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フェス

「開拓民が来てくれてから、この村も賑やかになったなあ」というのが、ユーフォテルダの地元民であるロストが口々に言う言葉だった。エルクロスト国内での開拓民の受け入れ先は、主に市町村単位での立候補によって決まったそうだ。ユーフォテルダは田舎の小さな村で、大自然に囲まれた素敵な場所だけれど、若い人達はどんどん都市部に流出してしまって、日本でいうところの過疎地域というやつだった。そこでユーフォテルダは将来的な村の存続のことなどを考え、開拓民の受け入れに手を上げたのだ。結果的にこの小さな村には四十人近い開拓民がやって来て、家や建物も新しく何軒か建った。嘘か真かはわからないけど、村人たちも新しい風に刺激を受け、前よりもアクティブになったという。

 そんな感じで今ノリにノっているこのユーフォテルダで、ある一大イベントが開かれることになった。名付けて、『ユーフォテルダ・フェスティバル』。豊かな自然に囲まれたユーフォテルダは魔石や鉱石、木材などの資源が豊富なため、それを利用したものづくりも盛んだ。そこでフェスティバルを開催して、近隣の町や都市から人を呼び、盛大にに売りさばこう、という企画だ。実は前々からそういう構想はあったらしいのだが、人手の面などの問題があって中々実現できなかったそうだ。開拓民がやって来てその問題がクリアになったことで、満を持して開催の運びとなったのだった。これを機会にユーフォテルダという村を知ってもらい、特産物のアピールや、移住者の獲得へと繋げるのが狙いだそうだ。

 このフェスに向けて、俺の下宿先のカイルさんとシルバさんも、いつにも増して仕事に追われていた。フェスはそれぞれの店が臨時店舗としてテントを出し、村の一つの通りに集約する形で行われることになっていたので、一週間前くらい前からはそれらの設営などに村中が大忙しだった。俺達少年団員も、飾り付けだったり雑用だったりと、簡単なことではあるけれどお手伝いをした。村人たちには日頃とてもお世話になっているから、このイベントで少しでも恩返しができれば、と思った。



 そしてやって来た、フェスの日。幸運にも晴天に恵まれ、近隣の町や都市から、大勢の人がユーフォテルダへとやって来た。テントが連なるフェス会場の通りには子供からお年寄りまでたくさんの人が集まり、臨時駐車場として開放された空き地には普段村内ではあまり見かけることのない車やバスやトラックがぎゅうぎゅうに並んでいた。久しぶりに見た人ごみに、俺の頭には故郷日本のことが過ぎった。まあ、東京はこんなの人ごみなんて言えないくらいに、もっと人、人、人、人ー! って感じだけれど。

「シュウ、悪い、梱包頼む!」

「はい!」

 本部テント近くのスピーカーから流れる陽気な音楽が響き渡る中、カイルさんが俺を呼ぶ。俺はたたっとレジカウンターへと走ると、段ボールの中から白い梱包材を抜き取って、カウンター上に置かれた銀食器を丁寧に包み始めた。当日、俺はもちろん下宿先である鍛冶屋の手伝いに駆り出されていた。服装もいつもの黒いコート姿ではなく、ワイシャツにコーデュロイパンツという動きやすい恰好に身を包んでいる。ただ、その腰に愛用の黒い剣を提げているのは、これがシルバさん御手製のものだったからだ。「自分が愛用してる剣も、ここの商品なんですよ。切れ味抜群で、すごく使い勝手がいいですよー、ははは」なんて会話をお客さんとすれば、少しでも商品のアピールに繋がるのではと思ったのだ。

 しかしどうやら、そんな呑気な会話をする機会は訪れそうになかった。食べ物系の店ではないからそんなに混むことはないだろうという予想は甘く、次から次へと怒涛の勢いで客が押し寄せてくる。シルバさんのお店の商品は普段も都市部のほうに少し出荷しているのだけれど、当然ながら間に卸売店や小売店を挟むため、本来の値段よりも高くなってしまう。なのでこうして直接買える機会に、まとめてたくさん買っておこうという客が多いようだった。シルバさんの作る商品は、品質が良いと有名なのだ。俺がぎこちない営業スマイルで商品アピールをする必要なんて、そもそもなかったのだ。

 俺は専門的なことはよくわからないので、手伝えることといえば梱包だったり在庫確認だったり、あとは会計や今日限定で使えるスタンプカードにスタンプを押すことくらいだった。そんな雑用係の俺でも次から次へと仕事が押し寄せてきて大変だったから、お客さんの相手をしているカイルさんやシルバさんなんて本当に目が回るような忙しさだっただろう。ようやくそんなお客さんの波が落ち着いたのは、お昼時になってからだった。きっと今頃は、食べ物系の店が昼食を求める人でごった返しているのだろう。

「シュウ、ありがとな、おつかれ。昼飯行ってきていいぞ」

 ふう、と一息吐いて首筋の汗をタオルで拭いながら、カイルさんが言う。いつも明るいカイルさんだけれど、今はその顔に少し疲れの色が滲んでいた。

「いや、いいいですよ。それよりカイルさん達行ってきてください。今はお客さんも少ないし、俺が見とくんで」

 俺はちらり、とテント内に目を向けながら、そう返事をする。今商品棚を眺めている客は、二、三人ってところだ。カイルさん達が昼食をとりに行くなら、このタイミングしかないだろう。少しお客さんを待たせてしまうことにはなるけれど、要望をあらかじめ聞いておいて戻って来たカイルさん達に引き継ぐことくらいは、俺にもできるだろうし。

「そうしたいのは山々なんだけどさ、ちょっとオレらは今のうちにやっときたいことがあるんだよね。在庫もだいぶ減っちゃってるし。だからさ、悪いんだけどシュウ、帰りに何かぱぱっと食べられるようなもの、オレと親父の分買って来てくれ」

 しかしカイルさんはそう言うと、ごそごそとズボンのポケットの中からこの国の通貨である、しわくちゃの五千エル札を取り出して俺に押し付けた。そう言われてしまえば、頷く他ない。

「……わかりました。じゃあ、ちょっと抜けます」

「おー。よろしくなー」

 俺はぺこりとカイルさんに会釈をすると、鍛冶屋のテントを出た。途端に眩しい日差しがぱっと降り注ぎ、人々の熱気がより間近に押し寄せてくる。足元で土煙が舞う中ををちょっとずつ移動して、俺がやって来たのは定食屋のテントの前だった。テントとは言っても屋根がかかっているのは簡易キッチンが設置されている調理場のごく一部だけで、青空の下に大量に並べられたテーブルと椅子が飲食スペースだった。おそらくこの会場の中で、一番広いスペースを割り当てられているのはこの店なのではないだろうか。

