side スミレ 2
その日から私はテニス部に入り、LINEで青桐くんに食事の写真を送り、メルカリで持っていた服を売って自分に似合う服を買う生活を始めた。
青桐くんは私のような悩める子羊の相談にいくつも乗っているらしいが返信は早く、「糖質が多いので注意しよう! 」「野菜をもう少し多く! 」「いい感じです! 脂質をもう少し減らせば完璧! 」とアドバイスをくれる。
なんて素晴らしい先生を持ったのだろう。同い年だというのにこんなにも頼れる青桐くんを尊敬していた。正直なところ担任の先生より頼れる。
一度、青桐くんになぜこんなことをしてくれるのかと聞いてみた。
曰く、彼は自分の体型で昔から悩んでいたらしい。だがイメチェンした結果全てが良い方向へと向かい、それをみんなにも知って欲しくて、そして無理なダイエットで身体を壊す人を見たくなくて、彼はイメチェンアドバイザーをやっているそうだ。
最早キリストである。主よ人の望みの喜びよ。
そんなわけであの決意の日から1週間前。私は今日も青桐くんからアドバイスを貰っていた。
迷えは子羊は多いので直接アドバイスを貰える時間は少ない。子羊同士で昼休みの相談は五分程度に収めるという暗黙のルールができていた。
「接骨木さん、調子良さそうだね」
「おかげさまで、順調に脂肪が減ってるよ。それに顔色良いねって言われることも増えたし……本当にありがとう」
「いや、僕はただアドバイスしてるだけ。それを実行している接骨木さんの実力だよ」
青桐くんは謙虚にはにかみながら、私への課題を出していく。
ああ、こんな先生が持てて良かった……これはこの場にいる子羊全員の思いだろう。
「そういえば、なんであの時屋上で……」
青桐くんは周りを気にしてか、最後までは言わなかったが言いたいことは伝わった。
なぜ泣いていたのか、ということだろう。
「……好きな人が、石原さとみがかわいいって言ってて……望み高すぎじゃんって……」
「なるほど! それで石原さとみを目指しているのか……。
あの……もし良ければ好きな人が誰か聞いても良い? 」
少し気恥ずかしいが、青桐くんには体重も昨日の夜ごはんも知られている。
私は周りに聞こえないよう小さく答えた。
「楡くん……なんだけど」
「ハア!? 楡!? まさか楡 無花果!? 」
青桐くんが悲鳴のように叫ぶ。私の小声が無駄になった。
周りの子羊がギョッとしたように青桐くん……ではなく私を見た。
あれ?
「あっ、いや……ごめん。大きな声出して……本当にごめん……」
「いや……うん。まあ、仕方ないよね。過ぎたことだもの。
でもそんなに驚くこと? 」
「……あー……めちゃくちゃ趣味悪いんだなって驚いただけ」
趣味悪い……?
「楡くんだよ? あの、アルカイックスマイル楡くん」
「アルカイックスマイル? 絶対零度スマイルじゃなくて? 」
「……楡くん好きなの? 」
私の横にいた子羊が、何故か慄いた顔でこちらを見る。
「う、うん」
「あちゃー。それは……」
「な、なに!? モテモテだから!? でもしょうがないじゃない! 好きになっちゃったんだもん! 」
「いやいや、楡くんだよ? モテないよ」
「へ? 」
あんなにかっこいいのに。
私がキョトンとしていると、他の子羊達までもが「あー……それは」「いやちょっと……」とどこか引いた声を出し始めた。
「な、なんで!? あんなにかっこよくて優しいのに! 」
「たしかに顔は良いよね」
「性格がヤバいんだよ」
「剥製にしてもらえれば好きになれるかもしれない」
「絶対いつか罪を犯して捕まるよね」
そ、そんな。
「楡くん、何したの」
「知らないの? 態度を注意した三年の先輩ボコボコにしたりとか」
「談笑してた男子生徒をボコボコにしたりとか」
「絡んできた他校のヤンキーボコボコにしたりとか」
「とにかく逆らうやつ皆ボコボコにする。女子供にも容赦ないらしいよ」
そんな……そんなわけない。楡くんは優しい。
私は知っている。彼がどれだけ優しいかを。
だが、青桐くんも子羊もあちゃー、という感じで私を見ていた。
その哀れむような顔に、私の両の目から涙が溢れてきた。
楡くんのことを悪く言われているのに喉がつっかえてうまく言い返せない。
私は走り出した。テニス部に入ったのでドタドタとした走りではなく爽やかな走りだった。そう青桐くんは後に語った。
*
なぜか涙が止まらず、教室に戻ることもままならない。
渡り廊下でぼんやりしていると、遠くから噂の人・楡くんがこちらに近づいてくるのがわかった。
この醜い泣き顔を見られるのはまずい……! 私はサッと逃げようとしたが、楡くんは足が長いからか、想像よりも早く私の元まで来てしまった。
私の顔を見て彼の美しい顔が驚きに染まる。
「どうしたんだ……? 」
「な、なんでもない」
「なんでもないわけないだろ? 泣いてんのに……。
……青桐か? 」
楡くんはいつものように笑ったいなかった。
冷たい無表情でこちらを見下ろしている。
笑わない彼は末恐ろしいほどの迫力がある。
「う、ううん。違うの、私が勝手に……心配かけてごめんね、大丈夫だから」
