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躑躅高校の生徒たち  作者: アンソニー 計画
あなたの声は泣きたくなる程よく聞こえる
15/23

10/19

寝不足のままお昼になっていた。

朝はどこへ? 今までの授業内容を思い出せない。


お昼休み石狩くんは心の中ではウキウキしながら私を部室棟に誘った。

私はお弁当の他に教科書やノートを一式持って彼の後について行く。


部室棟は、あまり人がいなかった。


『……お昼に部活するところはほとんど無いし、そもそもテスト期間中なんだからそもそもやってないんだ! 馬鹿だ俺! 』


そういえばそうだった。


「あ、空いてるところ、借りよっか」


「そうだな」


『ま、まあ、勉強教えるだけだから二人きりでも問題はないし! 讃岐さんがいきなり俺のことを押し倒してキスでもしない限り大丈夫! 』


全くそんな予定はないので大丈夫だろう。

私たちは空いてる部室を適当に物色し、ここなら怒られなさそう……という理由で茶道部の部室を借りた。

茶道部は今年廃部になったのだ。


「畳とかあると思ったんだけど」


私はリノリウムの床を眺める。

これじゃ硬くて正座は続けられないんじゃ。


「奥にあるみたいだ」


やや狭い教室に入ってすぐのところに木の机が四脚無造作に積まれている。

その奥の壁に、畳が立て掛けられていた。


「正座で勉強会するか」


「足が痺れたら集中できないね」


石狩くんの思わぬ冗談にニタニタ笑ってしまう。


『笑うと天使が舞い降りたと勘違いするほど可愛い……』


石狩くん大丈夫だろうか。

思ってることが気障な男のセリフよりも気障なのだが……。

私は赤くなった頬を誤魔化すために机を配置することにした。


「これ、真ん中に置く? 」


「ああ。俺やるから」


「机くらい持てるよ」


「いい」


『コケそうだしな……讃岐さんにもしものことがあったら俺は切腹する』


そこまで……。

掃除の時間はいつも机を動かしているのに。

しかし何かあって切腹されては堪らないので私は机を石狩くんに椅子を移動させることにした。


だが石狩くんの予想というか、心配は当たってしまう。

椅子を持って歩き出したら、足がつんのめったのだ。


「ぅあ!? 」


「讃岐さん! 」


倒れる私の腰を石狩くんが支えてくれる。

だが咄嗟のことだったせいか、私を支えきれなかった石狩くんの体は後ろに倒れてしまった。

私は彼に覆いかぶさるように倒れ込んだ。


「ごめん……! 」


石狩くんの首筋に私の唇が当たる。

汚いものを付けてしまって申し訳ない。


『首に、唇、当たってる!! ヤバい……っ!

ああ、讃岐さんの重みすら愛おしい。ゾクゾクする。

それにしてもやっぱりコケたなあ。ここ滑り悪いし足が突っかかるって言うべきだった……怪我してないと良いけど……。

ん……? 今、もしかして讃岐さんの足の間に俺の足が入って……。

じゃあ、俺が今感じてるこの感触は、太も』


石狩くんの思考が止まった。

怒ってる?

