡れててもしょうがないからさ、水着の上に服着れば?」
「えー、嫌だよそんなの気持ち悪い。別に透けるような服でもないしさー、大丈夫でしょ」
しかし俺がせっかく恥ずかしさを堪え提案したというのに、その案はあっさりとヒイロに却下されてしまった。いや……たしかにヒイロのジャケットは割とガード力がありそうだけど、スカートとかはさ、普通に危なくない? 風とか!
「!」
しかしそこでヒイロがぐっと水着の肩紐に手を掛け始めたので、俺はもう何も言えなくなってしまった。慌てて後ろを向き、シュルシュルという衣擦れの音を必死に聞き流す。ああもう、つーか、下着くらいちゃんと忘れずに持ってこいよ、このバカ! 俺は顔を真っ赤にして、心の中でそう悪態を吐く。せめてこれから帰路に着くまで、突風が吹かないことを祈るばかりだった。
午後からのマッピング作業は、山頂の面積がそんなに大きくはなかったこともあり、それまでの道中よりもはるかに容易に終えることができた。そして今更ながらに気付いたのだけれど、山頂では昼食をとっていたときや休憩時間も含め、シャドウ化動物に遭遇することが一度もなかった。なので戦闘担当も暇そうにしていて、最後まで忙しく働いているのは、撮影・採取担当の面々だった。というわけでマッピングが終わり次第、俺達もそちらの手伝いへと回る。辺りの景色へと目を向け、保存すべき植物などを次々とチェックしていった。
「あ、なんかあの岩の上、登れそうだな」
そう言って顔を自分の背丈よりも大きな岩へと向けたのは、俺と一緒に撮影・採取班の手伝いをしていたナオキだった。見ると黒と灰色が入り混じったような色のごつごつした岩の傍らには、幹が太めのしっかりとした木が生えていた。たしかにあの木を伝えば、岩の上に登ることができるだろう。岩の上に珍しい植物が生えている可能性もあるから、確認できるならばしておいたほうがいい。
ナオキはひょい、と木の枝にぶらさがると、そのまま幹に足を掛けながら体を持ち上げた。その様子を、俺は地上から見守る。木の枝にお尻を載せたナオキは、そこからぴょん、と軽快な調子で岩の上に飛び移った。岩の高さは、おそらく三メートルくらいはあるだろう。何かあったか、と声を掛けようとしたそのとき、ぐらり、と自分の体が揺れるのを感じ、俺は慌てて足を踏ん張った。気付いたら揺れているのは、自分の足元の地面だった。地震か? と周囲に目を向けようとした瞬間、視界の端で何かが大きく膨れ上がる。
「!」
その光景に、俺は思わず顔を引きつらせた。いつの間にかナオキが登ったあの岩が、うねうねと動きながらその大きさをさっきの二倍ほどに変えていたのだ。岩じゃ、ない。その事実に、思わず足が竦みそうになる。するとその謎の物体の上のほうから、投げ出されるようにして何かが落ちてくるのが見えた。
「! ナオキ!」
その落下物の正体に気付いた俺は、慌てて声を張り上げる。五、六メートル程の高さから空中に投げ出されたナオキは、運良く途中で木の枝に手を引っ掛け、勢いを減速させてから地面に尻餅をついた。顔をしかめつつも、右手で大丈夫だ、とグーサインを作るナオキを見て、俺はひとまずほっと胸を撫で下ろす。そして再び、目の前で蠢く巨大な謎の生物へと目を向けた。
「……っ!!」
もはやその異形な生物は、俺とナオキだけでなく山頂にいる少年団員全員の注目を集めていた。そいつがうねうねと動くたびに、地面には振動が走る。初めは岩だと勘違いしていたそれには、今はもう頭、首、手、足といったような部分がはっきりと見られていた。ゆっくりと体を回転させ、こちらに顔を向けたそいつの目は、ぎらりと禍々しく赤色に光っていた。
「っ、全員、戦闘態勢に入れええええ!」
このバカでかいシャドウ化動物をなんとかするには総員でかからなければ無理だと瞬時に判断したケンヤさんが、大きな声で指示を飛ばす。目の前の生物は、怪獣という表現が一番しっくりくるような見た目だった。黒と灰色が入り混じった堅そうな皮膚に、手足の先に生えた鋭い爪、口元にずらりと並ぶ牙、鞭のようにしなる尻尾、そして何より五、六メートルはあるであろうその大きな体躯。団員達はつい怯んでしまいつつも、ケンヤさんの指示を受け各々武器を手にする。