サマータイプにぴったりという、レモンイエローのブラウスの袖で私は涙を乱暴に拭う。しかしその手を、楡くんがやんわりと抑えた。手首を優しく掴まれたのだ。
「傷口、開くから。
……青桐に何かされたなら俺が……」
「本当に違うんだ。あの、青桐くんは相談に乗ってもらってて……その、今泣いてるのは関係ないの」
私は指で涙を拭って無理矢理笑って見せた。
しかし楡くんの表情は冷たいままだ。
切れ長の瞳がスッと薄めになる。
「最近アイツと仲良いよな? 」
「へ? あ、うん。その……イメチェンしてて」
「へえ、なんで」
なんで……それはあなたの為ですよ、とは言えない。
「……好きな、人が……」
「好きな人? 」
突然楡くんの、私を掴む手に力が入る。
「誰」
自分でも顔が赤くなるのがわかる。
あなたですよ、とは言えない。
まだ石原さとみになれていないからだ。
石原さとみになって告白をしたいのに。ああ、イメチェンしたのは好きな人のためと言うべきではなかった。
「……は、ずかしいから、言えない」
ギリっと締め上げられたように手が痛くなる。
見ると、楡くんは指先が白くなるほど強く私を掴んでいた。
楡くんの顔が怖い。いつもみたいに笑っていない。
「……誰……」
「……楡くん……い、痛いよ……」
「楡! 」
その時、廊下の先から女の子が凄まじいスピードでこちらを走ってくるのがわかった。タタタッという足音がリズム良く聞こえる。
赤松 凌霄花さんだ。
さすが陸上部のエースだけあって、僅か数秒で息も切らさぬまま目の前にいた。
「何やってんの。手離しなよ」
「赤松……」
「離しなって」
赤松さんは楡くんと私の手を掴んで無理矢理引き剥がした。痛かったからちょっと助かる。
「……今、俺は接骨木さんと話してんだよ。邪魔すんなっての」
「悪いけど、接骨木さんは先生に呼ばれてるんだよね。
じゃあねバイバイさようなら」
赤松さんは楡くんの背中をドンと押すと流れるように私の腕を引いて歩き出した。
楡くんは不満そうにこちらを見ていたが、やがて首を振って去っていく。
「呼んでくれてありがとう。先生って誰先生? 」
「……ごめん。今のは嘘。
ねえ、楡に何かされた? 」
赤松さんは猫のような目を細めて疑うようにこちらを見た。
私は首を振る。
「何も。
……楡くん、今日は変だった……」
「いやアイツいつも変だけど……最近は機嫌も悪いし」
「そう、なんだ……」
赤松さんは楡くんと仲が良い。
家が近いらしくよく一緒にいるところを見る。
やっぱり、美形の横には美形と決まっているのだろう。
赤松さんは、石原さとみというにはクールだが、もしかしたら2人は……。
「接骨木さん」
私の勝手な妄想がバレたかと思い、びくりと肩が跳ねる。
「は、はい! 」
「楡に何かされそうになったら呼んで。力になるから」
「……何かって……? 」
「……命の危険……とか」
「そんなの無いと思うけど……」
何を言ってるんだろう……。
赤松さんなりの冗談だろうか?
短い髪をかきあげながら彼女は「そうだよね、ははは」と乾いた笑い声をあげる。
「……接骨木さん、最近可愛くなったよね」
「え!? あ、ありがとう……! 」
女子に言われると嬉しいものである。
私は赤い目のままグフフと笑った。
この1週間で体重は1.5Kg減し、服も大分変えた。
効果は着実に現れている。
「……その、それってやっぱり、青桐と付き合ってるから……恋の力……みたいな? 」
赤松さんが伺うように、だがこちらから視線を外して聞いてくる。
「……ん? いや、青桐くんと付き合ってないよ……」
「え? だって最近いつも一緒にいるし、この間なんて駅ビルでデートしてたよね?
あ、尾けてたとかじゃなくて、たまたま……」
「ああ、買い物手伝ってもらってたんだ」
「……? なぜに……?」
「青桐くんにイメチェン頼んでて、おかげで大分印象変わったって褒められるんだー! 」
私の説明に赤松さんは全く納得がいっていないらしい、というのは彼女のキョトンとした顔で分かった。
「なんで青桐に? 」
「青桐くんが我が躑躅高校きってのイメチェンアドバイザーだから」
彼女はキョトンとした顔のまま首を傾げる。赤松さん……知らないのか……。
だが彼女は美少女だし、陸上部に入ってバリバリ鍛えているからイメチェンなど考えたこともないに違いない。
「でもそっか、青桐と付き合ってないんだ」
「うん」
「私ね、接骨木さんには、優しくて人情味が溢れてて暴力を振るわないし盗撮もしないしストーカーもしない、それでいて強くて殺しても死なずアイアンマンだろうとバットマンだろうと返り討ちにしちゃうような人と付き合って欲しくて」
なんだそれは。全く意味がわからず、私は赤松さんを見つめた。
「青桐は性格は良いけど殺したら多分死んじゃうから心配で……」
「普通、人はそうだけど……」
「レスリング部の部長とかどうかなと思ってる」
「レスリングしてても人はいずれ死ぬよ……」
「……そうだね。私当たり前のこと忘れてたよ……」
彼女は儚げに微笑むと「じゃあこの辺で」と言って去って行った。
赤松さんとは同じクラスだがあんなに話したことは無い。
すごい変わってる子だと、今日初めて知った。