side イブキ 2
放課後、僕は1人教室に残ってプリントのホチキス留めの作業をしてた。日直の相方が今日はお休みだったのだ。
こういう時、赤松さんのことを思い出す。
1年生のあの時の彼女は見るからに疲れていて今にも倒れそうだった。現に倒れた。
今はもう無理していないだろうか。クラスが変わってから話さなくなってしまった……いや、告白をしてから話さなくなったのでわからない。
ただ廊下ですれ違う彼女の笑顔を見て元気そうで良かったとこっそり思っている。
夕日が差し込む教室に誰か入って来た。
誰だろうと顔を上げると、そこにいたのは赤松さんだった。
猫のような綺麗な瞳が西日を受けてキラキラと輝いている。
「赤松さん? どうしたの……? 」
「1人で作業してる所が見えたから。私も手伝う」
そんな悪いから、と言うより早く彼女は席に着いてカバンからホチキスを取り出した。
「い、忙しいでしょ。悪いよ」
「ううん。忙しくない。
あの時のお詫びまだしてないし」
気にしなくて良いのに。でも嬉しかった。赤松さんが僕のことを気にかけてくれていることが。
僕たちは無言でホチキスを止めていく。
ぱちんぱちんと言う音が教室に響いた。
赤松さんはなんだかいつもと様子が違っていて、どこか緊張して見えた。
「……服、似合ってるね」
「え!? あ、ありがとう! 」
嬉しそうに頬を染める。いや、夕日が反射しているだけ?
「大人っぽくてびっくりした。いつももっとカジュアルだよね」
「う、うん。にいさ……楡が手伝ってくれて……あ、その! たまたまお店にいたから! 客観的な意見が聞きたくて! 」
楡意外とセンスあるんだな……。
僕は嫉妬を覚える。彼女の服を選ぶだなんて羨ましすぎる。僕だって……。
いや、ただの元クラスメイトの僕にはそんなことできない。
ただなんで楡なんだろう……僕は思い切って疑問をぶつけてみることにした。
「赤松さんと楡ってどういう関係なの? 」
「えと、家が近いから、親同士が仲良くて」
幼馴染というやつだろうか? 心底楡が羨ましい。
「楡が今日もおかしくてさ。
いきなりクラスメイト殴るし、僕にも摑みかかるし……接骨木さんが」
接骨木さんの名前を出した瞬間、赤松さんが勢いよく立ち上がった。
「に、接骨木さんがどうかしたの!? 」
「えっ、と、いや、特に何かあるわけじゃないんだけど」
ただ僕と接骨木さんが話していたら楡の様子がおかしかった……そう言うと赤松さんは「ごめん、すぐ戻る! 休んでて! 」と言って全てを置いて出て行ってしまった。
なんだろう。
僕は逡巡し、赤松さんの後を追いかけた。さすが陸上部エース、あっという間に遠くに駆けてしまったが見失わないよう必死で走った。
楡と接骨木さんは一緒に帰る所だったのだろうか。
人気のない裏門で2人は並んで歩いていた。
楡の腕が接骨木さんに伸びる。
だがその手は接骨木さんを掴むことはなかった。
赤松さんが自分の履いていたフラットシューズを楡に投げたのだ。
「誘拐犯死ね! 」
「落ち着けよ、まだ何もしてない」
「まだ!? このっ! ぬけぬけと! お前のせいで私がどんなに大変な思いをしてるか……! 」
そういえば前にもこんなことがあった。
赤松さんは一体……?
接骨木さんも困ったように赤松さんを宥めていた。
「私たち一緒に帰るだけだよ。
あ、赤松さんも一緒に帰る? 」
「ついでにウチに寄ってもらおうかと」
「何勝手なこと言ってんの!? 掃除してないし……ってかあんたの部屋どうすんだよ! 」
掃除……?