「!」
怪獣のすぐ近くにいる俺も慌てて腰の剣を抜こうとするが、そのとき、遠くで顔を真っ青にしながらも背中から弓を引っ張り出そうとしているランの姿が目に入った。……ランはたしかに、前とは違って落ち着いてシャドウ化動物を倒せるようにはなってきている。だけどこいつの相手をさせるのは、今のランには酷すぎる。
「……っ」
俺は一旦怪獣から離れ、後方へと駆ける。そして足が竦んでしまっているランの手を引くと、山頂の中央付近に生えていた大樹の根元に空洞になっている部分を見つけ、そこに隠れているように指示した。そこは周囲よりも少し低く窪んでいたから、きっとシェルターのような役割を果たしてくれるだろう。そうしてとりあえずランの安全を確保すると、俺は遅ればせながら対怪獣との戦闘へと参加した。右手で鞘から黒い剣を引き抜き、左手で履いているブーツの側面のボタンをカチリと押した俺は、たたっと助走をつけて怪獣の体を駆け上がる。生身の俺ならこんな芸当は絶対にできないが、ブーツにかけられた魔法を発動させることで、一時的に身体能力を上げることができるのだ。そのまま怪獣の腹の辺りでぴょんと大きく踏み切った俺は、剣を持つ手を素早く振り抜いて喉元を掻っ切る。
「……」
しかし、トン、と地面に着地した俺には、まったく手応えが感じられなかった。ダメージを示すライトエフェクトは発生したけれどかなり薄いものだったし、怪獣の反応もほとんどない。きっと、皮膚が分厚く強固にできているのだろう。だったら、と、俺は再び剣を手に怪獣へと向かって駆ける。どんな生物でも、弱点は必ずある。不死身なんてありえない。経験則から言えば、粘膜を狙うのがいいはずだ。
「はっ……」
俺は怪獣の胸をドンッと蹴ると、ぐるるると唸り声を上げる顔へと迫り、その赤い瞳に向かって剣を振りかぶった。しかし直前でぎゅっと瞼を瞑られてしまい、直接眼球を抉ることはできずに終わる。しかも瞼も体の皮膚と同じく強固なようで、あまりダメージを与えられた様子はなかった。
ならば、次だ。今度は舌を狙い、怪獣の口の中に向けて剣を振るう。しかしがっちと牙でガードされ、攻撃は届かない。タンッ、と地面に降り立った俺は、再び考える。目も舌も、どうやら狙いにいっても防がれる可能性が高そうだ。それならと、俺は勢いよく跳躍し、怪獣の左胸へ剣をぎりぎりと突き立てた。他と変わらず皮膚は固いし、発生するライトエフェクトも薄い。だけどこの奥にはこいつの心臓があるはずで、少しずつダメージを蓄積させることで弱らせられるかもしれない。
俺達は目、舌、心臓というこの三つを狙い、次々と飛び掛かっては攻撃を繰り出していく。怪獣ももちろん黙ってやられてはおらず、大きな腕を振り回したり足で踏みつけようとしたり、尻尾を鞭のように叩きつけたりしてくるので、それを回避しながらの作業だった。
「みんな、合図したら下がれ! これを使う!」
と、そのとき、ケンヤさんが団員達に向かってそう叫んだ。見るとケンヤさんの手には、四角い粘土の塊のような物体、プラスチック爆弾が握られていた。本来は道を塞ぐ障害物などを破壊するために用意していたそれを、ここで使うことにするらしい。ケンヤさんはタイミングを見計らい、「下がれ!」と指示を飛ばす。そして団員達がすうっと怪獣から離れたところで、大きく腕を振りかぶって爆弾を投げつけた。それはちょうど怪獣の目の付近に吸い込まれていき、俺はやった、と心の中でぐっと拳を握り締めた。ドッグオォオォン、と爆発音が響き、辺りに黒い煙が上がる。しかし数秒後、その煙が晴れ俺達の目に飛び込んできたのは、衝撃的な光景だった。
「……な、無傷だと……?」
怪獣は瞑っていた瞼を、ぱちりと開く。その様子から大きなダメージを負った気配は、微塵も感じられなかった。そんな、爆弾に比べたら、俺達の武器なんてオモチャみたいなものだろ。爆弾でも無理だったものを、俺達で一体どう倒せっていうんだ。さーっと、自分の体から血の気が引いていくのがわかった。このまま攻撃を続ければ、ダメージが蓄積して、もしかしたら何とかなるかもしれない。だけどそこへと至る前に、俺達の体力が尽きるほうが早かったら?