私は慌てて立ち上がろうとした。


「ご、ごめんなさい! 今退きます! 」


「いい」


石狩くんの手が腰に回る。

大きくて、骨張っていて、熱い手。


「ゆっくりで大丈夫」


彼の手がスルリと私の腰骨を撫でた。

ゾクゾクしたものが全身に走った。


「あ、でも、おも、いよね」


「平気」


『一瞬めちゃくちゃ興奮したけど、このまま讃岐さんがまた足を滑らせたりしたら俺の内臓が潰れてしまう。

慎重に降りてもらわないと……』


自分の考えが恥ずかしくてたまらない。

また石狩くんってば不埒な、とか思った自分が恥ずかしい。死んでほしい。

私は息を小さく吐いて慎重に地面に手をついて立ち上がろうとした。


『あ、これなんか、押し倒されてるみたいだ。

ドキドキする……。

……讃岐さんって、普段可愛いけどこうして見上げるとどことなくクールでかっこいい。無限の可能性を秘め過ぎている。大丈夫かな。

国で保護するべきじゃ』


石狩くんってストレートにぶっ飛んでるよなあ……。

このままじゃ国宝扱いされてしまうので早く立ち上がろう。


「本当にごめんなさい……! 怪我はない? 」


「俺は。

讃岐さんこそ」


「私はこの通り元気です……。

ごめんね……く、首に、口、付けちゃったからこれで……」


私はそっとハンカチを差し出した。

石狩くんはパッと私の口が当たったところを抑える。


「いや、平気。全然なんとも」


「でも色付きのリップクリーム塗ってたから跡付いちゃったと思う。ごめん……」


「え」


『つまり……キスマークが付いてるってこと? うわなんか、それは、絶対に拭き取りたくない。

見たい。けど首筋ってどうやって……? 』


キスマークだなんてそんなセクシーかつダイナマイトなものではなく、汚れ、という感じだ。

なんで色付きのリップクリームなんか……。

いや、正直なところ浮かれていた。石狩くんに尋常じゃないほど好意を向けられて舞い上がって、普段は付けないリップクリームなんか付けたのだ。

私は唇を拭う。こんなの私には似合わない。


「わ、どうした? 」


『何故拭う! 色付きのリップクリーム気付かなかったからちゃんと見たいのに! 』


「申し訳なくて……」


「……? 俺の首に付いたから? 」


「うん……椅子もまともに運べないのに色気付くなんて……」


「誰がリップクリームくらいでそんなこと思うんだ……?

椅子は、ごめん。俺がここは滑りが悪いって言うべきだった」


「石狩くんは一つも悪くない……そもそもこうやってるのも、私に勉強教えてくれるためでしょ? 発端も、私が先輩に一人でご飯食べてるところを見られないようにするためだし……。

ごめんなさい」


私は石狩くんの恋心を利用している。

ふとそう思った。

なんて最低な……。

こうやって石狩くんの好意を分かっていながら関わるのは、石狩くんが勉強を教えてくれて、気を遣ってくれて、私のことを褒めてくれるから。

私なんかのことを……。


「ごめんなさい……」


「そんな、謝るようなことじゃない。

……ご飯食べよう? お昼終わっちゃうから」


私は頷いて、石狩くんにハンカチを渡した。

彼は戸惑った顔のまま首筋にハンカチを当てる。


私たちは机を並べ、お弁当を広げた。

今日は特性冷凍食品弁当だ。

冷凍食品を悪し様に言う人は多いけれど、私は冷凍食品が好きだ。

あの小さなグラタンは一口で最高な気分になれる。……今のような沈んだ気持ちの時でなければ。


『讃岐さん、落ち込んじゃった? 気にしなくていいのに。むしろ良か……。

うーん、どうも助平な気持ちが出て来てしまうなあ。いかんいかん。

讃岐さんは何故か落ち込んでしまっているようだから元気付けなきゃ。

彼女が喜ぶことってなんだ? してもらいたいことは?