どういうことだと接骨木さんと顔を見合わせる。
だが僕たちをよそに2人の喧嘩は止まらない。
「え? 俺はお前と違って綺麗にしてるから」
「私だって母さんが家事をちょっとでもやってくれりゃあさあ! っていうか兄さんもやってくれれば菫がいつウチに来てくれても構わないんだけど! 」
兄さん……?
「あ」
「なに!? 」
「常々思ってたんだが、お前って怒ると我を忘れるよな。いいの? 俺のこと兄さんって呼んで」
「ギャア! 良くない! 今の無し! 全部忘れて! 」
赤松さんは慌てふためいて僕の耳を塞ぐが今更遅い。
「……兄妹だったの? 」
「わー! バレてしもうた! 」
「お前がバラしたんだろ大間抜け」
赤松さんが真っ青な顔で半泣きになっていた。対照的に楡は落ち着いている。
兄妹にしては似ていない……どういうことなんだこれは……。
「今更隠せねえと思うから言っておく。
俺と赤松は兄妹だ。去年俺の父親とコイツの母親が結婚した」
兄妹……。
その単語は今までの謎全てを解決していった。
兄妹だから、お弁当の中身が同じ。
兄妹だから、一緒に帰る。
兄妹だから、下着を見たことがある。
「な、なるほど……」
「ち、ちがうの! 私だって楡がどんな人か知ってたら反対したけど、その時は知らなくて! 」
「だから隠してたの? 」
「入籍したのが入学して1ヶ月後だったし苗字とかそのままにしてたから色々面倒で……」
確かに1ヶ月後にいきなり苗字が変わったら不思議に思う。
そして、2人がいきなり兄妹になったらなおのことだ。
「楡くんお兄ちゃんなんだ……」
「兄さんって呼ばれてる」
「赤松さんはなんて呼ばれてるの? 」
「妹さん」
……変だけど、本人たちが良いのなら良いかな……。
接骨木さんもホッとしたように頬を緩める。
「そっか、下着の色知ってたの、兄妹だからかあ」
「……は? 楡、私の下着の色知ってんの」
「ああ。めちゃくちゃ趣味悪いよな。お前の彼氏はお前の下着を見ても萎えない盛りのついた犬みたいなのだと良いな」
楡が爽やかに微笑む。
コイツ最低だな……。赤松さんも軽蔑した表情で楡を睨む。
「あ、あー! で、でも、ホントすごい柄だよね! どこで買ってるの? 」
接骨木さんは雰囲気を払拭しようと話を振るが、あまり良い話題じゃないような。
「商店街のワゴンセールで」
「それは……」
「僕もユニクロのセールで買うよ」
「俺は西友」
大事なのは見た目じゃない。履き心地だ。
接骨木さんは困った顔で僕たちを見た。
「どこでも良いと思うけど、大事な部分を保護してるわけだからもう少し高いものでもいいんじゃないかな」
「接骨木さんはどこの買うの? 」
赤松さんが自然に聞く。
これ聞いたら悪いよなあと思って顔を向けた。
「ピーチジョン」
答えたのは接骨木さんではなかった。
楡だ。
……え? と思い振り返ると、2人も同じように驚いた顔をしていた。
「な、なんで知ってるの……? 」
「んー……なんとなく」
「このっ、テメェ! 私がこの手で捕まえてやるからな……! 」
「落ち着けよ。
いや、ごめん、接骨木さん。前に透けてたからさ」
「ええ! や、やだなあ……恥ずかしい……」
接骨木さんは顔を赤くして己を抱きしめる。
彼女は今まで下着が透けるような服は持っていなかったし、例え透けてたとして、何故ブランドがわかるんだ?
楡をチラリと盗み見するが涼しい顔で接骨木さんに微笑んでいた。
あの常に浮かべている冷たい顔が嘘のようだ。
赤松さんと楡が付き合っていないとなると、楡のあの反応は接骨木さんのことが好き、ということだろうか。
……相手が楡でなければ今すぐビールをかけるのだが……楡だ。
今の下着に関する発言も気持ち悪くてうなじに鳥肌が立ったが、接骨木さんの家を把握していたらしいし、こいつ相当ヤバい奴じゃないのか?