「あれ、シュウお昼? いらっしゃーい」

 すると背後から見知った声が聞こえたので、俺は後ろを振り返った。この定食屋はヒイロの下宿先だから、絶対いると思っていた。

「……は? 何お前そのカッコ」

「へへー、すごいでしょ。サリーさんにこんな感じって絵を見せたら、作ってくれたんだー」

 ヒイロはじゃーん、と両手を広げて、胸を張る。ヒイロが身に纏っていたのは、白と黒を基調にした、丈の短いエプロンドレスだった。あちこちにリボンやフリルが付いていて、頭にはカチューシャも載っけている。一言で言うなら、『メイド服』と表現するようなやつだった。

「学園祭とかだとさー、こういうのって定番なんでしょ?」

「……まあ、最近はそういうのも普通にやるって聞くけど」

 俺はちょっと怪訝な表情になりつつも、ヒイロが身に纏うメイド服にちらりと目をやる。サイズもヒイロにジャストフィットって感じだし、リボンやフリルなど細かいところまで丁寧に作り込まれていて、素人目から見てもまったく安っぽさを感じない見事な仕上がりだった。さすが、サリーさんだ。

「おねえちゃんのドレス、きれいー」

「ふふ、ありがとー」

 すると幼稚園児くらいの歳の小さな女の子がヒイロに駆け寄ってきて、つんつんとそのスカートの裾を引っ張った。俺達男性陣だとちょっと目のやり場に困る感じの服だけど、どうやら小さな女の子には好評みたいだ。女の子はお姫様とかドレスとかそういうのが好きなんだろうし、喜んでもらえてるならまあいいいか、と、俺もそれ以上は突っ込まないことにした。

「あ、サリーさんといえばさ、今ランもちょうど来てるよ。一緒に食べたら?」

「お、そうなのか」

 女の子ににこりと手を振ってバイバイをした後、ヒイロは思い出したようにそう呟いた。そのままヒイロの案内で、席へと向かう。飲食スペースのちょうど中央付近までやって来ると、そこには二人掛けのテーブル席の一方に腰掛け、もぐもぐとハンバーグ定食を頬張っているランの姿があった。

「あ、シュウ!」

「おー、ラン。おつかれ。元気か」

 俺はガガガと椅子を引いて、ランの向かいに腰を下ろす。ランも今日は、下宿先であるサリーさんの店の手伝いに駆り出されていたはずだ。

「はい。その、お客さんたくさん来て、忙しくて大変ですけど」

 ランはそこで、一旦言葉を区切った。そして何かを思い出すようにしばし黙り込むと、にこり、と微笑んで言った。

「サリーさんとヘリオさんの作った服がたくさん売れるのは、すごく嬉しいです」

「はは、そうだよな」

 ランにつられて、俺も思わず笑顔になる。俺だっていつもお世話になっているカイルさんとシルバさんの商品が飛ぶように売れるのは、自分のことのように嬉しい。

「はーいお冷だよー。あとメニュー」

「お、サンキュ」

 すると一旦テントの方へと引っ込んでいたヒイロが、俺の分のお冷とメニュー表を持ってきてくれた。キンキンに冷えた水を一口流し込んでから、俺はメニューに目を通す。ヒイロの家の定食屋には何度も行ったことがあるけれど、どうやら今日はフェス用に品数を絞った特別メニューのようだった。俺は少し悩んで、『からあげ定食』を注文することにした。

「それとカイルさんとシルバさん用に、このカツサンドとアイスコーヒー、テイクアウトで。帰りまでに頼む」

「はいよー」

 ヒイロはバインダーに挟まれた紙にさっとペンを走らせると、再びテントのほうへと吸い込まれていった。ランと他愛のない話をしてしばし待っていると、やがて熱々のからあげと白飯、コンソメスープのセットが運ばれてくる。もう腹ペコだった俺は、いただきますの挨拶をするや否やさっそくからあげへとかぶりついた。咀嚼するたびに丁度良い塩気と甘さが口の中に広がり、労働で疲れた体にエネルギーが戻っていくのを感じる。ここの定食屋は派手さこそないけれど、その素朴なおふくろの味とでもいうべきシンプルさは、逆に出そうと思っても出せない唯一無二の芸術品だと俺は思う。つまりは、滅茶苦茶美味しいということだ。

 本当ならばもっとゆっくりと味わっておかわりもしたいところだったけれど、飲食スペースはかなり混んでいて待ちのお客さんも出ているようだったし、カイルさん達の昼食もできるだけ早く届けたかったので、俺はスピーディに食事を済ませると定食屋を後にした。午後からもサリーさんのお店の手伝いをするランと途中で別れ、カイルさん達の昼食の入った紙袋を片手に携えながら、俺は鍛冶屋のテントを目指す。相変わらず辺りは人で溢れかえっていて、この感じだとせっかく来たから夕方までいるお客さんが多いのかな、なんてことを思った。

「……ん?」

 すると陽気なBGMと人々の喧騒の隙間で、何かを怒鳴っているような人の声が聞こえた気がして、俺は耳をそばだてた。足を止めずに歩いていると、徐々にその声が大きくはっきりとしていく。道行く人々も怪訝そうな顔で、声のするほうへと視線を向けていた。

「……っ、ナオキ?」

 そして人と人との間からようやくその声の主の姿が見えた瞬間、俺は驚きのあまり目を見開いてしまった。通行人たちに何かを喚き立てるようにしているのは、少年団の先輩である、あのツンツン頭のナオキだったのだ。

「おい、ナオキ、何してんだよ」

 俺はナオキに駆け寄ると、後ろからその肩をがっと掴んだ。ナオキも今日はいつもの少年団にいるときの服装ではなく、ポロシャツにジーンズというラフな格好をしていた。きっと、下宿先であるジェダーさんの木工屋の手伝いをしていたのだろう。それがこんなところで何やってるんだ? と、俺の疑問は膨れ上がる。

「え、あ……シュウ!」

 ナオキは俺に気が付くと、ばっと、素早く右腕を掴んできた。そして柄にもなくどこか切羽詰まったような表情で、早口でまくしたてる。

「っ、なあ、少し前に、レジ持って走る男見なかったか!」

「……は? レジ?」

 突然の問いかけに、俺の頭には、レジってあのレジだよな、店で会計するときの、なんて思考がぼやぼやと浮かぶ。レジ持って走る男? そんなの見てたら覚えてないわけがないけれど、一応ここ数分の記憶を辿ってみる。

「いや、見てないけど……一体何があったんだ?」

「持ってかれたんだよ! オレん家のレジ! 売上全部入ってるやつ!!」

「!」

 かっと目を血走らせるナオキの言葉を聞いて、俺にもようやく状況が掴めてきた。つまりナオキが手伝っていた木工屋のレジを、泥棒した不届きものが現れたということだろう。

「追いかけたんだけど、見失っちまって……クソッ」

 ナオキは悔しそうに歯噛みすると、周囲を行き交う人々に目を凝らす。俺も辺りを見渡してみるけれど、あるのはフェスを楽しむ人々の姿だけで、ぱっと見た感じレジ泥棒風の怪しい人物の姿は見当たらなかった。

