side スミレ 4
こうして私たちは石原さとみ以上の石原さとみになるべく更なる高みへと向かう。
1週間で1.5kg減したわけだが、これからはさらに絞らねばならない。
テニス部だけのトレーニングは足りないと思い、毎日朝はランニング、晩にストレッチをプラスした。
ご飯もこの1週間は間食抜きにしていたが、サラダの量を増やし脂質と炭水化物の量を減らすこととした。
その甲斐あってか、2週間目にして私は2kgの減量に成功した。合計3.5kgだ。
数字にするとリンゴダイエットのときほど減っていないと感じたが体を見ると以前と比べて見るからに引き締まっており、石原さとみにはまだ程遠いがぽっちゃりというほどではなくなってきた。
青桐くんにこのことを報告するとすごく喜んでくれたが、同時にそろそろ減量しにくくなる時期に入っていると言われた。
そもそも1ヶ月で5kgの減量というのはキツイ方だし、運動もしていて筋肉も増えるとどうしても減らないそうだ。
ここが踏ん張りどころか。頑張らなくては。
「最近接骨木さん可愛くなったよね」
「うんうん。着実にアオザップ効いてるね」
青桐くん待ちの子羊たちが口を揃え私を褒めてくれる。
同志にそう言われるとやはり格段に嬉しい。
ちなみにアオザップとは青桐くんのダイエットのことだそうだ。
「メイクとかしないの? 」
「メイク? リップくらいかなあ」
一応スキンケアや産毛と眉の処理はしているがその程度だ。
ファンデーションを塗ったりなんだりだとかはしていない。
「ちょっとやってみる? 今ウチね、リップとアイライナーとアイブロウと……あ、アイシャドウも持ってるわ」
「梅も接骨木さんもサマータイプだよね? ちょうどいいじゃん」
「えー! 借りていいの? 」
「いいよー。ってかやってあげる」
子羊梅はニコニコと笑って私に化粧を施していく。
「石原さとみみたいになれるかな」
「えー。ウチのメイク道具だと系統違うからなー。
でも近づけるよう頑張るわー」
子羊梅は鮮やかな手さばきで私に魔法をかけていく。
はいできた、と渡された鏡に映る私は、確かに私だが私ではない。私以外私じゃないけど。
「うわあ! すごい! こりゃすごいよ! ありがとー! 」
「いいってことよ」
「あー、ってかもう昼休み終わるね。今日相談者の列長いからなあ」
「またにすっべ。
接骨木さん、メイクいい感じだからその辺回って自慢してきなよ」
「そうするよー! ありがとうね! 」
ルンルンスキップしながら私は校内をうろつく。
友人たちは口々に可愛いと褒めてくれた。非常に気分が良い。
ついでに飲み物を買おうと思い、ここから一番自販機がある校庭に行くと、赤松さんがご飯を飲んでいるところだった。飲む、と表現してしまうくらい凄まじい食べっぷりである。
「赤松さん」
「接骨木さん。
……あれ? メイクしてるの? 可愛いね」
いやあ、グフフ、と照れ笑いをしていると、彼女のお弁当箱が目に入った。
……楡くんのお弁当箱?
「それ……」
「え? 」
「お弁当箱……その、楡くんの、だよね? 」
「なななな何言ってるのそんなわけないじゃんたまたま同じなのかなわあすごい偶然」
赤松さんは早口でまくし立てるとトートバッグに素早くお弁当箱を仕舞った。
明らかに動揺している。
「……やっぱり赤松さんって、楡くんの……」
「いや、これは」
「彼女なの? 」
その瞬間、赤松さんは口元を抑えた。
顔色は土留色で胃の内容物が口から出かかっているのがわかる。
「あ、赤松さん!? 」
「ご、ごめん、私、吐きそう」
「そうみたいだね! あ、そうだ、ここに吐いて良いよ」
私はハンカチを広げて渡した。大判のハンカチだから恐らく……いける。
だが赤松さんは首を振って体を抱きしめジッとしていた。堪えているらしい。
しばらくそうしていたがやがてゆっくりと深呼吸をしてもう大丈夫と呟いた。
「ごめんね、あまりにもその、気持ち悪、吐き気を催、いや、ショックな質問で」
「そんなに……」
「うん。泣きそうだった」
「なんかごめんね……」
私が不注意なばかりに。でもそんな? そんな吐き気がするほどの質問なんだろうか?