「……」
以前、俺はランに聞かれたことがある。どうしてシュウは、シャドウ化した動物を前にしても、いつもそんなに落ち着いていられるんですか、と。そのとき、俺はこう答えた。撤退の道さえ確保しておけば、何も怖くないよ、と。
そう。撤退。倒せないというのなら、逃げるしか道はない。しかし俺の額を、じっとりとした嫌な汗が伝う。……果たして、逃げ切れるか? 俺の頭には山頂まで続いていた、あの獣道の光景が浮かんでいた。……今になって、やっとわかった。きっとあの道は、この怪獣が通ったことでできたものだ。つまり山頂から離れても、こいつは追いかけてくる。それを振り切ってなんとか下まで降りても、それから岩場を渡り、ボートに乗り込まなければならない。発進させるのにだって少しは時間がかかるだろうし、その間にあの大きな体でボートを踏みつぶされでもしたらもうアウトだ。
……半分。半分の人数がここで怪獣を引き留めておけば、もう半分の団員達は逃がせるだろうか。俺の思考は、そんな究極の選択へと傾いていく。まず女子を優先して逃がし、やはり年長者が残ることになるのだろうか。
「……っの、野郎おおっ!」
「!」
と、そのとき、俺の目の前をそんな雄叫びを上げながらナオキが駆けていった。ナオキはだだだっと勢いよく怪獣の体を登り、その赤い瞳へと向かって剣を突き立てる。先程と同様に分厚い瞼によってガードされてしまうけれど、地面に足が触れるやいなや、ナオキは再び飛び上がって怪獣へと食らいついた。
「……っ」
そんな一心不乱に怪獣へと立ち向かうナオキを見て、俺も改めて剣を握る手に力を込めた。……そうだ。誰かが犠牲になって何人かを逃がすという選択は、最後の最後、本当にどうしようもなくなったときの切り札だ。きっとそのときは、隊長であるケンヤさんが判断してくれるだろう。だからそれまでは、なんとか怪獣にダメージを蓄積させて倒し、全員で生き残る未来を模索しよう。
「うおおおおおっ!!」
俺はたっと地面を蹴り、怪獣の顔面へと飛び上がって分厚い瞼を剣で横に斬り払った。攻撃を終えた俺が重力に任せて自由落下し始めると続けざまに他の団員達が飛んできて、怪獣に休む間もなくダメージを与えていく。……シャドウ討伐には慣れている団員達だ。きっと今の状況がヤバいものだいうとは、十分にわかっているだろう。だからこそこんなにも必死に、攻撃を続けているのだ。諦めてしまったら、それは誰かの命を失う覚悟をすることと同義だから。
「うっ」
「! おい、大丈夫か!」
しかしどんなに気持ちは折れていなくても、やはり体力には限界がある。俺達は次第に、怪獣からの攻撃を回避しきれない場面が増えてきた。まるで大樹の幹ような太い足に蹴り飛ばされたり、振り回された腕にぶつかって地面に叩きつけられたり。俺も顔面へと向かって飛んだ際に、ひゅっと横切った鋭い爪に頬を切り裂かれた。じんじんと焼けるような痛みが右頬に走り、傷口からはじわりと真っ赤な血が滲む。
「う、わっ」
「!」
するとそのとき、怪獣の腕に弾かれたヒイロが、空中で体勢を崩した。三、四メートルの高さから頭を下にして落ちてくるヒイロの元へ、俺は全力で駆ける。なんとかぎりぎりのところで滑り込むと、腕を伸ばして必死にヒイロの体を受け止めた。
「っ……ありがと、シュウ」
「……」
俺はヒイロの両足をとん、と地面へ下ろしてやると、そのまま無言で怪獣の元へと走った。怪獣の様子は、さっきからほとんど変わらない。俺達がどんなに攻撃しても、弱る様子がないのだ。図体がデカい分体力もバケモノ級なのかよ、と、俺はぎりっと奥歯を噛み締める。なあ、頼むからそろそろへばってきてくれ。お前だって、本当はこんなことしたくないんだろ。シャドウから解放されて、楽になりたいだろ。
じゃきっ、と怪獣の瞼を剣で斬り払い、俺は地面へと自由落下する。着地には成功したものの、そのとき丁度奴の尻尾がぶるんと振り回され、弾き飛ばされた俺は少し離れた所にあった木の幹に勢いよく背中を打ち付けた。
「う……っ」
ドガン、とものすごい衝撃が背筋から脳天までを駆け抜け、俺は数秒の間動けなくなった。少しして別に骨が折れたりはしていなさそうだと確認した俺は、剣を杖のように地面に突き立て、体重を乗せてゆっくりと立ち上がる。
「シュウ!!」
「!」
すると遠くから、ランが俺を呼ぶ声が聞こえた。きっと今の俺の醜態を見て、心配になってしまったのだろう。大丈夫だ、と無理矢理笑顔を形作ると、俺はランのほうへと振り向く。
「……!」
しかし、眉尻を下げて今にも泣きそうな顔になっているランの姿は、そこにはなかった。あったのは凛とした強い眼差しで、俺を見つめるランの姿だ。その瞳は俺を心配している風でも、助けを求めている風でもない。そこに何らかのメッセージ性を感じた俺は、切羽詰まった状況なのに申し訳ないと思いつつも、怪獣に背を向けランの元へと走った。
「ラン、どうした。何かあったか」
「シュウ! あのっ、僕、一つ気付いたことがあって。僕ずっとここで見てて、ここ、他より少し低くなってるから、だから、わかったんですけど」