「ていうか……大丈夫だったのか? 怪我とかは、ジェダーさんは?」

「幸い、客もオレ達にも怪我はなかった。じーさんは店のテントにいるよ、無人にするわけにいかねーし」

 ナオキはクソッ、と再び吐き捨てるように言うと、道行く人々に声を掛け始めた。どうやらそうやって、目撃証言を集めようとしていたらしい。しかし通行人たちから向けられるのは、戸惑うような反応や、厄介な人を見るような目だ。この方法では進展が難しいのではと思った俺は、慌てて止めに入った。

「とりあえず……警察呼んだほうがいいんじゃないか。窃盗事件だし」

 俺の言葉を聞くと、ナオキははっとしたような顔になった。まるで、今まで思い至らなかった、みたいな顔だ。

「そ、そうだよな。ええっと、ここから一番近いポートは……」

「一応、大人に通報してもらったほうが話が早いんじゃないか。一回本部に行って、色々対応を仰いだほうがいい」

 ナオキの仕草にいまいち頼りなさを感じた俺は、そんな提案をする。ナオキは、「あ、ああ。そうだな……」と呟くと、とぼとぼと本部テントがあるほうへと歩いて行った。……大丈夫かなあ、とその背中を見て心配になるけれど、俺の手にはカイルさん達に届けなければならない昼食が握られている。本部にいる大人に任せれば大丈夫だろうと、俺は若干後ろ髪を引かれつつも、鍛冶屋のテントへと戻った。


「え? 泥棒? ジェダーさんとこに?」

 俺がレジ窃盗事件の話をすると、カイルさんはぱくりとカツサンドを齧りながら驚きの声を上げた。お客さん達はまだ昼食に出払っている人が多いようで店内は空いていたため、カイルさんとシルバさんは俺が買ってきたカツサンドをちょこちょこつまみながら仕事をしていた。

「大丈夫だったんか? 怪我とかは?」

「ないそうです。それで、警察に通報するように言ったんですけど……」

「そりゃそうだ。ここは本職の出番だろ」

 カイルさんはそう言うと、一応自分の店のレジを開いて中身を確かめた。その表情を見るに、どうやらうちのレジは無事だったみたいだ。ほっと胸を撫で下ろすと、「すみませーん」とお客さんから声が掛かった。「はーい」と応対するカイルさんを横目に、俺も雑用仕事へと戻る。そうして午前中程ではないにせよあくせくと忙しく働いていると、ふいに、テントの入り口に見知った顔が現れた。それはさっき雑踏の中で別れた、ナオキだった。

「ナオキ!」

「おー、シュウ。どうだ? そっちは大丈夫か? 金盗まれてたりは」

 俺が駆け寄ると、ナオキはぎこちなく笑みを浮かべて片手を上げた。あんなことがあったから当たり前だけれど、やはりまだいつもの元気は戻っていないようだった。

「うちは大丈夫だよ。というか、警察には連絡したか?」

「ああ。それが本部に行ったらさ、オレんとこの他にももう一件、窃盗事件が起きてたらしくてさ。そっちのほうは、レジから金が抜かれてたらしい。んで警察なんだけど、到着するまで一時間くらいかかりそうって言ってた」

「え……そうなのか」

 まさか他にも窃盗事件が発生していたとは、と、俺は少なからずショックを受ける。ユーフォテルダはのどかな田舎町で、治安はいいどころじゃない。それがこんな悪意に晒されることになるなんて、村人たちが心を痛めていないか心配だった。

「というわけで、レジ周りの管理には気を付けて、って注意喚起に回ってたんだ。アナウンスすると、客がパニック起こすかもしれないからさ。まあ、シュウんとこで最後だけど」

「……そうだったのか。わざわざありがとな」

 俺はポン、と労いの意味も込めてナオキの肩を軽く叩く。するとナオキはうっすらと微笑みを浮かべたけれど、またすぐに真剣な表情になって、言葉を続けた。

「そんで、何か怪しい奴を見かけたら、すぐにオレに知らせてくれ。……つっても、連絡手段ないか。……あれだ。ジェダーのじーさんが店のテントにいるから、そんときはそっちに伝言でも……」

「え、ちょっと待った。ナオキはこの後店戻らないのか?」

 俺はナオキの台詞に途中で割り込んで、そう尋ねた。俺はてっきりナオキもこの後ジェダーさんの店に戻って手伝いを再開すると思っていたのだが、今の口ぶりだと、どうやらそうではなさそうだ。

「オレは、犯人捜す。だって、オレはこの目で見てんだよ。このままになんてしておけねえよ」

 ナオキはメラメラと、その両目に怒りの闘志を燃やしていた。ぐっと体の横で固く握った拳からは、今のナオキならどんな暴走をしてもおかしくない、そんな雰囲気が漂っている。

「いや……でも危ねえって。警察に任せとけよ」

「警察来るまでに逃げられたら元も子もねえじゃねえかっ」

 ナオキは声を荒げて、俺を威圧する。俺はちらりと、テントの奥に引っ掛けるようにしてぶら下げている丸い時計に目をやった。少しでも早く警察に来てもらいたいところだけれど、そもそもこの村には、警察署というものが存在していない。何かあったら隣町の派出所から警察官がやって来ることになっているのだけれど、今日は道も混んでいるだろうし、たしかにナオキの言う通り、警察を待っていたら手遅れになる可能性は十分にあった。

「……」

 それでもやはり危険がゼロでない以上、ナオキの言葉を肯定することはできなかった。ナオキも別に俺の同意が欲しかったわけではないようで、くるり、と背中を向けると、テントを出て行く。

「……じゃあな、シュウ。色々と世話になったな」

「ナオキ!」

 ナオキは最後にそう言葉を残すと、たっ、と小走りで雑踏の中へと消えて行った。追いかけようとも考えたけれど、あの状態のナオキを説得できる自信もなく、ついその場で足踏みをしてしまう。

「……行って来いよ、お前も」

「え……」

 すると店の奥、レジカウンターの中にいるカイルさんが、おもむろにぼそりと呟いた。どうやら今の一連の流れは、ばっちりと見られてしまっていたようだ。

「でも、お店が……」

「大丈夫だよ。在庫も午前より減ってるし、もうこれからはそんなに忙しくならねえよ。それより、あいつ一人で行かせるほうが心配だろ」

 躊躇する俺に、カイルさんはそう言葉で背中を押す。それでも迷ってしまっていると、ふいに、ポン、と後ろから肩を叩かれた。振り返ると、そこには無言でこくりと頷くシルバさんの姿があった。その強い眼差しからは、『気にせず行って来い』というメッセージが伝わってくる。

「……すみません、また、ちょっと抜けます」

「おう、行ってら」

 カイルさんとシルバさんにぺこりと一度深くお辞儀をすると、俺はテントを飛び出した。たたっと人ごみの合間を縫うように駆け、あのツンツン頭を探す。

「……っ、ナオキ!」

 そして二、三分右往左往した後に、ついに見つける。ナオキはほとんどの商品が完売してさながら閉店状態となってしまっている八百屋のテントのポールに背中を預け、行き交う人々に視線を向けていた。ナオキは俺の姿に気が付くと、驚いたように目を見開いてポールから背中を離した。