……少しでも分かれば良いのに』


ここまで気を遣わせてしまった申し訳なさでまた気分が重くなる。

私なんか、漬物石だと思ってくれれば良いのに。

これ以上気を遣わせてはならない、と私はなんとか硬くなった口角を上げる。


「べ、勉強頑張るね! 」


少し、彼とのことを考えなくては。

彼からの気持ち、彼への気持ち。

そもそもの発端はテスト勉強をやりたくないという私の我儘だ。

それがこんなことになって……少し、冷静になって考える必要がある。


テストは来週だ。

私たちは––少なくとも傍目からは、黙々とご飯を食べて黙々と勉強に励んだ。


*


お昼に石狩くんから今日は早く帰るよう何度も釘を刺されたので、帰りのホームルームの後すぐに帰路についた。


「あ……、ま、真琴、ちゃん」


自動販売機の陰から名前を呼ばれ、体がこわばった。

だがその姿を見て一息つく。


「お、おじさん……? こんにちは……」


「こんにちは。驚かせてすまない。

息子と話がしたくて来たんだけど、君の姿が見えたものだから……」


「いえ大丈夫です……」


そこで私たちの会話は途切れた。

何を話せばいいのだろう。

向こうも同じ気持ちのようでソワソワと辺りを見渡している。

くたびれたジャケットに、大きな黒のバッグ、靴もゴムの部分が削れているのがわかる。

冴えないおじさんだ。だが悪い人じゃない。

私と同じで口数が少なく、そして多分不器用な人だ。


「……真琴ちゃんは今から帰りかな? 」


「はい。変質者が出たとかで、早めに……」


「ああ。陸上部の子達が捕まえたんじゃなかったっけ」


全く知らなかった私は首を傾げる。

確かに我が校の陸上部はストイックかつワイルドなので変質者どころかテロリストすら片手で捕まえられそうだ。


「まあ、なんにせよ早めに帰った方がいいね。

気を付けて」


「はい」


おじさんも、そこにいると怪しまれるから気を付けてと言おうとしたが感じが悪いのでやめておいた。

私がお辞儀をしてその場から立ち去ろうとするとき、おじさんは目を細めて眩しそうに私を見た。


「……君が娘なら……」


「……え……? 」


「いや……。君が娘になったらと思っただけだ。すまない……」


私が娘なら。

その言葉の意味が分かって動けなくなる。

私が義理の娘で、おじさんが義父になったら……。


「讃岐さん」


強張った声が聞こえて来て振り返ると、石狩くんが怪訝そうな顔でおじさんを見ていた。


『誰だ? 知り合い……にしてはよそよそしいけど。まさか変質者じゃ……』


やはり疑われてしまったらしい。

私は慌てて石狩くんを呼んでおじさんを紹介した。


「こ、この人は出水先輩のお父さん! 先輩をお迎えに来たんだって」


「ああ……」


『良かった。変質者じゃなかったのか。

……変質者って思ってたことバレてないと良いけど顔に出てたか……?

ん……? 出水先輩のお父さんってことは、讃岐さんの義理の父親になる人ってこと……?

うわあ、俺邪魔しちゃったかな……』


彼は、私とおじさんの顔を見比べて居心地悪そうにしていた。


「彼は私のクラスメイトの石狩くんです。石狩 由多加くん」


私はおじさんに石狩くんを紹介しておく。

おじさんは驚いたように石狩くんを見た。


「あの全国模試1位の! 初めまして……! 」


「えっ!? あー。俺、模試受けてません」


『この噂保護者にも流れてるんだ……!? 』


「あれ? そうなのかい? すまない。勘違いしてたよ」


「いえ。

……じゃあ、俺はこれで」


「私も失礼します。

三年生も授業終わってるはずなのですぐ出てくると思います」


「ありがとう」


おじさんはまた眩しそうに微笑んで、校門の方へと歩き出す。

私は振り返ってその後ろ姿を見つめた。

哀愁と苦悩に満ちた背中だった。


*


なんだかんだ、また流れで石狩くんと一緒に帰ることになる。


「讃岐さんは出水先輩のお父さんと仲良いの? 」


「うーん。良くはないかな……」


『気が合いそうに見えたけどそうでもないのか』


「やっぱり再婚に反対してるの? ……答えたくなかったら答えないで」


「ああ……うん。嫌だし反対してる。

けどお母さんの人生だから私がいくら反対しても押し切られちゃうと思う」


本当は。

本当は再婚なんかしてほしくない。

そもそも、離婚してほしくなかった。私はお父さんのこと好きだった。

けれどお父さんはそうじゃなかった。私を置いて行ってしまったのだから。


『あ……落ち込んでる? 無神経だった。

俺のバカ! なんでそんなことを……。

でも……こう言ったらなんだけど、讃岐さんのお母さんはちょっと勝手だよ。連れ子同士が同じ学校なんだし……せめて高校卒業まで待てば良いのに』


我が一族の血が色濃く出ているのだろう。

母は明るく社交的だが、自由気ままで勝手なところがある。いくつになっても少女のようだ。

それが一緒にいて楽しい時もあれば堪らなく嫌になる時もある。

悪い人じゃないのだ。ただ私が心の奥底で願う理想の母ではない。


『……でも、お母さんにも事情があるんだろうな。それに出水先輩のお父さんも悪い人そうじゃなかったし……。

でも讃岐さんは再婚してほしくない。

きっと、辛いんだろうな。

俺が讃岐さんを楽しませたり、少しでも心を楽にできたら良いのに』


そう思ってくれるだけで私の気持ちは軽くなる。

石狩くんの好意は、清らかで優しくて温かい。


「ごめん。嫌なこと聞いたよな。

……もし、俺に力になれることがあれば言って」


「ありがとう……その言葉だけでも、凄く嬉しい」


『なっ……泣き笑い……! 可愛い!

しかも俺の言葉で喜んでもらえた! 嬉しい……。

ああ……可愛いなあ……目尻の笑いジワすら可愛い。なぞりたい……』


……石狩くんの好意は、基本的には清らかで優しくて温かいが、助平だ。

というか笑いジワなんて気にしたことなかった。私はそっとそこを撫でる。


『讃岐さん……可愛いの権化……ノーベル賞取れる……』


……石狩くん、本当に大丈夫だろうか……。

また赤くなった顔を手で隠して誤魔化しながら私は石狩くんと駅まで歩いた。

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