俺が大樹の根本を覗き込むと、ランは早口気味にそう言葉を述べた。予想通り、ランは俺に何か伝えたいことがあったようだ。俺はすっとその場に膝を突くと、ランに続きを話すよう目で促す。
「その。あの怪獣の、右足の裏なんですけど。そこだけ、色が違うんです。左足の裏は体と同じで黒っぽいんですけど、右足の裏は、丸く、赤みがかっていて……」
「足の、裏?」
想像もしていなかったその言葉に、俺は必死で記憶を辿る。怪獣の足元は、踏みつぶされる危険があるため意識的に留まることを避けていた場所だった。足の裏がどうなっているかなんて、見た記憶はない。
「そ、その。何の役にも立たない情報かもしれないんですけど、一応、伝えておこうと思って。シュウはいつも戦う時に、相手をよく見ろっておっしゃるので、僕、ずっと、見てたので」
ランは俺が黙り込んだのを見て、慌ててそう付け加えた。くだらないことでお呼びしてしまって、すみませんでした、といった風に。だけど俺は、この情報で怪獣との戦いに一筋の光が見えた気がした。片方の足の裏だけ色が違うというのは、やはり平常のことではないように思う。
「……ありがとう。ラン。そこに賭けてみよう」
俺はすっ、と立ち上がると、後ろを向き、今も尚暴れ狂っている大きな怪獣に目をやった。そして再びランのほうへと向き直ると、「行こう」と呟き、手を伸ばした。ランは一瞬驚いた顔をしたけれど、すぐにその小さな手のひらを、俺の手のひらに重ねてくれる。俺達はそうしてしっかりと手を繋ぐと、ボロボロの体で怪獣へと食らいついている仲間達の元へと走った。そのときざあっと駆け抜けた風は、俺達の流れを良い方に変えるものであってほしいと、心から願った。
「ランの話によれば、怪獣の右足の裏だけ、他と色が違っているらしい。もしかしたら、そこが弱点の可能性がある」
俺が簡潔に事実を述べると、隣ではランがこくこくと頷きを見せた。周囲にはずらりと団員達が集まっていて、真剣に俺の話に耳を傾けてくれている。
「たしかに、これだけ攻撃をしても一向に弱る気配を見せないのはおかしい。もしかしたら、その弱点部分と思われるところ以外は、無敵構造のようになっているのかもしれない」
ケンヤさんも顎に手を当てて、ふむふむと頷く。その間も、バンッ、バンッ、という銃声は、ひっきりなしに辺りに鳴り響いていた。こうして話し合っている間怪獣がこちらへと近づかないよう、主に遠距離武器を持つ団員達に足止めをお願いしたのだ。もちろん長くは保たないだろうから、手短に話を済ませる必要があった。
「足の裏か……。じゃあ、オレがそこに潜り込んで……」
「早まるなバカナオキ! 踏みつぶされたら終わりだろうが!」
そんな焦りからか、俺はついナオキに対し大きな声を上げてしまう。ナオキは俺の剣幕に圧され表情を少し硬くすると、「あ、ああ、そうだな……」とぼそぼそと呟いた。そんな風にピリついた空気を察し、ケンヤさんがポン、とナオキの肩に手を乗せる。そして「何か作戦があるんだろ?」とこちらに目を向けたので、俺も幾分か冷静さを取り戻し、こくり、と頷いた。このわずかな時間に急ピッチで組み立てた作戦を、団員のみんなに伝える。
「……なるほど。わかった、それで行こう」
「となると予備の弾倉も、全部出した方がいいな」
俺の説明を聞くと、団員達は自分のポジションや用意すべきものを手早く確認していく。途中で足止め役の団員達とも交代し、全員に作戦の内容を行き渡らせた。その中の誰一人として、やりたくない、とか、もしも作戦が失敗したら、と言う者はいなかった。最年少のランまで、覚悟を決めた瞳で参加を表明する。きっとみんな、考えたくないのだ。失敗したら、そのときは最悪の選択を選ばざるを得ないかもしれないということを。だから持てる力をすべて出し切って、この可能性に賭けるしかない。絶対に、どうにかしてみせる。俺達はもう一瞬だけ目を合わせてこくり、と頷くと、それぞれ、自分のポジションについた。
「3、2、1。囮部隊、出動!」
ケンヤさんが号令を掛けると、まず剣を持った団員二人が怪獣の元へと飛び出して行く。その間怪獣の足止めをしていた遠距離攻撃班は一旦手を止め、次の役目に備え後方へとついた。怪獣は相変わらず勢いを落とさず、時折唸り声や咆哮を上げながら俺達を威圧するように暴れ狂っている。飛び出した団員は怪獣をその場に縫い付けるように意識して、左右それぞれから攻撃を繰り出した。その他の団員達は怪獣から七、八メートル離れたところで地面に俯せに寝転がり、弓や銃などの遠距離武器を構え待機しながら、その様子を注意深く見守る。そして二人が攻撃を終え、スッ、と後退し始めた瞬間、再びケンヤさんが号令を掛けた。
「今だ! 総員、総攻撃!!」
「オス!!!」
それを合図に、俺達は手元の銃や弓を一斉にぶっ放す。バババババと耳をつんざくような音が嵐のように降り注ぎ思わず顔をしかめるけれど、なんとか手元をおろそかにせずそのまま遠距離攻撃を続ける。俺達全員が狙っているのは、怪獣の右足だ。弱点だと思われるのは右足の裏の変色している部分なので、こうして直立している怪獣の右足の表面を狙ってもダメージはほとんど与えられないのはわかっていた。だけどこんな風に右足だけを集中攻撃されたら、きっと煩わしくなって、回避のためにも怪獣は右足を上げるのではないか。そのただ一点に願いを託しての、総攻撃だった。
