side スミレ 3
スマホを見ると、青桐くんから先ほどの件の謝罪のLINEが来ていた。それから直接謝りたいから今日一緒に帰っても良いか、ということだった。
私がOKと伝えスマホを仕舞う。
お昼後の体育で、とにかくカロリーを消費しようとめちゃくちゃに体を動かしその疲れで社会の授業はぐっすりと眠った後、私と青桐くんは下駄箱で向かい合った。
「……さっきは無神経なこと言ってごめん」
「ううん、私こそ……言いたいことがあったのに泣いちゃって。ごめんね」
「……歩きながら話そうか」
青桐くんは気まずそうに歩き出す。私はその後を追った。
校庭にサッカー部の声が響く。
テニス部は今日休みだ。とにかく鍛えたい身としては残念だが仕方がない。
「接骨木さんってなんで楡が好きなの」
「……一年の秋くらいかな、私、目を怪我しちゃって」
「ええ!? 」
「傷自体は浅かったしすぐ治ったんだけど、傷が治ってからしばらくは周りがよく見えなくて……皆、私に気を使って色々手伝ってくれたんだけど、それがすごく申し訳なくて、つい……帰りは親が迎えにくるから大丈夫って言っちゃったんだよね。親働いてたから来れないのに」
親にも友達に送ってもらうから大丈夫、と言ってしまったのだ。
とにかく迷惑をかけたくなかった。
「1人で帰ろうとしたら、誰かが私の手を引いてくれて……。目よく見えないから名乗られてもその時楡くんのこと知らなくて、それで誰かわからなかったんだけど、学校の中だし多分生徒だから大丈夫だと思ってお願いしたんだ。
そのまま家まで送ってくれたんだ。ずっと先導してくれたし、周りに何があるか言ってくれたから歩きやすくて……良い人だなあって思ったの。
しかも、私が治るまで毎日手伝ってくれて……。
お礼に行こうとしたんだけど中々うまくいかなくて、しばらくしてからやっと楡くんに直接お礼が言えたんだ」
その時、腕を引いてくれた人があんなに麗しい顔面の人だなんて思いもしなかった。
目が良くなるまではどんな人かもわからぬままときめいていたのだ。サプライズと叫ぶところだった。
「そうなんだ……」
青桐くんは優しく目を細めて頷いていたが、急にハッとなったように目を見開いた。
「……ずっと先導してたの? 」
「え? うん。歩きやすかったよ」
「……家まで? 」
「うん」
「家、教えたことあるの? 」
「無いよー! だって、1年の時はクラスも違ったし話したことないもん! そもそも知らなかったし! 」
だからこそ、彼がそういうことをしてくれたことに驚いたし、嬉しかったのだ。
そして私みたいな冴えないポチャ女を気にかけてくれる人がいるということに胸が高鳴った。
「……それって……うーん……気のせいかな……。
……どんなこと話してたの? 」
「好きなご飯とか、授業のこととか、家のこととか……あんまり覚えてないけど、そういう細々したこと話したよ」
「家のこと? 」
「うち共働きだからお迎え頼めなくて、とか。ゴミ捨ての当番を私がしてる、とか。あとアパートに頭がおかしいおじさんがいるから気をつけてって……。
……そういえば」
「なに? 」
「いや、大したことじゃないんだけど、私が目を怪我した前後にそのおじさん見なくなったなあって思って。どうしたんだろう。何されるかわかんなくて怖かったし、いないとありがたいけど……」
青桐くんの顔色はなぜか悪い。
彼からしたら興味のない話題だっただろう。
私は話を変えることにした。
「そういえば、青桐くんはどうしてその、イメチェンしたの? 」
「え? あ、ああ、ダイエットの理由? 」
青桐くんはどこか上の空だったが、首を振って「ダイエットの理由ね」ともう一度呟いた。
「好きな子に振られたから……っていうありきたりな理由なんだよね」
「へえ〜。
見返してやろう、みたいな? 」
「いやまさか! その子はすごく可愛くて性格も良くて……なんていうか……俺なんかが烏滸がましかったなって。
それでも友達には戻りたかったし……もし痩せたらまた、友人として話してくれるんじゃないかなあって淡い望みがあったんだけど……」
どうやらそれは叶わなかったらしい。
青桐くんはフッと悲しげに笑った。
「でも良いんだ。
ダイエットするのは大変だったけど楽しかったし、こうして友達も増えたし、自分に合ってることが見つけられたのってやっぱ大きなことだし」
「青桐くん……。
……青桐くんは彼女いないの? 」
「……実はまだその子に未練があって……」
そう言って彼は黙った。
私はそっか、とだけ言ってその横を歩く。
彼女がいたら、私たち子羊なんか構ってる暇はないだろうということに今気が付いた。
しかし、今の青桐くんならその子に告白してもOK貰えるんじゃないかな……と思ったが、多分彼は半ば諦めているのだ。
だからきっと、彼から告白することはもう無いんじゃないだろうか。
「……青桐くん、あのさ、」
「接骨木さんと青桐じゃねえか」
私と青桐くんの間にニュッと腕が入り込んだ。
そのまま青桐くんの腕を掴んで後ろに引っ張る。何事かと腕の主を見上げると楡くんだった。
「楡くん! 」
「ギャア! 楡! なんで貴様がここに! 」
青桐くんが青ざめた顔で楡くんの腕を振りほどき己の体を抱きしめる。
……なんで青桐くんって楡くんのことを嫌がるんだろう?