「ううん。接骨木さんに悪気があったわけじゃないし……。
ただ私があのゴミクソ男を好きになる悪趣味な女だと思われてたのかと思うとショックで」
「楡くんはゴミクソ男じゃないよ……優しい人だし……」
その言葉に赤松さんが勢いよく顔を上げ私を見つめた。
それからじわじわと目に涙が溜まり、やがて泣き出した。
「そんな……ひどい……」
「ど、どうしたの!? 」
「菫が、奴に、洗脳されてたなんて気付かなくて……ごめん……私……」
鼻をすする赤松さん。
私今名前で呼ばれた? そして、洗脳?
「いや……洗脳されてないよ……」
「洗脳されてる人はみんなそう言う」
「本当に。洗脳されるほど長いこと話したことないし……」
自分で言って悲しくなる。
「……夜中侵入してたのかアイツ……」
「侵入もされてません。戸締りはしっかりしてるから」
「……まさか本気で? 優しいと思ってる? 」
私は大きく頷いた。
赤松さんは……かなりショックを受けたらしい。真っ白な顔で私を見つめた後、抑揚のない声で「悪趣味な……」と言葉を漏らした。
「な、なんでみんなそう言うの!? 」
「なんの理由もなく人に暴力を振るう奴だよ」
「そ、それは……きっとなんか、あったんだよ。うん。相手が宇宙人だったとか。だって、楡くん……」
あの時私の手を引いてくれたのは楡くんだ。
その人が暴力を振るったなんて思えない。
「……相手が宇宙人なんじゃなくて、楡が宇宙人なのかも」
それはどういう意味か聞き返そうとしたが赤松さんは「それじゃ」と去って行ってしまった。
彼女はいつもクールに去ってしまう。
お弁当箱の謎を残して。
*
結局、赤松さんと楡くんの関係はなんなんだろう……。そう悩みながら歩いていたのがいけなかった。
ついうっかり、玄関にある段差を忘れ思いっきり転けた。
我ながら派手な転け方をしたと思う。
ビターン! と肉のぶつかる音が響き、通り行く生徒たちがギョッとしたようにこちらを見る。
恥ずかしくなって慌てて立ち上がろうとしたが、また転けてしまう。
どうやら足を痛めたらしい。
人と目が合わないようにしながら私は廊下の壁を伝って保健室へ歩き出した。
もう授業は始まっているが仕方がない。
最近鍛えていたお陰か這い蹲らなくて済んだが、しかし体はノロノロと思うように進まない。
「接骨木さん!? 大丈夫!? 」
同志子羊の1人が私に気が付いて心配そうにしてくれた。だが彼女は授業に遅れないか、焦っているのもわかる。持ち物からどうやら次の授業が体育であることがわかったから。
きっと私が心配だが着替える時間が無くなるのも心配なのだろう。
私は微笑んで見せた。
「平気だよ。転けちゃって、恥ずかしいね。
心配してくれてありがとう。大丈夫だから」
「そ、そう? 」
「うん。体育頑張ってね」
彼女はこちらを伺いながらも更衣室へと走って行く。
最近ついウトウトしてしまいがちな数学が心配だが最早今回のテストは諦めるべき……そう腹を括った時だった。
私の肩に手が置かれる。
あ、と顔を見上げると楡くんの美しい顔が私を見下ろしていた。
「平気じゃないだろ。
保健室まで行くんだよな? 寄りかかって」
「あ、でも、授業始まるし、行ってて」
「あのなあ、授業なんかどうだって良いに決まってんだろ」
「……ありがとう」
やっぱり楡くんは優しい。
「……楡くんは私が困ってるといつも助けてくれるね。あの時もそうだった。目が見えなくて困ってた時も」
「そりゃそうだろ」
「だって、あの時私たち話したこともなかったのに……楡くん私のこと知らなかったでしょう? それなのに助けてくれて、本当に嬉しかった」
楡くんは黙っていた。
あれ? と思い顔を覗き込むと、なんとも言えない顔をしている。
「……知ってた。接骨木さんのこと」
「え? そうなの? 」
「なあ、なんで今日メイクしてんの? 」
話が飛んだなあ。
私は、だが顔を押さえてしまう。やっぱり楡くんに見られるのは恥ずかしい。
もっと石原さとみに近づいてから……。
「変だよね、は、恥ずかしい。すぐ落とすよ」
「確かにすぐ落とした方がいい」
心にぐさりと来た。
へ、変なのか……。
だが私の心は次の瞬間有頂天になる。
「だけど変じゃない。可愛いよ」
可愛いよ。
その言葉が脳内に何度も何度も響き渡る。
可愛いよ。可愛いよ。可愛いよ……。
私はそれ以降の記憶があまりない。
ただ気が付いたら子羊梅と駅ビルで化粧品を買い漁っていた。