「!」
それは攻撃開始からの時間にして三、四秒、きっと合計で百発程の遠距離攻撃が怪獣の右足に浴びせられたときだったと思う。あのバカでかい怪獣が、ずい、と、体の左側に重心を移し、その大樹の幹のように太い右足をスッ、と少し上げたのだ。俺は必死に目を凝らすけれど、怪獣との間に距離があることや、陰になっていることもあり、足の裏の変色はよく確認できない。
「頼む、何とかなってくれ……!」
だけど俺達はランの言葉を信じ、構えていた武器を地面スレスレのところまで下げると、怪獣の右足の裏を貫くような射角で再び一斉に遠距離攻撃を繰り出した。残念ながらこんな攻撃の仕方はそうそうしたことがないので、いくつもの銃弾や矢はそこへ到達する前に地面へぶつかり、跳ね返って狙いとはズレたところへ飛んでいく。だけどいくつかは、きちんと怪獣の右足の裏面を貫いた。
「グアッ……!?」
その瞬間、怪獣の様子が今までとは明らかに変わった。怪獣はその巨大な体躯をびくりと跳ねさせ、顔を俯けて真っ赤な目を自分の足元へと向ける。慌てて右足を下ろそうとしているようだけったれど、俺達の攻撃は止まない。ビシッ、ビシッ、と足に攻撃が届くたび、怪獣はグルルルと唸り声を上げて体をぐらぐらと揺らす。さっまでとは比べものにならない濃い赤紫色のライトエフェクトが飛び散り、やがて片足立ちのままバランスを取れなくなった怪獣は、ドオオオオォン……! というものすごい衝撃で地面へと背中から倒れ込んだ。途端に辺り一面に砂煙が舞い、まるで地震のような揺れが俺達を襲う。数秒ののちに揺れが治まり、土煙が晴れて視界が有効になったところで、俺は慌てて怪獣の様子を確認した。怪獣は未だ、地面に仰向けに倒れ込んだままだ。だけど、離脱現象はまだ確認できていない。まだ、生きている。
「あの状態になったら、そうすぐには起き上がれない! 全員、近接武器に持ち替えろ!」
「!」
そして再び遠距離攻撃を試みようとしていた団員達に、ケンヤさんが叫ぶ。俺達ははっとして手にしている銃やら弓やらを各々ホルダーに収めると、地面に手を突いて体を起こし、今度は走りざまに剣やら槍やらを引き抜いた。たたっと倒れたままの怪獣へと向かい駆けている間に、右足の裏の変色部分がはっきりと見えた。ランの言う通り、赤黒い丸いシミのようなものが、今や完全にこちらに向いている。
「ヤアーッ!!!」
俺達はもう一心不乱に、その変色部分へと剣や槍の刃を突き立てた。その度に怪獣の右足はびくり、と痙攣するように脈打ち、濃い赤紫色のライトエフェクトが咲き乱れる。ランもその小さな手に小型のナイフを握り締め「ハアーッ!」と雄叫びを上げながら、体重を乗せた刺突攻撃を勇敢に繰り返した。
「!!!」
すると突如真っ赤な閃光が目を焼き、俺達は反射的に瞼を閉じた。それがシャドウの離脱現象だったと理解できたのは、強烈な光が治まり、地面に横たわる怪獣の体がぴくりとも動かなくなっているのを目にしたときだった。目の前の大きな黒い塊は、すーっと風に体を撫でられても、微動だにしない。
「……やった、よな?」
「……ああ。倒れたまま、もう動かない、ぜ?」
団員達はハア、ハア、と息を切らし肩を上下させながら、ぽつり、ぽつりと呟く。怪獣が絶命しているのを目の当たりにしても、気力と体力を使い果たしてしまった俺達は、しばらくの間呆然としていた。だけどやがて理解が追いついた瞬間、喜びや達成感の波が一気に爆発する。
「う、うおおおおお、ヤッベえええ! オレ達、すげー大物倒したあああああ!!!」
「マジでやべえよおお! これマジで死ぬと思ったもん俺正直いいい!!!」
「つーか、おい! お前のファインプレーじゃねえかあ! 金髪のチビいいい!!」
「チビのくせにでかしたぞお前!! 今日のMVPじゃねえかああああ!」
団員達はうおおおお!!! と叫び声を上げ、その場で飛んだり跳ねたりして目一杯喜びを表現する。やがてその興奮は今回怪獣の弱点を発見したランへと一点集中し、ランはぐるりと大勢の団員達に取り囲まれた。
「い、いいえ、僕は何も、みなさんの協力のおかげですうあぁああぁああぁあ!!!」
ランのそんな謙虚な台詞の後半は、自身の悲鳴によってかき消された。ランの小さな体は団員達によって軽々しく持ち上げられ、いつの間にか胴上げ大会が始まったのだ。ぽーん、と空中へと投げ出されるランの表情は恐怖に満ちていたけれど、まあこれもいい経験だろうと俺はふっと微笑みを浮かべ放置する。それに団員達の言う通り、今日のMVPはランに間違いなかった。ランのあの情報がなければ、全員こうして無事に生存できたかわからない。そんなことを思うとふっと安堵の涙が滲みそうになって、俺は慌てて頭を振った。
「……きっと、こいつの心臓はここにあったんだな。だからここを叩けば、あんなにあっさりと倒れたわけだ」
「心臓、ですか」