「楡、ちょっと良いか? 」
「んだよ」
僕は赤松さんと接骨木さんに背を向けて楡の肩を組む。
「まさかとは思うけど、接骨木さんのこと好き……なの? 」
「ああそうだ」
あっさり同意されてしまった。
いや、分かっていたのだが……それでも否定して欲しかった。
「……家とか把握してるのなんで? 」
「好きなひとのことは何でも把握したいだろ? 俺は菫の全てを知りたいから」
菫呼びとはこれまた気持ち悪い。
こいつ、いっぺん死んだ方が良い。
「お前はどうなんだ? 」
「へ? 」
「まさか菫のこと好きじゃねえよな? もしそうだとしたらお前はこの世から消える」
楡のドスの利いた声に僕は慌てて体を離した。
「ヒッ! ち、ちがう! 」
「だよなあ?
となると、赤松か? 」
「えっ……」
なんでそんなこと知ってるんだ。僕が唖然とすると楡は面白そうに目を細めた。
「はっ、良かったな」
「なに、が、いや、なんで……」
「赤松に手を振られたとき、お前ちゃんと振り返さなかったから」
休み時間に楡が僕らの教室に来てた時のことの話だ。確かにあの時僕は赤松さんの顔を見るのが辛くて思わず逸らしてしまったが……。
「どういう意味だよ」
「どうもあいつモテるみたいでな、あいつに手を振られて振り返さない男はいない。皆鼻の下伸ばして振り返すのにお前はそうしなかった。嫌いなのかと思ったがそうじゃない、俺に嫉妬してたんだろ」
図星だ。自分の顔が赤くなるのが分かる。
「さっき俺ときょうだいって分かった時あからさまにホッとしてたもんなあ?
まあでも俺も無駄なことしてないと分かっただけ良かったよ。んじゃあな、俺は菫と帰る」
「って、おい! どこ行く! 」
楡は嫌そうな顔をして僕を見た。無粋なことを聞くなということだろう。
赤松さんが接骨木さんの前に立ち塞がるが、楡が彼女に何か囁くとそのまま動かなくなった。その隙に楡は接骨木さんを誘拐して行く。
「あー……警察呼ぶ? 」
「へっ!? あ、そ、そ、そうだね! 」
赤松さんは何故か顔を赤くして慌てている。
「楡に何かされた!? 」
「ううううん違うのただ……」
彼女は胸を押さえて俯いた。
それから息を大きく吸うと僕の目を見つめる。
「青桐……少しだけいいかな」
「うん? うん。どうかしたの? 」
「私、青桐のこと、好きだよ。11月9日より前からずっと」
僕はしばらく息ができなかった。
……11月9日よりって、それ、僕が告白するよりも前から好きだったってこと……?
「えっ!? 」
「それだけ! 楡のこと追いかけなきゃ! じゃ! 」
走り出そうとする陸上部エース腕を掴んで慌てて止める。
「ま、待って。僕の返事は聞いてくれないの? 」
「い、いいよ。大丈夫。今のは私の自己満足……ごめんなさい! 」
「待ってってばー! 僕の返事を聞いて」
また走り出そうとする赤松さん。走られたらもう追いつけないというのに。
顔を赤くして涙目になる彼女の肩に手を置いた。
不安にさせたのだろうか。羞恥心からだろうか。
僕は彼女が安心できるよう、気持ちが届くよう赤松さんの瞳を見つめた。
周りの音が聞こえなくなる。自分の心臓の音だけがうるさい。
「僕も、あの時から気持ちは変わってないよ」
僕の震え声の告白に彼女はえっと小さく呟いて、それからホッとしたような泣きそうな顔で僕を見上げた。