「通学路だからなあ。仲良く何話してたんだ? 」
「べ、別に。相談に乗ってるだけだから。
そうだ接骨木さん駅ビルのところでタイムセール始まっちゃうから早く行かないとまずいねうんそうださよなら! 」
青桐くんにカバンの持ち手を軽く引っ張られて私はヨタヨタとその後に続くしかない。
だが後ろから楡くんの手が伸びて私の肩を掴んだ。
「へえ、駅ビルの中に行くんだ。2人で」
「う、うん。そうみたい」
何故かいきなりそういうことになっている。
「2人で」
「うん……? 」
「俺も行く」
「ハア!? 無理ダメ離れてさよなら! 」
「俺も行くっつってんだけど」
「ギャア怖い! 逃げて接骨木さん!」
逃げてと言われても……。楡くんは私の肩をしっかりと掴んでいるし、青桐くんも私のカバンを掴んだままだ。どこにも逃げられない。
「青桐くん落ち着いて。タイムセール行くんでしょ? 早く行こう」
「そうだよなあ? ほら早く歩けよ」
「貴様と行動を共にするのは絶対にごめんだ! 」
「ならお前どっか行けよ。
接骨木さん、俺と駅ビル行こう」
「えっと……嬉しいけど本末転倒というか……」
何がどうなってこうなった?
私が混乱していると後ろからタタタッと心地いいリズムが聞こえてきた……と思ったら「楡! 死ね! 」という短い叫びと共に赤松さんが楡くんの頭に思い切りカバンの角を叩き込んだ。
何がどうなってこうなるんだ。
楡くんはよろけた後、赤松さんを鋭く睨みつける。
「赤松……」
「不覚! 生きてるなんて……でも誘拐の現行犯で通報させてもらうから! 」
「落ち着けよ。誘拐なんかしてねえ」
赤松さんは私の肩を掴んでいた楡くんの腕にチョップを食らわせると彼の顔を睨めあげた。
「これが言い逃れ出来ない証拠だと思うけど」
「肩掴んでただけだろ」
「あ、赤松さん……落ち着いて。私たちここで話してただけで誘拐事件なんて起こってないよ? 」
彼女は私の言葉に困ったように眉を下げ「ストックホルム症候群」と呟いている。
なんだなんだ。
「えーと……私たち駅ビルに行くみたいなんだけど、赤松さんも行く? 」
「今日バイトなんだ。誘ってくれてありがと。
楡、帰るよ」
「いや、俺も駅ビルに行く」
「何買うつもり!? まさか、手錠!? 死ね! 」
赤松さんは天誅! と言いながらまた楡くんの後頭部を殴った。
今度は手提げに入っていたギネスブックで。
これにはひとたまりもなかったらしい。楡くんはそのままズルズルと道路に座り込んだ。
「ギャア!? 楡くん!? 」
「近づかないで、危ないから。
それじゃあ私帰るね。2人とも気をつけて」
彼女は楡くんの体に腕を回すとそのまま引きずりながら去ってしまった。
信じられない。何が起こったんだろう。
私は横で青い顔をしている青桐くんを見た。
彼もまた青い顔でこちらを見ている。
「何が起こったの……? 」
「わ、わかんないけど助かった……。
それにしてもあの2人ってどういう関係なんだろう……」
青桐くんの声は小さく、不安そうだ。
私は首を傾げる。
「てっきり付き合ってるのかと」
思ったけど違うのかな、と言葉を言い終えるよりも前に青桐くんが倒れ込んだ。
嘘でしょまだ事件が!?
「あああ青桐くん!? 」
「付き合って……ないよ。赤松さんあんなクソッタレ好きになるほど趣味悪くない……そう信じてるから……」
「あなた私の好きな人と私のこと貶めたね?
でもその反応もしかして……青桐くんの言ってた好きな人って赤松さん……? 」
青桐くんは震えながら頷いた。
そうなのか……私も人のこと言えないけど、青桐くんって面食いだなあ……。
「……烏滸がましいよね……」
「いや。面食いだとは思ったけど。
でも、多分、赤松さんは楡くんのこと好きじゃないと思うよ……」
好きな人をギネスブックで殴るような人いないと思うし。
いやでも赤松さんちょっと変わってるからあれが愛情表現なのかもしれない。
となると付き合ってる……?
「今のは撤回。もしかしたら付き合ってるかも」
「う、嘘だ……」
青桐くんは体を震わせながら泣いていた。嗚咽とともに「あんなののどこが良いんだ。ペニーワイズのがマシだろ」と呟いていた。
殺人ピエロモンスターよりもマシとは。楡くんとの間に一体何があったんだ。
「青桐くん、泣かないで」
「泣いてない」
「いや、あの、そんな涙垂らしながら言われても……。
あのね、青桐くん。私は楡くんのことまだ諦めるつもりないよ。メチャメチャにこき下ろされて振られるまでは諦めない」
「不屈の精神……」
私はポケットからハンカチを取り出して青桐くんに渡した。
サマータイプに似合うアップルグリーンのハンカチだ。
「青桐くん。私を石原さとみ以上の石原さとみにして。楡くんのこと振り向かせてみせるから」
つまりこれは、赤松さんから楡くんを奪いに行くということだ。我ながら盗人猛々しい。
そうなったらあの素早い動きで私もギネスブックで殴られるかもしれない。
そうだとしても! 人の気持ちは変えられまい。
「……ごめん。弱気になって。
そうだよね。まだあなたを石原さとみ以上の石原さとみにしていないし……それにそもそも楡はどうも怪しいし……とにかく! まだ望みは捨てない方がいい! はず! 」
「うん! 」
私たちは決意を固める。
目指せ! 石原さとみ以上の石原さとみ!