するとそんな喧騒から離れ、怪獣の死体の足元でケンヤさんがしゃがみ込んだので、俺もそちらへと近づいて行った。俺達が一心不乱に攻撃を叩き込んだ右足の変色部分には魔法の効果によって傷一つついていなかったけれど、たしかにその赤色は、すぐ下にある臓器の色が透けていると考えると納得がいくような気がした。そして一気にダメージをを与えられる臓器となると、ケンヤさんの言う通り心臓である可能性が高い。
「……ところで、これ、どうするんですか?」
そのとき俺はふとこの怪獣の死体の後始末について疑問に思い、ケンヤさんにそう尋ねた。今までの仕事のルールに沿うならこの山に生息していた動物として写真に記録すべきだけれど、果たしてそれだけでいいのだろうか。なんかこれに関しては正直規格外というか、他の動物と同列に扱っていいものではないような気がする。
「うーん、さすがにこんなバカでかいもんは勝手にキューで転送するわけにもいかないし、とりあえず、村に戻ってからかな……」
ケンヤさんは、そう言って苦笑いを浮かべる。俺達は大物を倒したことにすっかり有頂天になってしまっているけれど、ケンヤさんはきっと今後、こいつの後始末で忙しく動き回ることになるのだろう。……心中お察しします。
「よーし。何はともあれ、みんな、本当によくやった! 喜ぶ気持ちもわかるが、まずは、治療だ。怪我人続出じゃねえか。救急箱用意しろー」
ケンヤさんはひとまず今後の諸々の収拾については考えないようにしたようで、スッと立ち上がる。見ればどいつもこいつも顔や服が汚れていて、赤い傷も至る所にできていた。俺達は大きな荷物から救急箱を引っ張り出すと、互いに消毒やらガーゼや包帯を巻いたりと傷の手当てに取り掛かる。キューの備蓄が許す限りではあったけれど、治癒魔法も併用した。幸い怪我の内容はどいつも擦り傷切り傷や打ち身といった具合で、骨折などの大怪我をした団員はいなかった。俺も背中の打ち身は治癒魔法をかけてもらい、頬の切り傷にはヒイロにぺたりとガーゼを貼ってもらった。
そしてそれから三十分程かけて、中途半端になっていた山頂の撮影と採取に全団員で取り組み、ようやく長かった調査活動はすべて終了した。そして「もうひと頑張りだ、家に帰るまでが遠足だぞー。まあ、遠足じゃないけどな!」なんていうケンヤさんの励ましの言葉を聞きながら、俺達は疲労の溜まった体でなんとかぞろぞろと山を下りた。無事に川岸に停めてあったボートへと辿り着いた頃には、もう空はすっかりオレンジ色に染まっていた。色々あったけれどなんとか当初の予定通りに事が進んだことにほっとしつつ、ボートに乗り込んだ俺達は、みんなそのまま倒れるように眠りについた。そうして少しとはいえ眠ったことが功を奏してか、村に着いたと知らせるケンヤさんの声で目が覚めたときには、体の疲労がいくぶんか和らいでいるのを感じた。そしてそんな感じで再び活力を取り戻した団員達が、そのままおとなしく家に帰るわけがない。上への報告があると言って足早に去ってしまったケンヤさんを除いた俺達少年団員は、夕食兼打ち上げパーティという名目で、お昼のお弁当でも散々お世話になったばかりの、ヒイロの下宿先である定食屋へと突撃したのだった。
「イエェェェェーイ!!!」
「俺達ぃー、少年団の勇姿にぃいい、乾杯あああーいっ!!」
うおおおお、とハイテンションな雄叫びと共にガツン、ガツン、といくつものグラスが打ち鳴らされ、誰からかひゅう、と口笛が上がる。目の前の木製の長テーブルにはお昼のお弁当よりもますます山盛りになったごちそうが並べられていて、団員達は遠慮なんてものを知らずに次々に手を伸ばしていった。
「みんな、たくさん食べてよー! まだまだ、じゃんじゃん作るからねー!」
そんながやがやと騒々しい俺達にも嫌な顔一つせず、カウンターの中ではバンダナにエプロン姿の中年女性が、中華鍋からお皿にできたてのエビチリを移していた。このちょっとふっくらとした体型で、快活な笑顔が魅力的なこの方は、定食屋のおばさん、ミトさん。ミトさんが俺達の取り囲むテーブルに、はいよ! とお皿を運んでくると、団員達はまたフウゥゥーッ! と沸き立った。
「しっかしすげぇよな、自分たちの何倍もある大きさの怪獣をぶっ倒したなんてよ! あー、怪獣の肉ってどんな味すんだろ。料理人として興味あるね。それに、他にも見たことない動物やら植物やらも生息してたんだろ? 今度クエスト依頼出すからさあ、食材調達よろしく頼むよ!」
そう言ってひょっこりと店内の奥まったところにあるキッチンから顔を出したのは、この店のシェフである、ヴィランさんだ。ヴィランさんはミトさんの夫で、年齢はおそらく五十代前半くらい。長い黒髪を後ろで一つにくくっていて、なんとなくダンディというか、おしゃれな雰囲気がする人だ。ヴィランさんは俺達の今日の武勇伝を聞くや否や、店を急遽貸切にして、大量の料理作りに取り掛かってくれたのだった。そんなヴィランさんに団員達は、「怪獣の肉は、ヴィランさんにあげますよーっ!」なんて、調子のいいことを口走っている。たしかに怪獣を倒したのは俺達少年団だけど、そもそも今回のクエストの依頼主は国だ。あんなにバカでかい動物はこの世界でもやっぱり珍しいので、きっと死体は研究機関とかに回されて、こっちに所有権がくることはない気がする。