「っ、シュウ?」

「俺も一緒に探すよ、犯人」

 ナオキの目の前まで駆け寄り、荒い呼吸で肩を上下させながら、俺はそう自分の意志を伝えた。犯人捜しなんて危険だという考えは、今も変わらず俺の中にあった。だけどナオキはそれでも、何もせずにはいられないのだ。だったらせめて俺が一緒にいることで、ナオキが無茶をしない要素の一つになればいいと思った。

 ナオキはそんな俺の言葉を反芻するかのように、少しの間無言だった。だけどやがて、がっと乱暴に、俺の首に腕を回してくる。おい、苦しい、とその腕を引きはがそうとしたそのとき、「ありがとな、シュウ」と小さな声が耳元で聞こえた。そのナオキの横顔は髪がかかっていて、よく見えない。だけど俺はふっと微笑んで、「ああ」と言葉を返したのだった。


「オレん家の他に、もう一件あった窃盗事件。オレはあれも、同じ犯人の仕業なんじゃないかと考えてる。そんでそう考えると二件とも逃げ切れてるわけだから、味をしめた犯人は、絶対またやらかすはずだ。つまり、まだフェス会場をうろついてるってこと」

「……まあ、その可能性はゼロではないな」

 ナオキと俺はそんな会話をしながら、フェス会場の人ごみの中を並んで歩いていた。すでに犯人は逃走してしまっていて会場にはいない、なんて場合はそもそも俺達にできることがなくなってしまうので、ナオキの言う通り、そういった考えを前提にして動いた方がいいだろう。

「犯人は、どんな感じの奴だったんだ?」

 そこで俺は、まず初めに犯人の特徴について聞くことにした。それを知らなければ、捜しようがない。

「えっとな、身長は、たぶんオレと同じくらい」

ナオキはそう言うと、自分の頭のてっぺんに手を当てた。

「んで髪は茶色に脱色してて、服装は、黒のTシャツにカーキ色のズボン。目つきが悪くて眉毛が細くて、いわゆる強面って感じ。日本風に言えばヤクザ的な。歳は二十代後半とか、そこらへんじゃねえかな。んで、たぶんロスト」

「ふーん……」

 俺はちらりと、すれ違う人々に視線を移す。とりあえず、背が高くて茶髪で人相の悪い若めの男を見かけたら、ナオキに伺いを立てればいいわけか。

 俺達はゆっくりと会場内を歩きながら、道行く人々を注意深く観察する。それっぽい人を見つける度にナオキに知らせたけれど、残念ながらすべて「違う」と首を横に振られてしまった。そこで俺は、そういえばまだ詳しく聞いていなかった事件発生時の状況について尋ねてみることにした。

「初めに気付いたのは、ジェダーのじーさんだった。レジ開けて金に手ぇ伸ばしてる男見つけて、何してんだ、って近づいてったんだ。オレも慌てて駆け寄ったんだけど、そしたらそいつ、レジもぎとっていきなり走り出したんだ。追いかけたんだけど、そいつクッソ足速えの。おまけにテントの裏に回ったり通りに出たりを繰り返してさ、結局、撒かれちまったよ……」

 ナオキは悔しそうな表情になり、ぐっ、と唇を噛んだ。その言葉を聞いて俺は、思わずぼそりと呟く。

「なんか、野蛮だな……」

「本当だよ。他人様のもの盗むなんて……」

「あ、いや、そうじゃなくて……というか、それもそうなんだけど、なんていうか、手口が」

「?」

 ナオキはきょとんとして、首を傾げる。今初めて事件発生時の状況を詳しく聞いて、俺の中には沸々と違和感が生まれていた。

「だってロストなら、そんな力ずくの手段に訴えなくても、転送魔法とかで盗んだ方が早いだろ」

 俺の言葉を聞くと、ナオキは、はっとした表情になった。

「そ、そう言われれば、たしかに……。じゃあ、人間ってことか? 犯人は」

 ロストと人間には見た目に明確な違いがあるわけじゃないから、間違うことも普通にある。だけど俺は、その問いに首を横に振った。

「いや、人間だとしても、キューに魔法を保存して使えばいいだけだし。……何にしても、合理的じゃねえんだよ、やり方が」

 俺とナオキは、うーん、と頭を悩ませる。なぜ『魔法』というテクノロジーが存在する世界で、犯人たちは一斉魔法を使わずに犯行に及んだのか。考えてはみたものの、すぐに答えは見つかりそうになかった。仕方がないので、俺達は再び犯人捜しに専念する。

 そうして行き交う人々に注目しながら歩いていると、いつの間にかフェス会場の一番端までやって来ていた。道の両端に並んでいた店はここで途切れ、その先には、いつものユーフォテルダの田園風景が広がる。そちらへと向かって続く人の流れは、もう十分にフェスを楽しんだ人達だろう。みんな両手に、たくさんの荷物を抱えて歩いていた。

「この先、たしか臨時駐車場だよな」

「ああ。この村は土地だけは無駄にあるからな」

 ナオキと俺は、そんなことを呟きながら帰路につこうとする人々の背中を見つめる。そしてせっかくここまで来たのだからと、俺達は会場だけではなく駐車場のほうもチェックしてみることにした。よく考えたら、犯人は逃走手段として車を用意している可能性も高いし。

 フェス会場から少し歩いたところにある、普段は空き地である臨時駐車場には、午後になった今でもまだまだたくさんの車が停まっていた。俺達は駐車場を歩く人、車内にいる人、今まさに乗り込もうとしている人を、注意深く見つめる。するとふいにナオキが、「あっ……!」と声を上げた。

「いたか?」

「あいつだ、多分。あのトラックの、運転席にいる奴」

 ナオキはそう言って、駐車場の中でも俄然幅を取っている、一台の大型トラックを指差した。見ると運転席には、さっきナオキが言っていた特徴と似ている、茶髪の若い男が座っていた。ナオキはずんずんと、そのトラックへ近づいて行く。そして運転席のすぐ横まで辿り着くと、バン、と手のひらで窓ガラスを叩いた。

「おい、テメェ、よくもうちの金盗んでくれたな……!」

 ナオキの存在に気が付くと、運転席の男は顔を上げた。そしてその目にナオキの姿を映した瞬間、男は明らかに表情を変えて唇をわずかに動かした。

「……っ、お前」

 男の顔に焦りの色が浮かんだのを見て、俺はこいつが犯人だと確信した。まずは運転席から引きずり降ろしてやろうと、駆け足でトラックへと近づく。しかしそのとき、ブルルン、と、男がエンジンをかける音が鳴り響いた。まずい、発進させる気だ、と思った俺は、鍵が掛かっている運転席のドアを引っ張っているナオキの腕を掴み、ギリギリのところでトラックから離した。きゅるきゅるとタイヤを鳴らしながら急発進したトラックは、そのまま乱暴に左へと曲がり、駐車場の出口へと向かって突き進んでいく。その駐車場に似つかわしくないスピードに、周囲の人々も驚きの目を向けていた。

