10/22
短いです
この土日は英単語を覚えることに費やし、廃人のようになった月曜日。
先生の言葉全てが英語に聞こえる。
英語は聞き取れないのに不思議なものだ。
「あれ? 大丈夫? 」
前の席の砺波さんが心配そうに私の顔を覗き込んだ。
「目の下のクマすごいよ? 」
「アイムファインセンキュー……」
「ダメそうだね」
お昼休みは石狩くんとお勉強会だ。全ての時間を費やすために今日のお昼はウィダーインゼリーである。
彼もまた、砺波さんと同じように心配そうな顔になった。
「大丈夫? 」
「アイムファインセンキュー……」
「oh……」
『ダメそうだ。目の下のクマ凄いし、もしかして土日徹夜したのかな』
頭がクラクラする。だけど私はまだ漢字と、公式と、歴史を覚えていない。
「Ishikariくん、 私、邪智暴虐は書けるようになったんだ。代償として数学の公式は全部忘れてしまったけれど……」
「讃岐さん、一回休もうか」
「えっ!? でもまだ……」
「寝不足だとどうせ覚えられないよ。
寝てな」
そう言うと彼は私から教科書ノートを取り上げた。
「私このままだとまずくて……普段からちゃんと勉強すればよかったのにしてなかったから……」
「過ぎたことは仕方ない。
なんとかなる」
「だけど折角石狩くんに教えてもらってるのに赤点取ったらもう床から額離せなくなっちゃう」
「そ、そこまで思い詰めないでいいから!
寝て。時間になったら俺が起こすから」
そう促されて、私は結局机に伏せた。
目を閉じると英単語が浮かんでくる。
detective、criminal、chief、victim、laptop……。
『大分追い詰められてるなあ。学校のテストくらい、悪くたって死にやしないのに。
それに、讃岐さんは記述問題は苦手みたいだけど記憶力良いからここまで根詰めなくても平気だろうし可愛いし寝顔なんて天使のようだ……。
じゃなくて、讃岐さんに必要なのは応用力だからそこをなんとかすれば……』
私の思考は暗闇の中に落ちていく。
気がつくと、暗い暗い場所にいた。
地面は水が足首まで溢れている。
「讃岐さん」
石狩くんがそこにポツンと立っていた。
「讃岐さんは俺のこと、好き? 」
「え!? 」
「俺は好きだよ」
石狩くんは一歩も動かないで、いつもの無表情でそう言った。
私は石狩くんのことが好きなのか。
好きかは分からないが、確実に惹かれてはいる。
「よく考えろよ」
私の肩にカラスがとまっている。楡の声がした。
「お前は母親の血が強く流れてる。
尻軽な淫売の血が」
「母さんのこと悪く言わないで! 」
「淫売の娘。だからお前は好意を寄せられただけで簡単に好きになる。今まで興味も無かった癖に、自分が好かれてると分かったら色気付いて恥ずかしい奴だ。
だけどお前は絶対、俺たちの側だ。
八郎と同じだ。お前はこいつに依存するね。
簡単に人を好きになるくせに簡単には手放せない。手放せなくてこいつをズタズタに傷付ける」
「私は誰かを傷つけたりなんかしない」
「嘘つくなよ。俺のことを散々傷つけておいてそれはないだろう? 」
肩が重くなる。
強く掴まれてるみたいだ。
「お前みたいな低脳、釣り合うと思うか?
石狩は頭が良い。性格も良い。無愛想だが、優しい良い奴だ。
お前はなんだ? なんもできないじゃないか。
漢字も読めない、九九だって、何回教えてやった? 俺が読めといった小説もロクに読めなかったよな? お前みたいな娘要らないんだよ」
カラスはいつのまにか父になっていた。
肩が痛くなるほど掴まれている。
父の顔は真っ黒だった。
「でも私頑張ったんだよ! お父さんに認められるように頑張ったのに……なんで捨てたの……」
「頑張ってなんかない。お前はいつも逃げてたじゃないか。
習い事も、運動会も、水泳も、漢字の小テストも、授業参観も、将来の夢の作文も、読書感想文も、楡がいじめられていた時も、義理の父親からもお前は逃げ出した。お前になんの価値がある? お前なんか要らないんだ。無価値の塵め」
父の真っ黒な口から、唸り声がする。
私は逃げてなんかいない。
「讃岐さんって、そんな子だったんだ」
石狩くんがいつのまにか遠くにいる。
「汚い。吐き気がする。もう二度と話しかけないで」
彼の顔は軽蔑の色で染まっていた。
胸がギリギリと締め付けられ、涙が溢れる。
「ま、待って石狩くん! 」
「さようなら。君の代わりはいくらでもいる」
そう言うと石狩くんも、父親も、全て闇に飲まれていった。
ここにいるのは私一人だ。
そのまま、私も闇に飲まれ—
「讃岐さん! 」
また肩を掴まれて、ようやく目が覚めた。
脇や背中が汗で濡れている。
嫌な夢だった。
「あ……」
「大丈夫? 怖い夢見た……? 」
「……うん」
私は重々しく息を吐いた。
大丈夫、夢は夢だ。
父からあんなことを言われた覚えはないし、石狩くんだってここにいる。
「あ、あはは……変な時間に寝ると嫌な夢見るよね」
「そう、だね……」
『泣いてた? 夢の中で泣くほど追い詰められてるんだ……。テストなんて無くなればいいのに』
彼はそっと私の肩を叩いた。
「戻ろうか」
「……うん」
もし、石狩くんが私の薄暗い感情や卑屈さに気が付いたなら、夢の中のようにどこかに行ってしまうのだろうか。
そう思うと凄く嫌な気分になった。
石狩くんに見放されたくない。
*
このままテストの点数が低ければ、石狩くんはきっと私に失望するだろう。
だが家の中で勉強することは中々集中できなくて難しい。
石狩くんからは何度も早く帰るように言われたが、こっそり放課後残ることにした。
変質者だって既に捕まっているのだ。大丈夫だろう。
その日は遅くまで学校に残って勉強した。