「ヒュウゥゥゥーッ! やべえ、エビチリもめちゃくちゃうめえぞ! 悪いが一皿全部かっこませてもらう!」
「おいバカあああ、それじゃあこっちは、から揚げタワーを全部いただくうう!」
「何だとお、なら空になった皿を舐める権利は俺のものだヒャッハァーッ!」
団員の一人がそんな突拍子もないことを言い出すと、まるでドミノ倒しのようにそのテンションが他の団員達にも伝染していく。そんな風にどんちゃん騒ぎをする団員達にはっはっはと笑顔を向けてから、ヴィランさんは再びキッチンへと引っ込んでいった。たしかにこの感じだと、まだまだ調理の必要がありそうだ。本当にお手数掛けます。
だけど団員達のテンションが総じて妙に高いのには、昼間に怪獣を倒した興奮が冷めやらぬということの他にも、もう一つ原因があった。それは、お酒だ。少年団員達は当然みんな未成年なのだけれど、この国では十五歳からお酒を飲んで良いことになっている。そのため普通にテーブルには酒が並び、好奇心旺盛な俺達子供は当然手を出した。
「やあああーい! もっと酒持ってこおぉおーい!!!」
「もはや、オレらが酒の元へおもむくべきでは? むむむ? 酒の生息地はどこだ? 地図がないぞおおおお」
その結果が、これである。俺やアスカさんは試しにといった感じで一杯飲んだくらいでやめていたのだけれど、他の団員達はバカスカ浴びるように飲んで、見事に酔っ払い集団が完成したのだった。さっきから目の前ではナオキとヒイロが、「オレが、さいきょうだ!」「いいや、私が、さいきょうだ!」とかいう訳のわからない応酬を真っ赤な顔で繰り返している。最初はいちいち突っ込んでいたアスカさんも、もう面倒くさくなったみたいで今は完全に放置していた。
「ん……」
もぞり、と俺のすぐ隣でテーブルに突っ伏した金色の頭が、わずかに揺れる。今日の主役であるランも当然の如く団員達に酒を飲め飲めと勧められ、今はすーすーと寝息を立てていた。一応俺も気を付けて見ていたからそこまで量を飲まされてはいないはずだけれど、多分元々酒に弱い体質だったということなのだろう。
「……」
俺はちらりと、店内の壁に掛けられた時計に目をやった。現在時刻は、午後九時を回ったところ。この店に来てからは二時間程が経とうとしていて、もうごちそうは十分すぎるくらいに腹の中へと収めた。他の団員達ももう飲み食いしているとうよりもただバカ騒ぎしているというだけなので、ここらでお開きにしてもよさそうだ。……とはいっても、酔っ払い相手にお開きなんて言葉がまともに通じるわけがない。俺はよいしょ、と寝ているランを背負うと、カラン、と入り口のベルを鳴らしてドアを開け、すっかり真っ暗になってしまっている屋外へと出た。少し肌寒さを感じる空気の中をたっ、たっ、と駆け、ランの下宿先であるサリーさんのブティックを目指す。十五分程で辿り着き、無事にサリーさんにランを引き渡すと、俺は再び定食屋へと戻った。
「……げ」
そしてカラン、とドアを開けた俺は、思わずそう声を漏らした。ランを送り届けに出て行ったときとは違い、店内は静まり返っていた。だけどそれはみんな帰ったからではなく、どいつもこいつもテーブルに突っ伏したり床に倒れ込んだりして、眠りこけているのだ。俺は酔い潰れていない団員も何人かいたはずだときょろきょろと辺りを見回すけれど、どこにも姿は見当たらない。さっきの俺のように誰かを家に送り届けている最中か、もしくはそれが面倒だからと足早に帰ったのだろう。そういえば、アスカさんの姿もない。……せめてナオキぐらいは引きずっていってくれよ、と、壁に背中をもたれかけさせてぐーすかと寝息を立てるツンツン頭の男を見て、俺は、はあー、と溜め息を吐く。店内に残っている団員達は、どうやら俺が運ばなければならないらしい。キューでの転送魔法は生きている物に対しては使えないから、純粋に、人力で。
「……あれ、シュウ。戻って来たんか? 帰ったかと思った」
すると入り口のドアの前で立ち尽くす俺に、ヴィランさんが声を掛けてくれた。カウンターの中のヴィランさんは今は俺達のバカ騒ぎの後片付けに追われているようで、きゅっ、きゅっ、と手元で白いクロスを動かし丸いお皿を拭いていた。
「あ……、はい。なんか、やっぱちょっと店の様子が心配で」
「はっはっは。子供は元気だからなー。嬉しいことがあったらそりゃこうなるもんよ」
ヴィランさんは笑い声を上げると、酔い潰れて転がっている団員達に目を向けた。
「こいつらは、このまま雑魚寝でいいかなと思って。朝になったらまた飯食わせて、少年団に向かわせるよ」
「え……、でも、それは迷惑じゃないですか?」
俺は慌てて、両手を体の前でゆらゆらと揺らす。お昼のお弁当から始まり、この夜のどんちゃん騒ぎとこれでもかというくらい迷惑を掛けてしまっているのに、その上酔っ払いの面倒までヴィランさん夫婦に頼むのは忍びなかった。