「っ、ざっけんな逃げんな!」

「……っ」

 ナオキがトラックの背中に向かって吠えるのを聞きながら、俺は体を前かがみに沈めて地面を蹴った。トラックはかなりのスピードが出ているけれど、駐車場の出口で再び右折か左折をしなければならない。大丈夫、追いつけるはずだ、と、俺はがむしゃらに手足を動かす。案の定トラックは出口でスピードを落とさざるを得なくなり、その隙に俺との距離が縮む。そして右折したトラックが直線の道で再び加速しようとしたところで、俺の手はトラックの荷台の後ろに付いている横長のバーを掴んだ。そのまま腕の力で体を引き寄せ、荷台の下部にあった金属製の出っ張り部分へと両足を乗せる。

「ナオキ!」

 なんとか安定して掴まれそうだと判断した俺は、左手をバーから離し後方へと伸ばした。俺からワンテンポ遅れてトラックを追いかけていたナオキの姿は、すぐそこにある。

「……っ!」

 がしっと俺の手のひらを掴んだナオキを渾身の力で引っ張り上げ、二人してトラックの荷台へとしがみつく。トラックはかなりのスピードが出ていて、舗装されていない地面のせいもありガタガタと小刻みに揺れていた。だけど足場と手で掴まることができるバーがあるおかげで、何かよっぽどのアクシデントがない限りは振り落とされずに済みそうだった。ふと下に視線を向けると地面の茶色がものすごい勢いで後ろへと流れていき、なんだか変な感覚になる。

「これ……どこに向かってんだろうな、家?」

「いや、家はないだろ……、後ろに俺達いるわけだし……ん? いや、待てよ」 

 はあ、はあ、と上がってしまった息を整えつつそう呟くと、ふと、俺の頭にはある一つの仮説が浮かんだ。そしてもしその仮説が正しければ、この状況は俺達にとってチャンスかもしれない。

「なあ……もしかして、犯人は後ろに俺達がいるの気付いてないんじゃないか?」

「え? いや、どうだろ。でもオレ達追っかけてたのはさすがに気付いてると思うけど……」

「それはそうだけど、まさか後ろに張り付いてるとは思ってないんじゃないか。じゃなかったらもっと蛇行運転とかして、振り落とそうとしてくると思うんだ」

「……!」

 走行中のトラックは、スピードこそ出ているけれど、それ以外に無理な運転はしていない。俺は車を運転したことがないから大型トラックの真後ろがどの程度運転席から認識できるのかはよくわからないけれど、とにかく、犯人が俺達に気付いていないというのならこれはチャンスだ。どこに向かっているのかは不明だが、奴の根城のような場所を突き止めることができれば、あとは警察に通報するだけでいい。

「というわけだから、騒いだりするなよ、ナオキ。アドバンテージは生かさなきゃ意味ないからな」

「おっけー、シュウ」

 俺とナオキは、顔を合わせてにやりと笑う。もうどのくらいの時間こうしてしがみついていることになるのかはわからなかったけれど、目的が明確であればなんとか頑張れそうだった。

「しっかし、ナンバープレートは……ないか」

「まあ、泥棒の車だからな」

 ふっとナオキが視線を下に向けたので、俺も顔を俯ける。そもそもこの国はそういうのがいい加減で、別に犯罪に関係していなくても古い車だとプレートをつけていなかったりする。悪いことをしている人間がわざわざプレートをつけるなんて、ありえない話だった。もしプレートが付いていれば、もっと簡単に決着がついたんだろうけれど。

「!」

 と、そのとき、ガタン、と大きく車体が揺れ、俺とナオキは慌ててバーを握る両手に力を込めた。見るといつの間にか横を流れる景色は鬱蒼と生い茂る木々に変わっていて、タイヤが走る地面も砂利道になっている。てっきり町のほうへと逃げているのだと思っていたけれど、どうやら、トラックは山の中へと入っていこうとしているようだった。

「どういうこと? 山奥にこいつの基地みたいなのがあるってこと?」

「いやいや、だってここ村の中だぞ? そんなのあったら村人の誰かしら気付くだろ」

 ナオキと俺は、この想定外の状況に思わず首を傾げる。そしてさらに不可解なことに、上り坂を進むトラックは、山の入り口から百メートル程離れた地点で道の端に停車した。周囲には特に建物などもなく、本当にただの上り坂の途中だったので俺とナオキはますます困惑する。

「!」

 するとバン、と運転席のドアが開く音がしたので、俺達は慌てて荷台の後ろから離れるとこそこそとトラックの側面へと移動した。運転席から降りた背の高い茶髪の男は、じゃり、じゃり、と足元の砂利を踏み鳴らしながら歩く。その様子を見るに、どうやら俺達の存在には気が付いていないようだった。男はトラックから離れると、今登ってきた道を引き返すように、歩いて坂を下り始める。その後ろ姿が見えなくなり、足音も聞こえなくなったところで、俺達はようやくふう、と大きく息を吐くとトラックの陰から躍り出た。

「なんだ? どこ行ったんだあいつ?」

「さあ……またフェス会場に戻ったとか……?」

 俺とナオキは、顔を見合わせる。しかし犯人の思考は考えてもわからなそうだったので、とりあえず、うーん、と伸びをして固くなってしまっていた体をほぐした。そして少し気分もすっきりしたところで、俺は先程までしがみついていた、トラックの荷台のバーへと手を掛ける。少し力を入れて横にずらすと、キイ、と音を立てて荷台の扉が開いた。

「な……っ!」

 そして中を覗き込んだ俺達は、思わずそんな声を上げてしまった。荷台の中には荷物が大量に敷き詰められていて、大きな箪笥や木箱、筒状に巻かれた布や毛皮などが見える。なんとなく、どれも高級そうだ。そして一番多かったのが段ボール箱で、その開いた口からはきらびやかな宝石がはみ出しているのが見えた。床の所々には紙幣やコインも落ちていて、空間全体から、ただならぬ雰囲気がひしひしと漂っていた。

「おいまさか、これ全部盗んだ物……」

「あーっ!」

 するとナオキが、急に大きな声を上げて荷台の中へと身を乗り出した。そして手前のほうに乱雑に置いてあった、一台のレジへと手を伸ばす。

「ちょっと、これ、盗まれたうちのレジじゃね?」

 ナオキはそう言うと、カチャリ、とレジを操作する。するとチャリーン、という音と共にレジの引出しが開き、中に入っている紙幣や小銭が露わになった。だいぶ多めに入っているように見えたけれど、今日はフェスの日だからこれくらいあってもおかしくはないだろう。むしろこうしてかなり商売繁盛していたから、犯人にジェダーさんの店が狙われてしまったのかもしれなかった。

「よかったじゃん見つかって。じゃあとりあえず、それだけ持ってくか」

 俺はレジが見つかったことにほっと胸を撫で下ろし、そうナオキに言葉を掛ける。こっちとしてはジェダーさんのところのレジさえ戻ってくれば、とりあえずは目的達成だ。犯人の逮捕とか、後は荷台の中身を見るにこいつには余罪も多々ありそうだけれど、それは警察に任せればいい。

「う、うーん、で、でもさあ……」

 しかしなぜだか、ナオキの反応は悪かった。せっかくレジが見つかったのに何を渋っているんだ、と、俺は怪訝な表情になる。

「その、たしかにうちのレジっぽいんだけどさあ、確証はないっていうか……。ほら、だって、あそこにもレジあるし」

「はあ?」

 そう言ってナオキが指差した先、荷台の奥のほうには、たしかに似たような形のレジがいくつかあった。でも手前のほうに置かれていたし、ナオキも初め見た時にはこれだと思ったわけだから、このレジで多分間違いはないんじゃないだろうか。

「つーか、なんで自分ちのレジがわかんないんだよ!」

「いやだって、レジなんて似たり寄ったりじゃん! 普段まじまじと見るわけでもないし!」

 つい大きい声を出してしまった俺だったけれど、そのナオキの言葉にたしかにな、なんて気持ちが芽生え、いくらか頭が冷静さを取り戻す。言われてみれば、俺だってシルバさんの店のレジを正確に覚えているわけじゃない。もしこのレジが他の人の物だった場合今度は俺達が泥棒になってしまうので、非常に残念だけれどとりあえず今すぐに持って帰るのは諦めることにした。俺達は荷台から離れると、今度はトラックの前方へと近づいて行く。

「うわ、鍵掛かってんのか……」

「こっちも、開かないな……」

 ナオキは運転席側、俺は助手席側のドアに手を掛けて引っ張るけれど、扉はぴくりともしない。トラックの荷台には鍵が掛かっていなかったのに、どうやらこちらはきちんと施錠していったみたいだ。

「どうする? 窓割って、内側から開けるか?」

「やめとけ。開けたところで、車の鍵がなきゃ何もできねえよ」

 なんだか物騒な発言をし出すナオキを、俺はそうなだめる。そして左腰に手をやると、すっ、と愛用の黒い剣を鞘から引き抜いた。セールスの為にずっと腰に提げていたものの日の目を見ることのなかった剣が、満を持して登場というわけだ。

「シュウ?」

「とりあえず、タイヤパンクさせとこう。そうすれば、ここから動かせねえだろ」

「! さっすがシュウ、あったまい……」

 しかし俺を褒め称えるナオキの言葉は、途中で途切れた。それと同時に右手に強い痛みが走り、俺は思わず剣を落としてしまう。カシャン、と剣が地面に叩きつけられる音を聞きながら、俺は俯せに倒されていた。後頭部は大きな手のひらで押さえつけられ、地面の砂利に顔がめりこむ。落ちた剣に手を伸ばそうとするも、ダメだ、届く距離じゃない。武器は何があっても離してはダメだなんて、初歩中の初歩の約束事なのに。俺はぎりり、と唇を噛んだ。

「このクソガキ共が、追いかけて来てたのか……」

「……っ!」 

 その轟くような低い声に、何とか首を捻って後ろに目をやると、俺の背中には、先程トラックを運転していたあの茶髪の男が乗っているのが見えた。クソッ、いつの間に戻って来てたんだ、と俺は自分の注意力のなさを激しく後悔する。

「アニキ、どうするっスか、こいつら? ばっちり顔見られちゃってるっスよね」

 そしてこの場にはもう一人、初めて見る人物が存在していた。俺と同じように地面に俯せに倒されてしまっているナオキの背に乗る、ふわふわとした癖毛の男。茶髪の男を『アニキ』と呼ぶからには、きっと弟分か何かなのだろう。他に仲間がいるということも、俺達はまったく想定できていなかった。あまりにも情けない展開に、俺は数分前に時間を巻き戻したくてしょうがなくなる。

「……フン、縛ってそこらへんに転がしときゃあいい。どうせ俺達はもうずらかるからな。今からじゃ足なんて着かねえよ」

「……!」

 茶髪の男はそう言うと、しゅるり、と服の中から毛羽立ったロープを取り出した。癖毛の男も「了解っス!」と言うと、同じようにロープを手に構えた。まずい、と体をバタバタと動かして抵抗するも、男は慣れた手つきで俺の腕を後ろ手に縛っていく。クソッ、こいつら、荷台の中の荷物の量といい、この手の事の常習犯だろ! 

「……っ、なんでお前らは、盗みなんてやってるんだっ」

 俺は上に乗る男を押しのけることは不可能だと諦め、時間稼ぎをするべく咄嗟にそう口を開いた。こうなったらなんでもいいから会話をしてこいつらを引き留め、その間に偶然人が通りかかるのを期待するしかない。こんな何もない山の中、クエストでもなければ普段から訪れる人なんていない場所だけれど、もしかしたらその豊かな自然に目を奪われた観光客がふらっとやって来る可能性だってゼロじゃない。無視されてしまったらもうここで終わりだったけれど、幸い茶髪の男は、律儀に返事を寄越してくれた。

「なんで、だと? 生活の為に決まってんだろ。嫁と子供を食わすためだ」

「……っ、そんな理由が通るかよ! 普通に働けよクソが! いいか、お前らが盗った金はなぁ、ジェダーのじーさんが汗水垂らして働いて得た金だ!!」

 後ろ手に縛られてしたばたと暴れながら、ナオキも男に向かってそう吠える。すると男は、はっ、と自嘲気味な笑みを浮かべて言った。

「それができれば苦労しねぇよ。いいか、人間共。この国ではなぁ、魔法が使えねえ奴は役立たずなんだ。いい仕事になんて就けない。こき使われて、馬鹿にされて。あるのは、そんな生活だけだ。よく覚えとけ」

「!?」

 その予想もしていなかった言葉に、俺もナオキも一瞬、黙り込んだ。こいつらはおそらく、人間ではなくロストだ。そして俺の知識では、ロストであれば全員、生まれながらに魔法が使えるはずだった。

「ロストの中にも、魔法が使えない奴がいるのか……?」

「……ああ、少し言葉を間違えたな。正確には使えないじゃなく、使い物にならない、だ」

 男はそう言うと、再び自嘲気味に笑った。俺は時間稼ぎという目的を忘れ、男の言葉を何度も頭の中で反芻してしまう。使い物にならない。それはつまり、使えることは使えるけれど、それが何かを成し遂げる水準には達していない、ということだろうか。確かに、魔力の強い弱いには個人差があるという話は聞いたことがあった。

「……別にいいッスけど。魔法なんて、誰が好き好んで使うかっ感じっス」

 ぼそり、とそう呟いたのは、ナオキの上に乗っている癖毛の男だった。その不機嫌そうな表情を見て、俺は唐突に、魔法を一切使わないあの犯行手口のことを思い出す。……こいつらは、きっと『魔法』という存在を憎んでいる。だからこそどんなに効率が悪くてリスクが高かろうと、魔法を使おうとしないのだ。