「なーに、いいんだよ。こういうのは職業柄慣れてるしな。いい歳した大人だって、しょっちゅう俺の店で朝までいびきかいてるよ。そういうときのために、毛布もいくつか用意してあるし。まあ、床は固いかもだけど、酔っ払いにはおそらくあんま関係ないわなぁ」
ヴィランさんはそう言うと、再びわはははと笑い声を上げた。それを聞いた俺はちらりと団員達を見て、それならお言葉に甘えてお任せしようかな、という気持ちになる。こいつら全員を運び出そうものなら当然ヴィランさんも手伝おうとするだろうし、それよりは朝までおとなしく寝ていてもらったほうが労力が少なくて済むだろうという気がしたからだ。
「……あ」
しかしそのとき、ぐーすかいびきをかいている団員達の奥に、テーブルに銀色の頭を突っ伏して寝ている少女の姿が見えて、俺は思わず声を上げた。酔い潰れてしまった女の子達はおそらく他の団員達が家に送り届けてくれたようで、この場にいるのは野郎ばかりだった。だけどただ一人、ヒイロは下宿先がここであるということで、そのまま残されていたのだ。
「……ヒイロだけ、上に運んでおきますか?」
俺はせめて少しでも何か手助けができれば、と、ヴィランさんにそう提案する。ヴィランさんは綺麗に拭いたお皿をかちゃりと何枚も積み上げながら、「お、そうだな。頼んでいいか?」と言葉を返したので、俺はこくりと頷いて、そこらに転がっている団員達を避けながら店内の奥へとずんずん進んでいった。
「おい……ヒイロ。寝るのはいいが、ちゃんと部屋で寝ろ」
そしてテーブルに突っ伏しているヒイロの元へと到達すると、俺はゆさゆさと一応その肩を強めに揺すってみた。起きて歩いて部屋へと行ってくれるなら、それが一番楽だからだ。だけど、ヒイロは完全に無反応だった。どうやら熟睡しているようで、背中が呼吸で軽く上下している以外は、ぴたりと動きを停止させている。俺ははあーっと溜め息を吐くと、ヒイロの両腕を掴んでその場にしゃがみ込み、体を下へと潜り込ませた。そしてヒイロを背中に乗せた状態で立ち上がると、がっちりとその太ももを腕でホールドする。途端にずっしりとした重みと、なんだかわからない柔らかさが全身を襲い、俺はちょっとどきまぎした。ランも顔は女の子みたいだけれど、体の作りはやっぱり本物の女の子とは全然違う。
「……」
俺はできるだけ頭の中を無にするように心がけながら、一旦片手を離して店内の奥にある木製の扉をキイ、と開けた。その先はすぐに階段になっていて、二階の一番手前の部屋がヒイロの自室だった。何度も遊びに来たことがあるのでもうすっかり上り慣れている階段を、タン、タン、と一段一段上って行く。しかしいつもと違うのは、背中にヒイロを背負っているということだった。体を動かすたびにむぎゅ、とヒイロがまた密着し、俺の思考はつい乱れる。酒臭い匂いもするけど、その奥になんだかわからないような甘い香りもするし。
「!」
するとそこで、衝撃のある事実を思い起こし、俺はあやうくヒイロを取り落としそうになってしまった。慌てて両腕に力を込めて支え直すも、心臓はバクバクと加速し、顔は火が出そうなくらいに熱くなった。こ、こいつ、たしか今、ノーブラノーパンなんじゃなかったっけ? 俺の頭には、湖で遊んだ後下着を忘れたと言っていたヒイロの姿が浮かんでいた。定食屋に来てからも一旦部屋に戻って着替えたみたいな様子はなかったし、そうなるとこの、俺の体に押し付けられているこの感触は……。
俺はギッ、と目を剥くと、ダンダンダン! と一気に残りの階段を駆け上がった。そして乱暴にヒイロの自室のドアを開けると、部屋の端にある木製のベッドの上にバンッ、とヒイロを叩き落とす。その勢いで短いスカートが翻る前にぎんっ、と毛布を素早く掛けると、後は早急に立ち去るべくくるりと体を翻した。
「……!」
しかしそんな俺の背中で、くいっ、と何かが引っ掛かった。おそるおそる振り向くと、ベッドに横たわるヒイロの腕がいつの間にか持ち上げられ、俺のコートの裾を掴んでいた。
「シュウ……」
そしてぼそり、と声を漏らしたヒイロを見て、やべえ、あまりにも雑に扱いすぎて起こしちまった、と、俺の顔は引きつる。だけどその瞼は閉じられたままで、少し待っても何の言葉も続いてこなかったので、どうやら寝言だったようだ。はーっと胸を撫で下ろすも、寝言で自分の名前を呼ばれるなんて、なんだか少し気恥ずかしい。俺はまだコートの裾を握ったままのヒイロの手を外そうとその手首を掴むが、そのとき、ちゃり、と何かが音を立てて揺れた。見るとそれはヒイロの右手首に嵌められた、青い石のついたブレスレットだった。……こいつ、俺がこの前宝石の処理に困ってあげたこれを、律儀にちゃんとつけてくれてんだよな。
俺は思わずふっと笑みを浮かべると、今度はさっきとは違い優しく、ヒイロの手を毛布の中に戻してやった。夜の闇に覆われた真っ暗な室内には、カーテンの隙間から一筋の白い月の光だけが差し込んでいる。
俺は「おやすみ」と小さく呟くと、ヒイロの部屋のドアをぱたん、と閉めた。
そして一人でトン、トン、と階段を降りていると、なぜだか急に寂しさが心に迫って来るから、不思議だった。