「でも、それならそれで、魔法を使わなくていい仕事だってあるだろ」

「さすが人間様、随分な物言いだな」

 ナオキが先程よりもいくらか落ち着いたトーンでそう言うと、茶髪の男はハッ、と嘲笑うようにそう吐き捨てた。何か訳有り風な犯人たちに俺達の感情は少し静まりを見せるのに対し、男の言葉は、だんだんと熱っぽくなっていくように感じた。

「人間様の世界では、『ガッコー』とかいうものがあって、子供のうちから色んな知識を身につけるんだろ?」

「ん、まあ……知識ってほどのものでもないけど、義務教育はあるな」

 俺は茶髪の男の問い掛けに、とりあえずそう言葉を返す。すると男は苛立たしげに、チッ、と舌打ちをした。

「こっちはそういう制度はないからな、必要なことは、親が子に直接教えるんだ。……で、親がろくでもないと子はどうなるかってーと、俺みたいになるわけだ! 字も読み書きできねえ、計算もできねえ、そんなどうしようもねえ子にな!」

「!」

 男はそう吐き捨てると、ガッ、と俺の上に乗ったまま勢いよく地面の砂利を蹴飛ばした。砂埃がすぐ近くで舞い、思わず顔をしかめる。だけどそれよりも、俺の中では男の言葉の衝撃のほうがはるかに大きかった。今まであまり気に留めていなかったけれど、学校がないということはそういうことだ。教える人がいなければ、子供は知識を得ることができないのだ。

 きっとどんな仕事でも、読み書きや簡単な計算を求められる場面はあるのだろう。それに仕事以外でも、何かの契約の際なんかに書類は必須だ。もしかしたらそういうときに、どうせわからないからと不利な文面を書かれたり、数字を大きく変えられたりしたことがあったのかもしれない。そういうのの積み重ねがあって、きっとこの人達は、こういう風になってしまったのだ。

「……でも、学校、こっちでもそのうちできるって聞いたけど」

「それはこれからの子供の話だろ。俺達はもうどうしようもない」

 そのナオキの言葉にも、男はぴしゃりとそう言い返す。エルクロストにも学校制度を導入しようという動きが進んでいるという話は、俺も聞いたことがあった。その際もしかしたら教育の機会を得られずに大人になった人達にもサポートを、という動きが生まれるかもしれないけれど、たしか読み書きとかは子供のうちじゃないと身に付かないという研究結果を、テレビか何かで見たことがあった気がする。もちろんロストにもその法則が通用するかはわからないけれど、こうなってくると、努力だけではどうにもならない問題も多々ありそうだった。……だけど。

「……俺のズボンのポケット、見てくれ」

「あ?」

 俺がぼそりとそう呟くと、男も、そして地面に倒れ込んだままのナオキも怪訝な顔をした。俺は「いいから早く」と言い、後ろ手に縛られて地面に俯せになったまま、体の右側を少し浮かせる。男は少し迷ったようだったけれど、やがて渋々といった様子で、言われた通り俺のポケットをまさぐった。そして出てきたのは、黒くて四角い人間の世界の文明の利器、スマートフォンだ。

「! おい、何だよこれ、爆弾か!?」

「ちげーよスマホだよ! 通信機器! 電話だ!!」

 男が焦ったような声を上げたので、俺は慌ててそう叫ぶ。ここで壊されでもしたら、たまったもんじゃない。男は俺の言葉を信用していいのかどうか迷っているようで、指先でつまむようにしてスマートフォンを持った。するとそれを見たナオキの上の癖毛の男が、「あ!」と声を上げた。

「アニキ、なんかそれと似たような形のものを、王都のほうで見たことがある気がするっス。危険な物じゃなさそうっス」

「……フン、そうか」

 男はその弟分の言葉を聞くと、いくらか落ち着きを取り戻したようだった。中々のファインプレーをしてくれた弟分に、俺はこっそり心の中で感謝する。王都のほうは通信網も発展しているという話だから、もしかしたら機能は完全でないにせよスマートフォンみたいなものも存在しているのかもしれない。ここユーフォテルダではもちろん、電話もネットも使えない。だけどカメラ機能で写真を撮ったりはできるので、俺は日本からそのまま持ってきたスマートフォンをこうして度々持ち歩いていた。

「いい物見せてやるから、片手だけ自由にしてくれ」

「……あ?」

 俺は首を捻って男の目を真っ直ぐに見つめると、そう要求した。男は戯言を、といった様子で相手にしないような顔をしていたけれど、少しすると、自分がこうして押さえつけていればロープで縛っていなくても逃げ出すことはできないと気が付いたらしい。ロープを外すと、俺の傍らにスマートフォンを放り投げてくれた。俺はにやり、と口の端を上げると、さっそく画面を指で操作し、あるアプリを立ち上げる。そしてそのまま、画面を後ろにいる男へと向けた。

「何か適当に喋ってみろ」

「……あ? なんだよ、適当って」

 男は不審そうに、眉間に皺を寄せる。その相手をするのが面倒くさくなった俺は、さらにずいっ、と男の顔に画面を寄せた。

「何でもいいから。おはようとか、こんにちはとか」

「ハッ、それじゃあ、『クソッたれ』」

 男は馬鹿にするような表情で俺を見下ろすと、そう吐き捨てた。ったく、汚い言葉選びやがって、とも思ったけれど、ピコン、と音がして音声が認識されたことを伝えていたから、まあいいだろう。画面を確認すると、きちんと男が言った言葉が文章として表示されていた。俺が起動したアプリは、音声メモのアプリだったのだ。

「ほら、お前が言った言葉が、文字に変換されたろ?」

「?」

 そう言って再び画面を押し付けるも、男はきょとん、とする。文字が読めないから、正しく表示されているかどうかは判断がつかないのだろう。だけどさっきまではなかった文字が画面に表示されていることには、気が付いたらしい。男は俺からスマートフォンを奪い取ると、「こんにちは」と、画面に向かって小さな声で呟いた。するとピコン、と音が鳴り、画面に文字が追加される。その様子を見て、いてもたってもいられなくなったのだろう。癖毛の男がナオキの上から離れ、たたっと茶髪の男の元へと駆け寄って来た。

「アニキ、なんスかこれ……。本当に、喋ると文字に換えてくれるんスか……」

 癖毛の男は信じられない、といった表情で、茶髪の男の手の中にあるスマートフォンの画面を見つめていた。その隙に俺が身を捩っても、男達はもう押さえつけようとはしなかった。むくりと体を起こすと、俺は少し離れたところにいるナオキのことをまず確認する。同じように体を起こしたナオキの両手は後ろで縛られたままだけれど、あの感じだと、自力で解くことが出来そうだった。

「他に、文章を写真に撮ると、読み上げてくれるアプリだってある。きっとそのうち、こっちの世界でもそういう技術が取り入れられていくと思う。……だから、お前らでもやりようあるだろ。少しずつ、良くなっていくはずだ」

「……」

 俺がそう言うと、男たちは何かを考え込むようにして俯いた。その様子を見て、俺はちらり、と傍らに停めてあるトラックの荷台へと目を向ける。

「それにお前ら、盗みしてるって言っても、贅沢な暮らししてたわけじゃないだろ。必要最低限、生活の為にだけ使ってたんじゃないのか」

「……っ、なんで、そのことを……!」

 男たちは、驚愕した表情で俺を見つめる。現代文明の結晶であるスマートフォンを持つ俺のことは、もしかしたら神ででもあるかのように映っているのかもしれなかった。だけどもちろん、俺は神でもエスパーでもない。あの、トラックの荷台にあった膨大な盗品の数々。遊びに使おうと思う奴らだったら、とっくに売りさばいている。必要を超えた量の盗みを行っているのは、自分に何かあった時に家族に遺すためとか、きっとそういった理由なのだろう。

「残ってる盗品は持ち主に返して、もう売ってしまったものは、地道に働いて償っていけばいい」

 俺はよっいこしょ、と立ち上がると、一回り以上も年下の分際で、目の前の男たちにそう講釈を垂れた。男たちがこれまでにしてきたことは、もちろん悪いことだ。どんな理由があっても、それは変わらない。だけどこの人達には、そうなってしまう境遇があった。きっと根っからの悪人ではないのだと、この短い時間接しただけだけれど、俺はそう感じた。

「過去はどうにもならないけど、未来は変えられる。だから……頑張れよ」

 

 それから、犯人たちと共にフェス会場の本部テントへと赴き、駆けつけた警察官に二人は自首をした。捜査の色々があって数日はかかってしまったけれど、ジェダーさんのレジも無事に戻って来たので、とりあえずこの事件は一件落着となった。警察の人の話によると、他の盗品も持ち主が判明し次第返却されていくそうだ。そして本人たちの意思や損害賠償の観点などからも、二人は刑務所などには入らず、働いて被害者へ賠償していく形になりそうだという。きっと、あの二人にとって今のこの世界で働くということは、とても大変なことなのだと思う。だけどそこにはきちんと『希望』があるはずだと、俺は信じたい。


 そしてそれから少し経つと、俺とナオキの元には泥棒を捕まえてくれたお礼として、被害者の方々から続々と地域の特産品やら菓子折り、魔石や宝石類といった品々が届くようになった。被害者の方は商売を営んでいた方が多く、どうやら自分の店で扱っているものを送ってれたようだった。食べ物は俺とカイルさんとシルバさんの三人で美味しくいただき、魔石はシルバさんに使ってもらおうと譲った。しかしその中で一番扱いに困ったのは、宝石の類だった。せっかく戴いたものだから売るのはなんとなく気が引けて、かといって男の俺には使い道がない。



「『過去はどうにもならないけど、未来は変えられる。だから……頑張れよ』」

「!」

 その日、アジトに入ったらいきなりそんな聞き覚えのある台詞が耳に飛び込んできたので、俺はぎょっとした。見ると顎に手を当てて片足に体重を掛けて立っているナオキが、フフフと口元に笑みを浮かべて遠い目をしていた。アジトには他にも七、八人の少年団員がいて、そこには御馴染みのヒイロ、ラン、アスカさんの姿もあった。

「いやー、さっすが、シュウ先生は名言を言いますなぁー。悪党を改心させるなんて」

「……おい、ナオキ、馬鹿にしてるだろ」

 俺が顔を真っ赤にすると、にゃははー、とナオキは笑った。この野郎。先輩じゃなかったら、絶対どついてるからな。ナオキは俺から逃げるようにしてアジトの部屋の中央付近までひらりと移動すると、おもむろにごそごそ、とズボンのポケットへ手を突っ込んだ。

「と、まあこんな感じでほとーんどはこのシュウ先生のお手柄なんだけど、一応オレんとこにも犯人逮捕に協力したってことで、お礼の品がすっげー届いてんだよね。……ってことで、じゃーん。これは、アスカにプレゼント」

「!」

 そう言ってナオキが取り出したのは、長いチェーンの先に赤い綺麗な宝石がついた、ネックレスだった。ご指名のあったアスカさんはナオキからそれを受け取ると、先端の宝石を日の光に透かしてじいっと見つめる。

「おー、すげー。こりゃ高く売れそうだね」

「……ってえ待って売るのっ!?」

 ふんふんと得意気な顔をしていたナオキは表情を一変させ、慌ててアスカさんへと詰め寄る。アスカさんはそんなナオキを鬱陶しがるように、眉間に皺を寄せた。

「いや、だって、他に使い道ないでしょ」

「えええなんで!? 付ければいいじゃん! せっかく加工したのに!」

「いや、アタシこういうの付けるようなキャラじゃないし。そもそも似合わな……」

「そんなことない! 絶対似合う!!」

「!」

 ナオキは、ばっ、とネックレスを奪うと、そのままアスカさんの首の後ろに手を回した。カチャリ、と金具を留める小さな音が響いて、アスカさんの胸元でキラリと赤い宝石が光る。

「ほら、似合う!」

「……な、なんだよ、急にっ……!」

 そう言って、にこり、と無邪気な笑顔を浮かべるナオキに、アスカさんは顔を赤くして、驚いたような、照れたような声を上げた。それを傍から見ていた少年団員たちは、おおっ、と色めき立つ。この二人はよく喧嘩もしてるけど、なんだかんだで仲良いからな。そういう関係になるのも、もはや時間の問題かもしれない。俺はふっと笑みを浮かべると、アジトへ向かうときからずっと突っ込んだままだった右手を、コートのポケットからそっと抜いた。こんな空気の中じゃ、とてもじゃないけど渡せない。

「ねぇーシュウ。その右側のポケットにはさー、何が入ってんのかなあー」

「……!」

 しかし、さすが目ざといヒイロだ。俺のその仕草はばっちり見られていたらしく、ずいーっと近付いてきて、耳元に唇を寄せてくる。

「シュウもさー、宝石とかもらったんでしょ? いいなー、アスカさん。私も欲しいなー」

「……はあ」

 俺は観念して再びポケットに手を突っ込むと、中から青い石の付いたブレスレットを取り出し、ヒイロの手の平にポン、と載せた。結局宝石はヒイロにあげようと思い、ナオキ同様俺も加工していたのだ。まあでも別に特別な意味があるわけではなく、単に俺の一番身近な女子がヒイロだったという、ただそれだけのことだけど。ヒイロはぱあっと顔を輝かせると、ぎゅっ、と自分の胸元近くにブレスレットを寄せる。

「シュウ、ありがと! 大事にするね!」

 そして、にこり、と、満面の笑みを浮かべたのだった。俺はなんだか気恥ずかしくて、ぷいっ、とヒイロに背を向ける。するとそのやり取りを見て再び周囲が色めき立ったので、俺は顔を引きつらせた。おいふざけんな。こっちのはナオキのアレとは違うっての。おいラン、なんで拍手してんだお前。当事者のヒイロも未だにだらしなくにへーっと笑ってるし。顔戻せ。

 俺はみんなの視線から逃れるように部屋の端まで歩いて行くと、壁に背を付けて、ふう、と溜め息を吐く。

こんな感じで、少年団のアジトは今日も賑やかなのだった。


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